19 彼氏を盗られる女騎士がかわいすぎる件 3


 × × ×


 むかし、むかし。


 それは、子供のころの出会いから始まる恋の物語だった。


 〇


 女の子が、黒く煤けてボロボロに朽ちた小さな家で、一人泣いている。


 戦争だった。


 彼女がこの世に生まれた時点で、すでに、彼女の住んでいた東の大陸は戦火の真っ只中だった。ちゃんとした理由は、まだまだ子供だった彼女にはわかるはずもない。


 彼女が住んでいた村は、とある小高い山の麓にあった。春になれば桃色の花びらが山一面を覆い尽くし、また、夏になれば、色々な種類の虫や鳥たちが日差しの中、元気に囀りつつ飛び回っていたりと、彼女は頻繁に両親を伴って遊びに行っていた。


 その後ほどなくして、彼女は姉になった。両親が仕事で不在の間、彼女が妹の母親がわりだった。寂しがり屋の妹は泣き虫で、ちょっとでも一人でいると度々大きな声で泣いていた。


 私がしっかりしなきゃ。


 お父さんとお母さんがいない間、私がこの家を守らなきゃいけないんだ。


 本当は、もう少し甘えたかったけど。


 でも、仕方ないよね。


 だって私はお姉ちゃんなんだから。


 そんな思いを胸に秘めて、彼女は日々を過ごしていた。


 日常が突然崩れたのは、それからほんの少し後のことだった。



 ――おじちゃんたち、誰?


 夕方、いつもならこの時間には家にいるはずの両親がいつまでたっても帰ってこない。妹がお腹をすかせて泣くのをなんとか宥めながら、心配して待っていたときのことだった。


 重そうな鉄の鎧を全身に着た男たちが、大挙して彼女の自宅に押し寄せてきたのだ。


 ナントカ、とかいう国の騎士の人らしい。


 この村の奥にある山と、それから山道の入り口にある村は我々のものだ。だからお前たちはここから出て行け、と、そう言ってくる。


 彼女は訳が分からなかった。自分は親の帰りを待っていたのに、いきなりここから出ていけというのだ。


 そもそもこの人たちはいったい何なのだろう。山はみんなのものではないのか、この家は両親と、妹、それに彼女、四人の家族のものではないのか。


 嫌だ。と彼女は言った。当然だ、彼女はこの家の留守を任されている。両親が帰ってくるまで、彼女がこの家と、そして妹を守らなければいけないのだから。


 帰ってください——そう言って、彼女は先頭にいた小柄な男を押し出そうとした。本当は怖くて怖くてしょうがなかったが、それでも、彼女は勇気を振り絞ってお願いした。


 だが、それは、騎士の男が振るった暴力によって、いともたやすく拒絶された。


 小柄な彼女はいとも簡単に吹っ飛んで、テーブルや椅子を巻き込んで派手に壁に叩きつけられた。殴られた頬はまるで火傷したみたいにヒリヒリする。背中を思い切り打ちつけたおかげで、息ができない。


 不意にこみ上げたものを吐き出すと、手についていたのは、彼女の小さな手を真っ赤に染めるのには十分な血だった。


 血を見たことは何回もある。遊んでいる時に不意に転んでひざを擦りむいたとき。母の真似事をしようとして刃物で指に軽い切り傷をこさえてしまったとき。


 怪我自体は痛くともなんともなかった。血はちょっとツバを付けておけば大抵よくなった。


 逆にその後にもらった母の拳骨のほうがよっぽどだと思っていた。


 だが、この時、この痛みは違った。


 痛い、痛い——。


 床に這いつくばって咳き込んでいる彼女の頭を、彼女を殴った男が無理矢理に抑えつける。


 怖い、怖い——。


 なんでこんな目に遭わなければならないのだろう、自分はただお父さんやお母さんや妹と暮らしていただけなのに。


 たまに両親に隠れて悪戯をしていたのがいけなかったのか、はたまた妹があまりにも泣くもんだから、ちょっとカッとして『ポカリ』とやったのが、いけなかったのか。


 ごめんさない、もうしません。いい子でいます。だから、もう許してください。


 お父さんを返して……お母さんを返してください。


 だが、その言葉は当然にも無視され、今度は妹の方に手が伸びていった。


 騎士の男たちがなにやら言っている。


 女なら生かしておけとか、金になるとか、当時の彼女にはよく意味の分からなかった言葉。


 妹が一際大きな声で泣き叫ぶ。必死に姉に助けを求めている。


 助けなきゃ——。


 妹も、この家も。私が守らなきゃいけないんだ。


 ――出て行け。


 妹と私と、お父さんとお母さん以外、みんなみんな、ここから出て行け!!!


