第8話 仕事
次の日の早朝、映美は誠の部屋の前に立った。
「おはよう」
「やあ、本当に来たんだ」
誠は玄関から笑顔を覗かせた。
「もちろんよ」
「ちょっと待って、すぐに出るよ」
誠は、奥に一度戻ってからジャンバーに袖を通しながら、再び玄関から顔を出した。
「じゃあ、行こうか」
春とはいえまだ早朝は肌寒かった。
「いいのかい」
「何が?」
「仕事」
「今日は遅番だから平気よ」
二人はまだ薄暗い道をとぼとぼと歩いてゆく。
「君は本当にもの好きだね」
「好奇心が旺盛だと言ってほしいわ」
「ふふふっ、そうか」
誠は小さく笑った。
「ところでこんなにゆっくりしていて大丈夫なの?」
「ぼく一人だからね」
「ふふふっ」
映美は誠のそののんびりした考え方がなんだかおかしかった。
その時どこからともなく鮮やかな鳥の鳴き声が響いた。
「鳥が鳴いてる」
「ホトトギスだよ」
「こんなまだ暗いうちから鳴くんだね」
「うん」
誠は夜空を見上げた。
「鳥っていうのはみんな星になりたいんじゃないかって思うんだ」
誠は唐突に言った。
「星に?」
映美は少し戸惑いながらも、聞き返した。
「うん、だけど星には届かない。だからみんな鳴くんだ。ピーピーって」
「ふふふっ、面白い話ね」
でも誠は真面目な顔で夜空を見つめていた。
駅と商店街の入り口に設けられた広場に差し掛かると、暗闇の中にガーガーという、何かが走る音が聞こえた。それと同時に、何か若者の派手な話し声と笑い声が聞こえる。
若者たちが、誠たちの存在に気付くと、一瞬その場が静まった。ガーガーという音はスケートボードを走らせる音だった
「あっ、お掃除おじさんだ」
若者の一人が突如そう叫ぶと、その場に一気に爆笑が溢れた。誠たちは、若者たちを無視して、足早に商店街に向かった。
「むかつく連中ね」
「いいよ。馬鹿にされることには慣れている」
「いつもいるの」
「うん、時々ね」
静まり返った商店街に、二人の足音が響いた。
「誰もいないね」
早朝の商店街は、昼間の喧騒が嘘のように、静まり返っていた。
「猫くらいだよ」
そこに一匹の猫が通りを横切って行った。
「本当だ」
映美は少し笑った。
「こんな早朝の商店街初めてかも」
映美は初めて見る閑散とした商店街に新鮮さを感じた。
「ちょっと待ってて」
商店街の中ほどまで来ると、誠はそう言って、店と店の間の人が一人やっと通れるほどの細い隙間に入って行った。そして、ガラガラと大きな乳母車のような、カートを引いて現れた。
「おまたせ」
「それが掃除道具?」
「うん」
「そんなとこにそんなものが隠してあったのね」
「さあ、始めよう」
「何から?」
「とりあえず掃くんだ」
「じゃあ、箒ね」
「うん、きみはこっちの大きいの使いなよ」
「ありがとう。誠は?」
「ぼくはこの小さいのを使うよ」
二人は手分けして、商店街の通路を端から掃き始めた。
「こんな広いところを一人でいつもやってるのね」
掃き始めると、映美は改めて掃除をする範囲の広さに気付いた。
「大変だわ」
「うん、まあのんびりやってるからね」
その時またあのガーガーという音が、突然、静かな商店街に反響した。誠と映美はその方に顔を上げた。
「いやっほー」
「ひゅぅ~」
さっき広場にいた若者がスケボーと自転車に乗って、奇声を発しながら、ものすごいスピードで誠たちの方に走ってきていた。
「いやぇ~い」
そして誠たちのすぐ脇を通り抜ける時、その中の一人が、掃除のカートを蹴倒した。更に他の若者がガムやたばこの吸いさしを辺りに吐き散らした。
「いえ~い」
若者は嬉しそうにハイタッチ仕合い、そのまま去って行った。
「本当にむかつく連中ね」
誠は黙ったまま、蹴倒されたカートを起こし、まき散らされたゴミを集め始めた。
「まあ、こんな日もあるさ」
「ほんと最低だわ」
映美は、若者が走り走り去って行った方を憮然として見つめた。
「そんなガムのくっついたのまで取るの?」
ふと誠の方に視線を戻すと、さっきの若者が吐き出したガムが、踏みつけられタイルにしっかりとくっついてしまっているのを、ヘラのようなものでしきりに、こそげとっている。
「うん、時々ゲロの塊もある」
「そんなものまで」
映美は、改めてこの仕事の大変さを知った。
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