2-3 向日葵の心配

 生徒会役員など、内申点欲しさのガリ勉か、推薦という名の押し付けを断れなかった気の弱い生徒がやるものと相場が決まっている。その上、自由と個性の尊重を謳う上瀬総合における生徒会の権限など大したものではなかった。


 それを、二年前、カリスマが人の形をしているような一年生の女子生徒が変えてしまった。


 中学時代からの友達を引き連れて、まるで漫画の世界に出てくるような、絶大な権力を持った独裁者として君臨してしまった。


 そんなトンデモ生徒会で、何故俺が副会長などという地位に収まっているのか。


 正直、俺自身もなんでこうなったのか、未だによく分かっていない。出来心としかいいようがない成り行きがあったのは確かだ。


「SCP部の報告は、最近サボっているのか」

「というか、もういいでしょう。この期に及んで、俺たちが面倒見なくちゃいけないことなんて、ありませんよ」

「ふむ……」


 向日葵が、何やら思案気な表情を浮かべる。


 この顔は大抵厄介な指示を出す前触れだったが、今回は違った。


「それもそうか。なら、神崎生徒副会長、これより、SCP部外部管理者の任を解く」

「そりゃどうも」

「ふふ、もう少しほっとするとか、寂しがるとかしたらどうだい?」

「そいつは無理ですよ。解かれる前も大した仕事はしていないんですから」


 こういう反応になるのはしょうがない。


「―――分かった。私はちょっと出かけてくるよ。それじゃあ、また後で」

「はい」


 情報海オーシャンに行く、とは言わない。これは彼女の優しさだ。


 例の“佐倉くん”と同じく、俺もまた、あの生徒会長に心配されているようだ。


 そしてその心配は、真っ当なものだ。


 何しろ、俺はとんでもないドジだからだ。


 この日は、その最たる例の一つとなった。


※※


 上瀬総合高等学校のパンフレットによると、初代理事長の松橋大悟氏は、学生時代、いじめに苦しんでいたらしい。人造燃料の技術で財を成した彼は、自分が通いたかった学校を全国に創った。


 その一つが、この上瀬総合だ。


『街の往来で殴られれば警察を呼ぶのが普通なのに、学校では教師がやってきて、喧嘩両成敗などとのたまってくる。学校には、異常な環境が作られる素地がある』


 いじめが起こるのは、閉鎖的な学級制度と、外部の目が届かない排他性にあると見て、まずは生徒たちが学ぶ時間と場所を選べる単位制を採用し、クラスの垣根を取り払った。


 校則はなく、校風を自由なものにして、逆に、校内で悪さをすれば、即刻警察などの公権力が飛び込んでくるようにした。


 授業料こそ無償化されて久しいが、相変わらず私立というのは細かいところで金がかかるのを、自治体と企業との協力でできる限り無くしていった。


 一番の協力者は世界一のIT企業ラルゴの日本法人だ。社の開発した携帯PC、CT(コンパクト・タブレット)を使った授業を展開することを条件に、援助を申し出た。


 煙草の箱くらいのそれを起動すると、登録した個人の網膜にのみ反応するVR画面が映し出され、画面に専用のペンで書き込んだり、画像ホログラムを手で動かしたり、どこにいても直感的・直接的な操作が可能になる。PC代わりにもなる。最近は、付属のヘッドセットを使えば、情報海オーシャンへもCTでアクセスできるようになっているらしい。


 それを家に忘れてきた間抜けを紹介しよう。


 俺だ。


 また、やってしまった。


 二限目、授業は歴史だ。やってきたレポートが全部CTのなかに入っている。電話、クレジットカード、溜め込んだエロ書籍の蔵書庫、様々な用途がこなせるCTは生活必需品であり、本来、忘れることなどあり得ない。それがあり得るのが、現金主義で電話もメールも滅多にしない俺みたいな生活者だ。


「なぁ、カミぃ、レポート写させてくれよぉ」


 授業まであと十分、宿題をやってこなかった阿呆に構っている時間はない。


「安西、すまないな。そもそも写させてやるレポートが俺の手元にない」

「え?」


 朝、美しい街と海を見たときに感じたあの満ち足りた気持ちは、もうすっかりなくなっていた。あるのは焦燥と、自分への怒りだけ。


「蘇我先生には、俺は忘れ物を取りに行ったと伝えておいてくれないか」


 俺はついていた席を立つと、足早に昇降口に向かった。下駄箱なんて物はないが、出るにも入るにもいちいち網膜と静脈のチェックがいるのだ。


「ちっ」


 舌打ちを一つする。


 俺は物忘れが多い。子供の頃からだ。健忘症を疑ったこともあったが、それとは違うらしい。ならば、何とかできるはずだ。なのに、今日もこうして絶対に忘れてはいけないものを忘れてくる。


「クソッ!」


 怒りながら走っていたので、向こうからポニーテールを揺らしてやってくる人影に気付かなかった。


「ちょっと! 無視すんな!」

「え?」


 背が低いからか、俺は自分より下に目線をやる習慣がない。そのせいで、茉莉香まつりかをいつの間にか通り過ぎてしまっていた。


「なによ、私が小さすぎて見えなかったっていうこと?」


 振り向いた視線が割と高かったのが、茉莉香には気に食わなかったようだ。


「そうじゃない。何か用か」


 相変わらず、何かにイライラしているようだったが、昨日初めて会ったにもかかわらず、気安いやり取りだった。


「ふん! これ!」


 そう言って、俺に折り畳み傘を押し付けてくる。


「とりあえず、助かったわ。ちゃんと乾かしてあるから」

「別にそこまでしなくてもいい。大して使わなかったろう」

「素直にどういたしまして、じゃないの?」


 確かにその通りだ。


「そうだな。悪かった。ちょっと急いでいてな」

「そうね、血相変えて走ってたもの。あの会長さんからお呼びでもかかった?」


 俺は彼女の小遣い小僧だと思われているということか。


「忘れ物だ」

「傘は二本持ってくるのに?」

「まぁな。まさかCTを忘れるとは。じゃあな」

「ちょっと待ちなさい!」


 駆け出す俺を呼び止める大声は、どこか困惑の色を帯びていた。


「あんた、CTを家に取りに行くつもりなの?」

「そうだが」


 茉莉香の目からは、声と同じく困惑と、疑問、それに驚愕が見られた。しばらくその目を泳がせていると、やおらポニーテールをぶんぶん振ってこちらに近付いてきた。今度はやけに怒っていらっしゃる。


「バッカじゃない!?」


 どうやら俺とこいつはまったく馬が合わないようだ。


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