 ふと、彼女がそう思った瞬間、胸の奥が不意に熱くなった。


 瞬間、彼女の周りを燃え盛る紅蓮の炎が包んだのである。



 ——そこから後に起こったことは、彼女も良くは覚えていない。ただ、黒く煤けてしまった、変わり果てた部屋の姿を見た時、それが自分の仕業であることだけはわかった。


 それから、しばらくの間、彼女は焼け跡から唯一無傷で生き残った妹とともに、彼女はじっとその場を離れなかった。


 飢えは、たまに家に近づいていた魔獣の肉を食べてやり過ごした。魔獣は危険な存在だったが、彼女が願えば、彼女の裡に灯る炎が、かわりに全てを焼き尽くしてくれた。


 まだ小さかった妹のご飯は、なぜか無人になっていた村の倉庫から食べられそうなものを拝借していた。人様のものを泥棒してはいけないのは知っていたが、しかし、そうでもしなければ、妹を助けることはできなかった。


 そんな二人きりの生活を続けていた時だった。


 彼に、出会ったのは。



 〇



 ――おーい、誰か~? 誰かいるのかぁ~?


 そんな間の抜けた声が、彼女が守る領域テリトリーに紛れ込んできた。


 彼女は少しうんざりしていた。


 ついこの間も、ここの様子を見に来たと称して、自分達の家を奪おうとしてきた輩を消し炭にしたところである。


 炎を操るのにも体力がいる。最近は村の備蓄をほとんど食べ尽くしたせいで、自分はあまり食べていない。


【お? なんだ、いるんじゃん。いるんなら返事しろよな】


 玄関から彼女達を覗き込んでいたのは、まだ自分達とそう歳の変わらない男の子だった。

 

 あの夜から数えて幾つ日を跨いだか覚えていないが、男の子が来たのは、おそらく初めてのはずだ。


 ――出て行け。ここから、出て行け。


 しかし、だからといって話を聞くわけではなかった。最近はこんな子供まで使って私達の居場所を奪おうとしているのだ。


 なら、やることはいつもと変わらない。


 ――あいつを燃やして、私の炎。


 そう胸の裡に命令をすると、指示通り、彼女の炎は紅蓮の渦を巻いて彼をあっという間に飲み込んだ。あれを喰らって塵にならなかったヤツは誰もいない。


 食べ物を持っているかもしれないから、後で荷物を探して頂戴しておこう。


 そう思っていた彼女だったが、


【おおお! なんだこれあっちい! なにそれすげえ、この炎、お前が出したのか?】


 ――え?


 その少年にはまったく効かなかった。それまで数多の魔獣を、人間を屠ってきた彼女の『激情』を、まるで曲芸師の芸を見た子供のような反応で返してきたのである。


【なあ、それどうやったん? オレにも教えてよ。なあなあ頼むよ~この通り、一生のお願い】


『え、あの……ただ出て行け、って念じて……』


 呆気にとらえた彼女は彼の問いに思わず答えてしまった。


 この展開は彼女もさすがに予想できなかった。


【へえ……なんかよくわかんねえけど、出せ、って思えばいいんだな。よし……んじゃあ、出ろっ! 俺の炎!!】


 ものすごくかっこ悪いポーズで少年は手を空高くかざした。


 出るわけがないと思った。そもそも、自分だってなんで出るのかよくわかっていないのに。見様見真似でそう簡単に出来るはずが――


 ボッ——!!


「ふぇ?』


 出た。

 

【おおっ、やったぜ。俺にも出せるじゃん! へへ、さすが俺。、なんでもできるモンだなっ!】


 そういってはしゃぐ彼に手に灯るのは、空のように煌く蒼色の炎だった。


 彼女の炎とは色が違うが、なにもないところから確かに、炎を出していた。


 もしかして魔法使いかとも思ったが、それなら『俺にもできた』なんて言わない。それに、彼は魔法が使えるほど賢そうにも見えなかった。


『ふへへっ』


『チココ……?』


 あの夜以来、泣くことなくずっと静かだった妹が、始めて笑った。


 目の前にいた少年が、球状になった自身の蒼炎を用いて、曲芸師みたいにお手玉を始めたところである。


【おおっ、なんだよオマエ、もっと見たいのか? 欲張りなヤツめ。よし、見てろっ】


 言って、彼はさらに玉の数を増やして器用に操り始めた。手で、頭で、そして足で。


『――ぷっ』


 妹を喜ばせるべく、こちらのほうをちらちらと見る彼の様子がおかしくて、彼女もつい笑ってしまった。


 もう笑い方なんて忘れてしまったと思っていたが、彼女はきちんと笑うことができた。

 

