11 酒の勢いで部下を家にお持ち帰りしてしまう女騎士がかわいすぎる件

 とある酒場の、時はてっぺんを回ったあたり。


 普段なら、夕方から飲み始めた客がはけ、本来ならそろそろ店じまいといった空気が流れる時間かと思われます。一般常識的には。

 

 しかし、ブラックホークにとっての『祭り』は、いつもその深夜に幕が開くのでした。


「――えー、任務の都合などにより少々開催が遅くなってしまい今更感強いが、ただいまより、我がブラックホークに新たに加わった新人騎士、ハルの歓迎会を行う。みんな、今日の飲み代はすべて近衛騎士団持ち――この言葉が意味していることはわかるな?」


 麦酒ビールがなみなみと注がれた大ジョッキを片手にもったカレンさんが、貸し切りとなった酒場全体を見渡すと、部下の騎士たちは、皆、一様に深く頷きました。

 

 今日は財布の中身を気にせず、思う存分やることができる、と。


「よし。みんな、今日は死ぬまで飲むぞ――乾杯!」


『『『『オオッッッ!!!』』』


 隊長のカレンさんがジョッキを天高く掲げるのを合図に、歴戦の男たちの地鳴りのような歓声が轟きました。

 

 次の瞬間には、すでに男たちのもつジョッキの中身は空になっていて、そこかしこから『もう一杯!』『いや、もう十杯!!』の声が上がっていました。


 こんな状況なら、僕も勢いにまかせて『じゃんじゃん持ってこぉ~い!』だなんて言ってしまいそうですが、まだ酒を飲める年齢に達していないため、僕は店の方が特別に作ってくれた葡萄ジュースをちびちびと飲んでいました。


「ハル、すまないな。本来歓迎するべきはずの人間達が、主役を差し置いて早速暴れまわってしまって」


 乾杯の音頭を終えたカレンさんが、店の奥に陣取った僕の隣に腰を下ろしました。こちらの席に戻ってくるほんの少しの間で他の隊員達と早飲み対決を数回やっているにも関わらず、顔色は完全な素面状態。酒の強さも一級品というわけですね。


「いえ……こうなることは大体予想できてましたし、それに僕はこうして皆さんが楽しそうに騒いでいるのを見てる方が好きなので」


「そうか。なら、お前は飲めない分、たくさん食べてくれ。お前はいかんせん体が細いからな」


 言って、カレンさんは、肉が山のように積まれた皿をじゃんじゃん僕の目の前に持ってきてくれます。気を遣ってくれるのは嬉しいのですが、さすがに自分の体重以上の肉は、この胃袋の中には入りきらないと思います。


「ところで、隊長」


「ん? どうした?」


「どうしてあの時――僕の告白を断ったんですか?」


「ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ!!!!!????」


 なんの脈絡もなく放たれた僕の突然のキラーパスに、カレンさんは口に含んでいたビールを盛大に店の天井向けて放出しました。綺麗な放物線を描くそこには、まるで大道芸かと思うほどの、それはそれは素晴らしい七色の虹が映し出されました。


「隊長そんなに驚かなくても……」


「バッ、バカぁっ!? こんな和やかな空気の時に、いきなりそんなこと言われたら、誰だってこんなふうになるに決まってるだろうが!?」


 確かにこんな大勢いる前で聞くのもどうかな、と思いましたが、おいしそうに酒をあおるカレンさんの素敵な横顔を見ていたら、つい口に出てしまったのです。


 僕自身、あまり思いたしたくない苦い記憶なのですが、あれは入隊初日のことだったかと思います。


 ● ● ●


 王宮内の謁見の間で行われた王都近衛騎士団の入隊式。


 騎士学校主席で卒業し、新人騎士代表としてつつがなく式の進行を終えた僕は、目の前に立つ女性を見た瞬間、そこから視線を外すことが一切できなくなりました。


「……小さいな。お前がハルか?」


「は、はい。ハルです……その、失礼ですが……」


「私はカレン。今日からお前が配属となる王都近衛騎士団第四騎士分隊【ブラックホーク】の隊長を務める騎士だ。言っておくが、新人だからといって特別扱いはしないからな。皆と同じように任務をこなし、皆と同じように血反吐を吐いてもらうつもりでいるから、学生気分のままなら今のうちに捨てておけよ」


 冷たい視線で僕を一瞥した隊長は、『ついてこい』と言わんばかりに僕に背を向けて歩き出しました。


 そのあまりにも孤高で、美しい背中を見た僕は、つい反射的に、


「あの――僕と、お付き合いしてください」


 と口走ってしまいました。


 完全なる一目惚れでした。今まで出会った女の子は数あれど、見つめられただけでこれほどにも緊張し、心臓がバクバクと跳ねるのは、今までの人生で初めてだったからです。


「――いま、何と言った?」


 僕自身も思いもよらず口に出た言葉に、隊長が足を止めてこちらに顔を向けてきました。透き通るような淡い銀色の瞳は、身長差もあって、完全に僕を見下ろす格好となっています。


