第1話

 世界には人でない妖怪と人である能力者、無能力者がいて、それはもうずっと昔からのことだ。先生もそれ以前の無能力者しかいなかった世界は歴史の教科書や物語の中でしか知らないと。ゆっくりと、確認するように先生は話していた。

 髪色や目の色もそうで赤や青、緑に黄色。そんな色を生まれながら持っているのは当たり前のことだし、家族でも違う色を持っていることは別段珍しいことではないよな、と。だけど昔はそうではなくて、能力者が生まれるに連れて様々な色を持つ者が増えていったのだとも。


 目の前の現実から逃避するように今日の授業で習ったことが、ぐるぐると。翔の頭から離れない。

 高校に入って初めての世界史の授業で、簡単な自己紹介の後に誰もが知っているようなことから、少しずつ復習するように担当の先生は話してくれた。


 能力者や妖怪が生まれる以前の無能力者しかいなかった時代。翔が持つ黒髪に黒目は、昔では有り触れていたらしい。数少ない文献に、この国ではその色彩が主流だったと、そう記載があったという。教科書の最初の方にその文献の写真が載っているぞと。先生に言われたとおりに教科書を探せば、それは著者の判別もつかないような、ボロボロの古い本だった。


 クラスで唯一の黒髪黒目だったせいで、先生に名指しされたのは少しばかり嫌な思い出だ。まだ親しい人が誰もいない空間で、どういう反応をすればいいかわからず翔は困ってしまった。彼の色がと先生が言えば、じゃあ先生の色は、私の色はと。生徒の関心を買うには大当たりだったものの、そういうのはもっとクラスの中心になる人へとお願いしたものだった。上手な人は、それをきっかけとしてクラスを盛り上げたり和ませただろうに。翔はクラスの中心であれるような質ではないのだ。

 だから、少しばかり嫌な思い出。けれどそれは、自分の持つ色への嫌悪にはならなかった。むしろその、かつて有り触れていた色だったというのが好ましかった。翔にはしっくり来たのだ。突出した部分のない自分にはピッタリの色だなと。


 家族もみな無能力者で、友人の妖怪や能力者も至って普通で。周りには、妖怪や能力者で差別をしているような知り合いもいない。本当に平凡で、どこにでもいるような、ただの無能力者だ。

 習い事などはしていなくて、ただ学校と家を往復する日々。高校生になって変わったことは、通う道ぐらいなもので。代わり映えのない、有り触れたと表現されるような日常をただ繰り返すことに、不満を覚えることもない。今日だって、いつも通りだと。なんの根拠もなくそう思っていた。 


 始まりはそう、悲鳴。


 学校からの帰り道の、人通りが多い駅近く。そこに響いた不釣り合いな声に、思わず足を止めたのは条件反射のようなものだった。悲鳴の聞こえた方を見ても、人が多すぎて何もわからなくて。周りの人も似たり寄ったりなようで、なんだどうしたと声が、ざわざわと広がった。けれど、そのざわめきは、悲鳴の中心部より上がる声にかき消された。

 早くこの場から離れてと、女性の声。泣き叫ぶ子ども。癒しの力を持つ者はいないかと、声を荒げる男性。そして幾度となく上がり、止まない悲鳴。それらの声から得られる情報で、何がどうなっているのか把握できている人は少なく、混乱だけが伝播していく。

 切羽詰まった声に従うならば、何処かへと逃げた方がいい。そう、わかっていても翔の足は凍りついたように動かない。焦りと不安だけが膨れ上がって、指先がどんどん冷えていくのを他人事のように感じていた。


 人の流れはめちゃくちゃで、もはや日常の面影などない。


「そっちへ行ったぞ!」

「もう! 何なのよ一体」

「おかーしゃん? おかーしゃん!」

「痛い!! 押さないでよ!」 

「警察かヒーローはいないのか!」


 声があちらこちらで飛び交っている。悲鳴もまた、同様に。もはや何処で、この騒ぎの原因が起こったのかわからない。

 馬鹿みたいに立ち尽くしたまま、翔は逃げ惑う人たちを見ていた。見ていることしかできなかった。誰かにぶつかられて怒鳴られても、動けなかった。ドクドクンと、普段は意識しない音がやけに響いている。


 周囲の人は我先にと、この場から離れようと動いている。が、どこが危険なのか明確でないために逃げる方向はバラバラで、互いを押しのけようとしたり、流れに逆らうように動く人が後を絶たない。けれど、そのことに文句は溢せども、喧嘩をする余裕などないのだろう。皆ひどい顔をしていた。


 そんな人混みを眺めているだけだった翔は、


「いたい」


 小さな幼い声を、確かに聞いた。ざわめきの中ではっきりと。泣きそうな声だった。その声が、遠くに行っていった意識を引き戻した。ブワッと、えも言えぬ寒さを感じて鳥肌が立つ。