 家族みんなで暮らしていたときの、幸せだったあの時のように。


【なあ、お前、名前は?】


『私? 私は、アスカ』


【そっか、なあ、アスカ。俺と一緒に来ないか? 俺、今一人で色んなところ旅してんだけど、話し相手いなくて寂しくてさ。仲間、探してたんだ】


 朗らかに笑って手を差し出して、彼は言う。


 太陽を背にした彼の姿は眩しくて、彼女は思わず目を細める。


『ねえ、その前に、あなたの名前を教えて』


【俺か? 俺の名前は――】




 × × ×




「――これが、私とお姉ちゃんの、『勇者あのひと』との出会いです」


 一通りの話を終えた後、チココは、ふうと一息ついて、ミライが淹れてくれたくれた紅茶を口に含んだ。


「帝国が出来る前の東大陸は、それはもうひどい内乱状態だったと聞いていたが、まさか、それが始まりだったとはな……」


 全てを打ち明けるというチココとミライに応じて、会議の解散後、私たちはチココの部屋に集まっていた。


 会議は、ハルが女王クイーンのもとへと向かったと同時に、ほどなく解散となった。


 本当は、彼とともにこの話を聞くはずだった。


 しかし、これまでずっと私の隣にいてくれた彼の姿は、今はもうない。


「ここにある都市、実は、彼女達が元居た自宅の敷地内を中心にしてつくられたのよ。両親との約束にこだわってなかなか家からでようとしなかったアスカを連れ出す口実に、彼、つまり勇者が約束したの。『この場所に新しい丈夫ないばしょを作ってあげるから』って」


 実際それを実現してしまうのだから、さすがは帝国の初代国王である。というか、そこまでやられて惚れない女はいないだろう。


 私もそれを聞いて思わず羨んでしまった。私もそんなふうにハルにやってもらえたら、どんなに——。


「……あ、あれ?」


 思わずそんなことを考えてしまった私の瞳からぽろりと一粒の涙こぼれる。


 私を拒絶したハルの行動、あれが彼の本心でないことはわかっている。


 絶対、女王に何かされたのだ、それで、ハルはまた余計な気を遣って、わざと私を遠ざけようとしている。あのバカのことだ、絶対そうに決まっている。


 だけど。


「なんで、なんで涙が止まらないんだ。くそっ、ちょっと年下の彼氏に拒絶されたぐらいでこんなっ……」


「カレン隊長……」


 溢れては止まらない涙を必死に拭う私の姿に、チココも、ミライも、それに普段は私のことをライバル視しているナツですら、私に憐憫の視線を向けている。


 それが、情けなさにさらに拍車をかけた。


「とにかく、今は様子を見るしかないわね。女王はあの子のことを【勇者ブレイバー】の生まれ変わりだとは言うし、確かに面影も似てると言えば、そうかもしれないけど……」


「そうだね。私も、ハル先生のことをそうと信じるにはまだちょっと材料が足りない気がする」


「……チココ、それにミライ。お前たちは今まで帝国ここで何をやっていたんだ? 王の生まれ変わりがどうとか、検体番号シリアルとか……全て話してもらうぞ、お前たちが加担していたことの全てを」


 なんとか涙をこらえて持ち直した私は、話の核心に触れる。


 ハルがこの世に生まれた理由も、結局はそこに行きつくのだ。


 一度拒絶された位で、私がハルをあきらめるわけがない。


 私が彼に打ち明けた想いは、一点の曇りもない私の本心だ。


 アイツがどんな人間でも、私はすべてを受けて入れる準備が整っている。


「そうですね。じゃあ、あともう少しだけ昔話を——」


 と、チココが再び口を開きかけたところで、


「――僕だけ差し置いて、内緒話ですか? ひどいなあ」


「「っ――!?」」


「ハル……!」


 今までいなかったはずのハルが、ふと私たちの話の輪の中に、音もなく侵入を果たしていた。

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