2-4 電脳潜行と昼休みの一服

「確かにバカだな。ぐうの音も出ないよ。分かったから、行かせてくれないか」


 言い終える前に、俺の目の前が真っ暗になった。それが茉莉香の手によって差し出されたCTだと分かったのは、ホログラム画面が呼び出される起動音がしたからだ。


「あんた、友達いないの?」


 思わぬ質問だったので即答できなかった。いないことはないが、と答える前に、茉莉香が俺の網膜情報をスキャンしてしまった。


「CTくらい、授業のない子に貸してもらうとか、学校の予備を貸してもらうとか、考えなかったわけ?」


 貸してもらう。ああ、そうか。


「生体情報さえあれば、どのCTからでもデータを引っ張り出せんの。そんなことも知らなかった?」


 無論、知っていた。


 だが、こうした臨時登録は、機能こそあるが推奨はされない。今、茉莉香のCTは俺のCTのデータを呼び出せるようになったが、同時に、俺も茉莉香のCTの情報を扱えてしまう可能性があるのだ。


「家に忘れてくるバカはほとんどいないけど、ちょっと貸すくらいならみんなやってるわ。別にパスワードが分かんなきゃハックされるわけでもないし。管理者以外の登録なんて、すぐに外せるし」

「それはそうだが、お前のを借りっぱなしってわけにもいかないだろう」

「私は今日、部活に来ただけだから」

「いや、それはおかしい」

「いーの!」


 結局、借りてしまった。


 本当に良かったのだろうかと思いつつ、授業をすべて受けてしまった。何しろ、俺は彼女の連絡手段を奪ってしまっているのだから。


 なお、俺のやってきたレポートを写し損なった安西は単位を一つ落とした。


※※


 昼休み。


 俺はCTを返却しに電算室に向かった。


 元電算室、現SCP部部室の中では、茉莉香まつりかが一人、ヘッドセットをつけてソファに寝転がっていた。


 不用心に見えるが、ある程度の意識はこちらに残っていて、何か起こると強制的に現実世界に戻されるらしいので、俺はあまり近付かないように、それでも茉莉香が気付くような位置に、そっとCTを置いた。


 そういえば、部室に来るのは初めてだった。


 十畳ほどの部屋に、七台のPCが置かれている。そのすべてに、情報海オーシャンへと潜行するためのプログラムとヘッドセットが付属していた。


 拡張現実でも、仮想現実でもない。電脳現実。本当の意味での、別世界としての情報海オーシャン。ある人は『マトリックス』の世界がやってきたといい、またある人は『SAO』の世界が来たという。古今東西のゲームに例える人もいた。


 俺は音楽を聴くヘッドホンのようなそれを、手に取ってみた。ヘッドホンとの違いは、塞ぐのが耳ではなく、目と脳のある部分だということだ。


 脳に干渉するということで、登場した当初はかなり物議を醸したが、十年が経ち、さらに生活や経済活動に欠かせないものになっていくにつれ、“ちょっとした事故”は見過ごされるようになった。電気やガス、自動車と同じだ。


 このヘッドセット自体に、人を死に至らしめる能力はない。


 問題は、この向こう側にある。


 長年インターネットという場所に蓄積されてきた『ハイパーリアリティ』の攻撃。鷹丸たかまるくんの報告書には、そう書かれていた。


 その問題を解決せしめたのが、この茉莉香が率いるSCP部だ。昼寝しているようにしか見えないが、向こうでは大層な大立ち回りを演じていることだろう。彼女は、情報海オーシャンにおける潜行適正が世界一らしい。人間、才能というのは分からないものだ。


 俺は手に持っていたヘッドセットを元あった場所に戻すと、部屋を後にした。


 本来は、茉莉香にお礼を言うべきだが、わざわざ起こしてしまいたくない。


 ならば、俺もまたあのヘッドセットとPCを使って情報海に潜れば、会って話すことができるのだが。


 訳あって、それもできない。


 潜行障害。


 俺がSCP部の物語に登場できなかった理由だった。


※※


 昼休みの学校は恐ろしく静かだ。


 みんなが情報海オーシャンに“潜って”しまっているからだ。


 さながら保育園のお昼寝タイム。


 俺はというと、北校舎五階、今は旧時代の遺物となりつつある喫煙室にいた。


「よぉ、神崎。火ぃ、あるか」


 これもまた古き時代の喫煙者、蘇我そが教諭が入ってきた。換気扇が忙しなく回り続ける部屋で、トッポを齧っていた俺に訊いてくる。


「どうぞ」


 何故かいつもライターを持参してこない蘇我に、俺はジッポの火を差し出す。最初に会った時からそうだった。


「なかなか無くならねぇな、それ」

「貰ったとき、まだオイルがいっぱいでしたからね」


 最初の一回は偶然だった。職員室にライターを忘れてきた蘇我に、俺が火を貸したのだ。


 そこでの第一声。


『あんた、ここの生徒だよ、な?』


「何事かと思いました」

「業者の人かなと思ったんだよ。よく見たらトッポだし、授業で見たことあるし、やたら背低いし」

「背は余計です」

「まぁとにかく、あんまりにも堂々と喫煙室の椅子に座ってるもんだから、教師としての長年の勘が狂ったってわけだ」


 今年43歳になる20年目のベテラン教師は、そういってメビウスを深く吸い込み、旨そうに吐き出した。


「煙草やってるわけじゃないですし、生徒が喫煙室にいちゃいけないルールなんてありませんからね」

「わざわざ副流煙浴びに来ることもないだろ」


 蘇我は、50歳を超える俺の父親よりも老けて見える。蓄えた顎鬚あごひげにも白髪が混じっているし、かけている眼鏡もどことなくレトロだ。歴史の教師としての貫禄はあるが、口調の軽さがそれを相殺していた。


「早死にするぜ」

「死にませんよ」


 おどけた声色に合わせて軽く返したはずだったが、蘇我は先ほどまでの軽薄さとは打って変わって、真剣なまなざしをこちらに向けていた。


 困惑と心配と、憐憫れんびんの色。


 こういうとき、下手な誤魔化しは逆効果だと分かっていた。


 だから、正直に話す。


「煙草なんかで、人は死にませんよ。たとえ死にたいと泣き叫んだって、そう簡単に死なせちゃあくれない」

「死なせてくれない、か」


 焼けて白くなった煙草を、灰皿に落としながら蘇我が言う。


「なぁ、神崎、お前のそれ、本当にトッポか?」

「トッポです」

「本当に17か?」

「まだ16です。誕生日は3月」

「身長は、ひゃくごじゅう……」

「160cmです」

「ほんとにぃ? ―――ああ悪い悪い、席を立つな」


 チビのチビなりのプライドをえぐってくる教師が謝る。


「身長のことは冗談だ。ただ、発言に貫録がありすぎてよ」

「そんなことはないでしょう」

「いや、お前の言葉には実感がある。大人ぶったり、気取って見せたりしてるんじゃねぇ。お前は、知ってる」

「何を?」

を、だ」


 初めての蘇我との会話を、もう一つ思い出した。


『お前、随分と先走ってんな』


 当時は言葉の意味が分からなかったが、今は大体推測できる。


「あの―――」


 自分の推理が当たっているかどうか、訊くための口を開けたとき、扉が開いた。


「いたぁ!」


 俺を探して、あちこち走り回っていたのか、茉莉香の顔には汗が滲んでいた。

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