第四章 告 白
「ごーん」窓越しに鐘の音が聞こえてきた。六回ということは六つ刻、さっきより一回減っている。時を勘定する数え方は知らない。もう二時間経っているのか。心細い思いで潜んでいる古倉さんが気がかりだ。前の二人は真剣に聞き入っている。 ここまでくると無下な扱いはせぬと判断した。
「方丈さま、お話しは夜を徹しても語り尽くせないと存じます。じつは私の妻も一緒に、この世界に飛んできました。女人禁制のお寺かと危惧し、庭の片隅に隠れております。曹洞宗の何代目かの後継者が、女性の住職を認めたと記憶していましたが、間違っておりましょうか?」
「四代目の
と傍の僧侶に顔をむける。
「そのとおりでございます」と頷いている。
「では頭からかぶる衣服を用意するので、人目につかぬよう連れてまいれ」
と部屋を出ていった。すぐ折り畳んだ衣服を持ってきた。ありがたく拝借して庭へ向かう。 足下はハッキリ見える。鐘楼ちかくの木立へ呼びかける。
「古倉さーん、もう大丈夫ですよ」
木のかげから飛び上がるように近づいてきた。頭から胸元へ飛びついてくる。その勢いに、いささかよろけたが何とか踏ん張る。
「良かった」
と嗚咽がもれてきた。両手を背中にまわして抱きかかえる。そのままじっと佇む。こんなに小柄だったのだ、と初めて気づいた。
落ち着いてきたのか、体をはなして
「ご免なさい、はしたない振る舞いをして。 男の人に抱きつくなんて初めてかしら......」
自分の行動に驚いているのか、頬が上気している。
「僕もうれしいです。頼りにされていると思うと、しっかりせねばと覚悟が決まります」
今までの経過をざっと話す。衣服をわたして
「これを頭からかぶって顔や服装をできるだけ隠してください」
片手をつないで庫裡へ向かう。
引き戸をあけると板の間に、先ほどの僧侶が待っていた。一礼して進む。もう手は、はなしてある。そう言えば自己紹介をしていないし、相手の名前も聞いていない。部屋に入ったらまず名前を名乗ろう。
濯ぎの丸桶が用意してあったが、スニーカーを履いているので汚れていない。古倉さんもソックスにスニーカー姿で濯がなくとも大丈夫。踏み石に二足ならべて置く。
先ほどの部屋に案内された。古倉さんは窓ぎわに、僕は入り口の方に正座する。
古倉さんはすぐかぶり物をとり、折り畳んで前に置いた。革ジャンを脱ぎバックパックも背中から腰の左に置いている。廊下側に青年僧侶が座る。まもなく住職が入ってきて正面に座る。頃合いを見計らって
「名乗りが遅れて申し訳ありません。私は永倉 新一、こちらは妻の亜希子と申します。困っているところをお助けいただき、まことにありがとうございます」
と頭を深々と下げた。となりの古倉さんも
「亜希子でございます。この度はご厚情をたまわり厚く御礼申し上げます」
と落ち着いた口調で、同様に頭をさげた。
「うむ」と頷いたあと
「これも御仏のお導きであろう。何のもてなしも出来ぬが、ゆっくり寛がれよ」
「そちらは一番弟子の
「以後お知りおきを」と青年僧侶が頭をさげた。
「では用意のものを持て」と住職が声をかけ、益翁さんが部屋を出ていった。 まもなく木製の箱を胸のまえに掲げて入室してきた。そして住職の前に置いた。同じように二回くり返して僕と古倉さんの前に並べた。
住職が
「お前も一緒に食せよ」
と声をかけると、同じような箱を持って部屋の廊下側に座った。
「晩の菜だ。召し上がれ」と声をかけて、木箱の蓋を持ちあげた。
蓋を裏返しにして、そこに中からご飯茶碗と汁物の椀、豆腐と野菜の煮物、そして
漬物の四種類を茶碗や皿をのせて箱を上に置いた。ああ、これが一汁一菜と言うものか。住職がこちらを眺めているので、あわてて蓋をとって同じように並べる。
みな揃ったところで、住職の「いただきます」の音頭に追随し、唱和して手を合わせる。ご飯は白米というより雑穀米、思いのほかお腹がすいていたのか美味しく食べられた。
