第四章 告 白


「ごーん」窓越しに鐘の音が聞こえてきた。六回ということは六つ刻、さっきより一回減っている。時を勘定する数え方は知らない。もう二時間経っているのか。心細い思いで潜んでいる古倉さんが気がかりだ。前の二人は真剣に聞き入っている。 ここまでくると無下な扱いはせぬと判断した。


「方丈さま、お話しは夜を徹しても語り尽くせないと存じます。じつは私の妻も一緒に、この世界に飛んできました。女人禁制のお寺かと危惧し、庭の片隅に隠れております。曹洞宗の何代目かの後継者が、女性の住職を認めたと記憶していましたが、間違っておりましょうか?」


「四代目の瑩山けいざん禅師で、太祖さまと尊称している。開祖の道元禅師は高祖さまと呼び分けておる。たしかに太祖さまは女人成道を推し進めて積極的に門下の女性を住職に登用した。尼僧として修行し住職になるのは問題ない。しかし一般の女性を寺に住まわせるのは無理だ。だが事情が事情だ。短期間なら寺にかくまい、どこか住む場所をみつけて移る方法しかない。どうじゃ?」

と傍の僧侶に顔をむける。

「そのとおりでございます」と頷いている。


「では頭からかぶる衣服を用意するので、人目につかぬよう連れてまいれ」

と部屋を出ていった。すぐ折り畳んだ衣服を持ってきた。ありがたく拝借して庭へ向かう。 足下はハッキリ見える。鐘楼ちかくの木立へ呼びかける。


「古倉さーん、もう大丈夫ですよ」

 木のかげから飛び上がるように近づいてきた。頭から胸元へ飛びついてくる。その勢いに、いささかよろけたが何とか踏ん張る。


「良かった」

と嗚咽がもれてきた。両手を背中にまわして抱きかかえる。そのままじっと佇む。こんなに小柄だったのだ、と初めて気づいた。


 落ち着いてきたのか、体をはなして

「ご免なさい、はしたない振る舞いをして。 男の人に抱きつくなんて初めてかしら......」

自分の行動に驚いているのか、頬が上気している。


「僕もうれしいです。頼りにされていると思うと、しっかりせねばと覚悟が決まります」

今までの経過をざっと話す。衣服をわたして

「これを頭からかぶって顔や服装をできるだけ隠してください」

片手をつないで庫裡へ向かう。


 引き戸をあけると板の間に、先ほどの僧侶が待っていた。一礼して進む。もう手は、はなしてある。そう言えば自己紹介をしていないし、相手の名前も聞いていない。部屋に入ったらまず名前を名乗ろう。


 濯ぎの丸桶が用意してあったが、スニーカーを履いているので汚れていない。古倉さんもソックスにスニーカー姿で濯がなくとも大丈夫。踏み石に二足ならべて置く。 


 先ほどの部屋に案内された。古倉さんは窓ぎわに、僕は入り口の方に正座する。

古倉さんはすぐかぶり物をとり、折り畳んで前に置いた。革ジャンを脱ぎバックパックも背中から腰の左に置いている。廊下側に青年僧侶が座る。まもなく住職が入ってきて正面に座る。頃合いを見計らって


「名乗りが遅れて申し訳ありません。私は永倉 新一、こちらは妻の亜希子と申します。困っているところをお助けいただき、まことにありがとうございます」

と頭を深々と下げた。となりの古倉さんも

「亜希子でございます。この度はご厚情をたまわり厚く御礼申し上げます」

と落ち着いた口調で、同様に頭をさげた。


「うむ」と頷いたあと

「これも御仏のお導きであろう。何のもてなしも出来ぬが、ゆっくり寛がれよ」

「そちらは一番弟子の益翁宗謙やくおうそうけんと申す」

「以後お知りおきを」と青年僧侶が頭をさげた。


「では用意のものを持て」と住職が声をかけ、益翁さんが部屋を出ていった。 まもなく木製の箱を胸のまえに掲げて入室してきた。そして住職の前に置いた。同じように二回くり返して僕と古倉さんの前に並べた。


