一の幕 恨々と、花とお江戸の、憎む宿

…。

…。

…。


「買わぬ」


客「なんだと!?」


「これはいかにも見る目は古い振袖だ。だが、あくまで見てくれのみよ。保管が悪く、虫に食われて焼けただけ。十年は越えても…ふむ、二十は行っていない。これはただのクズだ。こんな物を買い取るもの好きが居る訳も無し」


客「この九十九屋はちげぇってのかい!?ええ!?」


「残り物には福来る。百年大事に使われ、妖へと変わるのを恐れて捨てられる、言わば「使える道具」の専門だ。クズに興味などなし」


客「おい!この振袖は越後谷様から譲り頂いた、大変に価値のある…」


「その価値をクズにしたのはお前だろう。着られた跡も無し、大事にされた跡も無し。そんなのは振袖とは言わず、ただの布。クズだクズ」


客「なっ…!こ、このやっ…!」


「帰れ帰れ。こっちは今忙しい。そうだな…そう、煙管の雲の形を見るのに忙しい」


客「てめぇ!!」


「おっ。蛙にも見える…いや、これは兎か…」


客「良い死に方が出来ねぇな!阿呆くせぇ!帰るぞ!」


「おーおー。帰れ帰れ…。おい。戸ぐらい静かに閉められねぇのか」


桐「…」


「…そんなんじゃ、買われた物も良い心地しねぇだろうよ」


桐「…親方様」


「おう、桐。丁重に門前払いしたから塩を撒け」


桐「親方様、良いのですか?虫食い穴は二つだけ、日焼けはあっても目立たない。卸せば幾何かになろうでしょう…?」


「おい、滅多な事言うな。うちをなんだと思ってる」


桐「質屋でしょう」


「質…いや、確かにそうか。表にも書いてあるな…」


桐「目利きをし、安く仕入れ高く売る。質とは…」


「良い。言うな。知っている。そうではなく、ここは九十九屋だ」


桐「…」


「ただただ、無念を買う店よ」


桐「…良いのですか?」


「何が」


桐「飯食らい、世は金無しに、生きぬ道。そう銘の付く物にございます」


「一日に二食。夕餉にささやかに酒に酔い、朝日昇るまで眠り続ける。ただそれだけ満たしていると言うのに、これ以上金が必要か?」


桐「越後の大黒様への献上をお忘れでは…?」


「…ああ、うっかり忘れておった…。そうだそうだ。店を出すのも、只じゃない」


桐「…私は嫌にございます」


「…何を言う。ほれ、私が生きるのに必要だ。今晩とは言わぬから頼みたい」


桐「…はぁ。承りました」


「それで良い。あとは…どうだ、煙管の雲遊びでもせぬか?」


桐「なら、唐傘にでも頼めばよろしいでしょうに」


「お前が良いのだ。桐」


桐「…はぁ。お相手致します」


…。

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「どうだ、これは間違いなく蟷螂だ。うむ」


桐「こおろぎ…」


「…おおっ。確かに、いや。まごう事なく、こおろぎであったな…」


桐「これで五度目にございます」


「何を何を。次だ次」


桐「はぁ…。うん?」


「む?」


桐「はて、唐傘が起きたようにございます。一度仕舞にして、昼に致しましょう」


「うむ。楽しみにしている」


桐「では、失礼致します…」


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桐「唐傘、七草粥はどうでしょう」


唐傘「正直…飽きたのじゃ…。七日続けて粥のみとは…主も頭を抱えるじゃろう…」


桐「ではたくあんと…」


唐傘「桐よ…。お主、箪笥じゃろうに何故好みが分からぬ…。いや、好みと言ふよりは、生きる事をじゃ…」


桐「何を申します…」


唐傘「人は私らと違い、食わねば生きていけぬ。それも、漬物ばかりではなく、魚や煮物を…言えば鶏も食わねば生きられぬのじゃ」


桐「晩に魚を…と思っておりましたが…」


唐傘「…に、してもじゃ。…まあ、魚…ええと、なんじゃ?」


桐「何か適当に…。目の前の堀で採れるどじょうでもと…」


唐傘「どじょうは旬ではない。夏でなければ」


桐「小ぶりで食しやすい事かと。むしろ、親方様は喜々とするでしょう」


