2006 冬②
そして、終業式前日までずっと美術室に通い絵を仕上げていた。井沼先生も、私の様子を見ながら自分の作品を仕上げていた。
私が『出来たー』と大きく伸びをしたのと同じタイミングで先生も筆をおいた。
「お疲れ」
「……センセイも」
この数日の間で、井沼先生は私にとってすっかり身近な存在になってしまった。
センセイは苦笑を浮かべながら、『ご褒美やるよ』と美術準備室に足を向ける。
ご褒美だって、何だろうと楽しみに待っていると……香ばしい香りが美術室中に広がっていく。
センセイは、マグカップふたつ持って美術室に戻ってきた。
「えー、ご褒美ってもしかしてコーヒー?」
「何だよ、文句あるか」
「コーヒー、私苦手なんだけどー」
「この旨さがわからないとか、お前もまだお子様なんだな」
マグカップを近くの机に置いたセンセイは、私の髪をぐしゃぐしゃに混ぜ返した。そのあたたかい手が離れた時、頭の上にびゅっと寂しく冷たい風が吹いた。
「コーヒーなんて、ただ苦いだけじゃん」
「砂糖とミルク、あるけど使うか?」
「もちろん」
私はセンセイからミルクと砂糖を奪い取り、真っ黒なコーヒーに足していった。ミルクは小さな渦を作り……ゆっくりと黒に混じっていった。
少しだけ口に含む、ミルクと砂糖の甘さを押しのけてコーヒーの苦みが舌の上で広がっていった。
「そういえばさ、センセイの個展っていつなの?」
私が聞くと、センセイは少しだけ渋りながら答えた。
「春休み中」
「なんだ、まだ先なんだ」
「ああ」
「それ、私も見に行っていいの?」
「お前に俺の芸術わかるのかよ」
「いいじゃん、私も先生の絵見たい」
センセイは軽く息を吐いて、小さく『いいよ』と呟いた。
「今ギャラリーの住所書くから、待ってろ」
「ホントに!」
「ああ……これで最後の個展かも知れないしな」
この時、私はこのセンセイの言葉の、本当の意味に気づいていなかった。
「んじゃ、私もう帰るね」
苦いだけでおいしくないコーヒーを飲み干して、私は席を立った。
「明日までに提出しなきゃいけない課題あってさ」
「お前、またサボったんだろ」
「バレた?」
「……科目は?」
「エーゴ」
センセイも、マグカップを一気に煽る。そして、私の目を見た。センセイの黒い瞳の中に、私の姿だけが映る。
「みてやろうか、その課題」
「え? センセイって英語できんの?」
「所詮高校生の英語だろ?」
「イヤミな言い方」
私は言い返しながらも、英語の教科書と提出用のノートを取り出す。センセイは机に乗っていたパレットや絵の具を押しのけてスペースを作った。
「よろしくお願いします、は?」
「……よろぴこ」
ふざけて笑う私の頭を、センセイは軽く小突いた。
センセイも、笑っていた。
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