第11話 「再開、三度目の初登校」


「ここは…そうか、戻れたのか」

眼に写るのはいつも見ている自分の部屋の光景だった。

いつものようにベッドから体を起こし、限界まで息を吸い、勢いよく体に溜まってある空気全てを吐きだす。ここにいるのは嬉しいような、悲しいような、不思議な気分だ。

俺は結局殺せなかった、あの女と同じことをしようとしたができなかったんだ。

それに俺はあの女じゃなく全く関係の無い人を殺そうとしてしまった、恐らく恐怖からあの女を殺すことができなかったんだろう、あれから多分一年は経った。

実質は一日も経っていないが俺だけは一年と三ヶ月をこの金曜日で過ごしている事になる。

だが頭にはあの日の記憶が鮮明に残っていた、ナイフで体の器官を引きずりだされたあの日、電動ノコギリで首を切り落とされたあの日。

思い出すたびに体の震えは止まらなかった、毎日、毎日だ。

毎日のように朝起きれば体が震え始める、あの日からずっと…ずっと…。

逃げられない、逃げられないのだ…。

毎日のように俺は万引きをしたり、山に登ったり、刺激を求め続けた。

あの日を忘れるためにだ、何度も何度も何度もだ、だがあの日の記憶は服に着いたシミのように落ちる事はなかった。

むしろ昨日俺が起こした行為のせいで、更なる罪の意識が芽生え始めることになった、桜田を知るための行為だったのものが、もはや逆効果だったのだ。

ここは地獄なのだろうか?何で俺は…この地獄のような日を延々に繰り返さなければならないのだろう。目からは涙が溢れ始める、泣いたって仕方がないのは自分でも分かってる。

だけど、だけど、「立ち向かえ、立ち向かうんだ」

独り言を呟き、目の涙を手の甲で拭き取り、制服に着替える。

もう繰り返さない、繰り返さないんだ、同じようなミスは。


「にいに」

階段から二階まで上がる足音が聞こえる。

「お母さんが今日学校だって、だから早く降りてよ」

妹が部屋に入ってくる。

「分かってる、今行くよ」

「う、うん」


明日香は戸惑った表情で俺を見ていた。

勝手に部屋に入ってきた挙句、着替えまで覘かれたのに、あまりにも冷静だったので驚いているのだろう。鞄を持っていつでも学校に行けるようにし、明日香と一緒に一階まで降りる。


「あら、二人そろって仲良しね、おはよう」


台所の方から顔を覗かせこちらを見ている母の姿が見える。白いセーターの上に青いエプロンを上に着ている、あんな事があったけど、いつもの姿だ、安心した。


「おはよ母さん」

「誰がこんな奴と」


不貞腐れる明日香に母さんはにこにこっと笑っている。

明日香は椅子に座ると、食べかけのクロワッサンを咥え始めた。

それに続き僕も椅子に座ってクロワッサンにかぶりつく。


「雄輝は今日初登校よね、遅刻しないように着替えて降りてくるなんて偉いじゃない」

「そうだね、初日だからこそ早くいかなきゃ」


いつもの言葉で、いつもの表情で俺に話しかける。昨日までの母はもういない、全てがリセットされているのだ。


「俺もう行くよ」

「え?もう行くの?」

「にいにがこんな時間に行くなんて、絶対今日雨降るわ」


明日香より早く学校に行くなんて事が今までに無かったから驚いているんだろう、おまけに明日香より俺の方が学校は近いのであまり早く行く必要も無かったのだが。


「じゃあいってきまーす!」


鞄を片手で背負い、部屋を出て、靴を履き、家を出る。

扉が閉まる前に「傘持って行きなさいよー!」とはっきりとじゃないが、母さんの声が聞こえた。

生憎今日雨は降らないんでね、今日の天気に関してならどの気象予報士にも負けるつもりは無い。俺は決して寄り道をする事もなく学校にへと徒歩で向かった。



教室に着いたのは二十分後である、現在は午後七時四十分と教室には俺以外に二、三人がいる状態だ。教室に入った時は全員驚いた顔でこちらを見ていて、席に座ってからも続けて何度かちらちらと俺の方を見てきた。

不思議そうに俺を見ていた彼女達は席が離れていて、もう見飽きたのか、読書やら勉強やらを再開し始める。まあ女子高であるこの教室に急に男子が一人混ざったのだ、確かに普通の事ではない、驚くのは当然といえるだろう。

