第6話 「迫られる選択肢、海辺で働く少女白星青生との出会い」

「ひゃあ、うまいね!本当に初心者なの?」

「うっす」


あれから何日が経っただろう。

いや厳密にいうと一日も経ってはいないのだが。一日、一日が過ぎるたびに昨日までの出来事が記憶から消え、その記憶も釣りをしてから今まで何をしていたのかが全て脳裏に思い浮かぶ。俺はずっと釣りをしていたんだ、二ヶ月、いや恐らく三ヶ月くらいだろうか。正確にはわからないのでひょっとしたらもっと長いのかもしれない。


「はあ、よっと、それじゃあちょっくらご飯行ってくるんで」

「おう、いってらっしゃい。ご飯食べ終わったらまた戻っておいでよ」


コンクリートの上腰を上げ、借り物の竿と魚が入ったクーラーボックスを背負うと、その場から離れる。さっきから喋っているこのおじさんは今日引っ越してきたばかりの村上さんである。趣味は釣りで、家族構成は子供三人に妻とで五人、金曜日になると仕事が休みでよくここに来るらしい。まあ一応初対面で会ったと向こうは思っているのだろうが、こっちは毎度毎度釣りに来るたびに会っている訳だ。同じ質問をするのもつまらないので、質問を変えていくたびにこの人の情報に関してはかなり詳しくなっていた。あまり役に立ちそうじゃないが…。


今から竿を持って行く先は、砂浜から離れたコンクリート上にある木でできた小さな飲食ができるお店である。まあ毎日毎日来ている訳だが、ここの料理の味に関しては何も覚えておらず、覚えている事といえばいつも生しらすごはんを食べている事くらいだ。

何故だかそれはうまい、という記憶だけ残っているのだ。


「いらっしゃいませ!お一人様でしょうか?」

「あ、はい、生しらすごはん一つ下さい」


笑顔が素敵な店員さんが駆け寄ってきた。

窓から見える海と同じ藍色の髪と眼、それを見ると海産物を食べるのにもどこか新鮮さを味わうことが出来るように海とマッチングした店員さんだった。このお姉さんの名前は白星青生、何度か会っているうちに名前を聞くことが出来た。

彼女は俺の事なんて知りもしないだろうけど。

ごはんの上に大量の生しらすが乗ったお椀がテーブルに置かれる。一口食べると昨日まで食べていたこの味の記憶が蘇えった、いつもの味だ。

せっかく自分で釣った魚の味もこの飯を食べない事には始まらない、事実上一日も経っていないこの世界では飽きるいう概念はなかった。


「魚釣ることできましたか?」

「ええ、おかげさまで」


おかげさま、というのは自分が持っていた竿はこの場所で借りたものだったからだ。くすくすとお姉さんが笑う、椅子に座るといつもここから会話が始まるのだ。


「お姉さんってもしかして大学生?平日のこんな時間帯から働いてるし」

「いえ、私は高校生ですよ、今日はテストで早いんです」


毎回毎回こうやって質問を変えているため、彼女が何をしている人なのか少しずつ知る事ができるのだ。大抵会話は質問責めになる事が多い、それは何回この人と話したとしても口下手なのは相変わらずだからであろう。


「お客様はひょっとすると大学生なんですか?」

「いや、実は俺も高校生でして、まあ本当は今日学校あるんですけど…」

「へえ、てことはずる休みって感じですか?」

「まあそんなとこです…」


もう一度彼女はくすくすと笑い始める。

笑い方はなんていうか色っぽい、ここに何回か通う間にこのお姉さんの笑顔の虜になっている自分がいた。顔も相当の美人だし見ていて気持ちが良い。


「フフフ…ほどほどにしないとね、あなた学校はこの辺なのかしら?」

「あ、はい!白木月見野高校ってどこでして」

「え、本当?私も白木月見野よ!もしかしてあなた一年生かしら?」

「二年生です、最近転入学したばかりでして」

「へーそっかー、ついでに私は三年生よ。学校変えたばかりなら尚更休むべきじゃないわね、何か休む理由でもあるのかしら?私でよければ聞くわ」


理由はあるにはある、だがそれは普通の生活をしている彼女にとってはあまりにも馬鹿げた理由になるだろう。彼女に打ち明けようかどうか悩んだが、もう一年と数ヶ月ちょっと話した仲なのだ。

まあ向こうはそんな事知りもしないだろうけど、どうせ変に思われても次に会う彼女は俺の事を知らない別の人間だ。そう思うと気がとても楽である。とりあえず勇気を振り絞って質問をしてみる。


