第5話改稿 サギーナの日記編!

 ――この日記を読んで頂いている皆さん、わたくしサギーナ・ノーリと申します。なんでって思っている方もいらっしゃるでしょう。私、日記が趣味なんです、宮廷魔術師なんかっている豪腕な女のと思っているそこのあなた、そうあなたです。人を見た目で判断してはいけませんことよ。日々の出来事を就寝前に日記につける事で私の中で今日の出来事の消化をしているんですの。寝る前に……消化する様なことをしてたら太りますよっ……って思った、はぃ! そこのあなた! 後でお仕置しおきですから……わたくし、記憶力には自信がありますから! あとそれと乙女おとめの日記の盗み読みですから、これは……その事をしっかりと肝に銘じて、呉々くれぐれも、世間に言いふらしたりSNSでネットにアップしたらだめですよ!(んっ! SNSって何? なんでそんな言葉を思い出すのかしら? あれっ! 私どうしたの~っ?)


 ラリーが護衛付き馬車隊の各構成を色々と観察すると、彼の所属する小隊が護衛する対象はご令嬢の乗った馬車で其れには、ラリーが視たてた通り宮廷魔術師団としてサギが同乗していたようであった。そんな彼女の独り言をもう少し覗いてみることにする。

『魔術師っていったって、所詮は身体が資本で体力、魔力勝負のこの世界ですから、いつかは精も根も尽き果て、奮い立つことの出来なくなった身体が既に役に立たない時も来るでしょうよ。そんな時はこの日記を元に小説でも書いて暮らしていこうと思っているの、ふふっ。

 私が生まれたのはベッレルモ公国からはるか南の彼方かなたの王国でした。ベッレルモ公国のように裕福でも無くとても小さな貧しい王国でしたが、領主の王様はそれはそれは国民に優しく常に公平で、領民すべての民に愛されているそんな国王様だったの……にぃ……。

 そんな小さな幸せが崩れ去ったのは、隣国からの侵略戦争だったわ。裕福では無く小さき王国でしたがたったひとつ貴重な魔石が其処ではとれたのです。その魔石は国民すべてに幸福をもたらしてくれる奇跡の魔石と呼ばれていたのですが、それうれいた隣の国王が魔石欲しさに侵略を始めたのでした。争いそのものが嫌いな私たちの国王様は、自国の軍隊を大きく育てていく事を良しとしていませんでしたので、軍隊も弱小で隣国からの侵略戦争は一方的な蹂躙戦となる状況をていしていたんです。

 その時、私の父も母も戦争の犠牲になって亡くなりました。

 私が七歳の時です。人生の悲しみの頂点はその時に知りました、悲しみが深いほど怒りの魔性が現れるのですね……私が魔力を帯びるようになったのもその時からです。元々碧眼へきがんの血縁で魔力が有ってもおかしくない家系だったそうですが、父母にはそんな能力はまったく現れ無くて普通の人達でしたのに。祖父母の系統に魔術師がいたらしく、隔世遺伝だと後から親戚筋の叔父に聞きました。

 魔術の勉強もかねて父母が亡くなった後は、お金も少しは父母が残してくれてたから孤児院と魔術学校を併行して開設していた、このベッレルモ公国の聖都テポルトリの公立宮廷魔術学校に入校したの。

 勉強はそれはそれはしたわよ、死にものぐるいでしたのよ。人間って本当に土壇場でやる気になればなんとかなるものと解ったのもこの時からでしたわ。

 そんな風に生きてきた私だけど悪い事ばかりでは無かったの。

 十年間の魔術の勉強でなんとか聖都のギルド本部でCランクの許可書をもらえるまでにはなったけれど、学校を卒業した後の宮廷魔術師団への入団では、結構びりっけつでボーダーラインぎりぎりでの採用だったみたい。魔術はお得意でも武術がおさむいのよ! そのお陰でか入団後は新人構成主体の魔術師団のグループ割りにはいれて、周りのお友達も似たような経歴でしかも皆、女のばかりのかしましい集団だから寂しさなんか感じている余裕も無くなっていたのかしら?』


                 § § §


 サギがラリーと出会った次の日の朝の事であった。宮廷魔術師団の女子専用宿舎で少し寝不足の状態で目覚めたサギはさっそく親友の容赦ない追求を受けることとなった。

「ねえっ! サギちゃん! 昨日、見たわよ! 誰、あの人!」

 サギに早速さっそく朝早くから声をかけてきた彼女はロミルダ・ヴェルトマン、通称ロミと呼ばれている。サギと同様に宮廷魔術師団の新人集団の仲間である。魔術師団の新人は宮廷宿舎で二人部屋が与えられるそんな中、ロミとサギはルームメイトであった。

 そんなロミの容姿はと言えば、サギと同世代でれはそれは可愛い女のだった。背丈はサギよりちょっと低いぐらいだが、でもスタイルは抜群で見た目には彼女の好みのダブッとした服装の影に隠れて解りにくいが、『私、脱いだらすごいんです……』を地で行く着痩せするタイプのようだった。まあ女の子同士の相部屋と言うことで、ロミはあっけらかんといっつも裸で部屋の中歩き回っていたみたいなので、いつもサギは眼福のまなこでロミの肢体を満喫していたと言うが。

 ――ロミの裸を毎日拝めるのは私だけの特権かな、この……本当にほっそい腰回りに肉感豊かな躰なのね、見ているだけでも……むっふって、同性としてもちょっと思うわよ! んっ、あれと言う事は、私も彼女から見られてるのかな? そんなロミの事を私は大好きよ、まあ、ちょっとおしゃべりすぎるのは玉にきずだけどね。くすっ! で、昨日の件、部屋に戻った時はロミはもう寝ていたと思ったのに……。


 そんな風にサギがロミの事を見ていたなどとは彼女は露も知らなかっただろうが、そんな事は臆面にも出さない調子で二人の会話は更に続く。

「近衛騎士団のイカルガさんと一緒に仕事に出かけたと思ったら帰りが遅くて、あらま~って思っていたのよ。帰ってきたら早速さっそく、お説教ってね! 不倫はだめよ! って……そしたら、さあ……なに、あれ~っ! 見・た・わ・よ!」