食べ終わると益翁さんが白湯を茶碗に注いでくれた。住職は一切れ残した漬物
で、きれいに食器をすすぎ、その漬物を食べながら湯を飲んでいる。飲み終わって
から布巾で拭いふたたび箱へ食器を戻してゆく。ああ、これが箱膳とやらなのか。
山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」の剣戟シーンを見たくてDVDを借りてきた。
だが印象にふかく残ったのは、この食事の様子と、ほのかな灯火のモノトーンの世界だった。今後は煌々と光輝く世界とは無縁に生きてゆかねばならない。行灯やロウソクの炎で照らされる薄暗い生活が始まるのだ、と実感させられた。
「ごちそう様でした」
「美味しゅうございました」
と二人で住職にお礼を述べる。
「疲れたであろう。暗くなってくる、話しのつづきは明日に致そう。人目につかぬとなると納戸しか空いていない。いま片付けさせて寝るくらいの空間をつくっている。狭くて済まぬが勘弁してくれ」
「雨露さえ凌げれば、どこでも結構でございます」
「それと衣服だが、その格好では、いくらなんでも怪しまれる。着古した着物だが着替えを納戸においておく」
「重ね重ねのご配慮ありがとうございます」
「この者が部屋へ案内する。では、明日にな」
「お休みなさいませ」
二人で頭を揃ってさげる。
「ついて参れ」
と廊下に出ると奥へすすむ。
すぐ右側の部屋が納戸だった。奥に木箱など積み重ねてある。もちろん窓もなく密閉した空間。手前に畳が二枚ひかれ、それぞれに着物が置かれている。スニーカー二足もそばに並んでいた。玄関に置いてあったら不審がられる。
うーん、敷き布団や掛け布団など見当たらない。大事なことを思いだす。
「あのー、ご不浄というか、便所はどこでしょう?」
「当宗では『
受けたくないだろう」
それもそうだ。ボクサー一枚になって着物を着る。古倉さんは脱ぎはじめたら奥の方へ向いてくれた。廊下の突き当たり本堂へ曲がると、すぐ右がトイレだった。
「朝は何時に起きればいいのでしょうか?」
「当山に修行僧は八名おるが、八つ半すぎに起きだす。顔を洗ってから、お勤めがある。そなたらは僧でないので、拙僧が少食にあわせて起こしにまいろう」
と戻ってゆく。八つ半って、何時。少食って?
引き戸をあけると板の間があり、さきに二枚の開き戸がある。開けると当然ながら
ボットンだ。金隠しは一枚の板である。臭いは強烈だが、下が真っ暗で見えないの
が救い。
辺りは暗くなりつつある。照明など無いので、このまま真っ暗闇になるのか。
納戸の戸はすこし開いていた。そうだ、締めきってしまうと何も見えなくなるんだ。
古倉さんは既に着物に着替えていた。
「あのー、お手洗いまで付いてきてくれます?」
うす暗い廊下を歩くなど、僕でもきみが悪い。
「こちらです」
と案内する。廊下の角で待つ。今更ながらの現実にショックを受けたのか、うつむきながら戻ってきた。
黙って納戸へもどる。脱いだ服は奥の床にたたんである。布団がないということは
畳のうえに直寝? 木の床より増しか...... 冬になると、どんな寒さが待っているのか想像するだに寒気がしてくる。
「ジャンパーを掛けて寝るしかないですね」
「お化粧を落としたいけれど、洗面所の場所もわからないし...... 」
「女性にとっては過酷な環境で生活することになりますね」
「ええ。でも、水洗トイレの普及は歴史が浅いでしょう。片田舎に行くと、くみ取り式のトイレがあるわ。父母の若いころは当たり前だったのでしょう。このくらいで、めげるわけにはゆかない」
「ご飯が食べられただけでも良しとしましょう」
慰めにもならない言葉をのこして一日目が終わった。
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