「僕と、その――個人的なお付き合いをしてほしいと」


「……お前と誰が個人的なお付き合いをするって? はっきり言ってみろ」


「それはその……僕と、隊――」


 と、答えを言い終わる前に、隊長は、無言で僕に詰め寄り、勢いよく腕を振って僕の頬を張りました。


 パァン、と王宮内に響き渡る乾いた音――それを聞いた瞬間、僕はすぐさま自分のやらかしたことに気付いてしまいました。


「あっ、あの隊長、申し訳ございません! 僕、まだ初日だというのに何て失礼なことを――」


 初対面の、しかもこれからともに働く直属の上司である方に、いきなり男女交際を申し込むなど、僕はなんて礼を欠く行動をとってしまったのでしょう。


 そして、その行動の報いとして当然の言葉が隊長の口から呟かれました。


「……断る。貴様のような失礼極まりない子供ガキの、しかもまだ軟弱な男と付き合うなどと。そういった事をやりたいのなら余所の隊でやれ」


「そ、そう……ですよね。申し訳ございません、隊長」


「わかったら早くついてこい、この色ガキめ。今日はほどほどに、と思ったが、気が変わった。今すぐ貴様の学生気分をボコボコに凹ましてやるから、覚悟しておけ」


 ああ、やっぱりこうなってしまいましたか。衝動的な告白はあえなく玉砕し、しかもそんなメンタル状態で地獄のシゴキを受けなければならないだなんて。


 失敗した、嫌われてしまった――そんな後悔が頭の中をぐるぐるしていると。


 ――ビターンッ!! 


「えっ?」


 そんな、誰かが思い切り躓いて顔面を床にしたたかに打ったような音が城内を響き渡りました。


 芸術的なほどのうつ伏せ状態で倒れていたのは、もちろん、僕の視線の先にいた騎士隊長でした。


「だっ――だ、誰だ!? 私の足元にスタンの魔法術式を置いてきたやつは!」


 そんなことを言いながら、顔をみるみる紅潮させて周囲をキョロキョロと見渡す隊長でしたが、僕の目からはただ何もないところで派手にこけたようにしか見えませんでした。


「あのー、隊長、大丈夫ですか……?」


「っ……! だ、大丈夫に決まっているだろう! この程度で怪我をするほど私の体はやわに鍛えてはいないからな」


「あの、膝すりむいてますけどそれは大丈夫なんですかね」


「っ……! だ、大丈夫だと言ったら大丈夫だ! こんなの適当に唾でもつけておけば治る!」


 そう言って、隊長はなぜだかぷりぷりと怒りながら、ずんずんと足音を鳴らしつつブラックホークのある詰め所へと歩いていきました。


「うーん……なんだかとても変わった人……ってことでいいのかな」


 人の目をひきつけてやまない容姿と冷たい視線、そして唐突に顔を出すちょっぴりドジな一面。


(もしかしたら、隊長って――カレンさんって、実はものすごくかわいい人なんじゃ……?)


 遠くのほうで再び盛大に転んでいるカレンさんを見て、僕は、ほんの少し、これからの社会人生活に希望を見出すことが出来たのでした。


 ● ● ●


「――ふ、ふ~ん? そんなこともあったかな? お前にとっては忘れらない一日でも、私にとっては昼下がりの何てことない仕事の一風景にしか、過ぎない……から? 覚えてないような覚えてないような? 的な?」


 その口ぶりは絶対に覚えているな、と僕は確信しました。


 というか、今のカレンさんを見ているから言えることですが、多分、カレンさんは、あの時、僕に告白されて何もないところでスッ転んで鼻っ柱を真っ赤にするほ動揺していたのだと思います。


 そういった始まりや、その他にあった数々の出来事があったからこそ、今こうしてカレンさんの右腕(自称)として、僕は日々仕事に励んでいるわけなのです。


 ただ、そうしているうち、今の状態よりももっとしたいとも、同時に思うわけで――。


「隊長ぉ……今の僕でも、やっぱり隊長の隣はふさわしくないんですかぁ? 僕が人より小柄だからですか? カレンさんより弱いからですかぁ?」


「いやいや、いきなりそんなこと言われてもだな……というかハル、お前なんだか様子がおかしくないか? なんだか呂律が微妙に回ってない気が……」


「えぇ~? そんなことないれすよぅ、お酒だって、べつに飲んでるわけじゃあるめぇしぃ……」


 そうです。僕が今飲んでいるのは店の方が特別に用意してくれた葡萄ジュースのはずです。甘くなく辛口で、ちょっと渋みも含んだ、大人な味わいの――。


「……ハル、ちょっとそれ貸してみろ。って、おい店主、これもしかしなくてもジュースじゃなくて葡萄酒――」


「ふにゃぁ……?」


 僕の飲んでいたジュースを口に含んだカレンさんが、慌てた様子で店主に何か言っているようでしたが、やけにくらくらと歪む視界と思考の波にさらされる僕には、それがどういった状況か理解できず、そのままゆっくりと意識を薄れさせていったのでした。


