3

「ああ、俺だ。今帰ってきた。来れるか?……うるさい、さっさと来い!」

 携帯で話しながら梅沢貴斗は自宅のドアを開けた直後、激しく不快な表情をし、そのままドアを閉めようとした。が――。

「貴斗さん、おかえりなさい」

 部屋の中から覗いている人物と目がばっちり合ってしまい、逃亡は諦めざるを得なかった。

「寄り道してきたらはっ倒すぞ。いいな!」

 電話の相手にそう命じつつ、苦い顔で靴を脱いであがる。

 すると中にはもう一人、制服姿の女の子も一緒であった。彼女も心底嫌そうな、そして申し訳なさそうな顔で会釈をする。

 そんな彼女をおもむろに抱き寄せ、爽やか三割増しで青年が貴斗に向き直った。

「見て見て、貴斗さん。俺の奥さん、かわいいでしょう?」

 目を細め、額のあたりに手をかざしながら貴斗は「あいたたたた」と胸中で絶叫した。


 桜川清秋郎要――貴斗が世界中で最も苦手とする人物である。

 苦手とする人物はかなり多いが、その中でも群を抜いているのがこの青年だ。

 要を一言で表すならば「爽やか」であろう。これ以上的確な言葉はないと断言できる。ありがちな腹黒さが垣間見えるような二面性は一切なく、あくまでもどこまでもひたすら爽やかをお届けする爽やか親善大使のような爽やかさである。

 この現状だけでももうおわかりだろう。

 貴斗の留守になんの前触れもなく堂々と上り込み、主が帰還するや否やろくな前置きもなく突然のろけだす――不法侵入など爽やかにスルー、部屋の主の都合も思惑も全て爽やかにスルー、徹底した爽やか仕立てである。

 だからこそ手に負えない。

「……わざわざ嫁自慢に来たのか?」

「うん。桃地乃々ちゃんです」

「知ってる」

 梅沢家当主の三男坊であり、主要戦力として精力的に全国を回っている花守である貴斗は、意図的に乃々を避けていた要と違い、年末年始やお盆や恒例月例行事などで度々顔を合わせている。

「今月の端午の節会でも会った」

「三週間前と今じゃ乃々ちゃんだいぶ変わってますよ」

「はいはい」

 貴斗は冷蔵庫からビールを取り出してきて、向かいのソファに腰掛ける。そしてソファに並んで腰掛ける二人を眺めながらビールを一口含み、「それで?」と切り出す。

「もう嫁自慢はし終わっただろう?」

 すると要は、あははと屈託なく笑った。

「やだなぁ、これからじゃないですか」

「えええええ」

「ほら、晩御飯もそこのコンビニで買ってきたんで、好きなの選んで食べてください」

「徹底的に語り尽くす気か……」

「だって一言じゃ語り尽くせないじゃないですか?俺の奥さん。それに、女の子は愛されるともっとかわいくなるからどんどん褒めて自慢しろって亮介さんが言ってたし、実際乃々ちゃんかわいくなったと思いません?」

「亮介ぇぇ!!遅い!ちんたら歩いてるな!!あと10秒で来い!!」

 再度携帯で怒鳴りつけること十数分後、到着した竹原亮介が見たのは、生き生きと爽やかな要と、げんなりしている乃々と、体育座りで遠い目をする貴斗の姿だった。

「あはは、なんだ、この構図」

「貴様こそ、そのおめでたい恰好はなんだ?」

 赤地にショッキングピンクのバラ模様のシャツをはだけ、かなりぎりぎりのローライズ皮パンをボタンを外して装備という、あまりお目にかかれない際どいファッションでのご登場である。

