3-1 別離の報せ

 2045年に起こるといわれている技術的特異点シンギュラリティを待つまでもなく、現代にやってきた二つの福音。


 その一つが電脳潜行であり、もう一つが、ここ下瀬しもせ滝島たきしまで精製される人造燃料である。


 海水と空気、さらに2010年代に偶然世界各国の海中で発見された新物質、通称ルルイエの宝石から抽出されたわずかなエネルギーによって作られる人造燃料は、既に実用化の目途が経ち、各種インフラの資源として使われることが決定的となっている。


「これは産業革命以来のイノベーションであり、これによって、人類は新たなステージに立つ」とはCTの開発者であるデイビッド・シャイテイン氏の言葉だそうだ。(ちなみに彼は電脳潜行をしたことがないらしく、実は潜行障害者なのではないかと言われている。)


 そんなシャイテイン氏も出資している滝島の人造燃料プラントからさらに太平洋へ向かった場所にある船着き場に、二人のバイク乗りが到着した。


「何にもないわねー!」


 バイクから降りた茉莉香まつりかが、大きく伸びをしながら凪いだ初夏の水平線に向かって叫ぶ。


 船着き場とは名ばかりで、船は一隻もない。燃料の輸出が行われることを見越したもので、栄えるのはもうあと一年ほどは待たないといけない。


「本当にこんなところで良かったのか」


「まだあまり遠出ができる気がしなかったし。それに、懐かしいじゃない」


 今は遠くアメリカにいらっしゃる物語の主人公殿に、このポンコツヒロインをデリバリーしたときのことだろう。


「まだほんの一年前だろう」

「もう、よ」


 そう言いながら茉莉香がフルフェイスのヘルメットを脱ぐ。長いポニーテールが、潮風にふわふわと楽しそうに揺れる。


上瀬かみせ総合に転校してから、毎日楽しいことばっかりで、ほんの一ヶ月前が去年に感じるの。ね、雅人まさと、あなたも、そう思わない?」


 弾んだ声と共に、俺の顔を覗き込んできた。ヘルメット越しにも、その目の色は分かる。


「言葉の割に、そこまで楽しそうじゃなさそうなんだが」


「あはは……、やっぱりばれたか。本当に、何でそんなに分かっちゃうわけ?」


 茉莉香は笑顔の仮面を外し、困り眉を作って俺に言い募る。そして、真っ直ぐ俺と正対すると、今度はその眉が鋭角になった。


 嫌な予感がした。深呼吸を二回する茉莉香。ややあって俺に声が届く。


情報海オーシャンでは、前々からみんなに言ってたことなんだけどね。私、二学期から、アメリカの大学に通うことになったの」


 ひときわ大きな波が寄せ、船着き場のコンクリートを白く穿ち、海中の多くのものを巻き込み、また大きく引いていった。


鷹丸たかまると一緒のところよ。ふふ、SCP部アメリカ支部を作れそうね」


 悪戯っぽく言うと、くるりときびすを返し、再び身体を海の方へ向けた。


「……それは、結構なことだな。だが、お前の学力で大学なんて行けるのか」


 声を失ったかと思いきや、ここまで冷静な声が出ることに我ながら驚いた。


「それは大丈夫、一芸入試みたいなものだから」


 聞くと、どうやらアメリカでもSCP事件は大きく扱われ、今後の電脳潜行における重要な研究テーマと位置付けられているらしい。


 そこで、世界随一の潜行適正を持つ茉莉香に、特別研究員および聴講生として大学に来てほしいと要請がきたのだ。


 話が長くなりそうだった。人は来ないが、とりあえず置いてみましたと言わんばかりのベンチに二人で腰掛けた。


「今、高校の単位を全力で消化中よ。今年から毎日朝から夕方までみっちりだし、家に帰ってからも情報海で通信講座。それに……大学に進むための書類をもって実家に通ったりね。これが一番苦労するわ。姉さんが応対してくれたらまだ良い方だけど、向こうも大学が忙しいし―――って、脱線したわね」


 そんな忙しさの中、SCP部にもほぼ必ず顔を出していたのか。


「あ、勘違いしないでよね。別に誰かに義理立てして新生SCP部を作ったんじゃないから。私個人のストレス解消よ。それにバイクに乗りたかったのは本当だし」


 それでね、と、茉莉香は言葉をいだ。


「鷹丸が行っちゃったときも言ったけど、今のご時世、遠くの国に行っても、情報海オーシャンでいつでも会えるのよね。ほんと、ロマンがない話なんだけど―――」


 ここに一人、なかなか会えなくなる友人がいる。ずっと海に向かって話していた茉莉香が、今一度、俺の顔を覗き込むようにして言った。


「―――アンタって、やっぱり貴重よね。私に、知らなかった感情をくれる。すごく要らないんだけど、でも、とても大切な気もする」


 物理的な距離がもたらす、不可避の別離。確かに、この時代の現代人が失ったものかもしれない。一部の潜行障害者れいがいを除いて。


「あなたに貰ったのは、このお守りと―――」


 言って滝島神社の安全祈願のお守りを取り出す。


「またいつか、絶対に会おうねって気持ち。ありがとうね、雅人、この一年、本当に楽しかった」


 そうして茉莉香はまた笑った。微かに浮かんだ涙とは裏腹に、その目は悲しみに沈んではいなかった。


 会話の終わりを知らせるように、はぐれた海鳥が一羽、俺たちの頭上にやってきて、鳴いた。

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