唐傘「…「おお!この時期にどじょうとは!なんと珍しい!こう言う旬の外れた魚は一体どんな味がするのだろう。いや、興が湧く」…言いかねんの」


桐「でしょう。ですから、昼は七草と漬物にでもしましょう」


唐傘「うむ。そうしよう」


…。

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唐傘「味噌も入れるか」


桐「ええ、入れましょう。ことことと音が鳴りましたら昼になります」


唐傘「主様を呼んでくれな」


桐「今」


「…ほう、ほう」


桐「…親方様。まだ雲遊びを…」


「桐。来客だ。茶を持て」


客「どうも」


桐「ああ、これは失礼を…。ただ今」


客「…あの障子の向こうの女子は主人のコレ、ですか?」


「何を言う。女子どころか、見てくれは三十路よ。それに嫁などでは断じてない。して、ほれ、早く見せてくれぬか?」


客「ええ。こちらの壺です」


「ほぉ…。ほぉ…」


客「…長らく続きましたが、江戸に入って店が変わるとは…。悲しい限りですな。三つで九十九。お譲りしたく願います」


「峠の茶屋から、大通りの茶屋へ。何が悲しいものか」


客「いえ、つづらは大きくなればなるほど、欲にまみれる。子は私の為だと言い張るが…。いかがでしょうか。心中は存じません」


「大きくなれど、心は相伝すれば良い。味も、もてなしも忘れなければ繁盛するだろう」


客「そうだと良いのですが」


「そうだな…。強いて言えば多売に薄利。客はまるで神のようにもてなすものよ」


桐「…先ほど神に塩を撒いたばかりでは?」


「うむ。あれは神は神でも悪鬼の類よ。茶が入ったか。そこに置いておけ」


桐「承りました」


「で、だ。二つで九十九など、新たな門出を祝うには足りんだろう。一つで九十九。三つで三百で手を打とう」


客「ややや…!そんな大層な物では…!」


「良いのだ良いのだ。私とて興が湧く。持って行ってくれぬか」


客「…そ、それでは…」


「うむ。よろしい」


客「…有難う御座います」


「礼は要らぬ。宝を譲る心こそ、礼をするべきだろう。有難う」


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桐「…して、七草粥のお味は…」


「ふむ。美味い。だが、飽きたな」


唐傘「ほれみぃ」


「まあ…明日からは豪華な飯になる。お前たちも楽しみにしておけ」


桐「…今度は何を買ったのですか?」


「壺だ。壺」


桐「壺?」


唐傘「なんじゃ。百年も使われた壺か?それとも、私のように米寿か?」


「驚くな。峠の茶屋が、味を買われて江戸に店を出すそうでな。…「いくつ」と思う?」


桐「峠の茶屋…。はて、齢五十も行けば良いのですか?」


唐傘「主様の事じゃ。それこそ百は行くじゃろう」


「…鎌倉から続く茶屋よ」


桐「なんと…!」


唐傘「か、鎌倉とは…!?か、鎌倉の幕府か!?」


「そうだ。今こそ名のある東海道に店を構え、富士を背にする峠茶屋「紅楼」よ」


唐傘「…それは驚きじゃ。声も出ん」


「先見の明だな。飛脚や山伏の心着く山道で、団子、茶漬けを主にしておった」


桐「…それが、壺、ですか?」


「流石に初代は割れておろう。この壺共は二代目よ。…誰だあれは。ああ、後醍醐の頃からの物だ」


唐傘「ほぉ…」


「後の二つは…まあ、九十九こそあれ、それ程古い物ではない。織田の頃よ」


桐「はぁ。…では、何故買い取りを…?」


「ふはは。それぞれ何が入った壺か…桐、想像してみよ」


桐「…大方、味噌。でしょうか」


「鋭い。そうだ。それぞれ味噌、醤油、海苔が入っていた」


唐傘「海苔?」


「うむ。「炙り漬け」と銘打ってな。この壺に海苔を入れ醤油でふつふつと煮た物よ。茶屋はこれを飯に乗せ、「茶漬け」として売っていた」


唐傘「…なんじゃなんじゃ。美味そうじゃのう」


「一番の古株は味噌よ。これも味噌を保管するに留まらず、少なくなれば山菜を入れて漬け込み炙って、汁の具にしていた」


桐「…ああ。合点がいきました」


「…そう。九十九の間の「味」が染みついている「壺」だ」