「え?なんか変?」

「貴様の存在まるごとな!」

「素敵ですね、亮介さん。ラテンの情熱って感じです」

「さすが、要はわかってんな」

 くしゃくしゃと要の頭を撫で、それから「お、乃々~。今日もかわいいなぁ」と乃々にも手を伸ばすが、「あ、ダメです」と要が阻止する。

「俺の奥さんには触らないでください」

「ええ~、もう今までさんざん触ってきたんだけど」

「これからはダメです。もう俺のですから」

 そして要は乃々を自分の片膝に座らせて横抱きにし、腕を回して完璧なガードを敷いた。

「はぁ……」

 乃々が深々と、今日何度目かわからないため息をこぼす。

 学校が終わるや否や、要にここに連れて来られてから数時間、もはやつっこむ気力も失われていた。

「なんだよ~、俺が手塩にかけてここまで育てたんだぞ~」

「育てられた覚えがまったくありませんが……」

「せっかくおいしく育ってきて食べ頃だったのになぁ。こないだの節会ん時にさっさといただいておけばよかった――」

「教育的指導ぉぉぉ!!」

 貴斗に容赦ない鉄拳を食らわされ、軽く鼻血が舞う。

「乃々ちゃん、どこ触られたの?俺が上書きする」

「ちょっ――」

「ハイ、そこも!!」

 おつまみのピーナツが要の額に直撃する。

「亮介ぇ、そこになおれ!貴様がそんなんだから要までこんなんになるんだぞ!このエロティカ男爵!!」

「なんだぁ?要のおイタまで俺様のせいか?」

「要だけでなく、上総や一悟にも悪影響を与えている!」

「男なんだからしょうがねえだろ?」

「なんでもかんでもその理屈で通そうとするな!」

 貴斗と亮介の口論が白熱してくるのを尻目に、不意に要が乃々に顔を近づけて囁く。

「乃々ちゃん、帰ろう。俺、キスしたい」

 でたよ……、と毎度の要の気まぐれに呆れつつ、確かにもう帰りたかったので頷いた。

「キスはいやだけど帰るのは賛成です」

「じゃあキス以外もしてあげるから」

「ガチで殴っていいですか?」

 物騒なお伺いを黙殺しながらにこにこと笑って、乃々を横抱きのまま立ち上がる。

「ちょっと!下して!」

「おお?帰んのか?」

「うん。そろそろ乃々ちゃんといちゃいちゃしたいんで。ノロケはまた今度しに来ます」

「来なくていいぞ!」

 すかさず貴斗が全身全霊をかけて真剣に釘を刺すが、やはりというか、要は「じゃあまた~」とのん気に帰って行った。


 部屋に残された貴斗は深々と溜息をつき、髪をかきあげながら腰掛けた。亮介も向かいのソファに腰掛け、コンビニ弁当を漁りながら嘆息した。

「まったく、相変わらずマイペースな小僧だな」

「その点は同意だな」

「ったく、貴斗もさ、手に負えないからって、俺様まで巻き込まないでくれる?」

「元はといえば、貴様がへんな入れ知恵したからだろうが。その生姜焼き寄越せ」

「なによ、へんな入れ知恵って?」

「説明するのもバカバカしい」

 憤然と答えて、手にした生姜焼き弁当を温めに立ち上がる。その後をミックス弁当を持って亮介が追う。

「しっかし、すんげぇ入れ込み様だったな」

 先程の乃々に対する要の態度は、確かに驚嘆に値した。

 それまでの要はマイペースできまぐれではあったが、誰かとべったり一緒にいることはなかった。

「まあ要はずっと前から乃々に決めていたわけだし?気に入ったんなら尚更よかったよな」

「貴様は本当におめでたいな」

「ぁあ?」

 被せるようにレンジが鳴る。弁当を取り出して亮介と向かい合い、数秒目線を合わせた後、眉根を寄せて嘆息した。

「想いが強ければ強い程、後のち辛くなる。いっそ形だけの関係の方がお互い割り切れるだろうに」

 我ながら嫌なセリフだ、と貴斗は半ば八つ当たり気味にレンジカバーを叩きつけるように閉める。それをすぐさま開いて、自分の弁当を放り込みながら亮介が笑った。

「オメェはわかっちゃいねえなぁ」

 むっとして貴斗が振り返る。その鼻先に人差し指を突き付けて、

「いつだって奇跡を起こすのは、愛の力なのよ」

 おわかり?と覗き込む。

 貴斗はため息をついてその指をはたきながら、「だから貴様はおめでたいと言うんだ」と吐き捨てる。

「そうそう起こらないからこそ奇跡と言うんだ、ばかめ」

「諦めたらそこで試合終了だよ、と偉大なバスケット指導者が――」

「亮介」

 もういいと言わんばかりに手を振って、強引に断ち切る。

「それよりも自分の心配をしろ。明日行くぞ」

 貴斗は携帯の写真画像を見せる。温まった弁当を持って戻ってきた亮介はそれを眺めて「へ~え」と面白そうに呟いた。

 写真の中には、いかにもおとなしそうな女の子が、携帯を弄りながら佇んでいる姿が映っている。

「高校生?つまらない自分に対する自虐と周囲への妬み――って言いたいとこだけど、なんか違うな」

「なんか?」

 生憎、貴斗はこういった観察力は鈍い。

 写真をじっと眺めてみるが、亮介の言う「なんか」がまるで分らない。

 女の子は地毛であろう黒髪を肩辺りまで伸ばしている。今よく見かける茶髪やパーマも縁遠そうで、制服もミニではなく膝丈まである。白と黒の制服のせいか色味が乏しく、尚更地味に見える中、唯一携帯とストラップだけが赤く色付いているように見える。

