1-1 潜行障害の憂鬱

 電脳潜行が普及した後も、スポーツは未だに生身の身体で行われている。


 特にこの国では、2019年の東京大地震からの奇跡的な復興とオリンピックが重なったことで、相当なスポーツ推しが行われた。


 いじめの温床の一つとして“部活”という制度に懐疑的だった我らが上瀬総合の理事長も、『専門のコーチを雇う』という条件でスポーツ特待生を受け入れた。


 しかし、スポーツ国を標榜していても、今もって現場には、暴力が多かった。


 故に、上瀬の運動系部活への目は厳しく、一つの不祥事が致命的だ。


 卓球部のエース、『上瀬総合で最もかっこいい男』と呼ばれている川岸かわぎしわたるは、そんな不幸を一人で被ってしまった生徒だった。


 新一年生として入部したその日に部内でいじめがあることが内部告発され、二、三年生は強制退部。コーチは懲戒免職。


 特に不運だったのが、卓球に本気で打ち込もうとしていた一年生が川岸一人だったことだ。


 コーチも部員もおらず、顧問は卓球未経験の現国教師。設備は使わせてもらえるよう向日葵ひまわりたちが取り計らってくれたので、不肖ふしょうながら俺が練習相手になった。


 そして分かったことだが、川岸は良い男だった。


 坊主頭に眼鏡で身長は俺より少し高いくらいという冴えない風体ながら卓球が上手く、自分の落ち度はないトラブルに文句ひとつ言わず、たった一人で創った部を存続させた。


 良い奴には良い巡り合わせがくる。


 いつだったか鷹丸たかまるくんが茉莉香まつりかと大喧嘩をして一時的にSCP部を抜けたとき、欠員を補ったのが川岸だった。そこで単なる数合わせ以上の活躍をし、彼らと仲間になった。


 あれから一年。今日は彼の晴れ舞台だ。


「やぁみんな、来てくれてありがとう」


 川岸は、朴訥ぼくとつとした風貌通りの和やかな声で、俺とSCP部の面々を出迎えた。


「まさか川岸氏のことにまで噛んでいたとは、カミっちの黒幕っぷりは留まるところを知らないッスね」


 千久乃ちくのに茶化されるが、今回は俺にも言い返す言葉がある。


情報海オーシャンの人脈でコーチを見つけてくる連中には負ける」


 そう言った途端、俺の左隣に立っていた小さな身体が胸を張る。


「ふふん。崇め奉るがいいわ」

「マツリがって言うと、ちょっとシャレにならない」


 真白の言葉に、俺以外の全員が何度も頷く。そういえば、茉莉香の通称“おマツリ少女”ってどういう意味があるんだろう。鷹丸レポートでも、いまいち要領を得なかった。


「鷹丸がここにいたら、冗談でもそれは言うなって怒られそうね、ごめんなさい」


 は禁句。あの茉莉香がしおらしく謝るほどのことである。なにがあったのか、恐らく俺は一生知ることはないだろう。


「それじゃあ、明日僕が会って言ってみようかな」

「やめなさいよ! あんた意外とそういうとこあるわね」


 川岸がのっそりと発言し、慌てて茉莉香が止める。おお、新鮮だ。


 ―――あれ?


「鷹丸くんって、アメリカにいるんじゃないのか」

「「「「「「……」」」」」」


 言った直後に、これはまた、やってしまったなと確信した。嫌な沈黙。小学生のことからこの手の硬質な空気にはしょっちゅう出くわしている。また会ったな。くたばれ。


「あー、鷹丸な、うん、アメリカ、だけど……」

「ああ、そうか、情報海オーシャンか」


 家持いえもちが歯切れ悪く言い終える前に、俺は理解できた。


 電話でも、モニター越しのチャットでもない。全没入型VRであり、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚の(だいたい)すべてを脳にフィードバックできる(らしい)電脳潜行を使えば、物理的な距離など無いに等しいのだ。


 あまりベタベタするとハラスメントに抵触するようだが、そんなものはとっくに切る何らかの措置を施しているだろう。


 ―――これはひょっとして、俺がわざわざ空港まで茉莉香を送っていく必要はなかったのではないか。


 まぁ、一応物理的には離れるわけだから、部員で見送りには行ったのだろうが、果たしてそこに、俺が考える向こう三年くらいは会えないのではないかというような真剣さや深刻さがあったのだろうか。


 何なら、次の日のうちにでも会えて仲直りできてしまっていたのに、わざわざ道なき道でバイクを走らせ、挙句、バイトはすっぽかすわ、堤防で一晩明かすことになるわ―――俺は、一体何をしていたのだろう。


「さぁ、川岸くんにも準備があるし、私たちは会場に入りましょ。自由席だから、一番いい席をぶんどってやれるわ」

「お手柔らかにしないといけませんよ、マツリちゃん」

「分かってるわよしょうちゃん。ほら、行くわよ、雅人!」


 茉莉香が俺の手を掴んで強引に歩き出した。


「なぁ、茉莉香」

「なによ」

「なんだか、怒っていないか?」

「別にっ」


 それにしては、引っ張る力が強い気がした。


※※


 潜行障害が分かってから、こんなことばかりだ。


 電脳潜行が人間の行動様式や社会のありようをどう変えたのかは、授業やネットの情報で知っているつもりだ。ほぼ全世界人口と同等のユーザーがいる情報海オーシャンがどういう場所かも、画面越しに見たことはある。


 だが、それらが一切“体感”に繋がらないから、本当の意味で知識がアップデートされず、こういう場面で初歩的な見落としをしてしまう。


「カミ、試合が始まってるぜ」


 家持の声で我に返った。川岸が四面あるコートの一つでサーブを打ち出していた。試合は11点先取の5ゲーム制。3ゲーム先取で勝利となる。


「うわ、川岸の奴すげぇな。なんでも打ち返してやがる」


 カット主戦型の川岸に、前陣速攻型の相手選手が翻弄されている様を見て、家持が歓声を上げる。この程度の相手なら、川岸が負けることはない。


 そう考えていたら、また意識が内側に沈み込んでいった。


 スポーツに救われているのかもしれないな、と思った。


 座学を受けるだけで良いなら、もう世界は、“登校”なんてものを必要としていないのかもしれない。実際に自分で身体を動かす必要があるから、何とか残っている風習かもしれない。


 もし授業も情報海オーシャンでとなったら、俺は中卒だな。


 頭の中でもやもやと憂鬱を吐き出している間、川岸は順当に勝ち進み、準決勝に駒を進めた。これに勝てば、全国だ。


 が、ここで、悪い相手と当たってしまった。





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