2-5 潜行障害

「おとなしいのは情報海オーシャンにダイブしているときだけか。いや、情報海むこうでも騒がしいんだったか」

「うるさい! ちょっと来なさいよ」


 茉莉香に引っ張られ、人気のない廊下に出る。


「何だってこんなとこにいるのよ」

「静かでいいだろ。それに、トマソンがある」

「トマソン?」


 首をかしげる少女に、俺は説明してやる。


「この廊下の突き当りの窓を開けて上を見ると、絶対に手が届かない場所に、屋上へと向かう梯子はしごが架かっている。何の役にも立たない超芸術トマソンだ。それを眺めて、なんで大工はこんなところに梯子なんて架けたのか考えながら一服するのが、昼休みの楽しみなんだ」

「トッポで?」

「トッポで」

「意味分かんないっ!」


 ごもっともだ。


「もういいわ。アンタの不可思議な行動については後々追及するとして―――これ!」


 再び突き出される茉莉香のCT。


「ああ、助かった。ありがとうな」

「そんなことはどうでもいいの。何でアンタ、何のSNSもやってないのよ!」


 どうやら、臨時登録を消す前に、管理者権限で俺が使っているアプリケーションを調べたようだが、見事に何もなくて怒っているようだ。


「友達がいないのさ」


「うそつけっ! 一応電話番号は拾ったけど、アドレスまでないってことはただ単に何も登録してないだけでしょ。大体やる気なさ過ぎよ。パスワードがMasatoって」


「物覚えが悪いんだ」


「そりゃ、見た方がビックリするくらい見られて困るものが何もないものね」


「アプリを使ってないのは本当だ。SNSもやってない。YOUTUBEにアカウントも持ってないんだ」


「YOUTUBEなんて、今の高校生は誰も見てません~!!」


「そうか。たしかに、今は何でも情報海オーシャンだしな」


「まさかとは思うけど、情報海オーシャンにも登録してないなんて言うつもりじゃないでしょうね。いや、あり得ないわ。私たちの世代は、小学生の時にみんな一度はダイブするもの」


 そう、普通はあり得ない。


「いや、実はそうなんだ」


「え?」


「俺は、潜行障害だ。ウィキペディアの都市伝説のページに載ってるあれだよ。―――ああそうか、今時の高校生はウィキペディアも見ないよな」


 俺の軽口も、固まってしまった茉莉香には通じなかったらしい。


 話し相手がフリーズしている間に説明しておくと、潜行障害とはその名の通り『電脳潜行が不可能』という障害だ。


 一般的に言われている『オーシャンフォビア』や『電脳潜行恐怖症』や、電脳世界での動きが極端に苦手な『カナヅチ』たちとは違い、本人の意志や健康状態とは無関係に電脳潜行ダイブできないのが、潜行障害の特徴、という“噂”だ。


 何しろ、今や世界75億人の人間が使う生活に根差したツールにもかかわらず、潜行障害はたったの10件しか症例がない。世界で10人。それも、日本とアメリカでしか確認されていないとなれば、都市伝説の仲間入りは仕方の無いことだといえる。


「アンタが……?」


 しかし、すべては事実だ。実際に、ここにいるのだから。


「嘘だと思うなら、今ここで実演してみせようか」 

「……いいえ、いいわ。アンタは嘘なんてつかない。そう……だから―――」


 茉莉香がぶつぶつと何かを言っている。こういう反応になるのは予想通りだ。だから俺はあまり心配しないでほしいと思った。


九鬼崎くきさき、俺はそんなに今の生活も悪くないと―――」

「何でもっと早くいわないのよ! バカっ!」


 怒られた。そして茉莉香はそのまま走ってどこかへ行ってしまった。


「ううむ……」


 唸る。もっと早く言えとはどういうことなのか。初めて会った時か。それは無理というものだ。


「珍しいな」


 どうやらやり取りを全部聴いていたらしい蘇我が現れていった。


「何がです?」

「お前、自分からは障害のことを話したがらないだろ」

「どうしても変な雰囲気になりますから」

「でも、話した」

「隠しているとうるさそうだったんで」

「俺みたいにか」

「よくご存じで」


 蘇我はヤニ臭い息を大仰に吐き出してから、言った。


「ふん、気を付けろよ。九鬼崎は、逆トロイの木馬だからな」

「逆って?」

「木馬を固い城の門にぶつけて外側から壊そうとするタイプだってことだ」


 勇者アキレスの指揮の下、巨大な木馬が頑強なトロイの城に激突していく様を想像した。


「それは怖い」


 だが、面白くもある。


「心の門も、正面突破してくるってこった」

「そうですか」


 確かに、俺のような捻くれ者は、気を付けなければいけない相手かもしれない。


※※


 悪いことは続くものだ。


 放課後。生徒会室に呼び出された。


「やってしまったね、副会長」

「……」


 真壁まかべ庶務の場を和ませようとする軽口も、俺の耳にはほとんど届いていなかった。


 全身の体温が4度は上がったような感覚に陥った。


 本当に、俺の障害は電脳潜行に関するものだけなのだろうか。


 俺は、また、とんでもないミスをやらかしてしまっていた。


 仕事の始まりはいつも通り、会長の思い付きだ。


 よりよい学校生活のために、新入生たちのことをより細かく知りたい。彼らがいた中学校やフリースクールの担任達からデータにならないような細かい話を聞いてまとめたい。


 とはいえ、難しい話ではない。質問書のフォーマットを作って、新入生およそ350人の在籍していた学校に連絡を取る。暇なときに応えて返信をくれというメールを送る。それをこちらでまとめる。それだけだ。


 もちろん、会長たちがいた中学校にも送った。最も人数が多かった。OBが有名だからだろう。


 そして、解答が先日届いた。


 全部、で。


「プリンターって、まだ学校で生き残ってるんだな」


 と、呆れたように真壁庶務は言った。


「倉庫とかにあるんじゃないかな」


 と、白石書記は言った。


「私たちに嫌がらせをするためだけにわざわざ引っ張り出したのか、


 と、若干の恐怖を抱いた声で成瀬会計が言った。


 事情を説明しよう。

 

 我らが生徒会には敵が多い。


 いや、厳密に言うならば、鴻神こうがみ向日葵ひまわりとその仲間たちに、だ。


 白石望しらいしのぞみ成瀬梨子なるせりこ、真壁啓吾けいご、そして、2026年の三月まで副会長で、二年生になるところで訳あって転校した金森かなもり房一ふさいち氏を含めた五人は、中学の頃から、一丸となって活躍していたらしい。


 上瀬総合とは正反対な堅苦しい校風の中学だったが、向日葵たちが立て直した。


 そのことを気に入らない教師が、今も残っていて、これはその嫌がらせだった。


 大人げないにもほどがあるが、ろくでもない人間の最後っ屁くらい許容しようという向日葵の情報海オーシャンよりも広い(どれくらい広いかは知らないが)御心によって、紙で送られてきた回答書を、こちらで入力することになった。


 そのデータが吹き飛んでいたらしい。


 バックアップ? クラウドに転送? 知らんな、そんなものは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る