唐傘「ふむ!つまりはそれを現…」


「はぁ?何を言うか。これで飯を炊くのだ」


桐・唐傘「は?」


「うむ。七草のみでは腹も膨れぬ。桐、この壺に水と米を入れ雑炊にしてみよ」


桐「…具は」


「無しだ」


桐「無し…?」


「うむ。炊けば分かる」


桐「…はぁ。承りました」


唐傘「どうだかのぉ…。塩も入れんのか?」


「塩も要らん」


桐「…親方様。中はつるりと綺麗に洗われておりますが?」


「それでも。だ」


桐「…はぁ」


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「ふはは…!やはり、思った通りよ」


唐傘「こ…これは…?」


桐「…先に。私は具も味付けも何もしておりません。ただ、水と米のみにございます…」


「うむうむ!九十九の間に染み込んだ味噌の味だ!どれだけ綺麗に落としても、壺は味を忘れておらん!」


唐傘「ほぉ…。つまり、醤油や海苔の壺も、同じく水と米のみで…」


「ああ。美味い雑炊になるだろう。いや、今更だが粥か」


桐「…して、味わった後は…」


「漬け込むも良し。だ」


唐傘「…も?」


「…唐傘。言わんとて分かるだろう。桐、茶を持て」


桐「承りました…」


「…唐傘よ。何故九十九屋は損を承知で古道具を買う」


唐傘「…話を聞くため。じゃろう」


「うむ。では、何故古道具でなくてはならない?」


唐傘「溜まりに溜まった話は興になる。からかの」


「…うむ。まあ、その通りであるが。…ああ、お前も人世も分かってないな」


唐傘「うん?」


「…道具も米も酢橘も全て同じよ。美味い中身を吸われ食われるが、人は皮を捨ててゆく。皮と身の間が一番に血になると言うのに、苦いと分からず捨ててゆく。良薬は口に苦しとあれど、人は良い思いをしたいが為に、使える分を割り切って捨てるのだ」


唐傘「…」


「お前たちは皮よ。使い使われ九十九年。熟れいに熟れた思いのみが積もっておる。九十九年も見た景色は、源氏の妄想や平家の終物語よりも面白い。浄瑠璃や噺よりも人情がある。俺は皮まで食う男でな。古道具の価値を知っているのよ」


唐傘「…古道具と言えば聞こえは良いな。捨てられたのと変わらんわ」


「捨てるなら拾おう。銭も何もかも。無念もだ」


桐「ええ。捨てられたのですから」


「…桐」


桐「なんです」


「…いや、良い。茶を置け」


桐「はい」


唐傘「…まあ、とは言えその後はどうするのじゃ?夜伽に歩いた道を語っておるが、その後じゃ」


「うん…?」


唐傘「皮を食らい、血肉に変えた後じゃ。糞となり、またも捨てるのじゃろう?」


「…気になるか?」


唐傘「…なんとなしにの」


「…ふはは!誰が捨てるか。俺が死ぬまで、皆、側で夜伽を続けてもらおうではないか!」


「主が先に逝く道具。これ程の事は他にあるまいて!」


唐傘「…ああ、まあ。そうとも言えるの。少しばかりズレておるが。一寸、いや、一間ほどか」


「嫌うな。俺は面白い事が好きなだけだ。誰よりも何よりも。面白可笑しく生きていく」


桐「傾奇者…とでも言いますか」


「それで良い。うつけで良い」


唐傘「…ふむ。では仕舞にしようか」


「うむ。馳走であった」


桐「…はて、この後は」


「店番をして、夕に畳み、夜伽だ」


桐「…承りました」


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唐傘「女、三十路。新たなる恋に染まり、私の元で肩を寄せ合ひ。慎ましい暮らしにも慣れ親しんだ頃、ふいに訝しさ残る調子に襲わるる。飯が喉を通らず、次に食うてもまた戻すばかり」


「…ほう」


唐傘「あまりの事に男は右往左往。女も何一つ分からずにおる。人里離れた山奥の二人暮らしには、それが何を意図する物か知る良しも無し。だが、遅れて不幸は流れ込む。秋の実りに感謝し、米狩りや栗を拾うておると、そこに黒き点を見つけたのじゃ。男はすぐに理解する。「ややっ。これは正しく疫病ぞ。実り妨げ害を成す。食せば体も朽ち果てん」」