今思えば授業が始まる前に遅刻せず学校に着いたのは金曜日じゃ初めての事だ、全部あの自己紹介から俺の学校生活がスタートしたからな。

それにしてもここまで注目の的になるくらいなら、自己紹介の時に学校に来た方が遥かにマシである。さっきから教室に入ってくる女子が俺の方を何度も見返してくるのだ。

それに俺が今座っているこの席も、一度席を離れると休み時間に、勝手に入ってきた女子が無許可使っているという状況がしばしばあるのだ。

待っている間俺の心臓はばくばくと音を鳴らしていた、やる事は特に無い、だが俺がこんなにも早く教室に入ったのは理由があった。


待つこと二十分が経った、教室には十人の生徒が集まっている。皆して見慣れない男子が椅子に座っている事が珍しかったのか、こちらをチラチラと見ながら何かを話している。

そしてガラガラと扉が開かれる、女子が一人、また一人と部屋に入る。それに紛れて、また入ってきた女子がいた、赤井だ。

もう俺は二度とこの姿を見れないと思っていたが、少女は何事もなかったかのように笑顔で教室にへと入る。


「おはよー!」

「「おはよー!」」


扉近くにいた女子集団に元気良く挨拶をした。流石に人脈が広い、そういう処があって生徒会長に選ばれたのが理由でもあるだろう。彼女に気付かれないよう、こっそりと顔を何度も見返す。死んだ赤井の姿と照らし合わせると思わず涙が出そうになった。

赤井の顔を見る機会はこの一年で何回かあったせいで、俺にとっては彼女の姿を見るのは馴染み深く、悲しくもあり、怖くもあった。本来死んだはずの人間が楽しそうに教室ではしゃいで、笑って何事もなかったかのようにお喋りをしているのだ。何であんな事があったのに忘れているのだろうか、彼女は親友だと思い込んでいたあの女に裏切られ、無残に殺されたのだ。それも全部俺が巻き込んだせいである、俺が赤井と仲良くなんてなってなければ桜田は彼女を殺さなかったのだ。

彼女は一度は死んだ、彼女がそれを覚えていなかったとしても、俺はあの世界で死んでいった彼女の姿を鮮明に覚えている。もう二度と、あのような事を繰り返してはならない。

赤井は席に戻る事なくしばらく女子集団とその場で話していた。

俺はこっそりとその様子を見ていたが、赤井と女子集団の視線はちらちらと俺の方を見ていた。どうやら俺が赤井を見ていた事に気付れた訳じゃ無さそうだ。

女子集団の中には赤井がいつの間にか消え、辺りを見回すと赤井は少し恥ずかしそうに笑いながらこっちに向かって歩いてきていた。


―――これはまずい、絶対まずい。


俺がこんなにも早く来た理由は決して赤井の顔を早く見たいとかそんな理由じゃない。

いつもと同じ通りに、同じ手順で、自己紹介の時間に学校に行けば、自然と赤井や桜田と接触するリスクが高くなるから、あえてこの時間を変えただけだ。それがまさか赤井自らこっちにくるなんて、もし俺が赤井と仲良くなれば、桜田は決まって俺達二人を殺しにくるだろう、それだけはまずい。俺は席を立った、赤井が来る前に席を立ち、極力扉の方だけを見て、赤井から逃げるように教室の扉に向かう。


「ねえ、君!」


赤井は俺が教室を出て行くのを察知し、呼び止める。しかし俺はその呼びかけを無視し、なりふり構わず教室を出て行く。出て行く際、扉は閉め忘れたが、教室の中からは「何あいつ」やら「最低だね」などの非難の声が聞こえてきた。

まあ確かに良心で話しかけてくる相手に対して無視するのは最低だ。だがこうでもしない限り赤井の命は危ないし、俺の命は危ない。俺だって本心では赤井と話したいんだ、でも今はそんな欲望を封じ込め、赤井との接触はなんとしてでも避けるしかない。


―――少なくても事態が収まるまでは…。


わざわざ一階に下りるのも面倒くさかったが、この場所にいたくなかったので、止むを得ず一階まで降りようと、遠くに見える階段まで向かうことにする。流石にこの時間帯は廊下を歩いている女子が多く、向かい側を歩いていた俺は女子達とすれ違わなければならなかった。すれ違うたびに振り向かれ、こっちをじっと見る女子は多い。あまり気分の良くない行為だったが、結局は耐える事しかできず、一生懸命割り切ろうと心を無にしてみる。

多分外国人なんかが日本の地方に来た時はこんな事は当たり前だろう、それと一緒だ。すれ違うたびに振り向かれ、すれ違うたびに振り向かれを繰り返されていたが、やっと階段にたどり着いた。階段は女子の数が多く、とても通れそうになかったが、俺が近づくと同時に、右側にいた女子が左側にへと移動してくれ、なんとか階段を下りることができた。