「あのですね、もしですよ、もし希望がある場所に絶望も同時に存在するなら、白星さんは立ち向かいますか?それとも逃げますか?」


質問を質問で返すという逃げの一手で彼女に問いかけてみる、しかも凄い曖昧な表現でだ。いくら非現実的な事が起こったからといって彼女に本当の事を言う訳にはいかない、いや言いたくないというのが本音である。

彼女は俯いたままゆっくりと考える動作をしている。答えが出たのか手のひらにもう一方の手のひらをぽんと置き、視線を正面に合わせる。

「うーん、立ち向かうんじゃないかな! 私なら、だって逃げたって何も解決しないでしょ」


ああ、確かに彼女の言う事は正しい、でも状況も状況なのだ、質問をしといてなんだが、その立ち向かわない先には経験者にしか分からないほど、とんでもない恐怖が待ち受けているのである、青生さんはそれを知らないからそんな簡単に言えるんだ。

立ち向かった先には待っていた、またナイフで刺されるというあの結末が…。


「ふふふ、別に私は逃げるのは悪いって言ってないわ、でも逃げるという事は最善が尽くされたのか、考えぬいて、考えぬいて、それでもだめだった時の最終手段だと思うの。だから私は最善が尽くされるまではちゃんと立ち向かうかな」


最善か…その言葉が脳裏によぎる。

よくよく考えれば、俺は本当に最善を尽くしたのだろうか。いや考えずとも最善なんてものは尽くされていないのは分かる。そもそもを言えば何一つ物事を考えずに解決しようとしていなかった。そして唯一考え抜いた手段、それは逃げるという事だ。

だがそんな事勿論自分でも分かっている、とにかくやる勇気が起きない、怖いのだ。あの女が、化け物にも悪魔にも見えるあの女が本当に怖いのだ。


「うーん、まあ、どう挑んでも駄目になっちゃった時は生徒会室まで来なさい、お姉さん一応生徒会長やってるからね、ボウヤ」

「せ…生徒会長?」


驚愕の事実を突如述べられ、俺はぽかーんと口を開ける事しか出来なかった。

なんせ三ヶ月間も話していたのにも関わらず、彼女が生徒会長だという事は今初めて知ることができたのだ。この三ヶ月の間、何でこんな大事な事を聞かなかったのだろうか。机の上に置いてある生しらすごはんを全て食べ終え、竿を白星さんに返し、家に帰る事を決意する。彼女はドアを出るまで手を振りながら終始笑顔で見送ってくれた。


それにしても一学年下なだけなのにボウヤってな…。


白星青生、初対面なのに彼女はいつもいつも適応能力というものが早い。

生徒会長なんかやってるし、俺なんかよりも頭の回転が何倍も早いのかもしれない。白木月見野学校、そこには悪魔が一体潜んでいても、二人の天使がいる学校だ。赤井凛と白星青生、彼女達とだけ関わればいいだけの話だ。

赤井凛、彼女は一番初めの金曜日に真っ先に俺に話しかけてくれた生徒である。そして白星青生、彼女は何かあってもいつも俺の相談に乗ってくれた。

この場所は、この狂った世界での唯一の心を癒す憩いの場といってもいい場所だろう。学校に行けば会えるのだ、彼女達があの学校に通っていると思うと、正直な所少し行ってみたいという気持ちもある。俺は多少だが心が揺れ始めていた、時刻はまだ十時か…。



そこは扉前、このドアを見るのもおよそ三ヶ月ぶりである。

俺はちゃっかり白シャツの上にグレーのブレザーを着て、その下には黒のズボンを履いていた。ここは白木月見野高校、前回と同じ状況にあるというだけの話なのに何故こんな躊躇っているのか、自分でも分からない。

だが、あの俺を殺した女と同じ教室、あいつの後ろの席でおよそ一年を乗りきらないとと思うと、緊張と恐怖、その二つが同時に襲ってくる。それにさっきから動悸が激しい、心臓の音、バクバクとした音はいくら待っても止まる様子がなかった。

しかし乗り切るしかないんだ、何としても。このドアを開ければ最後、自己紹介して俺は普通の日常を歩む事になるのだ。今思えばあの時、赤井凛だけじゃなく、桜田にまで声をかけてしまったのが失敗だったのだ。

単純な話、桜田は俺に対して何一つ声をかける事が無かった、それをあんな馬鹿みたいに話しかけてしまったのだ、俺が。もし俺と彼女の間で何も話していないにも関わらず、理科室に呼ばれたのだとしたら、行く理由が全く無い、筋が通っていないのだ。

