第1章 サブカル末法思想
浄土信仰とは鎌倉時代に法然が説いた思想で
阿弥陀如来を信仰し(他力本願)
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで極楽浄土に行けるという物である。
京都府宇治市にある平等院は現世に浄土を体現したものとされている。
浄土信仰が広まった背景には末法思想がある。
釈迦入滅から2000年後に末法の世が訪れるというもので
ちょうど平安時代末期から鎌倉時代にかけて天災や戦災、疫病が頻発したため、
人々は現世利益(この世)よりも極楽浄土(あの世)を信仰した。
これを現代に置き換えると
2010年の東京都青少年育成条例改正に始まる表現規制、
2011年の東日本大震災における出版流通の混乱と電子書籍の勃興、
2020年に開催予定の東京オリンピックに関連するコミケ会場問題など
確かにサブカル界において末法の世が訪れていると言えるかもしれない。
単純に「異世界転生もの」はそれまでサブカルを覆っていた
「日常系」(現実世界)のアンチテーゼである事は明らかである。
「電車男」(2005)のドラマ化のヒットにより
オタク文化の認知と社会イメージが改善され、
翌年の2006年にはセカイ系から日常系の橋渡しとなった
「涼宮ハルヒの憂鬱」が放送。
以降、深夜アニメが急増し「日常系アニメ」が量産された。
こうした社会風潮の下でオタクたちは
女の子たちのキャッキャウフフの日常生活を愛でる事ができたが
2010年の尖閣事件や2011年の東日本大震災を期に
そうした社会風潮に変化が訪れるのである。
楽しい日常が永遠に続くという作品は
シビアな現実を前に変化を求められたと言える。
2005年にデビューしたAKB48や、
ゼロ年代に勃興した声優アイドルなどのアキバ文化は
「現実世界において」世俗から離れた一種の異世界を作っていたが、
相次ぐスキャンダルやファンによる傷害事件などでその牙城も崩れ始めている。
オタクたちは全て「虚構」であるという事にとうとう気付いててしまったのである。
ゼロ年代は現実と虚構が綯い交ぜとなった独特な文化を生んだが、
現実に突き当たると一気に崩壊する脆さ、一種の危うさも孕んでいたのだ。
非現実となってしまった日常系作品、そしてリアル社会の厳しさの中で
2010年代初頭から「異世界転生もの」作品が出始める。
作家が現実世界を描くことが難しくなったので異世界に逃げたとも言えるし、
生まれ変わりのスペックが高いのは現実の厳しさの裏返しである。
異世界自体は空想そのものだが、
主人公が現実世界から転生するのは読者の誰もが感情移入できる構造である。
昔のハーレムものなどでは感情移入どころか
男主人公に殺意が沸くなどという事もあったがその心配もない。
読者の現実の日常生活を直視できない、でも向き合わなければならないという
心の葛藤を見事に解消させたのが、まさに異世界転生ものであった。
なので異世界はオタクにとっての極楽浄土でなければならない。
また、東京都青少年育成条例改正に関わるところでは
今年6月に強制わいせつと住居侵入の容疑で逮捕された男が
成人向け同人作家であるクジラックス氏の同人誌の内容を模倣したと供述し、
クジラックス氏に対して埼玉県警は
「作品内容が模倣されないような配慮」と
「作中の行為が犯罪に当たると注意喚起を促すこと」などを要請したが、
異世界という「舞台自体をフィクション」にしてしまえば
クジラックス事件のような事態を避けることもできるかも知れない。
それこそイスラム過激派の信仰するハーレムの天国だが…
このように異世界転生はオタクの最後の砦であり、
全ての事において都合の良い装置となっているのである。
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