桐「…哀れな」


唐傘「次第に冬へと入る。残る米ばかりをかき集め、椀の一つに盛り上ぐる。幸いがあれば、前の秋の豊作に残る米が有った事。冬は越せると胸を撫で下ろす。が、春や夏はいかがなものか。囲炉裏を囲む八畳二部屋はがらんどう。売る物も無ければ金も無い」


唐傘「二人は悩みに悩んだ。女の病も、先の飯も。先に霧こそ立ち込めん。先に、霧こそ、立ち込めん」


唐傘「…続き、赤子供養」


「…ふむ。一度仕舞じゃ」


桐「…どうされました」


「…興も沿えん。大方は分かっておる。「つわり」を病と違えたのだ」


桐「ええ。でしょう」


「が、知らぬは罪よ。続く話が赤子供養とは、あまりに酒が濁るでな」


唐傘「救われぬは世の常じゃ」


「…よし。今晩の夜伽は止めだ」


唐傘「さればに候、どうするのじゃ。外は暗くとも、寝るには早い事」


「…桐。時に感情箱の中の銭は幾何か?」


桐「一貫文もありはしません」


「ふむ。それでは二人、どうだ」


桐「…嫌にございます」


唐傘「ふむ?何をする気か?」


「なに、ちとばかり盗み入る事よ」


唐傘「なんと!?」


「二十年も前からそうよ。暮らす金をば奪ってきた」


唐傘「…それは私とて断りじゃ」


「ならば寝ていろ。どうせ盗むは俺の金だ」


桐「俺の金。と言えば聞こえは良いですが、越後の大黒様への土地借り金にございましょう…」


「うむ。ならば俺の金だろう。言うて、江戸は針から錐まで、纏める者は金を持ちすぎておる」


唐傘「地頭も庄屋も、先見の明につけ込んだのじゃ。人の才を羨むな」


「羨んでなどおらん。違いがあるとすれば奴らの方よ。不正な帳簿に袖の下。いつの世も変わらん。何故奴らの娯楽に貢がねばならん?役人も何もかも、下から上へと必要以上に吸い取るのだ」