 二人の部屋の窓からは丁度ちょうど、昨日サギがラリーと分かれた宿舎への分岐路がよく見える。

 ――まさかロミがあの場面をのぞき見していたなんてぇ。そこまで気にしてなかったなぁ……昨日はねぇ、そんな余裕は私にはかったですから。


 そんな風に内心思い、冷や汗たらたらのサギの事はお構いなしにロミのツッコミはさらなる極みへと続いていた。

「ロミちゃん! 見てたの! 昨日! のぞき見なんて、いやらしいわねぇっ! ちょっっとぅ……ひどくないこと?」

「あれ~っ! いやらしいのはサギちゃんじゃないの~! まぁ、いやらしいって平仮名ひらがなで書くほうか? あんな夜遅くに……しかも遠目に見ても、うっとりオーラ満開だったわよ、あんた何があったか正直に白状しなさいって、もうぅ!」

「そんなんじゃ無いってば! 初めて会ったのよ、昨日彼に……イカルガさんの知り合いらしく、仕事先で紹介されたの。むふっ!」

 最後は昨日の事を自分でも思い出していたのか、サギは思わず顔がほころんでいた。

「何が……最後に『むふっ!』よっ! ……まったくもう、あんた男になんか興味が無いと思っていたのにね~ぇっ。サギちゃんをしたっているファンが可愛そうだわ……あんたね! あんたの事を思っている男子だんし諸君は掃いて捨てるほどいるのよ、解っていないでしょ!」

 ――何、ロミちゃん、それは初耳なんですけれど? 掃いて捨てられている? ドコニダレガデスカ?


「サギーナ嬢に! って、あたしがどれだけの男共から伝言を頼まれていたか知らないでしょ! あたしのお眼鏡にかなった男じゃ無ければサギちゃんになんか紹介出来るわけ無いでしょ……だからほとんどが失格者って事でみんな処理してきたのよ、あなたの貞操バージンはわたしが守るの!」

 ――ロミ、あなた何を行き成りここで宣言しているのですか? 私の貞操は私のものですから……。それでかなぁ、男の人はなんでか私を遠目にしか見てくれていなかったように感じていたのは、(ところどころで粘り着くようないやな視線もありましたが……)ロミちゃんのせいでしたか……シラナカッタノハホンニンバカリナリです。


「それで、彼はいったい誰なの? サギちゃん」

「えっと、それは……お名前はラリーさんっておっしゃって、同い年ですわ、確か、聖都のギルドから派遣された冒険者の方ってイカルガさんがおっしゃってたわ、確か……」

「サギちゃん、確か、確かって! そんなんで、あんた……いいっ! 冒険者ほど危険な仕事は無いでしょう! いつ何時、命を賭けて戦って、そして無残に命を落とすか解らないでしょ! そんな下手な役回りを引き受けるのが今の冒険者制度よね! あんたもよく知っているでしょうに。仮にもサギはその冒険者認定受けているんだからさぁ。あんたはそこら当たりは無理しないたちだから、そこそこのランクで収まっているけど、名誉やお金に目がくらんで身の丈以上の依頼を引き受けて亡くなっていくやからはごまんといるのよ! ラリーさんだっけ同い年って言う事はその辺の経験も何もまだまだって言う事でしょぅ。そんな人を彼氏になんかしたら、もしもの時に悲しむのはあんたよ! サギちゃん! 悪い事は言わないから、そんな彼はやめておきなさい!」

 ――ロミ、そんなにも私の事を想っていてくれたなんて……一生あなたの友達でいていいかしら。


「サギちゃん! あんたが、あたしよりも早く彼氏を作るなんて許さないから~ねぇ! あたしの遊び相手がいなくなるじゃないの!!」

 ――えっとぉ、ロミ、最後があなたの本音ね……悪いけど! 前言撤回してもいいですか? 貴方かれはSランク冒険者だとイカルガ伯爵からは聞いたけど、ラリーさんは隠しておきたかったみたいだから、あんまり周りに教えない方がいいわよね。ごめんね、ロミ! これは、秘密です。


 うわの空でロミの訴えを聞き流していくサギに更にロミは叩きかける。

「あっそうだ! サギちゃんの今日の魔術師団の任務は近衛騎士団からの依頼の貴族令嬢の護衛よね?」

「うん、確かそんな情報だったと思いますわ。ロミちゃん、悪いけれど、これからその為に宮廷の中庭に集まる約束なので、少し急がなきゃいけないの、昨日の件の詳しいはなしは帰ってきてからでいいかしら?」

「了解!! あんたが帰ってくるまでラリーさんだっけ、こっちも情報を集めておくからね!」

 ――いやいや、ロミそれは……そう言ってまた、私から殿方とのがたを遠ざける画策をしていませんか? ……今回はお願いだから……ほんとうにやめて欲しいの……!


 そんな事を彼女が内心思っているとそれがことさらサギの顔に出ていたようだった。

「……あなたなんか今、すんごくいやな顔をしませんでしたか? サギちゃん! ……じゃぁ、逆にいい事教えてあげるわ。いっことょ!」

「私にい事って? なぁに? ロミちゃん」

「今日の任務に確か……貴方ラリーも一緒にいるはずだわ!!」

「えっ~~っ!」

 ロミは最後の最後でとんでもない爆弾をサギにさらっと手渡し、満面の笑顔で彼女を送り出していた。


                 § § §


 ――昨日の今日でまた貴方かれに会えるなんて……。


 図らずもサギの心の中では既にラリーは彼氏の地位を築きつつあった。そんな風に思いながらも集合場所である宮廷中庭にいそいそと出向いて行くサギである。

 

 ――私の今日の任務はリッチモンド伯爵家のご令嬢の身辺護衛なのよ。リッチモンド家の領地までの道すがら、ご令嬢と一緒の馬車に乗り込んでの護衛だから、女性の宮廷魔術師が必要だったみたい。でも、伯爵ご令嬢と始終一緒なんて、ちょっと気が重たいな。宮廷魔術師って言っても、私は平民上がりだから、貴族様との会話なんか無理だと思うの。だから、さっきまではずっと気が滅入っていたけど、ロミからの爆弾発言が別の意味で私の気持ちを暗くさせているの。だって、昨日は酔いすぎて――よく覚えてい・な・い・のよ!


