10 先生を必死に繋ぎ止める女騎士がかわいすぎる件


「カレンさん、僕の後ろに下がって——!」


 帝国——。


 ライトナさんのその言葉を聞いて、僕はすぐさま剣を抜きました。


 帝国が共和国で引き起こしたあの一件から、僕はいつ何時でも対応できるよう、自らの剣を肌身離さず持ち歩いていたのです。


 自らを帝国の近衛騎士団であると名乗るライトナさん——あの一件でをするために乗り込んできた可能性もあります。


「おっと、待てよハル君。今回私はドンパチやり合うつもりで王都に来たわけではないんだから物騒なマネはよせよ。それに——」


 言いながら、ライトナさんは不敵な笑みを浮かべて僕の手を指差した。


「そのまま剣を握ったら、君の指、全部オシャカになってしまうよ?」


「え——」


 ぴり、とわずかに痛みが走った手にふと目をやると、自らの愛剣の刃に、鮮血が滴っていました。


 そうです——柄をきちんと握っていたはずの僕の手が、いつの間にかのです。


 幻惑系の魔法でしょうか――しかし、今もなんらか魔法が発動している様子は微塵もありません。


「うぐっ——このっ!」


「剣が握るのがダメなら、つぎは素手で私の身柄を取り押さえる——その選択もまた愚かだよ」


 ライトナさんの首元を握ろうとしたその瞬間、パン、という手を叩いたような乾いた音が響くと、ライトナさんだったはずの女性の姿が、いつの間にかマドレーヌさんの姿を形を変えていたのです。


「迂闊に行動してはダメよハル……一旦、落ち、つい……げほっ」


「っ、マドレーヌさん……!」


 なぜこのような状況になっているのか見当はつきませんが、敵の術中にはまっている以上、今は相手の出方を伺うしかないようです。


「なぜこんなことになっているかわからない、って顔をしているね。それもそうだろう。事実私は、先程自らの正体を明かしてから今この時まで、何の魔法も使ってはいないからね——ま、あくまで魔法だけなんだけど」


 そうして、彼女は白衣のポケットから、蓋の空いている小瓶を取り出しました。


 中には、極細かい白い粒子となった薬品のようなものが入っています。


「――帝国で栽培している植物を元に精製をした特殊な粉薬だ。一時的にだが、嗅いだ者を一種のトリップ状態にさせる代物でね。脳の認識を阻害させるんだ。しかもこれは魔法薬ではないから、精製法さえ分かれば誰にだって作れる」


 通常、回復薬やその他の類は、魔法の心得や素質のある人物にしか作ることができません。仮に作れることがあったとしても、それは王都では正規品扱いにはせず、販売や実際の服用その他いかなる用途での使用が禁止されています。


「やっぱり、王都ここは相変わらず、か。エルルカに首がすげ替わってどうか、とも思ったが――やはりこの国を出て正解だったようだ」


「ライトナ師匠せんせい――最近、王都にいないと思ったら、まさか帝国に亡命を……?」


「そのまさかだよ、私のかわいい弟子マドレーヌ。私は自らの知識欲をより満足させてくれる場所へ活動の場を移した——あちらはいいぞ、マドレーヌ。基本的にどんなことをやっても王都のように咎められることはなく、むしろ推奨される。この薬しかり、合成獣キメラの作成しかり。死霊術の禁術だってそうだ——それもすべて、純粋に『国が強くなる』ためという絶対的なお題目のために」


