2

(――あ……)

 何の拍子か、ふと意識が鮮明なものとなる。今までに幾度となく経験しているこの感覚は――。

(予知だ)

 もう何度と目にした「道返し」の光景。そして眼前の黒い扉。

 予知夢はいつもここから始まる。そして面白いことに時間を遡るのだ。

 温かみのある照明がイタリアのアイテムを飾る内装を照らす。

 テーブルの上には、マグロのカルパッチョとエビのパスタ、ほうれん草ときのこのパスタ。それを自分が運んでいる。

 席に着いているのは女の子2人。一人は「門」である、どこか媚びた目線をこちらに向ける女の子。

 そしてもう一人、ひどくつまらなそうに、相対する女の子を上辺だけであしらっている女の子。

(ふふっ)

 思わず笑みがこぼれてしまう。

(これが、俺の奥さんか)

 飾り気がまるでない。媚びるどころか男の目線すら意に介さない。諦観の眼差し。でもわずかな抵抗心を垣間見せて。微笑ましいほどの、真っ新な素材。

 かわいい、と思った。

 自分の運命を厭いながら、自分が普通でないことを受け入れ、投げやりなようでその実真摯に現状を生きる彼女なら――そう思った。


「この、エロジジィ!」

 ぼふんと枕をぶつけられ、衝撃で目が覚める。

(――珍しいなぁ……予知夢の夢なんて……)

「ちょっと、聞いてます!?おーもーい!」

 腕の中でなにやらもがいている存在を抱え直す。パジャマ越しに伝わる温かさと柔らかさが心地よい。

「柔らかいな~、俺の奥さん」

「まだ結婚してないです!てゆーか、一線は越えないって昨日言ったばっかじゃない!」

「うん、越えてないでしょ?」

 乃々はさっと視線を落とし、自分がパジャマ姿であることを確認する。

「う……確かに越えてはないですけど、なんで人のベッドにいるんですか!?」

「あ~、そう言えば……ああ、昨日様子を見に来て、で、乃々ちゃんの寝顔があんまりにも可愛かったからさ」

 初陣で疲れたのか無防備に眠る乃々もかわいかったが、今こうして顔を真っ赤にして怒る乃々もかわいい。

「まじで犯罪ですよ!」

「キスしていい?」

「会話してもらえます!?」

「じゃあお言葉に甘えて」

「聞けよ!」

 わめく乃々の紅潮した頬に口づけると、抵抗が収まりおとなしくなる。まったくと言っていいほどに男に免疫のない彼女には朝っぱらから刺激が強すぎたのか、思考回路がショートしたらしい。

(もうちょっといいかな)

 唇にもキスを落とす。そのまま何度か啄むと、思い出したように乃々が息をし、わずかに口を開いた。

(やばいなぁ)

 苦笑しつつ舌をしのび込ませてその奥の舌を舐めると、その刺激でびくっと乃々の身体が震えた。そして勢いよく頭を引くと、信じられないと言った表情で要を睨みつけた。

「こっの!スケベ魔人!!」

 乃々は渾身の力で要の腕から抜け出し、再び枕を投げつけて出て行ってしまった。

「……ふふっ」

 枕の下で、要は堪えきれず笑う。

「かわいいなぁ」

 先代の嫡男に生まれ、次期当主として大切に傷ひとつつけることなく育てられた要の周囲には、今まで決していなかったタイプの女の子。

 怒鳴られるのも、罵声を浴びせられるのも、生まれてこの方初めてのことだった。

(俺ってドMだったんだな~)

 そんなことを考えながら乃々の余韻に浸っていると、歯磨きでもしてきたのか爽やかな匂いをさせながら当の本人がつかつかと戻ってきた。

「朝ごはんですって!」

「…………」

 なんとなく眠ったふりをすると、返事がないことを訝しんだ乃々が枕を持ち上げた。

「要さん!」

 肩をがくがくと揺すられ、仕方なく目を開く。

「もー、さっさと起きてください!」

 不機嫌さを隠そうともしない、素のままの彼女。昨日の「門」とは違い、上辺だけであしらわれない分、自分は好かれているのだと自負する。

「……はいはい、わかりました。奥さんは朝から元気だね」

「それ、真剣にやめてもらっていいですか?」

 実にいやそうに顔をしかめる乃々もまたかわいい、などと思う自分はさすがにちょっとおかしいかもしれないと自嘲する。

 なにはともあれ、これ以上からかったらさすがに真剣に怒り出すだろうと、起き上がった。

「乃々ちゃんは今日学校?」

「はい」

「そう。じゃあ花守の仕事は放課後だね」

 すると一瞬にして乃々の表情が引き締まり、真摯な眼差しで要を見つめた。

「学校まで迎えをやるから、授業が終わったら連絡して」

「わかりました」

(凛々しい顔も素敵だよね)