「なんかとは?」

「わかんね。だから面白そう」

「貴様は優れた洞察力があるくせに、肝心なところで手を抜くな」

「何事もガチガチに決めつけないのが俺様のやり方なの。臨機応変が効く程度の遊びは必要よ」

「貴様は遊びばかりだろうが」

 自覚があるほどにクソ真面目で融通の利かない貴斗には、亮介のゆとり部分は腹が立つと同時に羨ましくもあり、そしてやっぱり腹が立つ。

 そんな貴斗と亮介だが、歳が同じこと、七花守家の内の弐之垣(梅沢・竹原・松江の三家)ということもあり、幼い頃から一緒に行動することが多かった。

「今回は上総を連れて行くからな」

「はぁ?まじで?」

 松江上総はつい先月15歳となり、元服の儀式を済ませて花守となったばかりの少年だ。

「陽治さんも一緒?」

「元服すれば一人前、だそうだ」

 花守の仕事は各家ごとにやり方が違う。

 壱之垣である葡萄原家と柿本家が協力し、弐之垣も同様に三家で協力する。しかし三之垣の桜川家と桃地家はそれぞれ単独で行動する。これは各家の実力差を表している構図でもある。それほどまでに桜川家と桃地家は抜きん出ているということだ。

 貴斗たちの場合、松江家当主の弟であり上総の父親の陽治が同行していたが、これからはその席を上総に譲るらしい。同じ二之垣とはいえ、松江家のことは松江家で決めるのだから、貴斗たちの口を挟む隙はない。

「陽治さん子煩悩のくせにスパルタだなぁ」

「そうせざるを得ないだろう。今でこそ垣の間の差は埋まってきているとはいえ、やはり乃々の力を目の当たりにすれば、まだまだだと痛感させられる」

「宝華と比べんなよ~」

「せめて乃々の足手まといにならん花守でなければ意味がない。それに上総には才能があるから、実戦でそれを磨けということなんだろう」

 上総の母親は乃々の叔母に当たり、上総も誕生した時から将来を期待されていた。

「俺達とて精進しなくてはな」

「はいはい」

「特に貴様はな!」

「はいはいはいはい」

 この手のかかる亮介と一緒で自分の血管は大丈夫だろうかと、貴斗は本気で心配になる。今までは取り成し役としていてくれた陽治はおらず、代わって加入されるのはあの上総だ。

(きっと俺は脳溢血で倒れる……いや、これが俺にとっての試練なのか?そうだな……これを乗り切れば俺の精神力がかなり鍛えられるに違いない!)

 どこまでも真面目に現実を受け入れ苦悶の表情を浮かべる貴斗を、

(――とか考えてそうだな。ここはいっちょ俺様の力で更なる苦行パラダイスに仕立ててやるか。きししし)

 亮介は面白そうににやにやと眺めていた。


 翌日、東京駅。新幹線ホームに佇む亮介と上総を発見した時、貴斗は本当に、心の底から、あのホームごと爆発してなくなればいいと祈った。

 亮介は180を超える長身を金色のラメシャツと真紅の皮パンツに包み、飽きたらずジャラジャラと聞こえそうなほどに大量のアクセサリーを付け、濃い色のサングラス、そしてやや伸びた茶髪を一つに結わえている。

 片や上総は少年らしくまだ上背はないものの、華奢な身体に平安時代の狩衣を纏い、式神「天后」を出して自身をお姫様だっこさせていた。

「どこのホストと少年陰陽師だーーー!!」

「あ、貴斗さん、遅いよ」

「まったく、緊張感のねえヤツだなぁ、オイ」

「上総!式神しまえ!」

「ええ~、自分の足で歩くとかめんどくさいよ~。僕、深窓のご令息だし」

「おまえのことで何かあったらすぐに電話をしろと、陽治さんに言われている。いいのか?息子ダイスキパパが駆けつけてきても」

 上総の父陽治は、それはもう深く深く息子を愛している。いっそなにかの病気であって欲しいと願うほどに度の過ぎる子煩悩であり、上総は物心つく頃からそんな父親に悩まされ続けてきた。その数々のトラウマな思い出がフラッシュバックしたのか、上総は顔を歪めると即座に式神を札に戻した。

