Tail.2 誰かにとっては劇的なエピソード
Chapter.1 文化祭
幕間5
『ハリー・ポッター』に、セストラルという幻獣が登場する。
人が死ぬ瞬間を見た者にしか見えない動物だ。
8歳の時に父方の祖父の死に目に立ち会ったことのある俺は、自分がセストラルを見る資格を持つことが誇らしかった。低学年の死への感慨など、そんなものだ。
14歳の時、隣に住んでいる偏屈な老人の死に立ち会ったときは、流石にそうは思えなかった。
一人で住むには広すぎるレンガ造りの二階建て。
内装はというと、ここはブルックリンかと見紛う意味の分からない文字列のコルクボードが壁という壁にかかり、これもまた特に用途のないヴィンテージの家具が所狭しと置かれている。
かと思えば、部屋を一つ
バスケを始めとするアメリカンスポーツに造詣が深いことが自慢だったが、NBAはサンダー、MLBはヤンキース、NFLはペイトリオッツのファンで、NHLはよく知らない。そんな絶妙にニワカっぽいラインナップだったので、ただの老後の楽しみで
庭のガレージにはバイクが七台も置かれていたが、そのうち四台は日本製で、その半分がホンダ製。そのうちの一つが八郎爺の愛車で、もう一つを俺が貰った。
「ハーレーなんて走れるところがない」とは爺さんの弁だったが、デカくて速いバイクを乗り回して事故るのが怖かったんじゃないかと思っている。
おっと、先ほどから悪口ばかりだな。フォローしておくと、バイクの取得年齢が二歳引き下げられたとはいえ、すんなり取れたのは彼が教官になってくれたからだろう。それには感謝している。
そんなちょっと抜けた
その年の初めに体調を崩してから、ほとんど間をおかず逝けたのは幸いだったかもしれない。
唸るほどの資産で買えたはずの最先端の医療ロボットも、電脳潜行を使ったフルダイブ型の緩和ケアも拒んだアメリカかぶれの爺さんが最後に望んだのは、一本の煙草だった。
他人のことなど構いもしない彼が、中学生の“友達”に副流煙を吸わせないために行った唯一の節制は、しかし、癌細胞の増殖を遅らせる手段足り得なかった。
「書斎の引き出しが二重底になってる。持って来い」
「これは身体に良いんだ」などと血迷ったことを言って吸っていたアメリカンスピリット。ジッポライターの着火スイッチがあんなに固いとは思わず、付けるのに苦労した。
ややって、紫煙が上がる。
煙草による人体への悪影響をがなり立てるヘルスARモニターを乱暴に消した。
八郎爺の痩せ細った顔に、煙草を持って行く。
「はぁ、はぁ……」
吸う力もかなり弱っていた。アメスピはほんの少し短くなっただけだった。
「雅人よぉ、覚えてるか。おめぇが家の前を掃除してたとき」
「アンタより記憶力は良いつもりだよ」
咳きこむように笑う。口からは白い煙が上がった。まるで魂が抜け出ているように見えた。
「あんとき、悪かったな」
「押し売り労働を疑われるなんて、そうそうできないから、良しとしておくよ」
「そうじゃねぇ」
八郎爺さんは目を閉じ、ゆっくりと口を開いた。
「こんなジジイの相手してんじゃねぇって言ったとき、お前、「ジジイだったら、俺も同じだからいい」って返しやがったろ。潜行障害……だからって……」
そこで酷く咳きこむ。
「話さなくていい」
俺は言ったが、爺さんは喋り続けた。
「でも、やっぱりおめぇは、こんなジジイと一緒に居ちゃあダメだったんだ。おめぇが遊んでくれるからよ、俺も、嬉……しくて……」
「―――そうか」
「はぁ……はぁ……、禁煙なんて、するもんじゃねぇや。ありがとうな、雅人、煙草、旨……かった……」
それが、最期だった。
咥えていた煙草がポトリと落ちる。
それを右手で捕るだけの冷静さがあった自分が憎らしかった。
「……よし」
人が死ぬ瞬間を見たのは二度目だが、特に感想はない。
命が消えるのは、何ら劇的でもない日常の延長だ。
俺はとりあえず医者を呼び、爺さんの書斎で見つけた名簿から親族と思わしき家へ電話を掛けた。我ながら淡々と、
形見は、一個のライターだけ。
それで十分だ。
タバコが吸えないから、お菓子に火をつけて遊んでいる。
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