「――じゃあ、そのために……実験するために、あなたは先生を——私のクラス担任を帝国なんかに連れて行こうというんですか?」


 僕の背中越しにそう言ったのはカレンさんでした。ライトナさんが散布した薬品を吸い込まないよう、口を布で覆いながら僕の後ろにぴったりとくっついていました。


「その答えは半分正解、半分違うって感じかな、カレンちゃん。確かにハル君の並々ならぬ素質と才能には興味がないわけじゃないが――今の君にはまったく関係のない話だ」


 興味のない視線でカレンさんを一瞥すると、マドレーヌさんはよれよれの白衣を翻し、僕達へ背中を向けました。


「とにかく私の条件は提示したよ。しばらくはこの国に滞在する予定だから、よく相談をしてから決めてくれれば——いい返事を期待している」


 滞在先の宿屋と思しき地図の走り書きを僕のほうへ寄越したライトナさんは、呆然と見つめる僕達をよそに軽い足取りで校舎の向こうへと消えていきました。


「……ごめんなさい、ハル。まさか師匠が帝国の人間になっていたなんて」


「今はその話はナシですよ、マドレーヌさん。今はとにかく隊の皆と、それからエルルカ様に報告を」


 頷いたマドレーヌさんは一足先に城へと戻った騎士団の皆を連れ戻すべく小走りでその場を後にしました。


 僕自身もこの後、授業はまだ残っていますが――自習ということにするしかないでしょう。


「あの……先生、これを」

 

 袖をくいくい引っ張れているのに気付いて振り向くと、カレンさんが不安げに瞳を揺らしていました。見ると、出血している僕の手の傷をずっと手布ハンカチで押さえてくれています。


「この傷くらいなら、僕の回復魔法ヒール一発で治るよ。だから、そんなに心配そうな顔しないで」


「いえ、そうじゃないんです。私が言いたいのは……」


 一呼吸置き、カレンさんは続けました。


「先生……その、帝国あっちに行っちゃたりしないですよね……? まだ私の……いえ、このクラスの先生でいてくれますよね?」


 カレンさんの僕の手を握る力が、さらに強くなりました。


 ずっと僕のそばにいたカレンさんは先ほどのまでのやり取りを全て聞いていますから、もしかしたら、『自分のせいで先生が望まない場所に行ってしまうかも』――と不安に思っているのでしょう。


「なんだ、そんなこと。当たり前じゃないですか。まだまだ騎士として全然なカレンさんを置いて王都を出るなんて、そんなことあり得ないですよ。ですから、安心してください」


 できるだけ彼女を不安にさせないよう、小さくなったカレンさんの頭を優しく撫でながら答えました。


 カレンさんのために生きているといっても過言ではない今現在の僕の人生――なので、十四歳だろうが二十九歳だろうが、カレンさんがいない生活なんて考えたくもありません。


「カレンさん、ハウラにだけでいいから『今日の授業はこれで終わり』と伝えておいて。僕もこれから第四分隊ブラックホークへ行かなきゃだから……それから、今起こったことはクラスの皆には絶対言わないこと……できるよね?」


 カレンさんがしっかりと首を縦に振りました。


 幸い今の騒ぎに気付いた生徒は誰一人いないようです。何度も頼る形で悪い気もしますが、ここはクラスのまとめ役であるハウラに任せておきましょう。姉同様、もしくはそれ以上に能力の高そうな子ですから、問題ありません。


 —―もちろん、カレンさんの今後の面倒についても。


「それじゃあカレンさん……また明日」


「はい、先生——約束……ですからね」


 カレンさんと別れの挨拶を交わしてから急いでマドレーヌさんの後を追った僕でしたが、その背中には、いつまでもいつまでも僕のことを心配している彼女の視線がまとわりついていたのでした。