 外国人が遠慮なく写真を撮りまくる狩衣姿はもうこの際目を瞑るとして、しかしその傍らのチャラ男には一言物申したい。

「亮介、そのアクセサリーはなんだ!?」

「なんだ、って、アクセサリー♪今日のシャツ無地だし、これだけだと俺様の美貌で衣装が霞んじゃうから」

「存在ごと霞んでろ!」

「なんだぁ?毎度毎度、人のカッコに文句つけやがって~。風紀委員か、オメェは?」

「社会人が職場に着て行く服装ではないだろうが!?毎度毎度言わせるな!」

「だ~か~ら~、職場っつったって、お客サンは記憶なくしちゃうかわいこちゃんと人ですらない化けモンだろ。なんの問題もナシ!」

 そう胸を張る亮介の金のネックレスをぐいっと引っ張り、貴斗は深い眉間の皺+片目眇めのぶちキレ寸前顔で迫った。

「衆目、という言葉を知っているか?」

「ギャラリーのことだな」

「いちいち腹立つな、貴様」

「ギャラリーがいれば尚のこと、セクシー過ぎる俺様を堪能してもらいたい!」

「それが春先の変質者同様の自己満足に過ぎないと言っているんだ!」

 容赦ない鉄拳を右頬に浴びせ、くるりと上総を振り返る。

「上総、亮介のようなたわけにはなるなよ!」

「ならないよ~。僕、亮介さんと違って美少年王子様系だもん」

 これはこれで問題ありだな、と貴斗は深いため息をこぼした。


「門」となる者は女性、それも思春期の情緒不安定な少女が圧倒的に多い。

 その理由は判然とはしていないが、おそらく黄泉の醜女たちが同じ陰性である女性と負の波長を合わせやすいのだろう、と考えられている。

 門は負の感情を、自身の力を使って育てて開く。だからどんなに心に深い闇を持っていようと、門とはならない者もいるし、逆に些細な闇でも門となる者もいる。

 では花守がどうやってその門を探し出すかというと、特に自発的な探索はしていないのが実状だ。

 神話で葡萄と筍と桃が醜女を引き留めたように、どうも門の方から勝手に近づいてくることが多い。助三役――葡萄原家、竹原家、桃地家はそれぞれ別の垣にあるので、垣内で情報を共有し、共に退治に向かう。

 今回の門の情報も、竹原家の分家から回ってきたものだ。貴斗と陽治で門の下見をし、これなら弐之垣で対処できるだろうと判断した。ちなみに亮介が除外されたのは貴斗の「下見ならば歩く発情期を同行させる必要なし」という意向によるものだ。


「へえ、この人が門なんだ?」

 いつもは打ち合わせは事前に済ませているが、今回初参加の上総は見学させるつもりでいるので、これから現地に着くまでにざっと説明だけする。

「小野ゆかり。17歳で高校3年生」

「ふうん。おとなしそうな感じだね」

「そうだな」

 頷いて、昨日の亮介の見解を伝えると、上総が片頬を歪めるようにして笑った。

「あ~、わかるなぁ。この人、自虐タイプじゃないよ」

「……わかるのか?」

「ん~、なんとなくね。携帯についてるストラップとか、結構じゃらじゃらじゃない?赤くてハデだし」

 すると貴斗を挟んで反対側にいた亮介が、身を乗り出して携帯を覗き込んだ。

「あ~、違和感はそれか~」

「ストラップなんか、結構自分が出るとこだよ」

 そこまで説明されて、ようやく貴斗にも理解できた。

「なるほどな、表面はおとなしそうでも中身は自己主張が激しいということか」

「多分ね」

「となると、貴斗のが向いてるかもな」

 思いがけない言葉に、貴斗は不可解そうに亮介を振り向く。

「何故だ?」

 予定では亮介が門を刺激する役であった。陽治が一緒だった時も、貴斗がその手の役を請け負ったことはない。貴斗自身、女性――特に年下の女の子を苦手としているため刺激するどころか翻弄されてしまうので、対照的に女の子の扱いに慣れている亮介が担当することが多かった。

「おそらく認めて欲しいけど認めてもらえないっつーストレスだろうから、オメェの徹底的な鈍さがうってつけだ」

「……俺がこういうのが苦手だと知っている上での嫌がらせか?」

「ばぁか、それこそ『仕事』だろ~?それに、オメェは特になにもしなくていいんだよ。いつも通りにしてるだけで、門が勝手にヒートアップして開くって」

 まだ納得いかないように難しい顔をしている貴斗に、上総がにっこりと笑いかけた。

「すごいなぁ、貴斗さんは存在するだけで女の子を苛立たせることができるんだね。僕、いろんな意味で尊敬しちゃうなぁ」

 要と違い、裏に黒さが見えるような笑顔を向けられ、貴斗はうんざりと息を吐いた。

(まったく、花守にはろくなヤツがいないな……)

