第2話 桃子と先輩と女の血 下
「こりゃまいったな……休憩」
先輩はそう言うと用意されていた冷えた水を一杯飲む。
「私も協力できたらいいんですけど、すみません」
桃子は頭を下げる。
先輩は「気にするな」と言って部屋を見渡す。
ずっとカウンターを見るよりはいい。
「ここって予約制だからな、見学させるために連れてきただけだし」
「え、酷いです」
私は頬を膨らましてみせるが、効果はなし。
「殺害方法がわかんないと進まないなぁ……別の観点から攻めてみるか」
「別の観点、ですか?」
「ああ、答えの導き出し方は一つじゃない。別のルートで解き明かすことも可能だろう。例えば、女と私についてとか」
桃子は手をポンッと叩く。
「今はやりの下から見るか、横から見るかって奴ですね!」
先輩は少し黙ってから「そうだな」とだけ言った。
「でも、別の人から同じ血が流れるなんて人間とは思えませんね」
「まあ、ウミガメのスープとかではよくあることだしな」
「え~、そんなの解けっこないですよ!」
「ちゃんとできるようになってるから安心しろ」
先輩は飲み干したコップをカウンターに置き、もう一度店員に向き直る。
「よし、続き頼む」
店員は頷き、先ほどと同じ空気が流れる。
「まず、この話は現実で起こりえる話ですか?」
『はい、ありえます』
こういうことも答えてくれるのか、と桃子はメモを取り始める。
次来るときに使えそうだからだ。
「これで非科学的な話ではないことが証明されたな。私と女は家族でしたか?」
『いいえ』
「ふむ……」
先輩は少し考え込む。
桃子はこの質問の意図がわからず質問した。
「なぜそんな質問を?」
「漫画とかで家族を〈血筋〉とか〈血統〉とかで表現することがあるだろ? 言い換えてる可能性を考えたが、外れらしい」
はぇ~っと口が開いて塞がらない桃子。
知能が低そうに映る。
先輩は再び同じ空気に浸る。
「女はなにか物を持っていましたか?」
『これは……いいえ、ということにしておきましょう』
なにやら含みのある言い方、桃子はペンを構える。
「それはどういうことです?」
『持っていても持っていなくても成立します。無しで構わないということです』
「……また外れか」
また的を外したというのか、と驚かされる桃子。
また同じように質問した。
「これも深い意味が?」
「まあな。自分の血が入った血のりを持たせて殺害すればと考えた。これは流石にないわな」
先輩は少し笑う。
桃子は先輩の隠された頭の良さに尊敬の眼差しを向けた。
本人は気づかず戻る。
「こうなりゃ、あれしかないか」
あれとはなんなのか、ウミガメのスープ必勝法だろうか。
桃子はつばを飲み込む。
「私の性別は重要ですか?」
『いいえ、男女どちらでも構いません』
桃子は構えたことに少し後悔した。
とはいえ、重要そうなテクニックなのでメモっておくことにした。
「女の性別は重要ですか?」
『はい、女性である必要性があります』
久々のヒットに先輩から安堵の息が漏れる。
そして、先輩は情報を整理することにした。
◇ ◇
重要な要素は女の性別、おそらく殺害方法の二つだろう。
そして、殺害方法は素手であることが条件。
ただし、殴る、絞殺、高所から落とした、等ではない。
そして現実で起こりえる。
女は私とは家族ではない。
他人と考えていいだろう。
これらの情報ではまだ導き出せないかもしれないな。
しかし、何かが引っかかる。
何か見落としてる気がする。
一度、質問や会話などを振り返ってみる。
そして、自分はやってはいけないことをしていることに気づいた。
◇ ◇
先輩は推理モードから解き放たれると笑みを浮かべていた。
それは室内が少し暗いせいもあってか不気味に見える。
私は恐る恐るどうしたのか聞いてみる。
「なにか、わかったんですか?」
「ああ、俺はウミガメのスープをやるうえで一番やってはいけない事であろう事をしていた」
「それは?」
「固定概念に捉われることだ」
先輩は水を淹れて一気に飲み干す。
そして、戻った。
先輩は深呼吸して、間を置いてから言う。
「私は、女に恨みや憎しみがありましたか?」
『はい、さぞ鬱陶しかったでしょう』
「私は罪を犯しましたか?」
『……いいえ』
ここで桃子は驚く。
殺したのに犯罪じゃない、意味が解らない。
現実で起こりえる話なのにそんなことあるのか、と。
だが、その疑問も次の質問でかき消された。
「この女は、〈人間〉ですか?」
『……素晴らしい。いいえ、です』
女は人間じゃない。
つまり、女は犬などの動物。
ここで桃子も理解した。
「女の正体は……蚊ですか?」
『……飲み干せましたね』
◇ ◇
『女の血』
女は蚊だった。
私は何度も刺してくるのが鬱陶しくなり、手で叩いて殺した。
すると手のひらには自分の血が付いていた。
(大量に吸われてしまったなぁ……)
私はかゆみに耐えながら、蚊取り線香とムヒを探した。
◇ ◇
「いやあ、単純なことだけど難しかった……」
店を出た後、桃子と先輩は居酒屋に居た。
先輩曰く、頭を使った後は飯に限る、だそうだ。
「しかし、あんなお店あったんですね。今度私もチャレンジしたいです」
「お前にできるかぁ?」
「私にだってできます! それより、焼き鳥冷めちゃいますよ?」
「そうだな」
桃子と先輩はビールがいっぱいになったジョッキを片手に持つ。
「では、スープ完食を祝して」
「「かんぱーい!!」」
二人は夜遅くまで飲み、明日もまた働くのであった。
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