 仕事に対する不安と昨日の自分の行いの反省の中で混乱の極みいるサギはただ悲壮感の中から抜け出せずにいた。

「ああっ――っ、絶対、昨日きのうは私なにか、へましているはずだわ……」


 ――宮廷中庭の集合場所にはまだ人がまばらしかいなかったわ、少し早すぎたみたい、お陰で貴方かれにはまだ逢わないでいられそう。自分の心が落ち着くまでは顔を会わせるのが少しつらいかな。そんな事を思っているときっちりした鎧を身にまとった騎士の人が近づいてきたわ。


 サギに近づいてきた大柄な騎士が彼女に話しかけてきた。

「お見かけしたところ、宮廷魔術師の方かな? 自分は今回のパーティーの団長を務める事となった、近衛師団長のニコラス・ハミルトンと申す者です」

「近衛師団長様? って……あっ、ご挨拶が後れてしまって申し訳ありません。私、宮廷魔術師のサギーナ・ノーリといいます、道中よろしくお願いいたします」

貴女あなた様がサギーナさんですか、ごうわさはかねがねイカルガ伯爵からお聞きしてますよ」

 ――あら、イカルガ伯爵さんとお知り合いって……まあ、団長ですから当たり前ですね、私とした事が……って、絶対いい噂では無いわね!


 今日のサギの思考回路はとことん悲観的解釈が先に来ていた。とは言えイカルガ伯爵の知り合いという事で少し安心して話しを進められそうだった。

「イカルガ・ピネダ伯爵には日頃からよくして頂いてますわ。個人的にも大変お世話になっております」

「そうですか、貴女あなたのようなお美し方に懇意にして頂いているなんて、イカルガ伯爵もうらやましいかぎりですな」

「あらっ、ニコラス様もお口が上手ですこと」

 ――何この、社交辞令の会話は? 私だめだわ、そろそろボロがでそう……。やっぱり貴族レベルの会話は私には敷居が高いです。早く本題に入ってくれませんか? ……心が悲鳴を上げ始めていますわ。


 そんなサギの心の声が近衛師団長に届いたのか話しは仕事の本題に入っていった。

「そうそう、これからの任務の話しですが、貴女あなたにはリッチモンド伯爵のご令嬢を護衛して頂きたいとの要望を出しております」

 ――やった、やっと本題に入れるのね。よかったわ。


「はい、そのように伺っております、何か特に注意する事でもありますでしょうか?」

 サギは安堵と共に話しを聞く為に気を引き締め直した。そのを了承と解釈したのか近衛師団長が話しを続ける。

「そこなんですがね、注意というほどの事では無いのですが、ご令嬢の事でお願いがあります。ご令嬢は今年十八歳になられるお方ですが、何せくせのあるお方でね、たぶん初見で戸惑われると思いますが……是非とも、その点ご配慮頂きたいと思いましてね」

 ――んっ、なんか奥歯にものが挟まった言い方ですわね? どんなくせなのかしら?


 いまいち迂遠な言い回しに不安が募るサギではあったが取り敢えず頷いておくことにした。

「……わかりました、心得ておきますわ、ニコラス様」


 ――癖のある性格って、ナンなのかしら? まあ、貴族のご令嬢のことだから、気難しいのは想像もつくけど……それ以外って何かあるかしら? まあ、ひとりで悩んでもこればかりはしょうがないわね! 会ってみるしかないから。


 近衛師団長が最後に残した台詞をサギの中で反復する。仕事に対する心構えとしてはあえて何をするわけでは無いが、非常に気になる話しであった。と、サギがひとりでぶつぶつ言っていると馬車の近くで若い女性のヒステリックにわめく声が聞こえた。

「メイラー! メ・イ・ラー! 何処どこにいるの?」

 当たり散らすような声である、まるでさかりのついた猫の様な金切り声が聞こえた。

 そんな叫び声になんかいやな予感がしたサギであった。まさにちょっと前に悩んでいたことの現実が目の前に現れたようで背筋に氷を入れられた時の様に寒気を感じてしまっていた。

 サギが戸惑いを感じながらその場で成り行きを見守っていると一人のメイドが息せき切って駆けつけてきた。

「リアーナお嬢様、如何いかがなされましたか?  メイラーでございます」

「メイラー! まったくどこに行ってたのですか? 呼びつけたら直ぐに来きなさい!」

 ――あれ、今、リアーナお嬢様って言っていなかったかしら? もしかしたら彼女が、あのリアーナ・リッチモンドお嬢様?

 

 案の定サギの厭な予感が的中してしまったようだった。

「お嬢様、申し訳ありません」

 叫び声を上げていたのが伯爵令嬢のリアーナそして呼び出されたメイドの人はメイラーと言うらしかった。

 ――なんて言うのかな? メイラーさんが怯えながらリアーナさんの側にひざまずいているのが見えたわ。可愛そうに。


 サギは客観的にそう判断していた。この時点でメイラーに一票でリアーナはイエローカードであるが、彼女にレッドカードを出すかどうかこの後に続く話しをサギは黙って聞くことにした。

「メイラー! 私の洋服を入れたトランクは全部持ったのかしら?」

「お嬢様、お嬢様専用のトランクはすべて荷馬車に乗せてございます、確認なさいますか?」

「あらま~そぅ! それじゃいいわ! もう、下がりなさい」

 ――えっと、いくら自分専属のメイドだからって、無理矢理呼びつけておいて、れはあまりに酷くない事! ……って思っていると、案の定また我が儘を言い出したようですね。


 とサギが心なしか怒りの心境に入り始めていたがまだ二人の話は続いていた。

「待って、やっぱり用事があるわ! この服じゃいやだから着替えます。先日の晩餐会で着た、赤いドレスを出して頂戴! 今すぐ!」

「えっ、お嬢様、今からですか? もうすぐ、ご出発の時刻ですが……はっ、わかりました、今直ぐにお持ちいたしますから、馬車の中でお待ち頂けますか……」

「わかったなら直ぐに持ってきて!」


                 § § §


 ――ニコラス様に文句を言いに行こうかしら、癖のある方って言うのは、はた迷惑な我が儘娘ままむすめって言う事かしら? このお嬢様のご相手を私がやれるのかしら? 