「じゃあ『ハイパー鈍感でドン!愛と欲望のラビリンス作戦』を計画するぞ!」

「わぁ、懐古主義者&性的倒錯者ホイホイなネーミングだね!さすが亮介さん」

「ははは、やめろよぉ、照れるだろ~」

「…………」

 二人に挟まれたまま、目的地に着くまでの間、貴斗はずっと「俺、頑張れ」と胸中でリピートしていた。


 小野ゆかりの通う高校は、駅からすぐの場所にある。

 駅で待ち伏せ、「ミッション1 観光客を装ったナンパを装うダブルトリック(命名:亮介)」を敢行するべく亮介が声をかけると、ゆかりは金赤衣装のチャラ男に警戒心を露わにしたものの、一緒にいる貴斗と、衣装こそおかしなものの上品に振る舞う上総を見て大丈夫だと判断したようだった。

「藤棚ならお城の向こう側ですよ。お城の広場に行けば観光案内の人いると思いますけど」

「きみ、ヒマある?ちょっと案内してくれない?ボランティアの人でもいいけど、せっかくだからかわいこちゃんに案内してもらいたいな~」

「亮介、無茶を言うな。行くぞ」

「困らせちゃってごめんね、お姉さん。あの人永遠のピーターパンだから、気にしないで」

 上総がにっこりと笑うと、ゆかりは引き留めるように「あの、全然困ってないですっ」と控えめながらも力強く反応した。すかさず亮介が「ほら~、こう言ってるし、お願いしようぜ~」とゆかりの肩を抱く。その行動にはぁっと嘆息して見せ、「勝手にしろ」と言い放つ。

「はいはい、勝手にしますよ~。あ、名前なんだっけ?」

「小野ゆかりです」

「んじゃ、ゆかりちゃん、行こうぜ~」

 初対面の男に肩を抱かれたまま歩き出す少女に、貴斗は渋い顔になってしまう。亮介の腕もあるだろうが、あのおとなしそうな子ですらこうも簡単に引っかかるとは、と一言物申したくなる。そんな貴斗に気付いたのか、上総が片頬だけで皮肉気に笑った。

「言った通りでしょ?あの手のタイプは内心自信があるから、認めてくれそうな人には簡単に懐くんだよ」

「そうか、おまえと同じというわけだな」

「あははは、いやだな~。僕の美少年ぶりは誰もが認めざるを得ないんだから、僕が懐くんじゃなくて相手が傅くんだよ~」

 思わず遠い目をしてしまう貴斗をなんなくスルーして、上総は笑顔のまま話を元に戻す。

「そんな参考にならない僕みたいな美形の話は置いといて。ああいう内心自己顕示欲の強い人は、自分を認めてくれそうな人には簡単に懐くし、認められそうなところを否定されれば簡単に逆上するってわけ」

 つまりは貴斗がその否定役となるわけだ。

「努力する」

「やだなぁ、貴斗さんならそのままで大丈夫だよっ」

 喜んでいいのか悪いのか、判断つきかねているうちに上総もさっさと歩きだし、仕方なく貴斗もその後に続いた。


 天守閣のある広場に着く頃には、亮介はゆかりのプライベートまで踏み込み、ゆかりの愚痴を引き出していた。

 曰く、クラスの中に教師に媚を売って成績をよくしてもらう女の子たちがいる、と。

「そういう子たちって先生に取り入ってうまくやってたりするけど、私はそういうのくだらないって思うんです。この先苦労するのは自分なんだし」

「そうだな、それがエコヒイキに繋がるのは腹立つよな~」

 同調しながら亮介が目で貴斗に訴えるのがわかるが、貴斗としてはどう踏み込んでいいのかわからない。

 大体、論ずるに値しないと思えてしまうからだ。

 憶測に過ぎないことをさも事実であるかのように決めつけ、それに一人で憤っている。それのどこになにを言えばいいというのか。

 ふと、先程上総が言っていた「認められそうなところを否定されれば簡単に逆上する」というセリフを思い出す。

(つまりは……根本ではなく、彼女の言っている言葉を否定してやればいいのか?)