 口にしようか逡巡すると、気配を察したのか乃々は口を挟む間もなく、「着替えるのでさっさと出てってください」と有無を言わせない語気でドアを指差した。

(いいカンしてるな~)

 苦笑して、仕方なく要は指示通り部屋を出た。

 自分の部屋に戻り、要も着替えようとパジャマを脱ぐ。するといやでも両腕の存在が目につく。

(そういえば、乃々ちゃんには見えてたっぽいな)

 昨日の初対面の時、乃々がさっと要の腕を見てわずかに目を瞠った。あれはきっと見えていて、タトゥーかなにかと見間違えたのだろう。その後の乃々の態度は明らかに侮蔑の様相を醸していた。

(まあ見える人には、そう見えるだろうからね……。そうだ、今日はコレ使ってあげよう)

 楽しみができ、要は上機嫌で着替えて食事に向かった。


 花守――それは一族全体を示す言葉であり、そしてまた一族に課せられた使命も表す。


 その昔、イザナギとイザナミは、数々の国と神を生んだ。

 だがイザナミは最後に火の神を生み、焼け死んでしまった。それを嘆き悲しんだイザナギは黄泉の国までイザナミを迎えに行く。イザナギの来訪に喜んだイザナミは黄泉の許可を得て地上に戻ろうとした。

 その間、イザナミはイザナギに約束をさせた。イザナミが戻るまで決してその姿を見てはならないと。

 だがイザナギは好奇心に負けてイザナミを盗み見してしまう。

 そこにいたのはかつての美しい妻ではなく、腐乱した身体に雷を宿した恐ろしい女の姿であった。

 イザナギは恐ろしさのあまり悲鳴を上げて逃げ出した。同時に悲鳴に気付いたイザナミは、恥をかかされたと、黄泉の国の醜女たちと彼を追いかけた。

 追いつかれそうになったイザナギは、まず髪飾りを投げた。するとそれは葡萄となり、醜女たちはそれに食らいついた。その間イザナギは逃げるが、醜女は葡萄を平らげると再びものすごい勢いでイザナギを追いかけた。

 また追いつかれそうになり、今度は櫛を投げた。するとたちまち筍となり、醜女たちはまたもそれに食らいついた。そうやって足止めするものの、なかなか振り切ることができない。

 そして最後に黄泉の境に生えていた桃の実を投げつけて、ようやく醜女たちを振り切ることに成功し、黄泉比良坂で出口を大岩で塞いだ。この大岩を挟んでイザナギはイザナミと離縁し、ゆえにこの大岩を道返之大神として塞の神としたのだ。


 以上が一般的な神話。

 しかし花守一族に伝わる話は少し違う。

 伝承曰く、「道返之大神は出口を塞いだのではなく、出口を内に封じ込めたのだ」とある。

 つまりこちらの世界と黄泉との繋がりを、空間ごと捻じ曲げて封じ、その結果誕生したのが「道返し」という空間なのである。

 一方閉じ込められたイザナミや醜女も積年の恨みを未だ忘れてはいない。かと言って道返之大神の封印を破ることは困難だ。捻じ曲げるよりも、それを元に戻すという方のが遥かに難しい技なのだ。なのでイザナミは封印を解くのではなく、封印に穴を開けるという戦法を取った。具体的には、こちら側の人間の「陰」なる精神を増幅させ、黄泉と共鳴させることで、狭間の空間である道返しに強引に繋がりを作る、という具合だ。繋がりを道とし、まずは門となる人間を道返しに引き寄せ、黄泉から道返しへ抜け出る。そしてそこから更に現世を目指す――イザナギを、憎きものすべてを喰らい尽くそうと。

 花守の仕事は、その企てを阻止すること。そのため、道返しに抜け出た黄泉の者を迎え撃つのだ。

 そもそも「門」と称する人間が扉を作る前に阻止すればいい、という意見も過去に何度かあったが、これに関してはやりたければやればいいと、花守はそういった対応はしないというスタンスを貫いている。

