3-4 雅人の両親
時速50Kmのバイクで浴びる初夏の夜風が心地いい。
時刻は22時を回っている。
「おや」
思わず声が出てしまうほどの珍事だった。家に明かりが灯っている。鍵が開いている。リビングに出ると、人が二人いてテレビなど観ている。
「あら、おかえりなさい」
「雅人、遅かったな」
「存じ上げない方々ですね、どこからお入りになったのですか?」
「相変わらず、キツいジョークをかましてくるね君は」
「ご飯食べたの?」
なんと、父母が揃ってご在宅だ。ソファでくつろぐ父親の苦笑と、お茶を運ぶ母親の声が同時に届く。
「バイト先で、まかないを食べてきた。二人とも今日は早いな、クビになった?」
「母さん、息子の暴言が留まるところを知らないのだが、育て方を間違えたかな」
「あら、お父さんはクビじゃなかったの?」
「なるほど、母親の遺伝か」
「PCとゲームと近所の爺さんに子守をさせてきたツケだな親父殿よ」
「
このように、ひとたび家に集まればアットホームな会話を繰り広げる愉快な家族である。
「実際のところ、定年が視界に入ってくる頃合いじゃないか二人とも」
最先端の電脳技術者で頭は若い方だが、齢50もとうに超え、アラウンド還暦となっている両親に少しだけ声のトーンを落とす。
「いくら高収入とやりがいがあると言ったって、毎日毎日深夜まで働かされる
「「う~ん」」
俺は食後のデザートとして買い置いてあるアイスを持って、二人そろって唸っている両親とは違う一人掛けソファに座る。
「
「精神的には疲れちゃうわねぇ。いつまでやるのかしら」
なんだか熟年夫婦が
「父さんたちは置いておいて、雅人は、何がしたいんだ」
「楽して稼ぎたいね」
「清々しいほど短絡的だね。とても親に進路のことを話す態度とは思えない」
「この子は昔から話さないから」
母親の言葉に「そうかな?」と疑問は浮かんだが、流しておく。
「まぁ、大学でゆっくり考えればいいか」
「それなんですが父上。大学には行かないかもしれません」
「え!? 行かないの?」
「お金のことなら心配しなくていいのよ?」
そうではなくて、と、俺は進学における重要な課題を告げる。
「そもそも俺の学力でどこに入れるのかって問題がある」
「「ああ~」」
「納得しちゃったよ」
親としては、そこで叱咤激励するところだろうがと思う。されたところでやる気など無いのだが。
「でもほら、生徒会長とかやってるし、AO入試とか、推薦枠とか、いろいろ今は増えたし」
「高卒で就職っていうのも、別にダメだとは思わないわよ」
「ただ、就職も気乗りしないんだよな―――というか、進学するにしても就職するにしても、俺にできることがあるのかって気持ちが強い」
両親の目に、強い動揺の色が出た。察しが良くて助かるが、それ故に申し訳ない気持ちにもなる。
「今バイトしてるレストラン、俺の担当は厨房なんだけどさ、もういい加減、全部機械化しそうなんだよね。で、ホールも、細かい注文はやっぱりまだ人間の領分だけど、大体はCTとロボットくんで賄えちゃうからさ」
人間に、
「
「「……」」
今まで即答だったリアクションが途絶えた。それはそうだ。彼らは、人間の活躍する舞台が
TVの方に目を向けると、都内で起きたバイク事故のニュースだった。なんだかんだ警察は食いっぱぐれがなさそうだが、身長が足りないかもしれないな。医者は無論、頭が足りない。
「あ、そうだ。今度一緒の部活のやつとバイク屋に行くんだった」
小難しい話は、棚上げするに限る。話題の変更としてはかなり急激なコーナリングではあったが、両親はちゃんとついてきてくれた。
「どんな子といくの?」
「同じ部活の女子だ」
「「おお~!?」」←尻上がり
「彼氏持ちだ」
「「おお~……」」←尻下がり
一同爆笑。
「でも、一応訊いとくわ。どんな子なの?」
「良い奴だよ。秋からアメリカに留学するんだ。それまでに俺が教えられることは全部教えてやろうと思って」
「……そうなの」
「ほう、雅人が教官か。で、教え子の運転はどうなんだ?」
「なんとか免許は取れたんだけど、危なっかしくてしょうがない。出発当日にバイクで空港まで行くって聞かないんだが、まだちょっと遠すぎる気がしてて」
「じゃあ当日は、お前のバイクで空港まで送ってやればいいんじゃないか」
「それはもう去年やったんだよな」
条件反射のように言ってしまった俺の言葉にキョトンとしている両親をよそに、俺はその案を良いと思い始めていた。茉莉香との、最後の思い出。初恋の、ラストエピソードとしては、良い感じなのでは。
父親から不意にもたらされた案を舌で転がしてニヤついている俺を放って、父と母はソファから立ち上がった。
「さて、もう寝るかな。久しぶりに家で八時間寝たいし」
「雅人も、あまり夜更かしはしないようね」
「ああ、分かった」
俺は明日の授業が昼からなので、思う存分朝寝ができる。TVを切ろうとすると、学習塾のCMだった。
「そういえばさ」
「なぁに?」
「小六くらいの頃だったかな。俺を塾に行かせるだのなんだのって話は、ありゃどうして無くなったんだっけ」
「なんでだっけ? お父さん」
「雅人が行かないって言ったんだろう、母さんが随分喜んでいたじゃないか」
「なんで?」
「え~っと―――あっ!」
母が、記憶の絡まりを解いたようにパッと顔を綻ばせた。
「そうだったそうだった! 雅人がね、私たちが言ったことで「嫌だ」って返事したのは初めてだなぁって思ったら、嬉しくなっちゃったのね」
「そうそう、で、今日に至るってわけだ。じゃあ、お休み」
なかなかにスットコドッコイな理由ではあったが、俺も思い出した。確かそのとき、俺はそのとき嵌っていたゲームをやる時間を削ぎたくなくて、ほとんど生返事で応えたのだった。
「……そうか」
両親が寝静まったリビングで、俺は一人、そう言った。
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