4 背後霊と化す女騎士がかわいすぎる件


 鼻水やらなにやらで顔をべちゃべちゃにしていたカナメさんを何とか落ち着けてから、僕は彼女を連れて医務室へと向かいました。


 診察の結果は『身体に特に異常なし』。


 つまり、毒をどこかでもらったりとか、食中毒を起こしたりとかではなく、精神的な不安によるものだろうとのことでした。


「お騒がせしました」


「……しました」

 

 そう言って、城常駐の医師の方に二人で頭を下げ、医務室を出ました。


「……とりあえず、人のいないところに行きましょう。話はそこでお聞きしますから」


「ぐすん……はい」


 部屋を出るなり城の騎士たちの注目が、僕たち二人に注がれました。


 新しく配属になったカナメさんはともかく、僕は城の中でもそれなりに知られた顔になってしまっています。


 カレンさん、つまり『鬼の女騎士隊長』と交際している命知らずとして。


 隣にいる女性がカレンさんだったら『ああ、そろそろかな?(おめでた的な意味で)』ぐらいで済むかもしれませんが、今僕の隣にいるのは、涙で顔を腫らした別の女性(しかも美人)ですから、またぞろ変な噂が立ってもたまりません。


 というわけで、カナメさんの腕引いて、僕はいったん建物から出て、敷地内の裏庭へと出ました。


 色とりどりの花が咲き誇る花壇、そして、そこから香る花の蜜の甘い匂いに誘われた蝶や、ミツバチが、僕たちを出迎えてくれました。


「くん、いい香り……こんなところが、城の中にあるなんて」


「普段は姫様しか入っちゃダメなところなんですけどね」


 あ、ちなみにエルルカ様からは『ハル様もお好きなときにカレンと使ってください』と特別に許可をもらっているので問題はありません。周りを白い柵に囲まれている箱庭みたいな場所ですが、その柵にも、盗み見や盗聴を防ぐための術式や、侵入自体を拒むための魔法がわんさかと刻まれています。


 そのため、カレンさんと突発的に職場内でイチャコラしたいときに利用させていただいていたわけですが……それが、上司とはいえ、初対面の女性を連れ込むことになろうとは。


 こそこそ話ができるところをここしか知らないとはいえ、カレンさんにこんなところ見られたら、お仕置きどころじゃすまなくなるかも。


 やきもち焼きだからなあ、カレンさん。まあ、そういうところも大好きなんですけど。


「ごめんなさい、その……恥ずかしい姿を見せてしまって」


「いえ、慣れてますから。ところで、どうして今まで無愛想な振りをしてたんですか? 無理せず、自然体にしていればいいのに」


「だってその……こうでもしないと王都の奴らに舐められるじゃないですか? なので一週間ぐらい前からずっと訓練を」


「なんですか、その田舎者の不良みたいな思考は」


 とはいえ、気持ちはわからないわけでもありません。急とはいえ、今回の抜擢は異例であることに間違いないわけですから。僕も平静は保っていますが、新しい環境でやっていけるかどうかの不安はあります。


「わ、私だって、本当は隊長なんてやりたくなかったんです。でも、元所属の上司、キャリアだけは一丁前に長い私を勝手に推薦しちゃって……」


「部下を出世させることが出来れば、いい人材を輩出したってことで、その人も評価されますからね。でも、よくそれで隊長試験に合格しましたね」


「座学も、実戦も、全部私の得意な分野が出たんですよ。あらかじめヤマ張ってたところがばっちり出て。私も『どうせ落ちるだろ』って思って気楽にやってたから、思いのほか手応えがあって。他の人たちは芳しくなかったみたいで、暗い顔してたし」


「……すごい幸運、というか巡り合わせですね」


 対策を怠っていなくても、そんなことが往々にして起こるのが試験です。他の候補たちが軒並み力を発揮できないなか、その中で唯一はまれば、他の受験者たちから抜きん出ることも決して不可能ではないでしょう。


 運も実力のうち、とはよく言ったものですが。


「……私、やっぱり辞める」


「ええっ!? ちょ、ちょっと、まだ赴任初日で仕事もこれからなのに」


「もう無理ですよお……なんですか、近衛騎士団ここの人たちは。一目見ただけでもう化物じゃないですか。しかもなんですか、あのカレンって分隊長の人は。あの人、本当に私とおなじ存在なんですか。なんか常に青い炎みたいな闘気オーラ纏ってるし怖いし。私を目の敵にするしガンくれてくるしぃ……」