 住職が

「お前も一緒に食せよ」

 と声をかけると、同じような箱を持って部屋の廊下側に座った。

「晩の菜だ。召し上がれ」と声をかけて、木箱の蓋を持ちあげた。


 蓋を裏返しにして、そこに中からご飯茶碗と汁物の椀、豆腐と野菜の煮物、そして

漬物の四種類を茶碗や皿をのせて箱を上に置いた。ああ、これが一汁一菜と言うものか。住職がこちらを眺めているので、あわてて蓋をとって同じように並べる。


 みな揃ったところで、住職の「いただきます」の音頭に追随し、唱和して手を合わせる。ご飯は白米というより雑穀米、思いのほかお腹がすいていたのか美味しく食べられた。 


 食べ終わると益翁さんが白湯を茶碗に注いでくれた。住職は一切れ残した漬物

で、きれいに食器をすすぎ、その漬物を食べながら湯を飲んでいる。飲み終わって

から布巾で拭いふたたび箱へ食器を戻してゆく。ああ、これが箱膳とやらなのか。


 山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」の剣戟シーンを見たくてDVDを借りてきた。

だが印象にふかく残ったのは、この食事の様子と、ほのかな灯火のモノトーンの世界だった。今後は煌々と光輝く世界とは無縁に生きてゆかねばならない。行灯やロウソクの炎で照らされる薄暗い生活が始まるのだ、と実感させられた。


「ごちそう様でした」

「美味しゅうございました」

と二人で住職にお礼を述べる。

「疲れたであろう。暗くなってくる、話しのつづきは明日に致そう。人目につかぬとなると納戸しか空いていない。いま片付けさせて寝るくらいの空間をつくっている。狭くて済まぬが勘弁してくれ」


「雨露さえ凌げれば、どこでも結構でございます」

「それと衣服だが、その格好では、いくらなんでも怪しまれる。着古した着物だが着替えを納戸においておく」

「重ね重ねのご配慮ありがとうございます」


「この者が部屋へ案内する。では、明日にな」

「お休みなさいませ」

二人で頭を揃ってさげる。

「ついて参れ」

と廊下に出ると奥へすすむ。


 すぐ右側の部屋が納戸だった。奥に木箱など積み重ねてある。もちろん窓もなく密閉した空間。手前に畳が二枚ひかれ、それぞれに着物が置かれている。スニーカー二足もそばに並んでいた。玄関に置いてあったら不審がられる。


 うーん、敷き布団や掛け布団など見当たらない。大事なことを思いだす。

「あのー、ご不浄というか、便所はどこでしょう?」


「当宗では『東司とうす』と申す。案内するが着替えた方がいい。いらぬ詮索は

受けたくないだろう」

それもそうだ。ボクサー一枚になって着物を着る。古倉さんは脱ぎはじめたら奥の方へ向いてくれた。廊下の突き当たり本堂へ曲がると、すぐ右がトイレだった。


「朝は何時に起きればいいのでしょうか?」

「当山に修行僧は八名おるが、八つ半すぎに起きだす。顔を洗ってから、お勤めがある。そなたらは僧でないので、拙僧が少食にあわせて起こしにまいろう」

と戻ってゆく。八つ半って、何時。少食って?


 引き戸をあけると板の間があり、さきに二枚の開き戸がある。開けると当然ながら

ボットンだ。金隠しは一枚の板である。臭いは強烈だが、下が真っ暗で見えないの

が救い。


 辺りは暗くなりつつある。照明など無いので、このまま真っ暗闇になるのか。

納戸の戸はすこし開いていた。そうだ、締めきってしまうと何も見えなくなるんだ。

古倉さんは既に着物に着替えていた。


「あのー、お手洗いまで付いてきてくれます?」

うす暗い廊下を歩くなど、僕でもきみが悪い。

「こちらです」

と案内する。廊下の角で待つ。今更ながらの現実にショックを受けたのか、うつむきながら戻ってきた。


 黙って納戸へもどる。脱いだ服は奥の床にたたんである。布団がないということは

畳のうえに直寝?  木の床より増しか...... 冬になると、どんな寒さが待っているのか想像するだに寒気がしてくる。


「ジャンパーを掛けて寝るしかないですね」

「お化粧を落としたいけれど、洗面所の場所もわからないし...... 」


「女性にとっては過酷な環境で生活することになりますね」

「ええ。でも、水洗トイレの普及は歴史が浅いでしょう。片田舎に行くと、くみ取り式のトイレがあるわ。父母の若いころは当たり前だったのでしょう。このくらいで、めげるわけにはゆかない」


「ご飯が食べられただけでも良しとしましょう」

慰めにもならない言葉をのこして一日目が終わった。

 



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