 

 伯爵令嬢とメイドの遣り取りを聞いていて、サギがほとほと自信を無くしたところに、メイドが息も絶えだえにして戻ってきた。

「リアーナお嬢様、お待たせいたしました、ご要望の着替えの服をお持ちいたしました」

 ――あっら、探すのが凄く早いわねメイラーさん! 日頃からこういう状況にすっごく慣れていそうだわ。

 

 と、サギ審判のメモにはこの時点でメイラーに二票が入ったようだったが。

「メイラー遅いわよ! もう気がそれたわ! いらない! 下がりなさい!」

「……はっ、お嬢様、……わかりました」


 ――更にメイラーに一票って。えっ、何、今のそんなのありなのですか! メイラーさんは、いつもの事のように顔色ひとつ変えずに、後ろの荷馬車の方に戻っていったけど……あまりにひどい仕打ちではありませんか。そんな私の思いを知ってか知らずか、メイラーさんは私の横を通り抜けていくときに、ちらりと此方こちら方を見たわ。申し訳なさそうな顔をして……『いやだ、もう!』そう言った様にも私には見えたわ。


 まさに今見た出来事にサギが唖然としていると、リアーナ嬢がサギに気付いたらしく彼女の方に近づいてきた。


「あらっ、見ない顔ね! あなたは何方どなた?」

「あっ、リアーナお嬢様、お初にお目にかかります、この度、宮廷近衛師団の団長様からお嬢様の身辺護衛を任されたサギーナ・ノーリと申す宮廷魔術師です」

 ――一応、気が乗らないけど、任務だし失礼の無いように挨拶はさせてもらうわね、ワガママお嬢様! と心の中ではちょっとは毒づかせてもらうわ。


 サギが氷点下に下がった伯爵令嬢への評価をひとまず横に置いておいて何とか作り笑いでリアーナに対処しているとそんな事とは露知らずの彼女の矛先はサギへと向かったようだった。 

「あっそう、あなたが今回の旅友達って訳ね、少しは楽しませてくれるのかしら?」

 ――旅友達? あっ、そういう役回りで伝わっているのかしら? 友達って私のほうにも選ぶ権利は在ってもいいのでは……と思うが、そこは貴族のご令嬢ならではの鼻持ちならない態度にも我慢我慢。

 

 そんなサギの内に秘めた気持ちにはお構いなしにワガママお嬢様はさっさと馬車へと乗り込もうとし、サギについてくるように促していた。

「まあ、いいわ、一緒に馬車に乗り込みましょう。もうすぐ、出発みたいだから」

「……はっ……………………っ!」

 これから始まる気の重い旅の道中を思ってサギは大きくため息をついていた、遣る瀬なさに似た思いもそれに載せて。


 リアーナ・リッチモンド伯爵令嬢と相乗りで赤い馬車の中に乗り込んだサギは、さっそく伯爵令嬢から辛辣な言葉のやいばを向けられる事になった。その棘のある言霊ことだまは、まるで呪術の如くサギの心を蝕んで行くようだった。

「サギーナと言ったわね、あなた平民の出ね! 平民のくせに魔術師なんて、どうせ『黒気』の魔力レベルなんでしょ! そんなんで護衛でございますなんてよく言えた者ね! あら悔しい? 私が憎らしい? 平民ごときが伯爵令嬢である私と張り合えると思っているのかしら? 私も魔術ぐらいは使えてよ、しかも『白気』のオーラは出せるわよ! 如何いかが!」

 ――お嬢様はなんでここまで悪口あっこうが如く他人をののしるのかしら? あまりに酷い態度に、怒りを通り越して呆れてしまうわ。

 

 サギとしてもこんな状態でずっと悪口雑言を浴びせられ続けながら二日間耐えなければならない事に恐怖さえ覚えかけていた。

 とりあえず自分の耳に不感症の魔術をかけておくことをサギは忘れなかった、これなら耳から入る言霊ことだまは無意識に聞き流される。『これでしばらくは耐えれるわ……はぁ~っ』と呟きと同時にため息をつきながらサギは馬車の窓から外を眺めていた。

 まったくどんな因果でこのような役回りが回ってきたのだろうと彼女は考える。と、昨日の夢のような出会いが当面の自分の運を使い切ってしまったのではと思うようになってきた、そんなふうに思っているとまさに視界の中に想いの貴方かれの姿が映った。『あっ! ラリー様!』 今までの気の重い呪術から救い出してくれるかのような淡い想いに、サギの心が静かに包まれていくのを感じていた。


                 § § §


「サギーナ! サギーナ! ねえっ、聞いているの!」

 ――そんな私の心をまた、あの呪術が覆い尽くそうとしている。思わず、きつい目つきでお嬢様を睨み付けてしまったわ、でも仕方が無いわよねラリー様、そんな私の事を彼は呆れるかしら。


 淡い想いの中にいたサギを無理矢理引きずり出した言葉に反射的に怒りが顔に出た。思わずサギはリアーナを目を吊り上げながらその目力で射貫いていた。

「……! な、なっによ! 文句あるの! 平民のくせに!」

 ――あっん! もう! 限界! です。言っちゃいます! ごめんなさいニコラス様。まだ出発前だというのに……。


 サギは睨み据えたその目を閉じてひと息深呼吸すると、カッと目を開き直してリアーナに対峙し彼女にゆっくりと告げた。

「お嬢様! 私は確かに、平民上がりのしがない魔術師です、でも今回は貴女あなた様の身辺護衛として同行させていただいております。この先、魔獣が俳諧している森の中への道すがらもありますから、あまり無碍むげにされると私とて心の弱い人間です、お嬢様の護衛心に、ぶれが出てきても責任持てませんことよ! いいですか、伯爵様ご令嬢ともある貴女あなた様の人柄が、リッチモンド家の領民の幸せを創っていくことをお忘れにならないことですね!」

「……なっ! なによ! おっっ、脅す気!」

 ――あれっ、お嬢様なんか、怯えてませんこと? ワタシソンナニキツクイイマシタカ?

 ――もしかして、このお嬢様って今までの高飛車女の装いは自分の弱さを隠すためかしら? 本当は誰かに寄り添いたいのにご令嬢という気位が足枷になって、あんな風に常に他人に対して攻撃的な言動を取るようになったのかしら? そういえば『白気』のオーラって言ってたわね『黒気』から『白気』の間のグレーになる部分が……ここの精神制御は黒魔術との近接相性になりやすいからその影響もあるのかしら? 

