第六章 説得その二
「方丈さま、すこし話しが長くなりますが、私の考えを述べさせてください。長尾家は虎千代さまが名を謙信とあらため、関東管領に就任したさいに上杉家と改めます。謙信公が亡くなられて二十年後に、越後から出羽へ領地替えが天下人から命ぜられました。天下人には誰もが従わざるを得ません」
「天下人が亡くなって覇権をめぐり大合戦が起こります。上杉藩は負け組について、領地を大幅に減らされ米沢藩一藩となりました。藩は借金まみれになって、百五十年後には領地を返上するまでに追い込まれます」
「危急を救ったのが九代目藩主の上杉 鷹山公で、倹約と産業奨励で財政を立て直す名君です。鷹山公が藩主の心構えを残しております。国や民は藩主の私物でない。藩主は国や民のために有って行動するのであって、藩主のために国や民がいるわけでない。この教えは二百年後の私どもが生きていた時代にも当てはまる名言です」
「前の時代は、憲法という国の基本となる法がございました。その根底にある考えは
自由・平等・平和の三原則です。男女の差別がなく、武士や百姓などの身分の差は
なく、人はすべて平等である。自由に職業や結婚の相手を選び、信ずる宗教も各人の考えに任せて強制しない。そして他国と争う戦争を禁じております」
「もちろん、いくら立派な法があっても現実の社会が理想となるかは別です。人間の
個性や考え方は一人一人が違います。欲望にまみれ感情を制御できずに、盗人や人殺しをする者はいます」
「政を司る人間が権力の魔性に酔って、私欲に走る。商人が金の亡者となって買い占めや売り惜しみをするのは変わりません。解決するには、自己を律する宗教の必要が絶対あると思います」
「この時代で『 民が安心して暮らせる世の中をつくる 』を旗印に戦っている大名は
いずこにおりましょうか? いずれも自己の保身欲、征服欲を満足すべく戦に明け暮れています」
「私は虎千代さまが、この義をかかげてこそ、天下をめざす戦の大義になると信じます。この義こそ虎千代さまが生涯をかけて戦う意味を天から授けられた使命と確信しております」
「私は武器の扱い方や大軍を指揮する能力は、まるっきり有りません。戦場に出ても
何の役に立たない人間です。しかし戦争は軍事力だけで決まるものでありません。
兵站を維持する経済力がなければ軍隊はいつか崩壊してゆきます。食糧、武器、兵士をつねに補給せねばなりません」
「それらを支える内政こそ私がお手伝いできる部署です。まえの世で獲得した知識を活用して、越後の国をゆたかにし、民が安寧に生活できる環境を整えます。虎千代さまの大義を実現するため、全力でお支えします」
「うーむ、虎千代さまの行く末を考え、一流の僧侶とすべく鍛えようと思っていた。
修行僧の一人として、他の弟子と分け隔てなく育てる。大部屋で共に暮らすことで、
得られることもあろうと考えておった。だが虎千代さまが修羅の道をあゆむ定めと
なると、そなたの言うことも真剣に考えざるを得ぬなあ」
「虎千代さまが自己のより処として仏道修行に励むのは大切なことと考えます。仏教の教えを信じ、毘沙門天王の生まれ変わりと名乗り、旗印にもされました。戦で多くの命を奪い、家臣に命を賭けさせる重圧を、そこに救いを見いだしたかもしれません」
「また兄である晴景さまの手前、寺の修行をおろそかにできないと存じます。私の考えですが、例えば一日の大部分を修行に専念し、一刻でも私がお教えする遣り方は如何でありましょうか?」
「一人の悟りを求めるのは元よりであるが、大勢の民を救うのは、より御仏のお心にかなう道であろう。小乗経より大乗経と、お釈迦さまの教えがより深く進化したように、一人の救済より大勢の民を救うことは仏法の本義といえる。うち続く戦乱で苦しむ民百姓に何もできぬ、自分の力の無さをずっと背負ってきた」
「虎千代さまが、苦悩を救う道を歩むのであれば、拙僧も及ばずながら手を貸すべきかもしれぬ。そうすると、虎千代さまの今後を考えると、二人が手を携えるのもありか?」
「もったいないお言葉、私も全身全霊でお仕えします」
「虎千代さまは、いつ入門のご予定でしょうか?」
「今月の中頃と聞いておる」
「先ほどのお話しでは大部屋で修行させると伺いました。できれば個室で、それも玄関に近い方が有りがたいのですが......」
「そうじゃのう。お前たちは、いずれにしても寺に置けぬ。檀家の総代にでも相談して、寺に近い町屋をさがしてもらおうと思っとる。武家屋敷から離れておる方が目立たなくてよかろう。虎千代さまに会うにしても、入り口に近い方が便利じゃな」
ここで古倉さんが発言した。
「差し出がましいと存じますが、ひとこと申し上げます。できますれば医者との正体は、もうすこし先まで隠しておきたく存じます。戦乱の時代、医者とわかれば戦場に連れ出されるやもしれません。こちらの世界では薬は漢方薬しかないと思われます」
「前の世では、薬は病気に合わせて、出来上がった品を処方するだけでした。こちらでは、すべて我が手で作らねばなりません。夫とも相談しまして、調合する時間の余裕をいただきとうございます」
「うーむ、戦となると矢傷や刀傷など怪我人が続出する。医者と名のつく者は手当たりしだい動員される。戦場となると何をされるやも知れぬ。ましてや女の身だ。君子危うきに近寄らずじゃ。虎千代さまが世に出るまで、できるだけの準備をして貰えば結構だ」
「正体はここの四人しか知れぬこと。益翁や、念を押すわけでないが、よく心得ておけ」
「はい、確かに承りました」
「方丈さま、こちらの益翁さまは、どうお呼びすればよろしいのでしょうか?」
「ああ、
「かしこまりました」
「そなたは下野国の足利学校で勉強した後、越後に立ち寄ったと素性を明かした方がいい。虎千代さまの先生として箔がつくだろう」
「方丈さまのお言いつけ通りにいたします」
「わしもこの場で結論を出すには問題が大きすぎる。益翁ともよく相談し細かなところまで煮詰めないと
「はい、史実では十三才で春日山城にもどり景虎と名乗られます」
「では時のながれに任せよう。これから七年間の雌伏が、今後のおおきな礎となると
信じよう」
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