 いつも通りで、と言われていたが、本当にそんな感じでいいのだろうかと不安に覚えつつも、亮介の視線が鬱陶しくてしぶしぶ話に加わる。

「しかし必ずしもエコヒイキだけでいい点をあげているとは限らないだろう?」

 すると、「どうしてですか!?」と内心驚くほどの勢いでゆかりが振り返った。

「その先生が好きだからその子達も努力して勉強しているのかもしれないだろう」

「あり得ないです!だって、しょっちゅうバイトとかカラオケとか行ってて、勉強なんてしてる感じ、全然ないんですよ!」

「じゃあ元々頭がいいのだろう?」

「そんなわけないじゃない!」

 甲高い声が絡まったゆかりの声。

 思わず「早!」と呟いてしまった。

「だから言ったでしょ?」

 と上総がにやにやと笑っている。

「あいつらバカなんだよ!私のが頭いいんだよ!私のがいっぱい勉強している!なのに、あいつらのが成績がいいとか、ふざけんな!媚びることしか能のないクズのくせに!」

 そのセリフから嫉妬よりも怒りが勝っているのだとわかる。

 自分が見下している存在が自分よりもいい成績を収めていることが耐え難い。  いっそ自分を卑下できるくらいであれば、もっと早く気付くことができるのだろうが、そうでない分長く苦しみ、内に蓄積するのだろう。だが、

「世の中は平等じゃない」

 それが、誰もが認めたくない、残酷な現実だ。


「そんなのウソ!私は許さないーーー!」


 揺らぎの波動が放たれ、貴斗たちは道返しに転送される。

「さっすが、貴斗さん」

 ぱちぱちと拍手する上総の横で、亮介がにんまりと笑う。

「思い込みで自我を保ってる女の子に、その姿勢を説教するんじゃなくて真実をぶつけるとはな~」

「エサで誘い出すんじゃなくて、退路を断って巣ごと爆破って感じだったね。貴斗さんにしかできないよ~」

「……よくわからんが、バカにされていることだけはわかるぞ」

 不機嫌に眉間にしわを寄せる貴斗に、二人は首を振る。

「いやいや、ある種感心してるんだっての。なァ?」

「そうだよ、小手先のフェミニスト共にはむしろ見習って欲しいくらいの潔さだったよ」

「……もういい、来るぞ。上総は後方で待機」

「ええええ!?ここまで来て、僕の出番なし?美少年差別だ!」

「いーから、お子ちゃまはそこで見学してな」

 亮介にもそう指示され、上総はふくれっ面をしてしぶしぶ一歩下がった。

「なんだよー、バカ!土下座したまま三回回って私はドジな犬ですって言っても許さないんだからな!」

 そして式神を出し、朝のように自分を抱きかかえさせて、高みの見物スタイルを取った。

「……どこの女王様だ、あいつは……」

「物心ついたときから12柱もの式神が常に侍っていれば、ああもなるだろう……」

 呆れ返る青年ペアだったが、開扉の気配を察して構えた。

 貴斗の片手には死神を連想させるような赤い大鎌、そして亮介の両手にはそれぞれ青と黒の短銃が現れる。

「ぎゃああああああああああああああ!!!!」

 扉を突き破って来たものを見て、貴斗は反射的に舌打ちした。

「蜘蛛か!」

 単体で現れる蛇型のものと違い、蜘蛛型は複数が基本だ。

 人ほどの大きさの蜘蛛が10匹。となれば話は変わってくる。

「上総!手を貸せ!」

「やったぁ!僕、四匹ね。騰虵、朱雀、六合、勾陳!」

 上総が腕を払うと同時に現れた四体の式神が即座に蜘蛛に立ち向かう。

「ったく、こんくらい式神に任せないで、自分でやれっての!」

 銃を連射しながら亮介が叱るが、上総は扇で煽ぎながら、式神の腕の中で涼やかに他人事のように笑った。

「いやだよ、僕、肉体労働向いてないもん」

「ばっか、オメェ、男なら死ぬまで腰使って肉体労働だろうが!」

「公然猥褻罪―――――!!」

「おわっ!!」

 振りかざされた大鎌を避けて、亮介が怒鳴る。

「テメェ、鎌は反則だぞ!」

「殺されたくなければ、余計な無駄口を叩いてないでさっさと片付けろ!」

「マヂムカツクワ~~~!」

 苛立ちをぶちまけるように亮介が連射を再開し、貴斗も再び大鎌を蜘蛛に向かって振るう。

 一撃とまではいかないが、数回ダメージを与えると蜘蛛は動きを止め、崩れ去る。

 ノルマの三匹を倒し貴斗が振り返ると、亮介もちょうど最後の一匹にとどめを刺したところだった。

「おっしゃ、おしまい!」

「上総は……終わってるみたいだな」

 上総は相変わらずの姿勢のままのんびりこちらを見ていた。その両脇に先程出した式神を従えて。

(だてに松江家次期当主とされているわけじゃないってことか)

