2-2 上瀬総合生徒会の朝

 上瀬総合は単位制なので、一限目の授業がある八時台になっても、全校生徒は揃わない。小高い山の上にある大きな大きな学舎は、収容人数に半分以上の余裕をもって鎮座している。


 網膜と静脈の二重チェックを抜けて校舎に入ると、俺は生徒会室へと向かう。毎週月曜日は朝礼がある。


 円卓状になった机は、会長の趣味だ。立場や役職を超えた、自由闊達な意見交換がしたいそうだが、いまいち叶っていない。


 PCに向かい、任されていたデータ入力の仕事をしていると、ほかのメンバーがやってきた。


「おはよう、神崎くん。今日も早いね」

「おはようございます」


 書記の白石望しらいしのぞみが、その表情と同様の柔らかな声をかけてくるので、俺も挨拶を返す。


「よう、カミ、昨日SCP部のライブ行ったんだろ? どうだった」

「盛況でしたよ」


 庶務の真壁啓吾まかべけいごには、角が立たない方の感想を述べておく。


「おはようございます、副会長」

「うっす」

「おい」


 堅い印象のある会計・成瀬梨子なるせりこが、後輩甲斐のない俺の態度に疑義を呈するが、この人はSCP部でいうところの家持枠なので、これでいい。本人は不服そうだが。


「みんな、おはよう」


 それぞれの先輩方に続いて、美しい女子生徒が入室する。会長の鴻神こうがみ向日葵ひまわりだ。空気が一段、引き締まる感触があった。


「会長、おはようございます!」

「おはよう、梨子」


 会計の、一オクターブ高い挨拶に凛とした声が返る。その間も、俺はPCに向かって作業を続けていたのだが、近くに誰かが来た気配を認めて、顔を上げた。170cmのすらりとした長身の頂上付近に据えられた鋭い目が、俺を捉えていた。


「おはよう、神崎くん。体調はいいかい?」

「おはようございます。昨日ちょっと雨に降られましたけど、問題ありません」

「そうか」


 各々の席に着いた三年生たちが、何故かこちらを注視している。いや、理由は分かる。直立不動の長身会長と、椅子に座った低身長俺では、まるで猛禽もうきんがネズミを品定めしているように見えるのだ。傍から見るとちょっと怖い光景だが、俺は特に圧力を感じたことはない。


 これが、俺のいる上瀬総合高校生徒会の日常的な様子だ。


「では、朝礼を始めようか」


 全員が揃ったところで、向日葵が口を開く。


「一年生の佐倉くんが、挨拶を返してくれなかった。ちょっと気にしていてくれ」

「朝っぱらで眠かったんじゃねぇの?」


 真壁庶務が、本人も眠そうな顔で言う。


「眠そう、というより、上の空だった。彼は明朗快活というわけではないが、いつもなら、自分から挨拶をしてくる生徒だ。何か悩んでいるのかもしれない」

「素晴らしいです、会長。そんな末端の生徒にまで心を砕いていらっしゃるなんて」


 成瀬会計の評価はいつもながらオーバーだが、大体同意だ。


 上瀬総合は制服もないし、整髪も染髪もピアスもタトゥーも、なんなら整形も個人の判断でOKとしている。

 なので、個性的な者が多すぎて、目立たない生徒は影法師よりも目立たない。


 それを、この会長殿は、一人残らず覚えていらっしゃる。気にしてくれと言われても、一年生の佐倉とは誰だ。


「あとで、私からもそれとなく声をかけてみるね」


 白石書記が穏やかな声で応じ、一旦その話は済んだ。


 その後も、一限に授業を取っている三人が生徒会室を出ていき、残ったのは俺と向日葵だけになった。


 俺は、生徒会のデータベースにアクセスして、佐倉という生徒を検索する。一年生には3人いた。男子が一名、女子に二名。


「佐倉くんというのは、男子ですか? 会長」

「ああ、そうだよ。君も、すれ違って挨拶くらいは交わしたことがあるだろう。中性的な顔立ちの―――」


 そこで、会長が言葉を切った。


「……二人きりだぞ、?」

「……ふぅ」


 俺は軽くため息を吐くと、薄く笑って、拗ねた声を出した生徒会長を見る。


「そうだった。悪かったよ。


 二人だけの秘密の時間。たしか、昨年の秋ごろから始まったはずだ。


「今朝は随分とそっけなかったね」

「そうか?」

「そうだよ」


 向日葵はそう言ってむくれて見せる。恐らく、俺にしか見せない顔。


「バイクのメンテナンスに時間を取られるのだろうが、もっと私に構ってくれてもいいんじゃないか?」


 口調も随分と砕けている。こちらが素なのかもしれないが。


「大切にしてるよ」

「そう? にしては、キスもしてくれないじゃない」


 思わず、頬がピクリと動きそうになった。


「私を大事にしてくれるのはいいが、少しくらい触れてくれてもいいんだよ?」


 俺は立ち上がると、長い足を組んで座っている向日葵の前に立った。


「触れても?」

「そうだ」


 手を伸ばす。上等な絹のような頬を、そっと撫でた。


「ふふっ。くすぐったいな」

「そうか、なら―――痛くしてやろう!」

「いだだだだだ!」


 頬を置いた指でその白い柔肌をギュッとつねった。


「にゃ、にゃにをするんだ君はっ!」

「そりゃあこっちのセリフだ。俺に何をさせる気だったんですか」

「はにゃしてくれ」


 俺の指から解放された向日葵は、片目に涙を浮かべながら頬をさする。


「今日は随分としぶといから、実力行使に出たまでだよ」


 ふん、と鼻息を吐きながら、そうのたまう。


「あーそうですかい」


 俺はこの“ゲーム”が開始されたときの十倍のため息を吐いた。


 去年の秋、ひょんなことから二人きりになったとき、お茶目な会長殿が、この“恋人コント”を仕掛けてきて、愚かな俺が無用なサービス精神で乗ってしまったことから始まったやり取りだった。


「いつもなら、キス云々で君はプッと吹き出していたはずなのに」

「あんたも、ちょっと赤くなってたけどな」


 何となく『どちらかが恥ずかしがったら負け』というルールがあって、俺は4勝していた。そして、48敗していた。


「暴行にでるのは反則だよ! 今回は、君の負けでいいね?」


 先ほどまでの場を圧倒する威厳はどこへやら。ふふん、とこちらを指差して勝利宣言する向日葵。


「何でこんな人が……」

「何か言ったかい?」

「言いましたけどもう言いません」

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