 それについては本当に申し訳ないとしか言えません。僕がそばからいなくなると、カレンさんはあんな風になってしまうのです。そういう体質なのです。


「……でも、」


「? ハルくん?」


「! ああいえ、なんでも。とにかく、先ほどのことは僕のほうからカレン隊長に言っておきますから、今の話はいったんなかったことにしましょう? 僕もできるだけサポートしますから」


「い、嫌です! 流れ星が頭に直撃して死ぬぐらいの天文学的確率で隊長になっただけの私なんか、ただの足手まといにしかならない。こんな情けない、皆の前で挨拶するだけでも緊張でえずく私が隊長だなんて、副隊長のあなたにも恥をかかせて――」


「そんなことありません!」


 そう言って、僕は両手でカナメさんの白い頬を挟み込みました。ぱちん、という空気の弾けるような音が、二人きりの裏庭に響きます。


「運だろうがなんだろうが、第二分隊の隊長は、カナメさん、あなたです。実力とか経歴なんか関係ありません」


「もが……ハルくん、その、できれば手を放して」


「嫌です。カナメさんが分かってくれるまで、僕はずっとこのままほっぺをぐにぐにし続けます」


「そ、そんな……」


 抵抗しようと身をよじるカナメさんを、僕は力ずくでカナメさんの柔らかい頬をつねり続けました。もちろん、赤く腫れたりしないよう手加減はしています。


「ところでカナメさん」


「はい」


「今の僕、怖いですか?」


 にっこりと笑って、僕は言いました。相変わらずほっぺはぐにぐにしていますが、もう力は入れていません。抵抗すれば、いつでも拘束から抜け出せます。


「えっと……怖いです。それこそ、あのカレンって人並みに」


「ひどい」


 ただ、それだけわかっているのなら、やはり実力としては十分なのだと思います。多分、その上で姫様も任命したはずですから。


「じゃあやっぱりカナメさんは隊長を続けるしかないですね。もし逃げても、僕が責任をもって地の果てまで追いかけていきますから」


「ひ、ひぃ……!」


「どうですか? 観念して隊長をやりますか? それともここから逃げて僕に連れ戻されて隊長をやりますか?」


「結局やらされるっ……なにこの鬼の副隊長……」


 そう呼ばれるのはむしろ光栄です。


 なんたって、僕は『鬼の騎士隊長』の婚約者なのですから。


「うう……わかりました。やらせていただきます。でも、約束どおりちゃんと私のこと、サポートしてくださいよ?」


「お任せを。隊長のサポートをするのが、副隊長の務めですから。大丈夫です、もし隊長のことを侮るようなヤツがいたら、ちょっと裏に呼び出してシメておきますから」


「うん、気持ちは嬉しいけどそれはやめてね?」


 ふむ、少しずつですが、カナメさんも隊長としての自覚というか、やる気が出てきたような気がします。あと、僕のほうも。


「さ、行きましょう?」


「う、うん……」


 そうして、カナメさんは僕の手をとって立ち上がりました。まだ瞳には不安の色が浮かんでいますが、徐々に慣れさせればいいだけの話です。


 副隊長としての仕事と、隊長のサポート。これから頑張ろうと、心のなかで僕が独り言ちたところで、


「――ほお? ほお? ちょっと見ないうちに随分と仲を深めていらっしゃるじゃないか、こんなところで手なんかつないじゃってまあ……」


「げ、カレンさ……じゃない隊長……!」


 最も見られてはいけない場面を、鬼嫁(予定)に目撃されてしまいました。


「あの……ちなみに、どこらへんから?」


「『お騒がせしました』からだ」


「最初からかあ」


 カナメさんに気をとられていたのもありますが、まさか今の今まで気づかなかったとは。カレンさんは僕の背後霊かなにか?


「あ、でも、それなら今までのことは説明不要ですよね? だったら……」


「ダメだ。お前は今日の夜から地べたで寝ろ。今後、私の許しが出る前にベッドに入ってきてみろ。その瞬間に、お前の節操のないイチモツを、根元からカットしてやるからな」


「そんなぁ……」


 仕事についてはなんとかなりそうですが、カレンさんとの私生活イチャイチャは、当分お預けのようです。

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