助かったと思い、階段を歩いていると当然のように僕は周りの女子から見られる。

恥ずかしいが仕方が無い、仕方が無いと思い、また心を無にする。そして降りている最中、ちら見をする訳でも、不思議そうに見るわけでもなく、俺を睨みつけている女子が一人がいた。まるで汚物、害虫でも見るかのような病んだ目で、嫌悪感に満ち溢れているその女子と俺はすれ違う。その正体は桜田だった、急な登場に心臓が止まるかと思ったが、ただただ体からは汗がじわじわと流れ始める。

続けて歩いていくと、何とか女子の群れからは脱出でき、一階にへとたどり着くことが出来た。俺は行く当ても無い道をただ闇雲に歩いていく。歩く道中、辺りを観察してみると、最近男子校になったのを表すように、この学校ではまだ男子トイレすら用意されていない状況にある。あるとすれば職員室近くにある男性用職員トイレ、奇跡的にも男性教諭が数人いた事により俺や下級生の男子生徒はそこを使わせてもらっている。職員男性トイレの中に入ると、足は竦み、ガタガタと体全体が震えていた。彼女のあの男を見る虚ろな目をみるたびに殺された事を何度も思い出す。ただ殺されたんじゃない、俺に恐怖というものを限界まで植えつけながら彼女は俺を殺しにかかろうとするのだ。

彼女の不気味に笑う姿が、何度も何度も頭に映りはじめる。彼女が笑ったことなど一度も無かったが、この笑顔は俺が彼女に対して抱いている恐怖から作り上げた、ただの幻想だ。ひとまず震える体を無理に移動させ、小便器まで体を動かし、用を足す。

何でも良い癒しの姿を思い浮かべたかった、赤井だ、赤井のあの満面の笑みを思い出せ。

頭に浮かんだのは赤井の笑っている姿だ、首を切り落とされた姿で大量の血を流しながら彼女は笑っていた。


「違う、はぁはぁはぁ…やめてくれよ赤井まで…」


俺は勘付いていた、精神的にかなり参っているようだ。むしろ今日までよく耐えたと思う。

金曜日の学校を行かない日の記憶は全て後から思い出すのだ、つまり朝目覚めた時からしばらくの時間は記憶がほとんど無い状態にある。

しかし、記憶が無いからといって精神的なダメージが無くなるという訳ではなく除除に蓄積されていくのだ。俺はこの一年、その精神的ダメージを限界まで溜め続けて我慢してきた。だがもう限界だ、限界なのだ、あの女を見るたびに恐怖が背後霊のように体を縛りつける何かが現れる。恐らく俺は次あいつに襲われたら逃げることは出来ない、こんな調子なら恐怖のあまり体が動かなくなるだろう。さっきから誰かに見られている気がする、俺は後ろを振り向く、勿論誰もいない、そこには扉が開いた洋式便座があるだけだ。。


「立ち向かわなきゃならないんだ…」


口に出してそう言った、強く、強く生きなければ、俺はあの女にただただ一生苦しめられる事になる。何としてでも、何としてでも、勝ち抜かなければならないのだ、この勝負に。

ガラガラッっとドアが開く。

慌ててドアの方を見る、俺は恐怖のあまり体をドアから一歩後ろにへと下がる。


「おっ!君は転校生の子だよね?さっき職員室で話題になってたよ!」


入ってきたのは頭の上部のみがツルツルに光り、他の部分のみがふさふさに生えた教員だった。俺はここに入ったのを気付いた桜田が追いつめるように入ってきたのかと思い、焦って反射的に身構えてしまった。


「ど、どうも」


本当に心臓に悪い、人は本当にやばい時ここまで思考が回転するのかと学んだ事はあったが、今はそんな場合ではない。


「どう?この学校は?女子ばっかで大変だろ?」

「そうですね、少し大変そう…です」

「ははは、まあ頑張れよ」


俺の背中は教員にッパンと勢い良く叩かれる。

本当に彼女と仲良くできれば俺も最高の学生生活を歩めたのだが、彼女とは何日会おうが、来世で会おうが、外国人だろうが、同じ性別だろうと決して仲良くなれない。

小便器に立つ教員を残し、俺はトイレ室を出る。


「乗り切ろう、ただ生きるんだ、今日を」

誰もいない廊下の中、小声でそう言い放ち、俺は教室に戻る事にした。

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