 花守からすれば、阻止がいかに難しいかわかっているので無駄な労力は避けて当然。そしてまた、扉を作り小物をいくらか吐き出させることはガス抜きにもなると心得ている。

 そんなわけで、花守は大昔からスタイルを変えることなく、粛々と自分らの仕事をこなしてきたのである。

 ではなぜ、その一族を花守と言うかというと、それは黄泉の境に在り、その実でイザナギを助けた、桃の木に由来する。

 黄泉の者がこの地に這い出ようとするのを止めた桃のごとく、道返しで足止めをする者。そんな実をたくさん実らせるように、花咲く木という家を守る――それが花守の所以である。


 花守という一族は七つの家から成る。

 桃地、桜川、梅沢、竹原、松江、葡萄名、柿本――この中でも筆頭となるのが、本来ならば桃地家であった。

 一応現在でも表向きは筆頭家ではあるが、それはすでに形骸化して久しい。

 七家の間でも、すでに筆頭として取り仕切っているのは桜川家という認識で一致している。

 というように家の機能をすっかり失っている桃地家だが、家人の能力はまた別物で、その色褪せない高い能力は他家の潜在能力の底上げに欠かせない存在である。

 故に桃地家に生まれる者は必ず七家のいずれかに嫁ぐことが決まっている。


 そういう背景があり、話は今回の要と乃々の婚姻話に繋がってくる。

 桜川家当主として、桃地家の娘を迎え入れる――これは要が生まれた時にはすでに持ち上がり、そして2年後に乃々が生まれた時に決定していた縁談だった。

 もし要が乃々を気に入らなければ、それはそれでもかまわない。ただし、乃々は必ず七家のいずれかには嫁ぐと決められている。

 要は物心つく頃から、乃々と会うのは乃々の初陣の日だと決めていた。それまでは会うことは極力避けた。どうしても同席しなければならない式典などの際は紗で頭を覆い、顔を合わせないように、乃々を見ないようにしていた。

 そうすることで、要は自分も逃げられないようにした。土壇場まで自分が断る口実を設けず、どんなことがあろうと、どんな女の子であろうと、受け入れようと固く決心していた。

 そのため、どこにも逃げられない彼女と同じ状況に自らを置くことで、同情心を頼りに幼いうちから乃々を好きになろうとした。子供心にも妄想は重要なファクターだとわかっていたから。

 ――しかし。

(ばかなことしちゃってたな~)

 実際会った乃々は、妙な小細工など必要がないくらい、魅力的な少女だった。

 会わなかったことを後悔するくらいに。

(大体、予知夢だって、もっと早く見せてくれたらよかったのにさ。そうしたらたくさん一緒の思い出を作れたのに……)

 愚痴りながらも、ふと思いついて嘆息する。

(でも、今の乃々ちゃんだから、好きになったのかもしれない……そう考えると、いろんなことが最終的には桃地家をフォローしてるのかも)

 車の後部座席に仰向けに寝そべって、要はポッキーを齧る。

(腐っても鯛ってわけか……)

ノックの後ガチャッとドアが開く。青空を背景にびっくり顔の乃々と目が合った。

「おかえりなさい」

 微笑む要とは対照的に、乃々は顔をしかめる。

「……なにやってるんですか?」

「ちょっと考え事。あ、ポッキー食べる?」

 半身起き上がって、乃々の座る場所を確保する。

「いらないです」

「おいしいのに」

 それにも溜息をついて乃々が乗り込んで座る。それを見届けて、要は再び寝転がる。いわゆる膝枕状態となり、乃々がぺしっと要の額を叩いた。

「なにしてるんですか!?」

「だから考え事」

「じゃなくって、どいてください」

「やっぱり極細ポッキーのこの固い食感がいいよね。頭蓋骨に響いてくるリズムが思考をスムーズにする気さえしてくるよ」

「ポッキー談義なんてどうだっていいんだよ!」

「じゃあ乃々ちゃんが俺の膝枕で寝るっていうのはどうだろう?」

 乃々は歯噛みしてもう一度額を叩き、ぷいっとそっぽ向いてしまった。その頬が赤いのを確認し、くすくすとこみ上げる笑みを浮かべ、要は目を閉じて再び思考を巡らせる。


 桃地家の決定的な没落は幕末の頃だったと聞いている。

 維新戦争に巻き込まれた――などという尤もな理由ならまだしも、単に当時の当主が金満家で、周囲の言葉にも耳を貸さず貿易に手を出し、揚句事業に失敗して莫大な借金を負った、というしょうもない体たらくであったらしい。