 やれやれ、と一息ついて大鎌をしまう。

 道返しが消えて、ぼんやりとしているゆかりに収束される。

「どーするよ、もう帰るか?それとも観光でもしてくか?」

 時間を見れば、まだ4時半である。

「あ、僕せっかくだからお城見学したい」

「貴斗は?」

「――ああ、じゃあ俺もせっかくだから藤を見てくる」

「んじゃ俺はゆかりちゃん送って、ついでに駅ビル内うろつくわ。1時間後くらいにさっきの新幹線の改札でいいか?」

「わかった」

 ゆかりを伴って歩き出す亮介を見送る。

「じゃあね、貴斗さん」

「ああ、あんまり式神出すなよ」

「わかってるよ~」

 一抹の不安を覚えつつ、貴斗も藤棚の方へと歩き出した。


 同じ花守として、誰も口にはしないが、思っていることがある。

 花守で一番実力が低いのは梅沢家だ、と。

 各家には特色がある。

 桃地家は高い戦闘能力。

 桜川家は戦闘能力と、予知や召喚などの特殊能力。

 葡萄原家は助三役の一として、門を引き付ける能力と、力を変化させる能力。

 柿本家は法力に秀でる。

 松江家は呪術能力。

 竹原家は助三役の二であり、やはり変化の能力を持つ。

 そして梅沢家は――とびぬけた力も特殊な能力もなく、ある意味特色のなさが特色とも言える。

 昔から助三役でない他の家はそれぞれ補佐として役立てるよう力と技を磨くことに心血を注いできた。その昔は松江家も同じく特筆すべき能力を持たなかったが、平安末期頃高名な陰陽師の弟子となり呪術を取り入れることで実力不足をカバーした。同様に柿本家も仏門に入り、法力を防御の力とし、葡萄原家の盾となるよう修行してきた。元来神道信仰の家だっただけに、仏門に入る際家内は揉め、結局神道に従じ花守を捨ててしまった表家と、仏門に従ずる裏家と別れてしまった。そこまでしても、花守にこだわり、それぞれが努力する中、梅沢家だけがなにも変わらないままだった。

 元々数合わせ的な意味で加えられたとも言われており、そのためか代々の当主は末席に甘んじ、向上心などどこ吹く風であった。

 そんな梅沢家が、儀式だけでなく花守の仕事にも参加するようになったのは、およそ500年前――「黄泉の門」が開いた後のこと。

 当然他の家が2000年以上もかけて辿り着いた高みに、今更な梅沢家が届くはずもない。

 その後七家一同が精力的に各家の底上げを図るようになり、梅沢家は桃地の者を多く迎えることができ、更に突然変異的要素が加わってようやくまともに戦闘に加われる貴斗が生まれたのだ。

 梅沢家の誰もが、間に合ったと喜んだが、当の貴斗が一番よくわかっている。

 ――間に合ってなんかいない。全然足りない。

 貴斗では、通常の門から這い出す「闇物」相手が関の山だ。

 なまじ戦えるだけに、他の花守たちとの実力差を思い知る。

(なんとかしないとな――)

 それは、もうずっと昔からの口癖だ。

 なんとかしないと。

 けれど花守の実力とは、才能がほとんどを占め、努力による伸び代はほとんどないのだ。

 先程ゆかりに突き付けた言葉――あれは自分がずっと目の当たりにし、ひれ伏している言葉だ。


 世の中は平等じゃない


 見事に咲き誇る藤をぼんやりと眺めていると、不意にすぐ隣に人が立つ気配がした。目線を転じ、そして二度見してしまう。

「――要!?」

「こんにちは」

 爽やかな笑みを浮かべる要の手には、本格的なカメラが収まっている。

「なんだ、それは?」

「陽治さんの代理で、上総くんの記念撮影です」

 親馬鹿陽治はそれこそ上総が生まれた直後からなにかにつけてシャッターを切っている。父親でなければ立派なストーカーだと言えよう。

 代役を立ててわざわざ撮影に来たというのもあながち嘘ではないだろが、要が出てくるとなれば話は別だ。

「……そんなことのためにわざわざ桜川当主がしゃしゃり出てくるわけがなかろう?目的はなんだ?」

「貴斗さんたちの戦いを見て勉強させてもらおうと思って」

「妙な嘘を吐くな。道返しにはいなかったろう?」

 今思い返してもあの場に他の花守の気配はなかった。

 道返しへ行くためには、花守ならば、ただその場にいるだけでいい。これは言葉ではなく感覚で身体に覚えさせるものなのでうまく表現できないが、要は放たれた波動に精神をリンクする、という感じだ。これはもう花守の血がなせる業と言っていい。考える前に自然と波動にリンクしてしまうので、それを拒否するためには意志を持って抵抗する。

