第八章 協力者その二


 前の世で駐車場のところは畑に使っている。野菜などが植わっており自給自足の足しにしているのだろう。 畑の奥に庵が見えた。彦兵衛に聞くと、今は空き家になっているという。


 十坪ほどの茅葺きで、間取りは分からないが、二人が住むには十分と思える。何よりも林泉寺にちかいし、奥まった処にあるので目立たない。戻ったら住職に聞いてみよう。


 春日城の城下町といっても、大きな武家屋敷が連なっていない。織田信長が兵農分離策で家臣たちを本城の付近に住まわせた時代でない。有力な家臣は越後の各地に領地をもち、城や館を構築して住んでいる。


 それぞれの一族郎党たちが、その城の近くに居住している。春日山城下町に住んでいるのは一門の者か譜代や旗本など一部の者しかいないのであろう。


 十字路にぶつかる。西へ進むと春日山城へ着く。東にまがって海をめざす。一キロ余で南北に走る街道と出会った。これが加賀街道とよばれる大動脈の幹線道路。


 街道といっても道路沿いに、建物が連続して建っているていど。川のほうを見ると田畑が一面に広がり、木立で囲まれた農家が点在している。


 左に折れたので直江津市の中心街を目指しているようだ。前の世では国道で拡幅し整備されているが、クネクネと地形にあわせ曲がりくねって北へ向かう。二キロ足らずで、変形のT字路と交差した。右へまがって川へむかう。


 この通りが直江津市のメイン通りだった。大きな屋敷があちこちに見える。後でわかったが、この辺りが越後の守護である上杉定実うえすぎさだざねの拠点であった。


 大通りを一キロ四百メートルほど歩くと、海の香りがしてきた。大きな川と出会った。新潟焼山をみなもとに発っし、妙高山の麓を回りこんで直江津で日本海にそそぐ関川。上越市高田から下流は荒川とも呼ばれる。


 この川にかかる橋が応化おうげの橋、森鴎外の「山椒大夫」の舞台にもなっている。宿が見つからず、橋の下の河原に野宿をした安寿と厨子王ら四人が、人さらいに声をかけられた哀話。平安末期の時代の民話をもとにした二次作品。


 しっかりとした橋は現存していた。位置はJRの鉄道橋あたりになる。渡りきって百メートルほど進むとT字路にぶつかる。この交差点が北陸街道、紛らわしいので奥州街道と呼ばれていた。


 真っ直ぐ南へ進んで、ふたたび関川をわたると加賀街道とぶつかる。柏崎へは左にまがって東へ向かわなければならない。


 すぐ春日新田宿とよばれる旅籠の町並みがある。旅籠街をすぎて間もなく小さな川を渡った。百メートルほど道なりに歩くと保倉川の土手に出た。新潟市と同じく上越市も海岸段丘があって、海と平行に、一段高い土手状の丘が続いている。この内陸部は干潟や池沼など湿地帯が広がっている。この湿地帯は大規模な土木工事を施さないと、田畑として活用するのは難しい。


 前の世では保倉川は関川に注いでいたが、保倉川は土手にせきとめられて大きく屈曲し、土手と平行に東へ向きを変える。海岸線沿いに四キロ半ほど進むと、先ほどの保倉川と上流から流れてきた川が合流して海へ注いでいる。


 春日新田宿から十一キロで柿崎宿の旅籠につく。さすがに歩き通しで疲れてきた。峠の茶屋のような気の利いた休憩所は見当たらない。しかし軒先に腰をかける板が用意してあった。ありがたい心遣いだ。


 彦兵衛が竹の筒で作った水筒を手渡してくれた。ほっと一息つく。朝食のお粥を食べて、すぐ出発した。そっと懐の時計で確認したところ五時半だった。旅籠の裏にまわって時間を確認する。十一時すぎとわかった。


 この時代の食習慣は朝と夜の二回。戦となると昼も食べると思うが、今は平時だ。おにぎりを頼むのは心苦しい。柏崎まで残りの距離をたずねると、五里ほどとの返事がもどってきた。あと五時間あるくのか......


 全行程の五割ちょっとは来たことになる。歩いてみると街道の整備がいかに大事か身にしみて感ずる。城や館の防御を主眼にしているので、大軍を動かせないよう細い道、屈曲した線形で作られ、利便性や効率性は頭から考えていない。船が重要な運搬手段なのはうなずける。


 日本海は良港が多いので、とくに海運はさかんだ。船は大量の物資を運べる。陸運は牛馬を使った荷馬車が最大の運搬手段だろう。内陸部へ軍団・物資をいかに早く大量にそして継続して運搬できるかが勝敗のカギを握る。兵站の重要性を認識していたのはどこの大名? 現状をまず把握するところから始めなければならない。


 一休みしたので気力・体力も回復した。柏崎をめざして出発。林泉寺を出発して柏崎に着くまで、全部で十五の川を渡った。驚いたことに総て橋が架かっていた。インフラはもっと貧弱のイメージがあったが、目を開かせられた思い。もっとも人が渡れるだけで、馬車とかは無理スジ。


 おおむね海岸沿いに街道が走っている。秋まっ盛りの季節、空気も澄んでいて前の世なら絶好のハイキング日和と形容するところ。久しぶりの運動で憂さも晴れてゆく。遠くに佐渡島が横たわっている。


 古倉さんも一緒に歩けたらどんなに喜んだだろう。不完全ながら橋が完備されているので、いちいち草履を脱がなくとも良いのが何よりだ。こんど機会があったら誘ってみよう。


 柏崎市は長岡高専から信越本線に乗って四十五分足らずで着く。子供のころ両親に連れられ、柏崎市の西端にある海浜公園、前浜にある海水浴場へ通ったものだ。近くに柏崎マリーナがあって、ヨットやモーターボートをボーッと眺めていた思い出が浮かんできた。


 あの日から前の世を考えることを遮断してきた。記憶にある光景や海の匂いは否応なしに封印した扉を開けてしまう。両親の顔が浮かんできて涙が頬を伝わってゆくのが止められない。今後は昔と今のイメージを比較しながら生きてゆかねばならないのか...... 今になって古倉さんの物言わぬ苦しみや悲しみを感じとることができた。


 もの思いにふけっている内に柏崎市街地の西にある番神岬が見えてきた。目の下に見える海岸がマリーナなのだろう。日はすでに山の背に近づいてきている。


「そろそろ柏崎だね」

「よう、ご存知で。あの岬の上に荒浜屋さんのお店がごぜえやす」


 思ったより時間がかかってしまった。話しをしていると夜になる。どっちみち日帰りは最初から無理だったということ。泊まるところを見つけなければならない。宿銭など持ち合わせがない。気がつく益翁さんのことだ、彦さんへ渡してあるんだろう。


 番神岬の突端へむかう道路と交差点を左へ曲がった。突端の左に格式が高そうなお寺が見える。途中の右側にある二階建ての店で彦兵衛さんの足が止まった。

「こちらの店が荒浜屋さんでごぜえやす」


 ふうー、やっと到着した。間口が六間ほどで総二階建ての建物である。

「ごめんください」と土間に足をいれる。

 


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