桐「それが世の常にございましょう…」


「ならば世直しだ。店で買い取る九十九文でこそ、大方は借金や地頭への首回らずに流すのみ。客の先など決まっておる。その後、絞られた」


唐傘「…それは違いない。赤子供養の先の先には夜逃げが待っておる」


「そして、唐傘売りか」


唐傘「…」


「桐。お前とてそうだろう」


桐「…ええ。今とて恨みは消えませぬ」


「…まあ、なに。小判一枚盗むだけ。欲に溺れん。唐傘、お前はここに残っていろ、俺と桐、そして他の者とで行って来る」


唐傘「…良いのか?主様として命ずれば、私とてそれは断れんのじゃぞ?」


「嫌なら良い。だが、桐。お前は背負ってでも連れてゆくからな」


桐「…はあ。承りました」


「桐。如来と地蔵、経文も叩き起こせ。今晩は宴だ」


桐「…ええ、あの者らなら喜んで興じるでしょう。承りました」


「…ふむ。興が湧いてきたぞ。そら、妖々と興が湧く」


「堀を進むか、それとも月影に隠るるか。いや、提灯に毒とも楽しかろう」


唐傘「…主様は、盗みを楽しんでおるのか?」


「うむ。楽しみの一つだ」


唐傘「それに庄屋、地頭が怒り狂うたり、よもや足らずと知らぬ者に災厄が…とは考えぬのか?」


「…うん?ふむ、唐傘。何か間違えておるな」


唐傘「何をじゃ」


「俺が狙うのは賄賂よ。白紙に包まれ、箱の下に眠る小判一枚よ」


唐傘「…うん?」


「誰が地頭の帳簿に泥を塗るか。そうなれば、確かに農民や商人に害が及ぶ。だが、己の欲にまみれた金を狙う事の何が悪い」


唐傘「な、ならば先の「俺の金」とは?」


「店を構えるのに、大黒へいくら流したと思う。大通りから外れていると言うのに、足元を見てふんだくる。江戸となってすぐに店を構えた連中以外、皆して渋い顔を迫られる」


唐傘「…ふむ。では、袖の下からいつ盗むのじゃ?名の通り、肌身離さず忍ばせた金じゃぞ?」


「前は眠らせたな。その前は覆面を。その前は…ああ、談合の最中に姿を消して」


唐傘「…面妖な」


「お前が言うな」


唐傘「して、悪事を働いて心は痛まぬのか?」


「悪事では無いからな。裏金摘まむだけよ。最も、人が死のうが生きようが金しか見ぬ連中の方が心無し」


唐傘「…ふむ。一理ある」


「…ふむ。ごとごとと音のする。地蔵やらが起きたか。では…」


「唐傘。少し出てくる」


唐傘「…戻りは?」


「さあな」


唐傘「…結局、何があの人なんじゃ。主様は…?」


…。

…。

…。


「大黒門はこの角を曲がれば着こうだろう」


桐「…門の前にはやはり提灯持ちがおります。怪しい者がおれば、控えの雇われ武士が駆けつける事でしょう」


経文「してからに、宝庫口に提灯二つばかり。廊下に人影無し」


如来「控え部屋は談合場所から三つ、離れにおる」


地蔵「如何とす。大黒は眠りにつき、狙うべきは宝庫のみ」


「だが、宝庫は錠がこれまた二つ」


桐「…以前も蔵開けに会いました。増えてる事では?」


「ふむ。まさに鉄の壁」


経文「では…」


「…廊下には人影無しか?」


経文「厠に向こう無ければ」


「では、堀を越えようぞ」


桐「…親方様。二間もの高さは、忍刀の力添えによって成せた事。今ではそれも叶いません」


「む。…そうか」


地蔵「…所で、前に話した奴を使うてはどうだ」


「…ああ。奴か。では提灯持ちは越えられよう」


桐「宝庫は…?」


「…なに。小判一枚とあらば、窓より空蝉とでもすれば良い」


桐「空蝉…」


地蔵「我は二尺も。窓は通れん」


桐「私とて物に戻れば箪笥にございます」


如来「仏閣の落ちに連れられた如来像を削れと申すのか?朝日が昇ると違いましょうか?」


「…決まりだ。中に投げ込まれ小判一枚攫って来い」


経文「…損だ。小判よりも大損だ」


…。

…。

…。


提灯持ち一「奇事あらば語り候え。さればに候…。一条の戻り橋、あるは九条の羅生門に妖怪変化現れて。老若貴賎分かちなく、鬼、一口に食いたりなど…」


提灯持ち二「おう。それは羅生門の口上か」


一「うん?いや。渡辺綱に鬼退治を命ずるとこよ」


二「ほう。なんだ、妖怪物には詳しいのか?」


一「まあな。例えば浄瑠璃だとか語りだとか、そうだな、大衆の好む話は耳にする」


二「他には無いのか?人っこ一人通らん提灯持ちなんぞ暇で仕方ねぇ」


一「良いぞ。…ああ、見事に沿った話がある」


二「…まさか提灯持ちの話じゃあるめぇな」


一「そうよそうよ。ふと暗がりに光を当ててみると、何やら妖気の混じる霧に包まれてな」


二「おい、やめろ!やめろ。生まれてこの方怖いもんはカミさんだけだが、墓場と一緒よ!話されりゃ怖くなる!」


一「…おぅ」


二「…うぅ…!」


一「…春の最中に冷える風か…。ああ、寒い」


二「てめぇが余計な話するからだろうが」


一「お前が話せと言った癖に」


「…寒いだろう寒いだろう」


「竹替えも知らずに捨てられた煙管の煙と心は寒いだろうよ」