 つまり要の言葉が本当ならば、戦闘の見学に来たくせに肝心の戦闘を見ない選択をした、という矛盾になる。

「ん~、実は最近フラストレーションが溜まってて、道返しに行ったら余計な手を出してしまいそうで、自重したんですよ」

「今回は蜘蛛が相手だったから、来てくれて全然構わなかったんだがな」

「でも僕が手を出しちゃったら、貴斗さんたちの経験値稼ぎにならないでしょ?」

 そのセリフに貴斗は遠慮なく嘆息する。

「経験値を稼いだところで、レベルアップなど望めるわけもなかろう。それより貴様のフラストレーションとやらを吐き出した方がよかったんじゃないのか?」

 すると要がふと真顔になった。

「世の中は平等じゃない」

 先程の自分のセリフを要が反芻する。

「確かに、これは真実です。でも、努力を否定する言葉じゃない」

 貴斗の頬に赤みがさす。

 その言葉を盾に努力をしなかった怠慢さを見抜かれた。

 咄嗟に「しかし」と口にしそうになるのを何とか止める。なんと言い訳しようが、見苦しいことに変わりはない。

 貴斗が口をつぐむと、要はわかっているとばかりににっこりと笑った。

「確かに、花守の力に努力による伸び代はほとんどない――これが花守の常識ですもんね」

「…………」

「月並みですけど、花守だって努力の余地はあるんですよ。努力した分実力になるかと言うとそこはアレだけど、でも努力は無駄にならないと思います」

「……そうか」

「それに、梅沢の家を貴斗さん一人で背負うことはないですよ」


『お前は梅沢の誇りだ。お前が梅沢をしょって立つんだ』


 物心ついた頃から言われ続けた言葉。

 それは事実なだけに、わずらわしくとも目を逸らすこともできなかった。

「梅沢家はこれからなんですよ。花守を増やし、育てていくのも、家の特色を探っていくのも。まあ実質は貴斗さんが背負うことに変わりはないでしょうけど、唯一の花守を生み出した周りの人々も一緒に、梅沢家はこれから花咲かせるんです」

「……遅いって思わないのか?」

「それはしょうがないです。でも昔はいざ知らず、ここ数百年の梅沢家がとても頑張っていたことはみんな知っています。だから貴斗さんの力が判明した時、花守全員が大喜びしたと聞いています」

「――――」

「貴斗さんは花守として祝福されている。だから胸を張ってください」

 真摯な眼差しを受けて、貴斗は自分が間違っていたことに気付く。

 要の来た目的。それは冷やかしでもなんでもない。

(そうだ。こいつは、花守の長として、ここにいるんだ――)

 勝手に相手を侮っていた自分を恥じ、反省の意も込めてしっかりと頷いて見せる。

「梅沢家の花守として、来たる日のため、精進することを約束する」

 爽やかな笑みをたたえていた要が、「お願いします」と破顔して応えた。


 これが、要――桜川清秋郎の目的だったのだろう。


 自分の代で主要戦力となる者達の、力と心の在り方を見極め、束ねるために。

 来たる日――黄泉の門が開く日のために。

 本来ならば、それは桃地家の役割だった。その筆頭の座を桜川家が受け継いだということは、覚悟があっての上だろうが。

 そう思うと、胸が軋む。

 それはまるで生前葬の準備を進めているかのようで……。


「そういえば、今日は乃々は一緒じゃないんだな?」

「ええ、もうすぐテストがあるとかで、最近なかなかいちゃいちゃさせてくれないんです。おかげで僕も潤い不足で荒んじゃいますよ」

 先程言っていたフラストレーションとやらはこれか!と貴斗は思わず眉間にしわを寄せた。

「しかし昨日は人の部屋でいちゃいちゃしてたと思うが?」

「いやだなぁ、貴斗さん。あんなのいちゃいちゃに入らないですよ?家に帰ると自室にこもって勉強しちゃうから、昨日は無理やり寄り道したんですけど、やっぱり人前では抵抗あるみたいです。ほんと僕の奥さんて奥ゆかしくてかわいいですよね」

「聞かなきゃよかった」

 貴斗は乃々の苦労を慮って溜息を吐いた。

 しかしそれにもふと思う。

(時間がないから――か)

 時間がない分、その密度が濃くなるのかもしれない。

 隠すことなく愛情の全てを注ぎ、伝え、残すために――。


『いつだって奇跡を起こすのは、愛の力なのよ』


 今ばかりは亮介の言葉を祈りをもって唱えたかった。

 おそらくは、幾億も紡がれた言葉。はるか昔から花守が何度も願い、縋った言葉。

 そうだとしても。


 梅沢貴斗――現在梅沢家唯一の花守は、こうして花守としての確固たる決意と共に小さな願いを胸の中心に置いた。



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花守 小曽川ちゃこ @halemon

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