第10話 「失った闇、終わらない金曜日」
「ああああああああああああああああああああああっ!」
目を開くとそこは自宅、自室の部屋のベッドの上に仰向けの状態で横になっていた。
寝転んだ状態から体を起こすと、顔からは汗が流れ、ポタポタと毛布に落ちている。
そして両手ですぐさま首を触り回してみた。首は…ある、切れ目もない…。
俺は確実に死んだはずだ、殺されたはずだ、また生き返ったのか。
ナイフで刺され内蔵を引き抜かれた最初の時と全く同じだ。
生きている、俺は生きているんだ…。
すぅーとゆっくり息を吸い込み、はぁーと体にある空気を限界まで吐き出す。
良かった、本当に良かった。目からは涙がポロポロと落ち始める。
今まであった事を振り返ってみた、初日に学校で理科室に呼ばれ殺された事、次の日に桜田が生存しているかを確認するため校門近くで待ち伏せた事。延々と続く金曜日にゲームセンターや湘南の海で時間を有意義に使い、白星青生に人生相談をし続けた事。
あれからおよそ三ヶ月くらい経っただろうか、今まで忘れていた記憶は何一つ欠ける事無く脳裏に焼きついている。
今まではぼんやりと曖昧にしか残っていなかった記憶も全て頭の中に何一つ忘れる事なく残っている。自分自身にこんな事があったのかと今更になって思い出す。
「にいに」
明日香の声だ、これも初日に俺が足を一階まで響かせたせいで、心配して妹が上がってきたあの時と状況が同じである。
今回は足音ではなく俺が大声を上げたせいで上ってきたのだろう。
「よおっ、おはよ」
平然とした顔で部屋から出てきた俺を見て、妹は唖然とした顔で廊下に突っ立っている。
まあ確かにこんな大声を上げておいて平静を装っているのだ、サイコパスと勘違いされてもおかしくはない。
「よお、じゃないわよ!凄い大声聞こえて心配したんだから!」
「ははは、お前が心配だなんて可愛いとこあんじゃねえか」
「こんのお………」
両手で飛び掛ろうとする明日香の両手を長所である瞬発力を活かし、咄嗟に両手で止める。
「ちょ、暴力反対!」
「うっさいっ…このお…このお…」
明日香は馬鹿力で俺の両手の力を押し切っていた。もし明日香との身長が同じであれば俺は間違いなく力負けしていたであろう、百五十センチしかない身長とは思えないほどの馬鹿力である。
「ちょっとあなた達!何やってるのよ!」
明日香と向き合っている更に奥から、二階まで駆けあがっている母さんの姿が見えた。
明日香との争いは一階に聞こえるくらいの声量でだったのだろう、近所迷惑にでもならなければいいが。もし会話の内容が隣に丸聞こえだったら物凄く凄く恥ずかしい。
「あなた達学校でしょ?早くご飯食べなきゃ遅刻するわよ?」
「ああ、今日は学校休むよ、凄い体調悪いしさ」
「え?そんな風には全然見えないけど…」
「全くよ、このハッタリ坊主」
坊主と言い放つ明日香に、髪はふさふさですわよ、というツッコミをしようとしたが、今度こそしばかれかねないのでふざけるのはやめることにした。
「まあそういう訳だから、でもご飯だけは食べてから寝ようかな」
「「…………………………」」
二人は無言でしばらくこちらを睨んでいた…。
「助けてくれ」
……………。
「お願いだ、家族がいるんだよ、娘も息子も、妻も、俺がいなくなったら生活できなくなっちまうんだよ」
…………………。
「お願いだ、あんたまだ若いんだから早まった事はやめろって。何で殺すんだよ、俺があんたに何したっていうんだ」
………………。
「こっちが聞きてえよ…何で俺はあんたを殺そうとしてるんだ?」
右手に抱えているのは自宅で母さんが料理によく使う包丁だった。
怯えた羊のようにおっさんは震えている。
俺は何も考えずただ標的を殺す事だけを考える。俺の眼前で座り込み、命乞いをするこの男は過去に三人の若者を精神的に追い詰め、自殺にへと追い込んだブラック企業の社長である。俺はニュースでこの情報を知ったとき心底腹が立っていた、殺してやりたいくらいこいつが憎かった。それをなんだ、俺がこいつを殺そうとすれば家族や子供がいるだと…?馬鹿も休み休み言え、死んだ三人についてはどう説明するんだ、それも急に全員死んだんじゃない、順番に期間をあけて死んでいったんだ。
確かにこの会社を早く取り締まらなかった、厚生労働省にも非はある。
だが取り締まったら取り締まったで記者会見の時にこいつが冷静な顔で謝罪しているのを見てると虫唾が走った。世間はただ頭を下げただけでこの男を許すのかと…。
