1-4傘

 頭を下げる俺に、SCP部員たちは最初こそ呆気にとられた様子だったが、ややあって全員が破顔し、鷹揚おうように許してくれた。


「別にいいっすよ」


 存外、柔らかな口調で千久乃ちくのが言う。


「ふふ、何だか、鷹丸たかまるくんみたいでしたね」


 松田先輩も笑っている。


「確かに、意外と鷹丸とカミって、似てるのかもな」

「何もかも違うと思うが」

「深いところで。鷹丸タカと副会長さんは似ている」


 家持と、真白にも言われた。俺は気まずさにコーラを飲み干す。やっぱり薄い。


「まぁ、そこら辺を一周して、頭が冷えればケロッと戻ってくるさ。あんまり気にするな」


 家持が呑気に言う。そういうものなのだろうか。


「あ、でも、雨が降っていますよね。マツリちゃん、傘持ってたかな」

「じゃあ、詫びついでに俺が探してきます」


 松田先輩に言って、席を立つ。家持たちがまた相好そうごうを崩す。


「そうやっていくのも、鷹丸に似てるんだぜ?」

「―――そうか」


 ぽつりと答えて、俺は外に出た。


※※


 来るときにはすっかり本降りだった雨も、現在は小康状態といったところだ。


 さて、どこを探すかと思ってしばらく歩くと、いた。


 ライブハウスを出てすぐのコンビニでポニーテールが揺れている。


 中で騒がれても面倒だと思い、出てくるのを待つことにした。


 幸い、店の外の雨風をしのげる場所には灰皿が置かれている。俺は肩に下げていた鞄から四角い箱を出す。


 一本取り出して、口に咥える。そして、オイルが半分ほど減ったライターを取り出し、火をつける。


「こら! 不良!」

「ん?」


 背後で声がして、振り返る。茉莉香まつりかが、まだ赤い目にとがめる色を帯びて立っていた。


「俺は不良じゃない」

「だったら何吸おうとしてたの」

「吸ってない」


 俺がライターであぶっていたものを見せる。


「これはトッポだ」

「トッポ」

「中のチョコが溶けて、意外といけるぞ」


 間の抜けた顔のおマツリ少女は、何を思ったか、少し背伸びをして、顔をこちらに近づけてきた。


 ぱく。


 口に咥えているものを食べられる経験は生まれて初めてだ。一瞬硬直してしまった俺に比べ、茉莉香は随分と賑やかだった。


「……!! あっつ! あっつい!!」


 涙目で口を押えてぴょんぴょん跳ねまわる茉莉香。


「そりゃあそうだろう。さっきまで盛大に炙ってたんだから」


 雨に濡れそうだったので、そっと肩のあたりを掴んで、身体を引き寄せてやる。キッと睨む顔が眼前に来る。見つめ合う格好だが、ロマンの欠片もない状況だ。


「なによ」

「いくらアホでも濡れれば風邪をひく」

「うっさい。結局同じよ。傘持ってないし」

「ほら」


 折りたたみ傘を差し出す。


「アンタの分は」

「ここにある」


 傘立てに置かれていた一本を抜き出し、見せる。


「いっつも二つ持ち歩いてるの?」

「忘れっぽくてな」


 しばし、それを受け取るかどうか逡巡しゅんじゅんしていた。まるで、差し出された木の実を、餌かどうか見極める小動物のようだったが、最終的には「じゃあ、借りておいてあげる」と言った。


 傘を開くと、茉莉香の小さな体は、折り畳み傘にもすっぽりと入った。


「あんたは、戻らないの」

「俺はこのまま帰るよ」

「そう。じゃあ、明日学校で返すわ」


 茉莉香は雨の中を歩き出した。


 その背中をボーっと見ていると、顔がこちらを向いた。


「トッポ、咥えたまんまよ」


 そういえばそうだった。慌てて咀嚼そしゃくする俺を見る茉莉花の目には、今日初めての色が浮かんでいた。


 ちょっと悔しかったのかもしれない。その背に声をかけたのは、自分でも驚きの行動だった。


「次」

「え?」

「次はせいぜい、歌詞くらい覚えて歌え」

「……うっさい!」


 ちゃんと聴いてはいたんだぞ、というメッセージが伝わったかどうか。荒々しい足取りで茉莉香がライブハウスに入るのを見届けると、俺は一つ伸びをした。


 さて、帰るか。


「あの―――」


 コンビニから出てきた客がおずおずと俺に声をかける。分かっていた。


「ああ、この傘はあなたのでしたか。どうぞ」


 手に持っていた傘を渡すと、俺は雨よけのひさしから抜け出し、帰路を辿る。


 今年の梅雨は思い切りが悪い。思い出したように勢いよくなるときはあれど、基本的には一日中しとしとと弱く降り続けることが多かった。


 まるで、自分のようだ。


 案の定、歩き続けるうち雨は次第に弱くなり、やがて傘が不要なほどの霧雨へと変わった。


「一本しかない傘を貸すことはなかったかもしれないな」

「今さら返してくれもないだろう。向こうは、俺が傘を二本持っていると思っているし」

「余りの傘なんて、持ったこともない癖に」

「仕方ない。今まで、誰かに物を分け与えるような場面に出くわさなかったしな」

「一本のトッポを分け合うこともな」

「違いない」


 独り言を呟きながら、あの場面を思い出す。九鬼崎くきさき茉莉花、鷹丸たかまるくんの『報告書』には、こう書いてあった。


 電脳世界の“お祭り少女”であり、“おまつり少女”。


『そんな上っ面じゃなくて、正直に話しなさいって言ってんの』


 そう言っていた少女の肩は、ついこの間まで世界の命運を背負っていたにしては、随分と華奢きゃしゃだった。


 これが、名も無き端役だった俺と、“おマツリ少女”との出会いだった。


 はっきり言って最悪だ。


 だが、時として、最悪は最高の思い出になる。


 誰かにとってエピローグだったことが、また誰かにとってはプロローグになるように。

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