 × × ×


「――んあ?」


 ふと目が覚めると、僕は、ベッドの上に寝かされていました。

 

 かけられた毛布からほのかに香る甘い匂いと、わずかに混じる獣の臭い――。


「「ガウッ」」


 僕が目を覚ましたのに気付いて真っ先に駆け寄ってきたのは、ケルベロスと名付けられた双頭の犬でした。こうして会うのは久しぶりですが、ものすごい勢いで顔を舐めてくれるということは、どうやら僕のことを覚えてくれていたみたいです。


 カレンさんの家でペットとして飼われている子が、この場にいるということは。


「――き、気が付いたか、ハル」


「……隊長」


 声のしたほうに顔を向けると、テーブルに座って暖かい飲み物をすすっているカレンさんがいました。仕事着である鎧とは違い、なんと部屋着。後ろで結っている髪も、今はまっすぐに下ろしていました。


「まったく……酔っぱらったお前をここまで運んで介抱するのに随分と苦労したよ。仕事終わりなのもあって鎧を着ていたから相当重かったしな」


 カレンさんの話しぶりからすると、どうやら僕は店の人が間違えて出した葡萄酒のせいでダウンしてしまったみたいです。遅れてやってきたズキリとした頭の痛みがその証拠といったところでしょうか。


「あれ? そういえば鎧を着ていたはずだけど――」


 現在、僕の鎧は、ベッド脇に寄せられて丁寧に置かれていました。しかも、心なしかつやがかかっているようにも見えます。


「あの、もしかしてこれは隊長が?」


「……ん、まあな。お前は覚えていないかもしれないが、お前の鎧、酒だのゲロだのでかなり汚れていたからな。そのままにしておくと錆びになりかねんから、私が代わりに磨いておいたんだ」


「えっと、そうじゃなくて……あ、いや、なんか僕酒場で物凄い粗相をしてしまったようでそこは大変申し訳ないと思いますが」


 今、僕が聞きたいのはそこではなく、


「その……鎧を脱がせて、僕をベッドに寝かせたのは隊長ですか?」


「? そうに決まっているだろう? 酔ったお前を介抱する義務がある人間が、私以外の他に誰がいるっていうんだ」


 やっぱり、そうでしたか。


 鎧を脱がせ、そして僕を肌着一枚にして、ベッドに寝かせたのは、目の前にいるカレンさんでしたか。


 それを聞いたところで、僕は掛けられていた毛布を抱き寄せて、まるで女の子のような上目遣いと仕草で、言ってやりました。


「――た、隊長の、ケダモノっ……!」


「ブウゥゥゥゥッッッッ!!!!!???」


 僕の一言に、カレンさんは、口に含んでいたコーヒーらしき茶色の液体を盛大に放出させました。本日二度目の綺麗な放物線です。


「ゲホゲホッ……お、おおおおお前はいったい何を言い出すんだぁッ!?? 確かにお前を肌着一枚にしたのは私だが、断じてそんな妙なことはしていないぞ!?」


「嘘だ、絶対に嘘だ。僕が酔っ払ったのをいいことに、自分の部屋に連れ込んで、僕の体を存分に弄んだんでしょう? 今飲んでいるコーヒーは、一発ヤり終えてほっと一息つくためのものなんでしょう?」


「違わいっ!? お前は私が、上の立場をいいことに、部下に対してそんなセクハラどころか強制猥褻まがいのことをする人間と思うのか?!」


 いいえ。もちろん思いません。


 酒の勢いを借りてもなお一歩踏み出せないシャイな女騎士――それが僕の知っているかわいいカレンさんなのです。


 ただ、そうやっていつも慌てふためいてくれるから、僕はついついからかってしまうワケですが。


「冗談ですよ、冗談。隊長がそんなことできない人だっていうのは、僕が一番わかっていますから。というか、そんなことができていたら、ここまで独身をこじらせていませんものね?」