そっと扉に触れる、そして勢いよくドアを開けた。教室内はドアの開く音が響き、教師を含めた全員がこっちに注目をする。


「あら、もしかしてあなたが新入生の沢良木くん?さっきお母さんから連絡がきてたわよ」

一言一句同じ…、この人の台詞はあの時と全く同じである…まるでゲームのようだ。


「そ、そうです。わ、私が沢良木です」


教室からは「えーなになにー」「変なー?変なー?」と聞こえた。

咄嗟に出た言葉が○村けんに似ていたからだろうか、そもそもそのツッコミの方が昭和っぽかったので、そっちを逆にツッコミんでやりたかったが。


「沢良木君ね、了解。せっかくだし、この時間を使っちゃって自己紹介してもらおうかな」


ついに来た、俺が教室に入るのに躊躇ってしまったのがこの先生による急な無茶振りである。だがしかし、俺はここに来る前に自己紹介の練習は何度もやってきている状態だ、準備は万全である。どう考えてももう一回目のように失敗する訳がない。

嚙まないようにリラックスするため、一呼吸つき教卓から見える全生徒を見回す。


「えっと」


その一言が出ると共にある事を咄嗟に思い出した、赤井との出会いは確かここだったんじゃないか。いや、正直そんな事とっくの前に頭には思い浮かんでいたが、正直知った上で軽く受け流していた。彼女は俺の紹介があまりにも下手なので変な空気にならないように助け舟を出したのだ、しかしもしこの自己紹介がうまくいってしまえば赤井と俺は出会わなかった事になるんじゃ…。


「沢良木です…沢良木雄輝。趣味は一日中アニメとか見たり、ネットとかしたり…」

しまっ…一回目より酷くなってるし!周りの反応はかなり冷え切ったような雰囲気を出していた。もしかして引いているのか?見下してるのか?何だその眼は、何を考えているんだお前達は…。


「あ、えとこれで終わりなんですけど。別に口笛とか聞きたくないですもんね?」

「え、ええ結構よ、どうもありがとう」


相変わらずの冷たい態度だったが、これはこれで成功である。

赤井が助け舟を出したのは俺の自己紹介があまりにも下手だったためなのだ。そのため一応演技上,落ち込んだ振りをし、下を向いていた。

少しの仕草や行動の違いでもしかしたら運命が変わるかもしれないからな。こう考えると同じ展開に持っていくのは意識すればする程かなり難しい。

下を向く中教室がざわざわと騒々しくなる、すると教室の中央部分に座っていた一人の女子生徒が席を立つ。


「あ、あ、よろしくね!沢良木くんだっけ?そっちの席空いてるからきっとあなた用だと思うよ」


き…きたあああああああ!これで一年の間ボッチは回避する事ができる、まあ確かに桜田との接触率は増える可能性は高いが赤井とだけ仲良くしとけば問題はないはずだ。


「あ、ああ、ああどうも」


そして、謎の拍手、今の所全てが順調だ。周囲からよろしく、よろしく、との声も聞こえてくる。俺もよろしく!っと返したいがうまく言葉に出ない。

彼女の見た目は当たり前だが前と変わらず、紅色の鋭い瞳に短髪の髪、周囲を見渡してもやはりそんなカラーをした髪の女の子はほとんどいない。


「彼女の言った通りあなたの席は窓側の一番奥よ、それと私は今日からあなたの担任だから。南先生って呼んでね、これからもよろしく」

「はい、どうも」


キーンコーンカーンコーンというチャイムと共に授業は終わった。

赤井がこっちに駆け寄ってくる。俺はできるだけ平常を装わなければならない。


「沢良木くん、もうお昼だよ!」


弁当を持って俺を呼んだのは紅髪が目立った赤井だった。

「弁当も出さずにじーっとしてるなんて、もしかして沢良木くんもダイエット中とか?男の子がダイエットなんてよくないぞ~」

「ま、まあな」


あれ、ここ何て答えたっけ?うまく台詞が思い浮かばない。意識しすぎたあまり、多分あの時と間違った言葉を言った気がした。


「ははは、沢良木くん痩せてるのにダイエットなんて~本気でへこみそう…」


本気でへこんでそうにしながら赤井は肩を落としていた。

別に赤井も太ってはいないと思うけど、妹といい女子はこういう行為に敏感なのだ、はっきり言って面倒臭いのでこの件については何も口出しはしなかったが。


「そ、そうか?ていうかさっきはありがと…」

「ありがとう?あ!そういえば今から結奈とご飯食べるんだけど良かったらあなたもどう?あ、結奈っていうのはあなたの前の席の…」

ここだ…ここが分岐点だ。俺は急いでバッグから財布を取り出し、「いや、今日は食堂で食べるから!」と赤井凛に言い残し逃げるように教室を出る。

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