 長い歴史の中、それまでにも何度か没落の危機があったが、いずれも桃地家内で協力して乗り越えてきた。しかしこのときの失敗は、本当に一家どころか一族郎党全員首を吊るしかないというレベルであった。

 花守一族としてしょうがなく各家が奔走して金策し、なんとか借金は帳消しとなったものの、当然六家の生活も圧迫され、冷ややかさを通り越した憎悪の目を向けられた。

 自尊心をずたずたにされた当主は自殺。残された家人たちは各家へ少しずつでもお金を返そうと、以後は質素倹約に努め、自らの筆頭家の位も辞して返上した。これを当時一番補填した桜川家が一時預かるという形で受け、現在まで筆頭家代理という名の事実上の筆頭家となったのだ。

 以後身なりをひそめた桃地家だが、なんの因果か、時折こういう者が現れるのは相変わらずであった。

 桃地家ではこういった者を「落葉」と呼ぶ。近年の「落葉」は、あのバブル景気の時にやはり急成長して借金を返済しきるものの、直後の景気崩壊に飲み込まれ、再び借金生活へと陥った。つまり乃々の父親である。

 しかしこの「落葉」にはある種の喜ばしい側面がある。「落葉」の子供は大変しっかりし、おまけに花守として大変高い能力を持つという、奇妙な現象へと繋がるのである。

「新芽、って言うんだっけ?」

 突然の問いかけに、乃々ははっと要を見下ろす。

「普通の、落葉の子供」

「……そうです」

 「新芽」は一族に更なる繁栄をもたらす「花」を産み、「花」は集大成ともいえる「実」を結ぶ。桃地はこの三代で飛躍的に能力を高める。

 が、稀にその三代を凝縮させた天才児――「宝華」が現れる。

 「新芽」「花」「実」は男児でも女児でも生まれるが、「宝華」は必ず女児であり、その子供の能力は高いものの、宝華を凌駕するものとはならない。宝華は一代切りの奇跡の華なのだ。

 そして乃々は、その宝華だ。

 本来ならば花守一族にとっては新芽誕生の方が喜ばしいものだが、かといって宝華を必要としないわけではない。

(けど、乃々ちゃんはちょっと気にしてるのかな、さっきの反応からして)

「……なんですか?」

 じっと見つめられ、気まずそうに乃々が口をとがらせる。

(子供とか気にしないんだけどね……正直大した問題じゃないし。子供できて乃々ちゃんがそっちにかかりきりになったらムカついちゃいそうだし。でも乃々ちゃんとの愛の結晶、とか考えると愛しく思えるかなぁ……って、それはそれとして)

 乃々はまだ知らない。知らされていない。

(宝華とは正に宝――花守は今も昔も宝華という花のためにあるんだよ)

