14 幼女と喧嘩する女騎士がかわいすぎる件
翌日、僕はエナやゼナの協力のもと、すぐさまリーリャのいる部屋へと向かいました。
地下闘技場(普段は訓練所としても使っているそうです)の奥にあるリーリャの小部屋へと続く扉は固く閉ざされていました。普段は煌々と照らされているはずのランプも今は消えていて、物音一つしません。
それこそ、本当にここにリーリャがいるのかと不安に思うほどでした。
「――静かだな。本当にここに噂の姫とやらがいるのか?」
と、僕の隣にいるカレンさんが言います。昨日のやらかした失態からはすでに復活しており――というか、昨日の
「すいませんカレンさん。お手伝いできてもらっただけなのに、結局最後までつきあってもらっちゃって」
「かまわないさ。それに、せっかくの機会だし、挨拶の一つぐらいはしておきたい」
朝に聞いたばかりなのですが、主に戦闘面で貢献してくれたカレンさんも、今日の昼をもって一旦王都へと戻らなければならないようです。本来の話であればもう二、三日滞在する手筈で話が進んでいたらしいのですが、残っていた仕事を放りだして勢いで僕に会いにきてしまったため、結局は激おこ状態のマドレーヌさんに強制帰還を命じられたそうです。あれ? ブラックホークの隊長ってマドレーヌさんだったっけ?
「姫様……リーリャ様。私です、エナです」
「私も、いる」
施錠されたドアの前で側近の二人が呼びかけると、意外とすんなりと解錠音が響きました。もう少し抵抗されるとも思いましたが、どうやらある程度は落ち着きを取り戻しているようです。
「……なんじゃ」
ドアの隙間から顔だけを出したリーリャが、僕ら四人の顔を順番に見つめます。カレンさんとはここで初顔合わせですが、そのことについて特に何かを聞いてくる素振りはありませんでした。
「揃いも揃って何の用じゃ? 妾は別にお主らと話すことなど何もないのだがな」
息を吐いてそう話すリーリャに、初めて手合わせした時のような覇気は一切感じられませんでした。エナとゼナ、普段彼女の身の回りの世話をしていた二人とも会わずにいたせいか、滑らかな艶を放っていた黒髪の輝きはそのなりを潜め、爛々と輝いていた瞳も、今は落ち窪んでいるように見えます。
「君にはなくても、リーリャ、僕は君に話すことがある。だから、部屋の中に僕らを入れてはくれないかな?」
真っ直ぐに彼女を見据える僕の瞳に、リーリャは少したじろいだような表情を見せました。もしかしたら、一週間前の時の幻影を僕の後ろに見出していのかもしれません。
「私からもお願いします。私だって、リーリャ様のことが心配なんだ。昨日だって、お風呂にも入らずにそのまま寝たんでしょう? ご飯だって、全く手を付けていないみたいだし」
「……ん」
彼女達の視線の先には未だ手つかずの冷えたスープや乾ききったパンがありました。これでは心配するなというほうが酷というものです。
「っ……少し、だけじゃぞ。妾も、この後に用事があるのじゃからな」
用事――現在、島のどこかで滞在しているネヴァンのことでしょうか。しかし、今考えるのはリーリャ自身のことです。そのことはまた後に。
「ああもう……やっぱりこんなに散らかして。私らがいないとてんでダメじゃないか姫様は」
部屋に入って、消されていたランプに火を灯すなり、すぐさまエナが寝床に散らかった衣服やぬいぐるみ、それから乱雑に撒かれた宝石類を掃除しにかかりました。戦闘ではおおざっぱですが、意外に生活面では几帳面なところもあるかもしれません。
もしかしたらメイド向きかも? なんて考えてみたり。
「それで、話とはなんじゃ? 妾の知らない人間まで引き連れて。お主ら、いったい何を企んでおるつもりじゃ」
言って、部屋の半分を陣取ろうかという幅のダブルベッドの上にリーリャが腰かけます。こちらにも小動物を模した丸っこいぬいぐるみや人形――持ち物から見れば、やはりまだ年相応。
「別に何も。ただ、リーリャにきちんと謝りたいと思って」
リーリャの前で膝をついた僕は、そのまま彼女に向かって頭を下げました。本気ではなかったとはいえ、余計なことをしてしまったのには間違いはありませんでしたから。
自分の考えの足りなさに対する謝罪。
「聞いたか……ちっ、おしゃべりな奴らめ」
リーリャはそんな僕の姿を一瞥すると、すぐさまエナとゼナの二人を睨み付けました。彼女としては知られたくない過去ですから、簡単に口を割ったら咎めたくもなるでしょう。
「……ごめんなさい。でも、その、たいちょ……この人は、今までの奴らはとは違うような気がして」
カレンさんの手助けもありましたが、手合わせの後、特に僕に対する態度明らかに変わったのがエナでした。弱ければ侮るし、強ければ態度を改め、従う。弱肉強食的な思考ですが、わかりやすくて僕は嫌いではありません。