そしてそれを一番分かっているのはこいつ自身だ、世論は許しても俺だけはこの冷酷な男を許せる訳が無い、殺すしかないんだ。
俺にナイフを刺したあの少女のように…。
「やめてくれぇ…やめてくれよお…あんま持ってるわけじゃないけど金なら全部あんたにやるからさぁ…やめてくれよぉ…しにたくないんだよぉ…」
お前の薄汚ねえ金なんているか、反吐が出る。
だけど…だけど…、包丁を持って実際にこいつに会ってみたら殺そうとする気持ちはとうに吹き飛んでいた。何故こいつは殺されなければならないのか、俺がこいつを殺したいほど嫌いだからか?俺は殺す気もないのに包丁をその男に向け、脅すように歩いて近づく。
俺は三ヶ月間こいつに関する情報は全て調べ上げた、その時はこいつを殺したいほど憎かったのだから。だが…実際に包丁を握り、こいつに会ってみるとその気持ちは一変していた。
殺せない…殺せない。こいつを殺したとしだろうても、また金曜日が来て、こいつはのほほんと記者会見で謝罪し、また社員を自殺に追い込んで繰り返し続けるだろう。
でも俺には無理だ、この包丁をこいつに突き刺す事によって俺は一線を越えてしまうかもしれない、俺には無理だ。一線を越えてしまえば俺はあの女と同類になる、いや本当は一回でいい、俺は彼女の気持ちを知るべきなのだ。
だが、彼女と俺との壁は近いようで全く近く無かった。とてもじゃないが俺はこいつを平然と殺せる程非情にはなれない。
ましてや、桜田みたく自分の親友の首を切り落とすあんな残酷な殺し方をするなんて…。
「おええええええぇぇ…」
大量の汚物を吐いていた、自分でも臭うのが嫌なくらいの薄汚い汚物を、この男に吐いていた。この男はそれを顔に万遍に浴びながら嫌がる素振りをすることなく、ただただ怯えていた。決して隙ができたとしても、それを何故かチャンスにしようとしない。
もしかして吐く俺を見て、どこかで気が変わるかもしれないと思っているのか、いやそれは無い、こいつは単純に逃げられないでいるのだ。正にあの時の俺のように、逃げるチャンスが出来たとしても恐怖のあまりそれはできないのである。
こいつは本気で死にたくないはずだ、俺と違って。いっその事俺と入れ替わって欲しい。
俺は死にたいんだ…死にたいんだよ…。
今思うとあの時みた記者会見は、桜田の気持ちを理解するために行動に出たかったあまり、それを都合よく解釈して得た情報で、怒りのボルテージは無理やり自分自身で高めていたのかもしれない…。
それは偽りの怒りだ、今となってはもうどうでもいい、ぶっちゃけこいつが何人殺そうが、新入社員を殺そうが、俺には関係がない、俺さえ殺されなければいいのだ。
誰かを殺すきっかけを俺は何でもいいから欲しかった。
殺す相手が万引き犯だろうが、いじめをしている不良どもだろうが、誰でもよかったのだ、今度は正義を演じている自分に虫唾が走り始める。
「いけよ…」
「え?」
「ぶっごろすぞお!!!いけつってんだ!!!」
「ああぁ……ありがとぉ…ありがとうございますぅ…」
男は涙を流し俺の元から去って行く。そして数分後、包丁を持った俺は大量のパトカーに囲まれ、警察署にへと連れていかれる。
「一体なんでこんな事を…不満があるならおじさんに何でも話してくれないか?そりゃあ他人だけどおじさんも君と同じ歳くらいの娘がいるんだよ、少しは力になってやれるかもしれない」
「……………」
「黙秘権を行使するのは結構だが、個人的な事をおじさんは聞きたいんだよ。まあ言いたくないなら何も言わなくていいが、もうすぐ君の親御さん達もここに来るようだ、せめてお母さんやお父さんには嘘をつかず正直に話すんだぞ」
「……………」
署の取調室連れられた時は、白いワイシャツの上に、黒服、下には黒ズボンを着ているガタイの良い刑事らしき男と、二人で十分くらいの間個室で喋らされていた。
個室には不自然に鏡が壁に貼られていて、それがマジックミラーだと勘付いたのはそう長くない。恐らくあそこから精神科医やらが俺の心的状況を調べているのだろう。
なんせ今回は異例も異例だろう。ニュースに載るレベルの未成年殺人未遂事件なのである。
しばらくの間無視を決め込まれては刑事側も何を考えているか分からないので、困った顔で口を開かせる話を一生懸命考えている。
コンコン、ノックがあったのはまた数分が経った後だった。
「失礼します」