 サギはそんなことを心の中で考えながらも、ぼーっと窓の外を何を見るとも無く眺めていた。するとラリーが小隊の聖騎士長の人と立ち話をしているのが彼女の視界に入ってきたのに気が付いた。

 ――ラリーさん、また逢えた……。でも昨日の事を良く覚えていないの……、私……ラリーさんに酷いことしてなかったかしら? 逢いたいけど逢うのが怖い、嫌われたくない……あっ、こっち見た! ラリーさんの目線が、私の事を見つけたのがわかったわ。自分の頬が、顔が少し火照ってくるのがわかったの。


 サギはラリーと目が合ったとき軽く会釈をしたつもりだったのだが、何となくその時のラリーの顔がこわばった様に彼女には見えたので少し心配になったらしい、やはり昨日の出来事はラリーにとっては迷惑だったのだろうかと不安な気持ちが彼女の心を捕まえて離さなくなってきていた。その為つい、ふっーと大きなため息がサギの喉をついて出てきた。

「……えっ! な、なっにぃ、こ、こっんどはため息! なに……っよ!」

 ――あっと、お嬢様の事を忘れていたわ! 貴方かれに気を取られて自分のすべき任務を放棄しては魔術師の名折れになりますわ。あらためて気を引き締めることにしますの。

 ――まずは、このワガママお嬢様の心の矯正ね! なんとかしましょう! けど、お嬢様は名刀「辛辣言葉刃」は鞘にしまわれたのかしら? 最初のころの刺々しさが随分、影をひそめているわね? しかも、何かうじうじしてるし……。

 

 リアーナの態度に何処となく、そんなことをサギが感じ始めていると馬車が緩やかに動き始めた。出発時刻のようだった。

 伯爵令嬢のリアーナを乗せた馬車は三座席の大型の移動応接室のような造りとなっていた。外で馬車を操っている御者の座席と客室には仕切りがあった。その仕切りを背にしてサギが座わり、その彼女の目の前にリアーナが座っていた。


 ――馬車の進行方向に向かって、お嬢様はお座りになっていらっしゃるのですけれど、ひとり座の長いすにちょこんと背を丸めて、まるでしかられた子猫みたい。そのさらに後ろの座席にはお嬢様のメイドさんがお二人並んで座っていて……そのひとりがさっきリアーナお嬢様にいじめられていたメイラーさんなの。メイラーさんは今のお嬢様の様子を見て、目をパチクリしているわ、なんかすごいものを見た! っていうような顔で……。何故なぜかしら?


 馬車の中で手持ち無沙汰にくるりと様子を見渡したサギはそんな事を思っていたが、何となく。それもリアーナのひと言で現実に引き戻された。

「やっと、出発っなのっ! まちくたびれたわ。ほんと……」

 ――リアーナお嬢様は、車窓から外を見ながらふーっとため息をついていらっしゃるわ。言葉にはまだ若干棘があるけど、さっきより少しは落ち着いたみたいだわ。


                 § § §


 サギがそんな風にリアーナの事を観察しているとそんな彼女が声を掛けてきた。

 

「……サギーナって、彼氏いるの?」

「えっ! お嬢様、出発したばかりで……いきなり何をおっしゃっているのですか?」

「あら、なにか悪いの? 間が持たないから……! 到着した時にする質問かしら? これは?」

 ――いやいや、そんな間が持たないからっていきなりそんな質問ですか? 困りますことよ。まあ、確かに出発前でも到着後でも関係無い事ですけど。ほら後ろのメイラーさん達もどぎまぎしているじゃないの、ねえぇ……。まったく! 最初の頃の辛辣な言葉よりはまだ女子会的な会話でいいですけど、どう返せばいいか私にもすぐ対応が出来ない質問でほんと困りますわよ。


 サギはリアーナにそんな話しをいきなり振られて即答できずにいたが、それをリアーナはサギの癇に障ってしまったと解釈したらしかった、声高な様子もすっかり引っ込ませて素直に謝り始めた。

「まぁ……しゃべりたくないなら……別にいいです……けど……ごめんなさい」

 ――今度は……なっ、いきなり謝ってくるし、なにこのワガママお嬢様はキャラぶれすぎでないでしょうか?


 そんなリアーナにサギは困り顔で応える。

「喋りたくないというわけではございません、ただ、なんて答えていいのか、自分でも迷っているだけで御座います。まあ、彼氏っていえる殿方とのがたは、まだいないですけど……」

 ――『いない!』って言葉に突然、お嬢様は目を輝かせて、こちらににじり寄ってきたわ。えっ! なに! この御令嬢


「いないの! サギーナ! いや、サギって呼ばせてもらってもいいかしら? ねぇ! ほんと!」

 ――えっ、今度は何……なんで、ソンナニクイツイテクルノデショウカ?


「私って、ご令嬢でしょ……ほら貴族だし、かわいいし、綺麗だしでもね……家の決めた許嫁いいなずけがいるのよ、それも……鈍くさいやつ! メイラーなんか、メイラーなんか! メイドのくせに家の使用人の男子といい仲なのよ! しかも超イケメン男子だし! ずるいのよ! 確かに、メイラーもかわいいわ、素直だしスタイルもいいし、けどね平民のくせにリア充なんて卑怯よ! 私なんか……もっと良い彼氏欲しいのに……領民のために身を犠牲にして生きていかなければならないのよ……っ! わっ~んっ! ぐすっっす」

「…………ぇ!」

 ――おっぃ~ぇっ! なになになに……このお嬢様はどんな人なの? これがくせのある方の正体でしょうか? 私はどうしたらいいの? これじゃ外から見たら私がお嬢様を泣かしているみたいじゃないですか、ラリーさんに聞こえたらどうしよう! ねぇ、お願いだからお嬢様~っ泣かないでいただけませんか! こっちが泣きたくなってきましたわ。 


 そんな風にサギはリアーナの事がだんだん分からなくなり始めていた。

 ――リアーナお嬢様はさんざん泣き明かした後、メイラーさんの入れてくれた紅茶をたしなんで、やっと落ち着いたのか、ゆっくりと身の上話を初めてくれたの。それも私の隣に座ってきて……。