 乃々が愛しくてたまらないというこの想いもそんな花守の性なのかもしれない  ――そう思うとわずかに引っかかるが、要は胸中で嘆息して溜飲を下す。

「だから、なんなんですか?」

 警戒しきりの乃々の眼前にポッキーを差し出す。

「どうぞ」

「…………いただきます」

 乃々が手に取ろうとする前に、端を口に咥える。

「……一応聞きますが、なんのまねですか?」

「恋人同士はポッキーをこう食べるんでしょ?」

「どこの合コンゲームだ!」

 乃々はポッキーをひったくり、ついでに額を叩き、がりがりと齧りつく。

 その振動が頭に伝わる感触もまた心地よかった。


 今日開く門は、要の高校時代の同級生、田代麻由美だ。

 待ち合わせの公園に着き、車を降りるとすぐに麻由美が駆け寄ってきた。

「要くーん……」

 語尾のトーンが落ちたのは、一緒に降りてきた乃々を見たせいだろう。

「久し振り」

 にっこりと要が挨拶すると、麻由美もつられるように笑みを浮かべた。

「うん、久し振り。その子は?」

 水を向けられた乃々は同じくにっこりと挨拶した。

「初めまして、桃地乃々です。要さんのし・ん・せ・き、です」

 強調して言う側から、要は乃々を抱き締める。

「親戚の許嫁なんだ」

「え?」

 今回はもう凝ったお膳立てはいらない。いつも通り早々に扉を出し、片付けるだけだ。

 田代麻由美は、昨日の乃々の同級生と同じタイプであり、要としては非常に扱いやすい。プライドを傷つけてやればすんなり扉を生むはずだ。

 瞬時に要の意図を悟ったらしい乃々は、向き直って要を怒鳴りつけた。

「あんたねえ!」

「本当のことでしょ?」

「――あんたのやり方、腹立つのよ!」

「……なにいちゃついてんの?」

 はっと乃々が息を呑み、要は僅かに目を眇めて麻由美を見据える。

「要くん……麻由美の気持ち知ってるくせに、どういうこと?」

「田代の気持ち?――ああ、影で王子様とか言ってたヒロイズム満載の妄想のこと?」

「ちょっと……」

 乃々の口を塞ぎ、要は屈託なく笑う。

「まあ恋愛なんてみんな独りよがりの妄想だけどね」

「違うわよ。独りよがりなんかじゃないわよ。要くんだって私だけにすごく優しかったじゃない」

「俺はあの頃誰かを特別扱いしたことなかったけどな~」

 あの頃は特別だと思える人間はいなかった。優しかったわけじゃない。ただ波風立てないようにしていただけで、周囲は勝手に穏やかな優しい性格だと決めつけていた。

「デートだってしたじゃない」

「みんなで出かけようって行ってみたらみんな具合悪くて仕方なく2人きりででかけた、あれがデートっていうんだ?」

 あれはひどかった、と要は苦笑する。

 最初は6人と聞いていたし、見てもいいと思った映画だったし、割とよく一緒にいる男子も来るというから油断していた。当日、麻由美が真っ赤に照れながら「あとみんな来れないって」と言うのを聞いて、はじめて仕組まれたと気付いたのだ。

 この時も要は麻由美のメンツを潰さないために付き合っただけで、むしろ彼女たちに対する評価は地の底まで落ちていた。

 それが、デートとは。片腹痛いとはこのことだ。

「それに、私のことかわいいって何回も言ってたじゃない」

「ああ、それは本当だね。俺はずっと「かわいい」って自分より矮小な生き物に対する憐憫の同義語だと思っていたんだ。使用例としては、自分の愚かさにも気付かず、それどころか勘違いしてはしゃいでる生き物って、かわいいよね――みたいな。「かわいい」の本当の意味に気付いたのはつい最近だったよ。俺の奥さん本当に「かわいい」から」

 胸に抱いた乃々の髪に顔を埋めるようにして、要は挑発的に微笑む。

「ウソよ……」

「ていうか、本当のこと言うとね、君に気安く名前を呼ばれる度に虫唾が走ってたんだ」


「ウソよーーー!!」


 揺らぎの波動の後、道返しが現れる。そして麻由美の頭上には等身大の黒い扉。

「これも大したことない扉だなぁ」

 独白をこぼした時、ぱしん、と自分の頬が鳴った。

 見下ろす先に、乃々の憤然とした顔がある。いつもの羞恥を含んだ怒気ではなく、純粋な怒りのようだ。

「いくらなんでも言い過ぎじゃないの!?」

 要は首を傾げずにはいられなかった。

「……わかんないな。なんで乃々ちゃんが怒るの?」

 意味がわからない。一連の流れで乃々には触れていない。乃々に対してなにか気に障ることを言ったりしてはないはずだ。

「あんたがひどいことを言うから!」

「乃々ちゃんには言ってないけど?」

「あの人に言ったじゃない!誰に対してだろうと、必要以上に傷つけることないじゃない!」

「そうしないと門は扉を作れない」

「じゃあ無理に作らせることないじゃない!まだそこまで陰の気は増幅してないってことなんだから、無理に追い詰めて無理やり扉作らせて、吐き出させる必要なんてないでしょ!?」

 乃々の言うことは尤もだが、要も予知夢を見てその通り実行しただけで深く考えたことはない。強いて理由づけるのであれば、この初期段階で無理やりにでも扉を作らせることで、被害を最小限に抑えてるのではないか。

(って、そんなこと言ったところで、乃々ちゃんは納得しないだろうな)