ぞろぞろと取調室に入ってきたのは明日香、母さん、そして仕事途中から無理やり抜けてきたであろう父さんの姿であった。
「うちの息子が大変…大変なご迷惑を…」
「いえいえ、まあ座ってください、私は調べないといけないことがあるのでしばらくはここを出ています」
そう言うと刑事は席を立ち、面談室から出て行った。
調べたい事とは言ってたけどマジックルームから恐らく俺達の会話を観察するのであろう。
「母さ…」
パンッっと勢いよく音が鳴るくらいに右頬を強く叩かれる、下を向いた母さんの肩は小刻みに震え泣いていた。「おい…」と母さんを制するようにに腕を出した父さんも、その姿を見て腕を元の位置へと戻す。
「一体…一体なんでこんなことしたの…」
「こっちが聞きたいよ」
「あんたね、人を殺そうとしたんでしょ?自分が何をしたかわかってるの?」
不貞腐れた態度を取る俺に、母さんは涙を流しつつも本気で怒るよう俺を睨んでいた。
体を震わせ、また頬を打たれそうな雰囲気が出ていたので強く警戒する。
「まあまあ、とりあえず話し合おうじゃないか、な?一旦座ろう」
父さんが震えていた母さんの肩に手を添えると、母さんは両手で涙を抑えながら椅子に座った。それに続くよう父さんと明日香も椅子に座る。
父さんは母さんと違い、今まで一度も感情になる事なんて無かった、そのため俺達の中で一番冷静に判断し、一番発言権のようなものを持っているのは父さんでもある。
「まあ、僕達はまだ何一つ、この事について知らないんだ、一つずつ僕達にもわかるよう説明を加えつつ話していこうじゃないか」
「父さ…」
「いいんだ、雄輝が反省しているのは充分分かっている。学校からも決して悪く言われた事は無かったし、呼び出しだってされてない、家でも真面目だったしね。だからこそ何でこんな状況に陥ってしまったのか、少しずつ僕は知りたいんだ」
「う、うん…」
僕は父さんと母さんにその男を殺した動機や、手順など何からなにまで話した。
勿論話したのはそいつが社員を今までに三人を自殺に追い込んだだけであって、ニュースでの会見の事などは話していない。本来は今日記者会見が行われる予定であったが、俺が殺そうとしたのだ。今頃ブラック会社社長、殺人未遂などのテロップが堂々とテレビニュースに大きく取り上げられている事であろう。
「人を自殺に追い込んだから殺そうとしたっていうの?あんたそんな同情深くないでしょ」
「別に殺そうとなんてしてないって、俺はただそいつに命の大切さってのを教えてやりたかったんだ」
間違ったことはいってない、俺は心からそう思っていた。
それはあの女に対しても同様である。実際は確かに殺すつもりだったが、俺はあえてその男を逃したんだ、そこら辺は母さんには勘違いされたくないところだ。
「まあ、知り合いの弁護士は呼んでおいたから。子供の出来心と思わせれば罪は軽くなると思う、もし雄輝にもっと深い理由があったとしても、弁護士の言う通りに応えなさい、いいな?」
「そういう問題じゃないでしょ!何であなたはそんなに冷静でいられるのよ…」
父さんの言葉にどうも納得がいかなかったのか、母さんは父さんを怒鳴りつける。
確かに父さんはこういう時にあまりにも冷静すぎる場面が多い、会社でトラブルが起きた時もいつもそうなのだろう。感情的になりやすい母さんはそれが理解できないのだ、俺も感情的にやってしまったことだ、父さんのこの対応は少し居心地が悪かった。
「落ち着きなさい、雄輝はまだ未成年なんだ、いくらでもやり直しが利く。まずは罪を軽くしてもらう事が先決だ、それからでも説教は遅くない」
「いいえ、今回ばかりはたっぷり反省してもらわないと、気がすまないわ!雄輝、あなた自分がやった事分かってるんでしょうね?」
「じゃあ雄輝に長い間少年院に入ってろとでも言う気か?奇跡的にも雄輝はあの社長を殺さなかったんだ。今後繰り返すことは無いはずだ、このまま下手をすると罪がもっと重くなるかもしれない、大人になっても少年院で過ごせなんてあまりにも残酷すぎる」
「何その言い方、本当に雄輝が何したかわかって言ってるの?」
「ああ、わかってるとも」
二人の口論は長く続いた、妹の明日香も二人を眺めながら呆れている。
まさか俺もこんな事になるのは予想していなかった、耳にたこができるほどに強く叱られると思ったのだが、まさか二人が喧嘩する事になるなんて。
「にいに」
「え?」
二人の口論を見た明日香は突然俺の方を見て話しかけてくる。