桐「まあ…ものの見事に通れました」


経文「俺の方が寒く出来る。なんせ涙無しで語れない冷世の話だ」


地蔵「興も無し。だが、九十九も使わろうた煙管。竹替え無しとは考えられん」


「だから詰まって捨てられた。主人が阿呆では物も悲しむ。さ、進むぞ」


如来「ああ、神も仏も無き世やの…」


…。

…。

…。


如来「…にしても、この煙管がねぇ…」


「溝に落ちておった」


桐「使えると言って持ち帰りましたが、人の口の付いたこれをよくもまぁ…」


「洗えば変わらん。箸と同じよ」


如来「して、何時から姿くらましに?」


「吸っておって声を掛けて来た。もう九十九も超えたからとな」


地蔵「うん?声を聞いたことの無き事。もう喋らぬのか」


「役目を損なわずに使っているからだ。お前らと違いな」


桐「私は腹を毎日の様に開かれますが…」


「勘定箱とはそんなものよ。宿り感情箱とは上手い事を言ったつもりだ」


経文「おおい。話してる場合か。大黒が厠に歩いてる」


「おお。あれが憎き肥やしだ。醜い音を立てて歩く歩く」


地蔵「どうする。計画倒れだ」


「なに。煙に巻く」


大黒「…ん?はぁぁ…春とは言え夜は冷える。厠が遠い。なんでこんなにも大きく造ったか…。くそっ…大工め…後で覚えていろ」


桐「…腹の大きさと違い、小物にございますね」


如来「ああ。うちの坊主はあんな風にございましたわ。汚い汚い」


地蔵「憎い憎い。家造りに我を井戸に落とした男に似ておる」


経文「あれは駄目だ。煮ても食えない。仏様も救えん男よ」


「皆して言うな。面白い」


桐「ええ。箪笥の下敷きにでもしたくなります」


「なら、少し遊んで行くか。煙管よ、姿くらましだ」


…。

…。

…。


「経文よ、厳かに。皆も続け」


経文「どうする。般若か。それとも付喪、夜行の理か」


「述べよ。我ら…」


地蔵「百の年月を数え」


如来「鬼と謳るる力を手に」


経文「夜更けに空を駆け巡り」


桐「行くは回る廻る浮世」


大黒「ぐっ…?な、なんだ…?霧か…?霞か…?」


「百鬼夜行の名の下明けぬ夜の袂にて、無念輪廻爛世常世を、ただ見届けよう」


大黒「…っ!」


「地蔵、鳴らせ」


地蔵「ああ、憎い、憎い」


大黒「なんだ、なんだこの音は!?何を引きずっている!?金箱か!?」


地蔵「蔓延る無念よ」


「如来、祓い集めよ」


如来「さあさあ、妖魔御参なれ」


大黒「くっ…!曲者か!出会え!出会えええ!!」


桐「それらは叶わぬ夢と散る」


大黒「なっ…!?」


桐「儚くば、無残に煙る、髑髏染め」


大黒「あ…妖だ…っ!ワシが何をした!?許せ!勘弁してくれぬかっ…!」


桐「残らぬ。残らぬ。残るは心のみ」


大黒「ひぃっ…!」


「桐。仕舞え」


桐「…金に憑かれ我を忘れた男よ。ただ、哀れなり」


大黒「ひいぃぃぃぃぃいっ!!!」


「…」


「おう?なんだ、気絶したか。これからが面白いと言うのに」


桐「仕舞う事も叶わぬとは、箪笥としてどうなのでしょう…」


経文「なんだなんだ。妖気に中てられ気絶とは…。脆い人よ」


地蔵「鍛錬が足らぬ。転じて、気心の無き傍若無人に違いない」


如来「…おっ。この狸っ腹は金を持っておりますわ」


「むっ?宝庫に入る間もなくか?」


経文「ああ。投げ込まれる損をこかずに済んだか」


地蔵「小判三枚に大判も持っておる」


桐「金以外に信用の無い男なのでしょう。哀れですね」


「ほぉ…。なんだ、そうかそうか。…興が削がれた」


如来「もうお帰りか?」


「ああ、帰ろう。つまらん。小判一枚持って行くぞ」


…。

…。

…。


唐傘「…む?早い帰りじゃの」


「そら、布団を温めてくれおったのか?」


唐傘「なに。春風がびゅうびゅうと入って来ての」


「なら、茶漬けを持て。それまでは花札にでも興じよう」


桐「…親方様。常々思うのですがあの花札…」


「うん?あれも九十九よ」


桐「通りで…。異様な引きを見せるものですから」


唐傘「茶漬けは如何にする。たくあんでも刻むか?」


「うむ。美味そうだ。頼もう」


桐「…して、時に親方様?」


「なんだ。申せ」


桐「…地蔵、如来、そして経文。随分と念が溜まっているのを感じました」


「うむ。だが、もう少し現世を楽しませようではないか」


桐「悪鬼になる前に、忠告致しました」


「礼を言う。…はあ、確かに、神も仏も無き世だな」


桐「ええ。人世にございます」


「崇められ捨てられた物は特に恨み深い」


桐「人も物も盛者必衰。平家のように、強い無念が仇を生む」


「そうだ。…桐。お前は未だに恨むか?」


桐「ええ。恨みは朽ちませぬ。晴らすまでは陰り続けるのみにございます」


「…そうか」


唐傘「主様。茶漬けが出来たぞ」


「持ってこい。俺は今、煙管に酔うのに忙しい」

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