4-2 二つのお誘い

 言われた通り、俺は適当に進路希望を書き換えると、一礼し、勝手に使った麦茶の湯飲みを洗って、職員室を出た。


 すると、電話がかかってきた。


『よぉ、カミ。今何してる?』


 家持だった。タイミングの良さは流石に学校一の秀才だ。関係ない? いや、俺はそうは思わない。


「訳あって学校だ。何か用か?」


『明日、鷹丸が発つんだ。それで、お別れ会を兼ねて、一緒に下瀬の花火大会に行こうってことになって、カミには、いろいろと世話になった礼っていうか、どうだ?』


 断る理由はない。


「ああ、喜んで行かせてもらおう」


『そうか。なら、夕方に下瀬の駅で落ち合おう。クソ混んでるから、気を付けろよ』


「せいぜい踏みつぶされないように気を付けるさ」


 苦笑と共に通話が切れた。自虐ネタは使いどころが難しい。


「おい、神崎」


 CTをバッグにしまうと、職員室の扉が開いた。


「今度は刺身に菊の花を乗せる仕事がしたいとでも書いてありましたか」


「そうじゃねぇよ。ただ、伝え忘れたことがあってな」


 ベテラン教師として不覚だったという目を伏せがちにして、蘇我が言った。


「神崎、試しに、お前は特に困って無いことでもいいから、誰かを頼ってみろ」


 それは、とても複雑なアドバイスに思えた。


「こんなこと一人でできるって思うことでも、非合理的で無駄だと確信できることでも、誰かに一緒にやるんだ」


「―――分かりました。ご教授ありがとうございます。やってみます」


 どういうことか、と訊くのは無粋な気がした。


※※


 俺は真っ直ぐ帰る気になれず、生徒会室の前に来ていた。


「失礼します」


「君はそんなこと言わなくていいんだけどね」


 案の定、中には涼しげな白地のサマーセーターを着た鴻神こうがみ向日葵ひまわり会長が鎮座していた。いつもの流麗なロングヘアが、今日は一つ結びになっていた。


「それ、少し幼く見えるけど、いつもと違って可愛いね、向日葵」


 先制攻撃。しかし、切れ長の目は微動だにしない。


「ありがとう。暑いからね、ちょっとした気分転換さ―――ところで、いいところに来てくれたね、神崎くん」


 あれ? まーくんじゃない。今日は“ゲーム”無しか。勝手に決めつけて臭いセリフを言い放った自分が恥ずかしくなった。


「ええっと、ね……」


 向日葵にしては歯切れが悪い。よく見ると、目にはわずかな緊張の色が見える。何を言うつもりだと身構えてしまう。


「……君、今日、夕方、予定は?」


 単語ずつ、噛んで言うような声の内容は、意外と普通だった。


「今日は珍しく先約が入ってて」

「……そうかい」


 緊張の色が一気に溶けて、落ち込んでしまった。


「一緒にお祭りでも行こうと思っていたのだけれど」


 先約がまさにそれだとは言わないでおいた。


 SCP部員とには、ちょっと込み入った話があったらしい。和解したとは聞いているが、詳しい事情を知らない以上、あまり引き合わせるべきではないと思った。


「ああああ!!!!」

「うわ!? なんです?」


 突然、椅子を蹴倒す勢いで素っ頓狂な叫びを発した向日葵。


「あ、いや、そのぉ……花火大会、は、二日あるんじゃなかったかな」


 今日の会長殿はとても面白かった。元々白い肌だったので、赤面が目立つ。


 だが、重ね重ね申し訳ないと思いながら、俺は神妙に口を動かす。


「明日はバイトなんです。シフトが俺と店長しかいないという鬼のようなやつで」


 あの店、近々潰れるんじゃないかと思った。そもそも、俺のようなドジな人材を雇っている時点で、だ。


「そっか」


 どことなく口調がぶれてしまうほど落ち込ませてしまった。何とか空気を和ませようと、俺はこう言った。


「会長、あんまり人を誘うの、慣れてないでしょう」

「う……」

「いや、俺もそうですから、何だか、嬉しかったですよ。誘ってくださったことも、少ししどろもどろだったことも」

「へぇ……そうかい?」


 向日葵の目に光が戻った。表情は変えていないつもりだろうが、口角と頬が持ち上がっている。なんにせよ、良かった。


「それを言うなら、私も嬉しかったぞ」

「なにがです?」

「君が校外で誰かと連れ立っているところを見たことがないからね。いつか、君の遊び場所に私も連れて行ってくれよ、

「分かったよ、。この埋め合わせは、必ずする」


 緊張が解けたのか、いつもの調子が戻っていた。


 今日は、引き分けということにしておいてやろう。


※※


 その後も図書室に寄ったり誰もいない喫煙室でだらだらしていたら、待ち合わせの時刻が迫っていた。


 学校の高台から夕方の下瀬を見下ろすと、駅から市街、そして海へと大きな人のうねりが出来上がっていた。お祭り特有の香ばしい匂いがここまで届いてくるようだった。


 愛車バイクのセルスタータースイッチを切って、しばらく景色を眺める。


 大きな夕焼けが花火を待つ人々を照らす。俺の頭上には夜が迫っていた。


 昔から祭りは好きだ。クリスマスも、バレンタインも、文化祭も、皆が楽しいという雰囲気に飲みこまれていく様を見ているのと、こちらも楽しくなってくる。


 もう、ここで花火を見ているのもいいかもしれない。


※※


 ―――なんていうことを考えていたら、遅刻した。


「遅い!!」

「すまない。バイクの置き場に困ってな」


 いつものポニーテールに青い浴衣姿の茉莉香まつりかが怒っていた。素直に謝罪する。


 この人混みにV型二気筒エンジンを吹かしてくるわけにもいかず、押してきたことも遅れた原因だった。


 それにしても、意外にというか、みんな服装が夏祭り仕様だ。


 松田先輩は家柄の良さも手伝ってか、高級そうな綿紅梅めんこうばいに身を包んでいる。

 着るものに頓着し無さそうな千久乃ちくのも、明るい茶髪をきっちり結い上げてきて、大人っぽくなっていた。

 茉莉香と共に小柄な真白ましろは、浴衣もお揃いだ。一緒に選んだのだろうか。姉妹のようによく似合っていた。


 ―――みたいなことを一通り言って、女性陣の機嫌を取っておいてから。


「さて、行こうか」

「俺は!?」


 いつもの家持スルーネタでひと笑い頂く。


「野郎の浴衣なんぞ褒めていられるか。甚兵衛じんべえでも着ておけ」


 それに、ドレスコードがあるならそれと言っておくべきだと思う。ただでさえ部外者で浮いているのに。


 いや、一人だけ、俺の期待を裏切らないTシャツジーンズスタイルがいた。


「お揃いだな、カミ」

「そうだな、鷹丸くん」


 笑い合う。

 嬉しい。


 彼の場合、単純に浴衣のサイズが無かったのかもしれないが。


 で、鷹丸くんと茉莉香の距離は、相変わらず、遠めだった。

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