「この、馬鹿者めっ……」
ただ、エナと向かい合って話す少女は、決してそれに理解を示すことはありませんでした。
「オマエは何も知らないからそう言えるのじゃ。ソイツに限らず、男なぞ信用に足らぬ存在じゃ。女を自らの欲望のはけ口とするため、言葉を弄して騙し、近づき、用がなくなればゴミのように捨てる」
「……そんなこと、無いと思うけど。ハルさ――この人は、そんなことが出来る人じゃ――」
「うるさいっ、黙れッ!!」
「……!」
エナに加勢するべくゼナもリーリャの説得に加わろうとしたところで、それまでは落ち着いていた彼女の感情が急に爆発しました。
「あるのじゃ! あるったらある! その証拠が妾じゃろ!? 妾と、それから母様……いったい、あの男にどれだけ苦しめられて……!!」
「姫、様……」
目に涙を浮かべて感情を振りかざすリーリャを、二人は戸惑いの表情で見つめることしかできません。二人でダメなら、ここで僕が出ても焼石に水でしょう。
残念ですが、ここはいったん退くしかないようです。カレンさんの迎えの船も、もうすぐ来る時間帯ですし。
「カレンさん、後は二人に任せて僕達はここで失礼しましょう。彼女の問題を解決するのにはもう少し時間が――って、カレンさん?」
機を見てこの場を後にしようとカレンさんに促します。しかし、僕の話が聞こえていないのか、身じろぎ一つしてくれません。
そんなカレンさんの視線の先にいるのは、今もなお二人の少女に向かって喚き散らすリーリャたった一人で——。
「――くだらん」
「……は??」
エナとゼナが必死に宥めてようやく落ち着いてきた一瞬をついて、カレンさんの一言がリーリャの耳へと飛び込みました。
傍から見れば決定的に空気の読めない一言――エナとゼナの顔が、一瞬にして青くなりました。
「おい、そこの年増女。お前、今なんといった? 妾のことを、なんと?」
「くだらん、と言ったんだ。リーリャとやら。聞こえなかったのなら、もう一回言ってやろうか?」
鼻で笑うようにして、カレンさんは決定的な一言をリーリャへと放ちました。
「子供のころ父親にひどい目に遭わされたから、男に対して逆恨みの感情をいつまでも持つのが至極くだらん、と、そう言ったのだ」
「「「!!!!!」」」
切り捨てるようなその言葉に、エナとゼナの瞳がいっそう見開かれました。僕もそうです。
気絶していたかに思えたカレンさんも、どうやら昨夜の話を――リーリャを今も苦しめるトラウマの原因を作った存在の話を聞いていたようです。
ただ、それまで事の成り行きを静観していたはずのカレンさんが、急にそんなことを言うとは、露ほどにも思っていませんでしたが――。
「貴様……名は?」
「私はカレン。王都近衛騎士団第四騎士分隊、隊長だ。そこにいるハルの上司でもある」
「カレンとやら、今の発言をすぐに撤回し、地面に額をこすりつけて謝罪しろ。さすれば、寛大な妾が、貴様の腕と脚の骨を粉々に砕くだけで許してやろうぞ」
「はっ、それは面白い冗談だな。今のあなたにできるのか? いとも簡単にハルにやられ、その上『いじめないで』と部下の前で醜態を晒したあなたが」
「このッ……年増ァッ!!」
ついに激高したリーリャが、制止しようとするエナとゼナを軽々と振り切り、一足飛びでカレンさんの間合いへと迫り、顔を目がけて真っ直ぐに拳を突き出してきました。
僕ですら目で追うのが精いっぱいなほどの速さで繰り出された拳が、防御態勢をとる間すら許さずにカレンさんの顔面を綺麗に撃ち抜きます。
ゴンッ!! という固いものが激しくぶつかり合うような音――当たり所が悪ければ一発で昏倒、下手すれば死ぬかもしれない正拳突きでしたが、カレンさんは目をつぶることすらなく頬でそれを受け止めました。
意識も、もちろんはっきりとしています。
後、闘志もものすごくメラメラ。
「――弱いッ!」
「んぶぅッ――!???」
お返しとばかりにカレンさんのパンチがリーリャの鼻っ柱を捉えました。こちらも鼻骨が派手に潰れたような、グシャリ、という嫌な音をさせます。
体重と、鎧の重量が乗った一撃は、リーリャの矮躯を軽々と部屋の壁へ飛ばすのに十分な威力でした。
「――んぬぅァッ!!」
が、リーリャはそのままくるりと空中で一回転の後、部屋の壁を蹴り、その勢いのままカレンさんの腹部めがけて体当たりを敢行します。
もつれるようにして倒れた二人は、寝転がったまま互いの髪を、耳を、果ては鼻の穴にまで指を突っ込んでもみ合いの喧嘩へと発展していきました。
「貴様にッ――王都などという人も金も集まる豊かな場所でぬくぬくと過ごすヤツなんかに、妾の気持ちなどわかるものかッ……!」