 × × ×


 もう何度目になるかわからない緊急会議を開いた、その日の夜。


 僕は、自室の整理を終えた部屋で、何通かの手紙をしたためていました。


 これから僕がやろうとしていることについての詫びをブラックホークのメンバー全員と、ガーレス総隊長、そしてエルルカ様へ。


 そして、もう一つは近衛騎士団を辞める旨を記した『退職願』でした。


 これを書くのは二度目ですが、その意味は前回のものとは大きく違っていました。


「皆、本当にごめんなさい。僕が騎士になったばっかりに、迷惑ばかりかけて……」


 この後、この場所で起こり得ることを想像した僕は、一人、皆への謝罪を呟いていました。


 ですが、もう決めたことです。先方にも——そのことを伝えてしまっていますし、心情的に後戻りはできません。


 ――コンコン。


 と、ここで自室の部屋が静かにノックされました。


 時間は皆が寝静まるほどの深夜ですから、この時間に訪れる人はほとんどいないのですが――。


「はい、どなたですか?」


 しかし、僕がそう呼びかけても、ドア向こうから返事はありません。かわりに返ってきたのは『コンコン』と同じリズムのノックのみ—―。


「! まさか――」


 僕がすぐさまドアを開けると、そこには、予想通りの人が、予想外の格好をして立っていました。


「あの、先生——ちょっとお話いいですか?」


「カレンさん……うん、どうぞ」


 机の上を整理するふりをして手紙辞表その他もろもろを棚の中に隠した僕は、いつぞやの『指導』でプレゼントしていたメイド服に身を包んだカレンさんを招き入れました。


「どうしたの、その格好——もしかして、こんな時間から僕に絵を描いてほしくて来たとか?」


 少しからかうつもりでそう言いましたが、カレンさんはすぐさまそれを否定し、首をぶんぶんと横に振りました。


「じゃあ、どうして?」


「…………」


 カレンさんは中々答えてくれませんでした。ただ俯いて黙ったまま——まるでこのまま時が過ぎていくのをじっと待っているかのように。


「こんな時間に来て——明日も学校なんだから、早く家に戻って寝て……」


「嫌、です……」


 言って、カレンさんはもう一度自分に言い聞かせるように続けました。


「絶対に……嫌」


「もしかして、今日のこと気にしてるの? それは心配いらないよ。カレンさんのことなら僕や他のみんながなんとかして——」


「嘘です。先生、これから帝国あっち側に行くつもりなんでしょう? 私のことを元の姿に戻すために、自分を犠牲にして」


「…………」


 やっぱり、カレンさんには全く敵いません。


 今日の会議では他の皆にはまったく気取られなかったし、事実、その後、誰にも悟られずにライトナさんに返事まで出来ていたというのに——。


 本日夕方に開かれた緊急会議において、『ハルを帝国側に渡すことなど絶対に認められない』という結論で満場一致となりました。


 近衛騎士団にとって替えのきかない戦力ということではなく、単純に国としてのプライドの問題です。国の指示としてそう命令されているかどうか定かではありませんが、帝国騎士団の内、十三人しかいないと言われる近衛騎士団『十三星』のメンバーの要求など、受け入れるはずもありません。


 エルルカ様など、その場で帝国に宣戦布告をしようと珍しく激怒していたほどです。


 ですが、それにも関わらず僕は独断でライトナさんのもとへ行こうとしている。


 それは、やはり全てカレンさんのために他なりませんでした。


「確かにカレンさんの言う通りだ。僕はこれから帝国へ行こうと思っている。でも、それも含めて心配しないで欲しいんだ。僕があっちへ行くのはあくまで一時的なもので、目的が達成出来たら必ず戻ってくるよ」


 部下になれ、とは言われましたが期間の指定は特にありません。であれば、いつまた王都に戻ってきても問題はありません。


 抵抗はされるかもしれませんし、どんな罠が待っているかも不明です。


 しかし、さっきも言った通りこれもすべてはカレンさんのためです。大好きなカレンさんのためなら、僕は何だってやってみせます。


 たとえ、帝国の近衛騎士団をことになったとしても——。


「駄目です。確かに先生は強いから、その約束は守ってくれるかもしれません。でも、もしそれを今許しちゃったら、先生は先生でなくなってしまうかもって、どうしもそう思って——根拠はもちろんありません。だけど、なぜか胸のざわざわが取れてくれなくて……だから、私は、こうして、この場にいるんです」


 そうして、メイド服姿のカレンさんが立ち上がりました。


 必死になって目をつぶり、いまにも気絶しそうなくらい頬を上気させつつも、少しだけ丈の短いスカートの裾を摘み上げました。


「カレンさん、一体何を——」


「……初めて会った時から、不思議な人だなって思ってました。今まで会ったことなんてないはずなのに、どこか一緒にいて安心出来る人だなって。授業ではいつも私だけにやけに厳しいし、容赦ないし、時には『指導』だなんだって言って、今私が着ているようなエッチな服を着せてエッチなことをするように迫って——」