今までずっと無言だったが、こいつも言いたい事がたまってて我慢していたかもしれない。
「謝んなよ、とりあえず」
「「………」」
明日香の言葉を聞き二人は黙る、少しヒートアップしてた事に気付き始めたのだろう。
「ごめん、迷惑かけて。こんな大事になってから自分が何してるのか気付けた、今じゃ馬鹿なことしたと思ってる…反省してる…」
その言葉を聞き、母さんが両手で眼を覆うように声を出しながら泣きじゃくる。
そして父さんは気づけば母さんのバッグからハンカチを取り出し、それを母さんに渡すと、優しく背中をさすっていた。
俺が家族に謝った言葉は全て本心から出た言葉である。
俺ははっきり言って警察署に行くまではかなり病んでいた。
心が真っ黒に染まるように、何か刺激になるような事をやってみたかった。
毎日来る金曜日に山を登り、海水浴に行き、ゲームセンター、それに万引きまで行って、スリルが味わえることに少しずつチャレンジしてみた。
だがこの心にぽっかりと開いた穴は未だに埋まらず、何でもいいから刺激が欲しかった。
そして俺が求めていた刺激はあいつと同じ人殺しのようなものだった。
俺は包丁を持ちながら、ニュースで話題になっている人たちをざっと調べた。
どいつを殺してやろうか、そしてまず第一に出てきたのがあのブラック企業の社長である。
本当に誰でも良かったんだ、ゲーム感覚ですぱっとあの女みたく殺そうかと思った。
そしてそれが成功すれば今度の金曜日に、学校に行き、あの女を殺してみようと考えた。
あの女さえ殺せば全てが終わるかもしれない。
だが無理だった。いざ包丁を手に持ってみるとできないんだ、人を殺す事が。
何故人が人を殺さなくちゃならないのか、はっきり言って俺にはそれが理解不能だ。
そして俺は逮捕されてここにいる。いざこの場に座ると激しい緊張や汗やらが止まらずにさっきからじわじわと沸いてきて、自分が何をやったのかを自覚し始める。
勿論覚悟はしていた、いくら家族や世間から何を言われても仕方がない事を覚悟したのだ。
そりゃあ一日じゃまだ何も言われないかもしれない、だが俺はその一日ですら耐えられない立場なのだ、父さんや母さん、明日香の今まで見た事の無いようなこの蔑むような眼に。
今までにこの人達は俺に向けてそんな目をした事はなかったはずだ、家族、いや同じ生き物じゃないものを見るような眼である。
理解不能な行為をした俺に皆困惑を隠せないでいる、そんな感じだった。
人一人を殺そうとした人間が目の前にいるのだ、どんな心境で、何故そんな事をしたのか。もし俺が逆の立場なら理解できるだろうか。
常人なら何一つ分かるはずがないはずだ、同じ人間と思われなくて当然かもしれない。
俺は犯行にいたるまで彼女と出来るだけ同じ方法で、苦しめてから殺そうとした。
殺しはしなかったが、やってる事はそれ程違いはない。
だが、ここまでやって…ここまでやっても…。
『俺は彼女について何一つ理解する事ができないでいた』
時刻は二十三時五十九分、十日間は勾留との事で代用刑事施設の一室に入れられている。時間が二十四時になればまた金曜日が来る。
時計だけ見ていたいとお願いし、一秒単位で進んでいく時計をあれからずっと眺めていた。
もし万が一、明日が来たとしよう、つまるところの土曜日にある。
当然だが覚悟はできている、ここまで大きな事件を起こしたのだ、もし金曜日が来なかったとしても俺は一生この罪を抱えて生きていくだろう。
勿論明日が来て欲しいという感情も、その反面で来ないで欲しいという感情、そのどっちもがあった。来たら来たで俺はこれからどう生きていけばいいのだろうか。
当然家族に迷惑をかけ続けることになるし、まともな職にだってつけるかが分からない。
だが今まであった事を思い出してみる。
あの女は…桜田は…赤井を無残に殺したのだ、なのに今は殺していない事になっている。
普通に学校に通い、むしろ俺よりも良い暮らしをしているのだ、あいつが殺した人間などの記憶は全て消えているのだ。
罪を抱えるどころか記憶の片隅にすらそれが置かれていない。
何故俺はこんなにも苦しんでいるのにあいつは苦しんでいない…?
時刻はまもなく土曜日に差し迫ろうとしていた、五十六…五十七…五十八…五十九…。
俺はこの時思った、戻れ、俺にチャンスをもう一度、と。
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