「むっ……そんなことはないぞ。私だって、ちゃんと心の準備とかその他諸々の状況が噛みあえばやれないこともないというかなんというか……」


 ゴニョゴニョとそんな往生際の悪いセリフをカレンさんが吐いたので、それならと僕はさらに攻めてみることにしました。


「それなら、今、僕とキスできますか?」


「きっ――――!?」


 軽く唇を突き出した僕に、カレンさんは飲み物の入っているカップを思わずテーブルから落とすほどに動揺の色を浮かべています。


「ち、ちちちちチッス!? 口づけ?! しかもお前と!!?」


「はい。できませんか?」


「でっ、できるわけないだろうがこの馬鹿あっ!? まだ正式に付き合ってもいない男女同士で、そんな破廉恥なっ――」


「正式に付き合ってもいなくても、キスぐらいなんてことないですよ。他国では挨拶がわりにやったりするところもあるみたいですし」


「そ、そうは言うが、いきなりそんなこと言われてもだな」


「隊長、さっき『心の準備とか状況が噛みあえば』って言いましたよね? 一つ聞きますけど、今のこの状況、まさにおあつらえ向きだとは思いませんか?」


 若い男と女。酒の席で酔いつぶれて、自分の家へとお持ち帰り。深夜、そして二人きり。邪魔する者はだれもおらず、いるとしてもペット一匹のみ。


 既成事実を作るとしたらここしかない、というぐらいのまたとないチャンスです。


「その相手が、一度振ってしまった人間であるというのは大変申し訳ないところですけど、カレンさんも、多少は気心のしれた男のほうが、経験するにはうってつけではないですか?」


「う……うう……しかし、しかしだな」


「大丈夫ですよ、隊長。今日の夜のことは誰にも言いふらすことはしませんし、他の隊員の方たちにも何もなかったと言っておきます。だから、ほら、してみましょう? 隊長のために」


「ハル、それ実はお前がやりたいだけだからそんな風に言ってるだけだろうッ……」


 それもあります。だって、僕は今でもカレンさんのことが大好きなのですから。


「それともその……隊長は僕のこと、やっぱりお嫌いですか? 小柄で、貧弱で、隊長よりも強くとも何ともない人間のことなんか」


「そ、そんなことは……ただ、こういうのはもうちょっとちゃんとしたほうが――」


 と、いつまでも煮え切らない態度でカレンさんが言いわけをしていると、


「「ガウッ!!」」


 カレンさんの傍で大人しくしていたケルベロスが、突如として飼い主のお尻に向かって体当たりをしてきました。


 必然的にバランスを崩したのと、足元が飲み物でぬれていたのもあり、カレンさんは勢いよく僕のほうへと倒れ込んできました。


「あ、隊長危ない――」


 カレンさんの体を支えようと、僕は、とっさに彼女の方へ手を伸ばしたのですが――。


 ――その拍子に、とんでもないことが起こってしまいました。


「ん……?」


「んむぅ――?」


 顔を最接近させ、お互いに瞬きをし合う僕とカレンさん。


 そのお互いの唇が、まさに今、触れ合っていたのです。


 口の中に滑り込んでくる互いの唾液と、湿った舌先。


 ぴちゃ、というわずかな水音を合図に、僕とカレンさんは弾けるようにしてそれぞれ部屋の対角線上の距離まで離れました。


「す、すすすす、すいません隊長!?? ま、まさか僕もこんなことになるなんて思わなくて!」


「い、いやいやいやこちらこそ! ケルベロスが余計なことをしたせいで、こんな、ことに……」


 ふと交差した視線に気づいた僕とカレンさんは、気まずさから即座に瞳を反らし、俯きました。

 

 どうしようどうしようどうしよう。


 キスしよう、だなんて言い出したのは僕なのに、その僕がこんなにも心臓をドキドキとさせているなんて。

 

 ただからかって、いつものようにどさくさに紛れて終わりにするつもりだったのに、事故とはいえ、本当にキスしてしまうだなんて。


「あの、ハル。えと、その……私、剣の稽古……朝の鍛錬をしてくるから……」

 

 時間はまだ明け方にすらなっていません。普段でも、稽古の時間はもう少し後です。


 ですが、そのことを指摘する心の余裕は、今の僕にはありませんでした。


「その……部屋の合鍵はここに置いておくから。気分が良くなったら、その、勝手に帰ってくれて構わないから」


「は、はい。その、ありがとうございます隊長」


 一度も目を合わせることなく会話を終えたカレンさんは、そのままそそくさと大剣を抱えて部屋着のまま外へと出て行ってしまいました。


「「ガウッ」」

 

 一仕事終えたふうに満足して尻尾を振っているケルベロスでしたが、今回ばかりは余計なお節介だったかもしれません。


 そうして、初めて感じたカレンさんとのキスは、僕の口元に、ほんのりとした苦みを残していったのでした。

 

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