 ゆっくりとたくし上げられていくスカートから、徐々にカレンさんの白い太ももが顕わになってきました。普段ならちょっとまくり上げるだけで気絶するくせに、今この時だけはしっかりと自らの意志で、自らが今出来ることで僕のことを繋ぎとめようとしていました。


「お願いです……先生、どこにも行かないでください。私もっと頑張りますから――朝の鍛錬も今以上に頑張るし、授業だって真面目に受けるし、エッチなことをするのは……ちょっと嫌だけど、それでも先生のためなら私頑張ります。頑張って見せます。だから——」


 そうして、カレンさんの両頬から大粒の涙が伝いました。


「お願いです先生……ずっと私の先生でいてください……!」


「……!」


 その瞬間、僕は衝動的にカレンさんを抱きしめていました。と同時に、自らが過ちを犯していたことに気付きました。


 歳がいくつだろうがカレンさんはカレンさん——そう頭では言い聞かせてはいたけれど、結局心のどこかで前の——二十九歳のカレンさんを求めていたのではないか、と。


 強くて、頼れて、僕のことをいつだって甘やかして、僕のことを第一に考えてくれる。そんな居心地のいい場所にいつの間にか執着していたのです。


 だからこそ、命令違反なんていう真似を犯そうとしてまでライトナさんのまだ確実でもない甘言に乗ろうとしていた——。


 でも、それは間違いだったのです。


 僕が今、見なければならないのは、今のカレンさんです。


 まだ騎士として強くなる前で、人の気持ちを察するのが苦手で、でもしっかりと反省することもできて、そして僕のためにどんなことでもやろうとしてくれている十四歳のカレンさんのことを。


 もしかしたら、もう二度と元の姿に戻れないかもしれません。また再び地獄のような鍛錬や任務を重ねなければなりませんし、また、恋愛の方でも、もう一度、お付き合いを申し込むところから始めないといけません。


 すべてを、やり直さなければいけない。


 でも、僕はもう一度、いや何度でもやらなければなりません。


 かつて彼女の親友であるマドレーヌさんに誓った『カレンさんを悲しませるようなことは絶対にしない』――という言葉。その約束はまだ、僕の中にしっかりと残っているのですから。


 僕の胸に顔を埋めて嗚咽を漏らすカレンさんへ、僕はゆっくりと言葉を紡いでいきます。


「ごめんね、カレンさん。さっきまでずっと不安にさせて——僕が間違ってた」


「ぐすっ……本当、ですよもう……生徒をこんな風にするなんて先生は本当にどうしようもない人です」


「でも、嬉しいな。まさかカレンさんが、そこまで僕のことを想ってくれてたなんて——案外、先生やってみるのも悪くないかも」


「なっ……勘違いしないでくださいっ! 私と先生の勝負はまだ続いているんですから、勝ち逃げは許しませんって、ただそれだけですっ! ふん、だ!」


 そういいながらも、僕の胸に頬ずりしたまま離れないカレンさん——そんな素直じゃないところがめっちゃかわいいです。


「ところで先生、そのあのライトナっていう帝国の人のことはどうするんですか? 約束、しちゃったんですよね?」


「うん、そうなんだよねえ——」


 衝動的にカレンさんに『僕はここに残る』と宣言してしまいましたが、その前にライトナさんには『帝国そっちへ行きます』と約束してしまっています。


 ということで、現在はカレンさんとライトナさんへダブルブッキングをしている状態なのです。


 こうなった以上、決意をもってしたためたはずの手紙と退職届は黒歴史として破り捨てることは決定的で、ライトナさんの約束は反故にするのですが――どうやって断ればいいのかしらん。


「あの、先生——私にちょっと考えがあるんですけど……」


 いっそ近衛騎士団全員でもってライトナさんを襲撃してしまうか――と危ないことに思いを巡らせていると、カレンさんが耳打ちをしてきました。


「! え、そんなんで大丈夫かな……」


「やってみる価値はあると思います。あの人、口ではあんな風ですけど、なんだか憎めない感じがして」


 上手く行く可能性はゼロに近いですが、ここはカレンさんの予感に任せてみるとしましょう。


 こうして、僕とカレンさんの『最初』のささやかな作戦が幕を開けたのでした。

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