 サギの隣に座り直したリアーナはゆっくりと自分の気持ちをサギに吐露し始めた。

「ねえ、サギ。さっきは失礼なことを言って本当にごめんなさいね。ここのところ情緒不安定なの、今年で十八歳になるのよ、私、そうしたら許嫁いいなずけのところに、もうすぐとつがないと行けない歳になったって事なの、許嫁いいなずけっていったって幼い頃に、父上が勝手に決めた相手なのよ。父のピエール・リッチモンド伯爵はここらあたりの中流貴族なのよ、だから上流貴族の公爵家や侯爵家の次男三男を婿むこに取って、私がリッチモンド家を引き継いでいかなければお家は途切れて、この地の領民は別の貴族の所有となるの。まあ、それでも人格のある貴族様に引き継がれるならそれでも良いのだけれど、そうとも限らないのが世の常でしょう。だけどね私だって、乙女ですから人並みに恋もしてみたいし、あこがれる殿方とのがたがいても良いじゃない! だって、メイラーなんかいっつも幸せそうだもん! ずるいのよ! いじめたくなる気もわかるでしょ! って、なんか腹が立ってきたわ! メイラー! メイラー!」

「はい、お嬢様、なんでしょうか?」

「っん! 別に! 呼んだだけだから、下がって!」

 ――は……てっ! ワガママお嬢様キャラって、単に八つ当たりじゃないですか。確かに、領民のことを考えて自分の立場をみているお嬢様らしいから、本当はいい人みたいだけどメイラーさんに取っては、はた迷惑なご主人ってこと? まったく、私はどうしたらいいのかしら?


                 § § §


 サギはリアーナの豹変の状況に戸惑いながらも実際の彼女の姿をしんに見ていると、実に魅力的な人に思えてきた様だった。まあメイラーのリア充が結局のところ、ただ羨ましくて嫉妬しているだけの八つ当たりと言う事が分かっただけでも、サギの方は随分リアーナの事を好ましく思うようにはなってきていたようだった。

 そしてお昼過ぎには既に護衛騎士団とリッチモンド伯爵、御一行様は聖都テポルトリの隣町ムーラスまで辿り着いていた。

 一行はこのムーラスの町で今宵は宿泊する事になっていた。この町を抜けるとこの先、山間やまあいと森に囲まれた魔物、魔獣、野獣の生息域に入っていくため、日が暮れてくると流石に危ない事から旅程としてここでの一泊を余儀なくさせられていた。

 リアーナに伴い馬車を降りたサギは馬車から降りて直ぐに、彼女の目の前にラリーが立っていることに気が付いた。その事態でサギは思いっ切り動揺していた。


「あっ! ラリー様!」

「やはり、サギさんでしたか、あの魔力オーラの持ち主は」

「あ、あのっ……ラリー様、昨日は私、何か至らない事をしていませんでしたか? ラリー様に対して……っ……さ、先に謝らせて頂いてよろしいでしょうか」

 ――ラリー様の困ったようなお顔……やはり昨日は私、何かしたんだ! あ~ぁ、どうしよう。嫌われてしまったかしら……もう、穴があったら入りたい気分です。


 サギの心は図らずも少しすさんできているようだった。

「いや、サギさん此方こちらこそ、昨日の晩はご迷惑をおかけしませんでしたか? 昨日の今日でまた、すぐに貴女あなたに会えるなんて思っておりませんでしたよ」

 ――やっぱり……思ってないなんて、私……嫌われちゃったかな。


 そんな想いををサギが抱えて、ひとり勝手に悄気しょげ返っているとリアーナがふたりに近づいてきた。彼女はメイラーさん達を引き連れて宿舎に入っていくところでラリーとサギの遣り取りに気づいたようだ。そしてサギの目の前に歩み寄ったリアーナが彼女に声を掛けた。

「あら、サギーナ! 其方そちら殿方とのがたはどちら様ですか、お知り合いの様ですね、出来れば私にもご紹介して頂けませんこと」

「……お嬢様、此方こちらのお方はラリー・M・ウッド様、今回の護衛騎士団の方で、ちょうど私達の馬車の護衛小隊に配属されておりますのよ、私も昨日初めてお目にかかったばかりですわ」

 サギとしてはなんかいやな予感がするらしく、リアーナにはラリーをあまり紹介したくなかったらしいが、この場合は諦めるしか無かったようだ。

「ラリー様、此方こちらのお方は、ピエール・リッチモンド伯爵のご令嬢であらせられる、リアーナ・リッチモンド様ですわ」

「これはこれは、リアーナお嬢様、お初にお目にかかります、ラリーと申します。以後、お見知りおきください」

 ラリーは、リアーナに対してひざまずいていて騎士の様に一礼をしてみせる、サギから見ても素敵な所作でそんな姿に益々想いを拗らせていく彼女であったが……そんなサギ達の思いとは裏腹にリアーナはラリーにねぎらいの言葉をかけていった。

「ラリー様ですね、護衛任務ご苦労様でした、明日もよろしくお願いしますね、ではお先に失礼いたしますわ。サギーナも後でね」

 ――なんて、お嬢様は私にさり気なく軽くウインクしてから宿舎の方向のお戻りになったの。しかし、あのワガママお嬢様はいったいドコヘイッタノカシラ? すっかり、上品な淑女に急変されて、此方こちらが逆にドギマギしてしまうから……。ほら、ラリー様もお嬢様の後ろ姿に見惚れているし、ふんっだ! ラリー様ったら、き・ら・い! そんなこんなで、その後はラリー様との会話は途切れて、二人とも差し障りの無い挨拶だけで別れたわ、残念だけど。私、悪くないわよね! 私はリアーナお嬢様の後を追いかけて、宿舎の中に入って行ったの、ちょっと、何でか知らないけれど目頭が熱くなって、その後、涙で前がよく見えなかったわ。


 サギの斜め思考の拗らせかたは筋金入りのようだった。そんな風に落ち込みながら宿舎中に這入っていったサギのことをリアーナが意気揚々と待ち構えていた。

 ――宿泊施設の中に入ったところで、お嬢様がニコニコしながら待っていたの、本当に楽しそうに私の事を待っていたようだわ。


 熱くなってきた目頭を前髪で隠すようにサギは俯きながらリアーナ達に近寄って行った、そんなサギの気持ちをどんな風に汲み取ったのか分からないがリアーナが口を利いた。

「あら、サギーナ随分と早いお帰りだこと? 彼の事はもう良いのかしら? それとも、さっきの私のご挨拶はお邪魔だったかしら? ごめんなさいね」

 ――全く心のこもっていない謝辞を聞いても、私の気分は晴れては来ないの、お嬢様、出来ればそっとしておいて欲しいのに……。そんな心の中の声なんて今のお嬢様には届きはしないわね、もう今日の夜の女子会はきっとこの話題で盛り上がりたいと思っているのよ。後ろで控えているメイラーさんらメイドさん達もわくわく顔でこっちをみているし、もう、いや!


