九十九集
ドリメタ
序の幕 九十九集、桜花道、待ちぼうけ。
春の門出に引き継がれても。
夏の雨を凌いでも。
秋の小道で踏み鳴らしても。
冬の寒さを受け止めても。
やがて人はソレを捨てる。
百年経てば妖怪へと変わる、と言う信仰によって。
百年、経つ事を喜び、主の為に腹を開いても。
鬼のような雷雨から、主を守り抜いても。
夜の酒に浮かれ、足が疎かな主に踏まれても。
行く銀世界に、肩の雪を落としても。
箪笥だろうと、傘であろうと、下駄であろうと、蓑であろうと。
取り手を直され、穴を塞がれ、鼻緒を直され、繕われ。
それほど大事にされた物であっても、やがては捨てられる。
九十九年の思いは重なり、九十九の縁が重なり。
縁は円、輪と成し間に和、話を語る。
九十九集いて、縁と成す。
…。
…。
…。
唐傘「嫁ぎ者は二十になった。相も変わらず夜になれば椀が飛び交い腕を振るわれ。「嫁ぐとは女の耐え仕事」。家柄家形の繁栄を、長男以外は道具のように扱われる。江戸はそうよ、逃げ出す者の多い事。畑を耕しささやかな飯を食らう彼方へと歩き出す。女はほとほと困り果て、遂にその時が来たのじゃ」
桐「親方様や。注ぎましょう」
「うむ」
唐傘「女は草履に足を通し、ふと戸を開くと雨の匂い。終わり頃の五月雨は強く、この先この先は全て暗い。末は漆黒、振り返ればほのかな灯。女は迷った。逃げ出すべきか、それともこのまま余生を過ごすか。戻れば暖かい部屋と飯がある。歩き出せば何も無い」
桐「夜伽中失礼致します。明朝より振袖の売りが参ります。今晩はお早めに」
「何を言う。これからが面白いのだ。客は神だと言うが、買う神が居なければ金は入らぬ。厚かましい神など待たせておけ。三十路になるまで寝るつもりは無い」
桐「…承りました」
唐傘「続けるぞ。女は今こそ決断じゃ。迷いに迷って半刻過ぎる少し前、間もなく亭主の戻る頃。一度、雷光。一度、雷鳴。最後にぐっと唇を噛みしめる。そして…」
唐傘「女は、私を差して走り出したのじゃ」
「ふむふむ。そして、そして」
桐「それでは、お先に失礼致します」
「うむ。良い夜を。唐傘、待たせるな。早くせい」
唐傘「じゅるじゅると、草履に染み込む雨の音。ぐらぐらと、遮る光と、遮ぐ音。小門を飛び出し、大通りを避けて路地を進む。進み、進んで。早じまいをする商店なぞ目もくれず。だが、そこに立っていた男は見逃す事は無かったのじゃ。「お花!お花ではないか!」「ああ!あなた!」なんと、亭主が店の前で何かを買うていた。このまま逃げるか、それとも連れ戻されるのか。女の目の回るような焦燥が、手から私へと流れ込む」
唐傘「「お花、何処へ行こうと言うのだ!」「お許しを!お許しを!」嘆くような言葉に、雨は囁く。「お花よ…これを…」亭主が何かを呟いた。手の中で光る何か。腰に差した二つの刀がキチリと音を鳴らす。見る間もなく、恐れ慄き、女はまたも走り出す。「お花!お花!!」後ろから叫ぶ言葉には耳もくれず。…だが、私は見たのじゃ。亭主の手で光り輝いていた玉は、かんざしの装飾であった。振り返り様、刀は鳴る。何も恐れる事は無い。亭主の優しさの溢れる姿であった。それを後目に逃げ出して…。…二人の悲しさは、次々と私に積もるばかりなり…」
「ふむ…。ふむ…」
唐傘「…続き、逃げた雨の彼方歌」
「よろしい、続けよ」
…。
…。
…。
江戸時代。古物商の「九十九屋」と言う店があった。
そこはどんな訳があろうと何も聞かずに九十九文で引き取ると言う、質屋の体をしておった。
だが、事実。その店は何も売らない。曰く、買い専門であり、売られた箪笥や唐傘、下駄や蓑はどうなったかなど、誰一人として知る者は居なかったと言う。
売らなければ物は積まれるばかり。掃き溜めのような内を予期して塵を売ろうと入ってみるが、その実がらんどうのようにこざっぱりしているそうな。
周りからは案外重宝がられている。何故ならば、本当ならば売る事など許されぬ、所謂「曰く品」を売れるから。
九十九年使い続けた、一子相伝の仏壇だろうと。途切れた一家の入った墓石だろうと。そこはなんでも買い取る。
そんな物ばかりの店を、低級の神ばかり集めた「八百万屋」とは、誰が言ったか言い得て妙。
今日も、男は一人で店番をしている。竹が焦げた煙管を吹かしながら、桜花道待ちぼうけ。
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