「それがくだらん、と言っているッ……! ただのガキならいい、だが、リーリャ、お前は誰だッ……? お前はただのガキではない。共和国という国の民の上に立つ人間だッ――そのようなものが、個人的な問題で部下を振り回すな、と言っているんだッ」
幼女と、大人の女性――歳は遥かに離れていても、人の上に立つという意味ではある意味で同じ土俵に立つ二人の拳と言葉――むきだしの感情のぶつかり合いに、僕達三人は呆然と眺めていることしかできませんでした。
「黙れッ……父親、そして母親の両方に大事に育てられたであろうお前なぞから、そのような説教など聞きたくもないわっ……!」
取っ組み合いとなったリーリャから漏れた言葉に、カレンさんは自嘲気味に笑みをこぼしました。
「――私は、私は本当の父の顔すら知らない。もちろん、母もそうだ」
「え――?」
唐突に突きつけれた告白にリーリャが、一瞬呆けた声を出しました。
カレンさんはあまり自分からは話しませんし、僕も積極的に聞こうとはしませんが、カレンさんの産みの両親は、カレンさんが産まれてすぐに亡くなり、総隊長に引き取られ育てられました。
総隊長はカレンさんを実の娘のように扱い、娘のことを思いやるあまり親バカともいえる行動をとってくるお人でしたが、カレンさんにも何度か考えることがあったのでしょう。
「憎むべき存在がいるだけマシだ。矛先がある分だけな。確かに、本来与えられるはずの愛情のかわりが暴力だったというのは不幸だし、同情心もある」
「なら、そう思うのなら、貴様はなぜ――」
「それは――」
リーリャの問いに答えるべく、カレンさんが口を開きかけた、その時でした。
「――あら~? 約束の時間だから来たけれど……お取込み中? 私、お邪魔だったかしら~?」
すでに開いたドアをコンコンとノックしながら、奴隷商人であるネヴァンが部屋の前に立っていました。
この暑い中にも関わらず、仮面かと思うほどの分厚い化粧を顔につけ、ギラギラと節操なく輝く宝石をあしらった黒い外套を身に着けていました。
「お、おお! ネヴァンか、待っておったぞ!」
カレンさんの身を切った告白に対してほんの僅か心を開きそうになったリーリャでしたが、ネヴァンの登場によって注意を逸らされた形となってしまいました。
「それよりもいいの、姫様? お話は?」
「よい! もともとお主が来るまでの約束じゃったからな! さあ、お主ら、さっさと去るがよい。さあ、さあ!」
それまでの喧嘩腰はどこへいったのか――呆気にとられたカレンさんと僕は、そのままリーリャの怪力に背中を押され、強引の部屋の外へと押し出されていきます。
「ちょ、ちょっと待っ……まだ僕らの話は済んだわけじゃ――」
と、僕らと入れ替わるようにしてネヴァンとすれ違った刹那、ふと僕の瞳が、彼女の外套に覆われているはずの首元に、『とある徽章』がつけられているのを捉えたのでした。
仕事の時か、はたまた学生時代の時か――どこで『それ』を見たのか記憶は定かではありません。しかし、確実に僕は『それ』を知っている――。
「残念ね、王都の騎士様。ここからは私とリーリャ様だけの時間だから」
「あの――その徽章は、たしか――わぷっ!?」
と、反射的にネヴァンへ向かって声を上げた僕の首根っこに、すぐさまカレンさんの腕が絡みついてきました。
「何やってるんだハル、さっさと出るぞ」
「カレンさん、でも――」
僕が抗議の声を上げようしたところで、カレンさんが僕のほうへ限りなく密着し、僕だけに聞こえるように小さく耳打ちしました。
(……何が見えたかは、後で聞く。今はできるだけあの奴隷商人から離れるぞ)
(――わかりました)
すぐさまカレンさんの言葉の意図を理解した僕は、そのままカレンさんに身を預け、わざと引きずられるようにして、急いで部屋を後にしました。
「ちょ、ちょっと待ちなって! 急に引き下がって一体何があったのさ? せっかく、姫様をここから連れ出すチャンスだったのに――」
後から追いかけてきたエナがカレンさんへと詰め寄ります。
が、カレンさんはその口もすぐに塞いでしまいました。
「んー! んんー!」
「大人しくしろ。話は、私の迎えの船のいる港までいったらしてやる。それにお前たちにも、あの奴隷商人について聞くことがあるかもしれないからな」
「――何か、わかったの?」
エナの背後でそう問いかけたゼナに、カレンさんは口元に笑みを浮かべて、一言。
「多少、というかかなり痛い目を見たが――まあ、たまにはこういう喧嘩をしてみるものだ――ということさ」
「「「……??」」」
捉えどころのないカレンさんの言葉に、僕含めた三人は一様に首を傾げましたが――。
この言葉の意味と重大さを、僕達はすぐさま知ることになるのでした。
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