「サギーナどうしたの、浮かない顔して、もしかして振られたの? 昨日の今日で……?」

 ――リアーナお嬢様! なんで、そんなに私の心の奥底までをえぐろうとするのかしら? 確かに、今日、最初のうちはお嬢様に私つらくあたったのは認めますけど、それはあの時はそうするしかなかったからなのに。


 あまりに苦悶の表情を浮かべていたサギの様子に気が付いたのか、流石のリアーナもそろそろ潮時と思ってくれた様だった。

「まあ、このことはもう少し後でゆっくり聞きましょう、ではメイラー! お部屋に案内して頂戴、サギーナは今はまだいいわ、ひとりになりたい時間でしょうから……後でね」

「お嬢様ありがとうございます。お心遣い感謝いたします」

 ――その前にだいぶ遊ばれた気がするけど、もう解放してくれることに素直に感謝しておくとするわ、ほんとにひとりになりたかったのよ。いつもなら就寝前に日記を付けるのだけれども、今日はもう付けてしまおうかしら? どうせ、もう良いことはないでしょうし! 昨日今日と反省至極です。涙で日記を濡らしてしまいそう。


                 § § §


 そんな風にラリーとの事でひとり芝居の落ち込み役を演じていたサギに追い打ちをかける騒動が降りかかっていた。

 ――それはそうと、もうひとつあまり良くない出来事があったわ。リアーナお嬢様がお部屋に戻られたあとにね、ロビーにまだいた私の所にリッチモンド伯爵様が突然来られて、私を見つけるなりこう言ったのよ。

 

 ロビーでひとり黄昏れていたサギにひとりの紳士が近づいてきた、この行事の依頼主であるリッチモンド、それは伯爵その人であった。

其方そなたがサギーナ嬢という者か? これはまた見目麗しい金髪の美女よの! 実に美しい、是非とも其方そなたを我が側室に迎えたいが、どうじゃ!」

「えっ……っ、伯爵様、そんなご冗談を…… !」

 ――いきなりのお話に、自分の耳を疑ったの、咄嗟に返す言葉も無くしていたわ、あの時は……!


 いきなりのことで目を白黒させているサギにはお構いなしに、リッチモンドはひと言彼女に告げて去って行った。

「サギーナ嬢、これは我としたことが早計すぎたようじゃ、まあ返答は後日で良いからの、はっはっはは! 楽しみに待っとるよ……」

 ――そう、リッチモンド伯爵様は自分だけ言いたいことを言って、戻って行かれましたわ! 蒼白な顔色でその場に立ち尽くしている私だけを残して……。


 ひとりその場に立ち尽くすサギは無意識に天を呪った。

「今日はなんという日なの! 厄日かしら!」

 ――そう呟く自分がやけに空しく思えて、また涙が止まらなくなったの……『ラリー様っ!』心の中で貴方かれを呼んだわ、ぐすっん。


 その場でサギは直ぐにはロビーから動けずにいた。暫くそこで彼女自身が落ち着くのを待ってから部屋に戻っていった。そして部屋に戻ると其処には、先程までの出来事が散々だったからか厄落としの意味もかねて、さっさと今日の分の日記を付け終わらせようと書き物机に向かって無心に筆を走らせるサギの姿があった。

 日記を書き終えるとその足でサギはリアーナの部屋を訪れたのだが、残念ながら部屋の主は不在で、ただサギ宛の書き置きがその場に置いてあった。その書き置きにはこう書いてあった……「温泉で待つ! 早く来なさい!」……確かにリアーナならしい書き置きではあった。

 再び自室にサギはひとり戻り温泉へ入る仕度をしてから、リアーナが待つ温泉浴場へと向かっていった。その時、何故か彼女は仕方が無いからと先程書き溜め終わった自分の日記を持ったままであったのだが。

 温泉施設までの館内通路は非常に入りくんでいて慣れている従業員でも時々迷うことがあるらしい、ましてや初見であり、其れまでの出来事でひとり黙々と落ち込んでいるサギにとっては、まさに迷宮だったようだ。そんなところでサギはラリーと鉢合わせしてしまう。

 ――温泉への行き方で迷っていたら、そこでばったりとまたラリーさんに会っちゃたの。曲がり角で、それも出会い頭にぶつかっちゃたわ。その時本当に私暗い表情だったみたい。ぶつかった拍子で……私、ラリーさんに抱きついちゃった。もちろん弾みよ! 弾みにきまっているじゃない。ラリーさんの腕の中で抱きしめられて、ドキドキだったけど……。うふっっ! ラリーさんもなんか落ち込んでいたみたい、どうしたのかしら? でも、なんか彼も変によそよそしくてね、やっぱり会話が続かなくて後ろ髪を引かれる思いだったけど……そこで別れて温泉浴場に向かったの。


 どうも今日のサギは調子が悪いらしい、良いことも全て悪い方に捉えてひとり悶々と過ごしていた、そんな状態のまま彼女は宿の温泉施設にようやくたどり着いた。

 ――女湯入り口の格子戸を開けて中に入ると、ビックリした光景に出会っちゃった。全くあのお嬢様は何をしてたのかしら? 酷い有様だったわ、ほんと!


「あっ、サギーナさん」

 サギの姿を目にして助かったとばかりにメイラーさんが慌てて彼女の方に向かってきた。

「メイラーさん、これは? お嬢様はどうなさったの? このお姿は?―――?」

 当のリアーナは、今、サギの目の前で床に大の字になって横たわっている。それも白目をむいて全裸の状態であった。

 ――何これ、お嬢様ったら、すっぽんぽんの真っ裸で……! 白目って、ぁらっ~っまぁっ……! あられもないお姿を、私達、下僕の眼前に見事にさらしていらっしゃるの。それにしても綺麗なお身体だわね。極め細やかな肌で透き通るような白さ、お人形さんみたいだわね。羨ましいこと! まあ、事件性も無さそうだし、パッと眼に見て、単なる湯あたりであろう事は明白なのでお嬢様はひとまず放っておく事としましょう! ちょっとは、可愛そうだけど自業自得ですわね! とは思ったものの、白目のまま倒れていてはこれ以上の体調の悪化もあり得るから、軽く回復魔術はかけて置きましょうか! メイラーさん達に、お願いしてお嬢様にガウンを羽織らせ脱衣所の長椅子に横たわらせてもらってから、回復魔術を軽くかけておきましたの。今は卒倒の状態から失神状態までは容態が直っていますわ。誰っ! それじゃ何も変わらないじゃ無いかって言った人は! 