 そもそも何故乃々が怒るのか、そちらを追及する方がよさそうだ。

 怒る、とはいろいろ起因があるが、この場合は乃々の言う「必要以上にひどいことを言って傷つけたから」だろう。裏を返せば、傷つけて欲しくないということか。傷ついた麻由美に同調したためか、それとも要にそういうことをして欲しくないのか、そこは重要なポイントのような気がする。

 とりあえず直接その質問をぶつけると、乃々は惚れ惚れするような素早いスイングで要の頬をはたいた。

「どっちもだ!ボケェェェ!!」

 目の奥がチカチカするという初めての体験をし、遅れてわけもなく笑みがこみ上げてきた。

「……くくくっ、ふふっ……」

「な、なによっ」

 だが堪えきれず、要は久し振りに大笑いしてしまった。

「あははははっ!」

「なにがおかしいのよ!?」

 そうこうするうちに、扉が開こうと放電し始めるのが視界の端に見えた。

「くく……とりあえず、あれ、片付けちゃうね」

 一旦笑いを収めて、要は扉に向き直る。

「『海翔』『地翔』『天翔』」

 念を込めて名を呼ぶと、左腕からは龍、右腕からは虎、そして背中から鷹に似た大きな鳥が現れた。

「あ」

 それらがあの腕にいた者だと気付いて乃々が声をあげるが、そこに被せるように悲鳴に似た叫び声が響き渡った。

「ぎゃあああああああああああああああああああ!!」

 同時に扉から何かが飛び出す。だが数メートルも行かないうちに、上空から急降下した天翔が地面に叩きつけ、落ちて悶える巨体を海翔が巻き付いて抑え、とどめに地翔が喉笛を噛み砕く、という見事な連係プレーであっという間に絶命させてしまった。昨日と同じ、蛇のような物体がぼろぼろに崩れ去り、そこでようやく乃々が呆然と呟いた。

「…………すごい……」

「昨日の乃々ちゃん程じゃないけど、俺のペットもなかなかやるでしょ?」

「ペット……」

 そんなかわいいもんじゃないでしょうが、と目が訴えている。

「こっちが天翔で、こっちが地翔で、これが海翔」

 要が両手を差し出すと、そこに手乗りサイズになって三匹が収まる。伸縮自在だが、縮小するとフォルムが幼生時に変化するので、今掌にいるのは一見するとただのひよこと子猫とちび龍のように見える。

「かっ……~~~~!!」

 乃々は目を輝かせつつわきわきと指を動かしている。

「触る?」

「いいの!?」

「うん」

 乃々の掌に差し出すと、乃々は声にならないほど感極まった様子で三匹を愛でた。名を呼ぶとそれぞれが首を傾げるさまがたまらないらしく、何度も何度も繰り返し名を呼んでいる。

(俺の名前もあれくらい連呼して欲しいなぁ)

 軽く嫉妬していると、道返しが消えて元の世界へと戻った。

「……あれ……要くん……?」

「バイバイ」

「……うん、バイバイ……」

 ふらふらと歩き出す麻由美に、最後まで悪いことをしたとは思うことができなかった。乃々がどれだけ怒ろうが、これからも麻由美に対する罪悪感は生じないだろうし、きっとすぐに存在ごと忘れてしまうだろう。

 関わり方を変えなければ、そう思うことはできないのだろう。

 だから、要のために怒ってくれる乃々のために、少しは人づきあいの在り方を改善していこうと思う。

 飽きずにまだ三匹を構う乃々を振り返り、三匹をまた腕と背中に封じる。

「あ~……」

 乃々が残念そうに消えた虚空を見つめる。そんな乃々をぎゅっと抱き締めて要は目を伏せた。

「俺、乃々ちゃん好きだよ」

 これが性のなせる想いであろうとも構わない。

「なんですか、急に!?」

 乃々は要を想ってくれている。それだけで要の心は温かく満ち溢れる。

「言ってなかったなぁと思って。女の子って言葉がないと不安なんでしょ?」

「べつにっ!」

 そっぽ向く乃々がいつものように頬を紅潮させるのを見て、要も自然と笑顔になる。


 きっと乃々なら、大丈夫。

 きっと、その瞬間も、そう思える。


 桜川清秋郎要――桜川家第50代当主はこうして生涯の伴侶を手に入れたのであった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る