 心の中で誰に向かって叫んでいるのやら……サギの被害妄想癖は相変わらずのようである。


                 § § §


 サギはひと通りの応急処置を終えるとその場で立ち竦んでいたメイラーに状況説明を求めた。

「メイラーさん、これは如何どうしたのですか? お嬢様は何故なぜ倒れておられるのかしら? 温泉なので裸はやむを得ないにしても、白目をね! ちょっと無いんじゃ無いかしら? 何があったんですの?」

 流石にこの状況ではメイラーも上手い言い訳も出来ず、彼女はリアーナをかばうこと無く事の顛末を正直に話し始めた。何となく彼女の想定範囲の事情だったようで唯々それを聞いて呆れるばかりのサギであった。


 ――まあ、余りに予想通りの話の展開に、頭を抱えてしまいましたわ。お嬢様は湯船の中で今を遅しと私を待っておられていたようで、しかも、さらにもっと驚かせようとお湯の中に潜っておられたんですって。メイラーさんが何度も湯あたりしやすくなるからとめさせようと注意したんですが聞き入れてもらえなかったそうですわ。そうしたら、程なく湯船で倒れてしまったと……! 其れって、湯あたりどころの話しでは無くなってませんこと? 溺れてますって、それじゃ! 良くもまぁ、生きていられましたわね、私が来る前、命を無くしてもおかしくないじゃないですか。『お嬢様、どれだけあなたは馬鹿なんですかぁ?』って、思いっきり毒づきたくなる心を抑えて、お嬢様にはキッチリと回復魔術を施しておきましたわ。これで明日の朝には普通に起きられる事でしょう。


 内心、馬鹿姫って言う言葉を散々心の中で唱えていた事はサギの胸の中だけに留めて置くことにして彼女はさっそくリアーナに施術を施すことにした、しかもついでと言えばそうだがリアーナの失神状況が丁度良い精神状態なので彼女を蝕んでいる澱んだ彼女の『気』の浄化も同時に行う事にしたのだった。

 ――メイラーさん達は、私の施術を目をむいた顔で見てましたわ、だってお嬢様の周りに一際ひときわ黒々としたオーラが淀めいたかと思うと一気に其れを引き抜いて霧散させて見せたのですから―――まあ、流石にあれだけ真っ黒なオーラだと、魔術師でなくても見えるでしょうし、まるで淀んでいた下水道のヘドロの如くに見えたに違いないでしょうから。メイドさんのひとりはそのオーラに毒されて、トイレに駆け込んで吐いていたわね。お嬢様は『白気』に魔力気が上がるのが急すぎて、抜け出せなかった『黒気』魔力が、心の奥底に潜んでいたみたいなのね。あまりの出来事に理解が追いつかないのか、本気の心配顔でメイラーさんは私に聞いてきたの、まあ、あれだけお嬢様に苛められているのに、なんてご主人思いの方なのかしら! お嬢様には勿体ないメイドさんだわね、ほんと……。


 本心からリアーナの事を心配してくるメイラーに心洗われたサギは彼女に優しく話しをし始めた、お願いの意を込めて。

「メイラーさん大丈夫よ! 失神状態だからちょうど良いので、魔力気の調整もほどこして於いたの。普段の眠りの状態ぐらいではこの術式は無理なのね。大丈夫、明日の朝にはちゃんとお目覚めになるでしょう。今はこのままぐっすりとお眠りになられている状態だから、まず起きないでしょうけどね!」

 ――ご主人思いのメイラーさんへはちゃんと説明をしておかないとね、聖都テポルトリ公立宮廷魔術学校魔術課程課三年間連続主席は伊達ではなくてよ! まあ、武術課程課ビリッケツなので、卒業時総合成績は中の上位くらいだったけど……ねっ。でも、最後にメイラーさん達にはひとこと言って於かなければ為らないことがあるの。


 サギの説明で少しは気が晴れたようでもやはり心配な思いは拭いきれないようで、不安な表情でリアーナのことを見つめるメイラーにサギはそっと囁くように話しを続けた。

「メイラーさん、明日、お嬢様は目が覚めましたら、最初にあなたに今までのあなたへの行いを恥じて謝りますわ、それはきっちりと受け入れてあげて下さいね、恐縮してへりくだってはいけませんことよ。お嬢様に取ってそれは、あなたからの拒絶意識と捉えるに等しい事に為りますのでね。」

「お嬢様は、明日から新しい人生が始まるんです。まるで人格が変わったように見えることでしょう、でもそれがね本来のお姿なのよメイラーさんならそう、分かるでしょう」


 ゆっくりとだがしっかりした語調でメイラーにサギは言霊を伝えた。

 サギのひと通りの説明をメイラーが聞いたところで彼女達メイドは、リアーナを彼女の部屋まで連れて帰って行った、そうして今回のひと騒動は終わりを告げたのだった。

 ――ほんと、人騒がせな、お嬢様ですわ。

 

 サギひとり残った脱衣所に彼女のぼやき声が無慈悲に響き渡っていた。

 ――みんなが脱衣所を引き払った後、ひと仕事終えた気分で、ひとりゆっくりと温泉を楽しむことにしたの。まあ、おかげですっかりラリーさんとの気まずいひと時のことは忘れていたわね、それだけはお嬢様に感謝しなくちゃね! でも、温泉から上がって大変なことがあったのよ~っ! 脱衣所で着替えている時に気がついたの、私の大切な物が見つからないのよ! そこら辺りを探して見たわよ! 必死にね! だって……あれを他の人に見られたら……もう生きていけないわ! 


 蒼白の表情でサギが叫んでいた。脱衣所の中タオルひと巻きのあられも無い姿のままで。

「日記が無いの! 日記が! 私の! ぅぅっう……!」

 ――神様に祈る気持ちですわ……ぇぇぇっん! 

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