 冷えた手が気持ち悪くて、拭うようにズボンへ押し付けて、声の主を探すように視線を彷徨わせた。


 声の主と思しき小さな子供は、すぐに見つかった。翔からあまり離れていないところで、立っていた。ギュッと服を掴んで、うつむき気味に顔を左右に動かしている。そこに、真っ青な顔をした若い男が飛び出してきた。


「邪魔だ、ガキ! どけっ!!」


 男はそのまま、軽い動作で子どもを押しのけた。だが、大人にとっては大したことない動作でも、子どもにとっては違う。

 ぐらり、と。

 子どもの体が傾き、尻もちをつく。男はその様子も目に入らないのか、何かから逃げるように人混みへ強引に割り込み、埋もれていった。この場にいる人たちも、足元の子どもに気がついた様子はない。このままでは子どもは誰かに踏まれてしまうかもしれない。そう考えたのと、足が動いたのは、ほぼ同時だった。


「平気、か?」


 震えた声で、問いかけながら、子どもの腕を掴んでグッと引っ張り、立ち上がらせる。幸いにも、怪我はなさそうだった。


「うん、へいき。ありがとう、おにいちゃん」


 子どもは俯きながら、ぼそぼそとお礼を言った。薄い桜色の髪で、顔が隠れてしまっている。


「どういたしまして」


 そう返事をしたときだ。

 この騒ぎの中、子どもに気を取られていたのが悪かったのか、翔が最初に感じたのは違和だ。言葉にできない奇妙な感覚。それから、ずるりと。何かが引き抜かれる。喉から、溢れ落ちたのは疑問の声。足から力が抜けて地面に膝をついた。背中が、熱くて、痛い。


「……なんで、だから、違う。……俺のせいじゃない。あいつが悪い。どうして……そうじゃない」


 ぶつぶつと何かを呟きながら、刃物を持った男が翔の横を通り過ぎた。その刃物には赤い何かが滴っている。ゆらりゆらりと足取りは不確かなのに、その歩みは速い。

 子どもが悲鳴あげている。大丈夫だと、落ち着いてと。翔はそんな宥める言葉さえ吐くことが出来ない。弾かれたように、子どもが走り去るのをただ見ていた。いたい、あつい。震える手で痛む背中にゆっくりと手を這わす。暖かい、ぬるりとした感覚。それを見るべきではないと、誰に言われるまでもなくわかっていた。けれど、確かめずにはいられなかった。それがであるか。


 赤。先程見た、刃物に滴っていたそれと同じ色。背から視界に入るように動かした手は、赤い、紅い、それが。ぬめりを帯びた赤い液体がベッタリと。


「あ、あ、あああ」


 見るまでもなく本当はわかっていたこと。けれど視界に入れてようやく、それがであるか頭が認識した。意味をなさない言葉が溢れる。あつい。


 先程の男だ。あの刃物を持った男。あいつが、背中を刺したのだろう。許せない。どうしてこんな目に合わなくてはいけないのだ。ジクジクともズキズキとも思える、わけの分からない痛みが治まらない。あの男のせいで。


 目線を先程、男が進んでいった方向へ向ける。人であふれかえっていて、通るのもままならないような状態は嘘のように、道は開けていた。そして、どこかしらが赤に染まっている人が、いる。その、開けた道の途中。血の途切れたところ。そこに男が。ちょうど視界に捉えた、そのときに。男は誰かに飛び蹴りを食らわされて吹っ飛び、今はもう地面に倒れている。あついあついあつい。

 

「ヒーロー参上! ってね」


 少女は着地を決めると高らかにそう言った。


「ばーか、遅れてきて偉そうにしてどうする。つーか、全力出してないだろうな。一般人だと死ぬぞ」


 いつの間にか少女の傍にいた少年が、倒れた男へ歩みよる。


「そんなヘマを私がするとでも? 何年ヒーローやってると思ってるわけ?」

「さあな。間違いなく俺よりか短いことは確かだろう。っん、問題なさそうだな。じゃあさっさとこの場を治めてくるわ」

「ええー? 他のメンバーが行ってるじゃない」

「人手が足りてないだろうが。それに、パニック起こしたままだと、怪我人が増えるかもしれない。ただでさえ、今ここにいる治癒能力者は一人だけだ。サワラだけでは荷が重い。応援が来るまでに、怪我人を増やすわけにいかねぇしな。軽い手当ても他のメンバーがしてまわってる。スミレはそこの犯人を抑えとけよ」

「月影に言われなくたって、自分の役割ぐらいわかってるって」

「ヒーロー活動してるときに本名で呼ぶなっつーの」

「どうせ認識阻害でわからなくなるんだからいいでしょ、べつに」

「よくねーよ。組織のルールくらい守れ。あとで上に報告すんぞ、こら」

「……私が悪かったわ。だから勘弁して、ヤト。もう皆が美味しいご飯食べてるときに、私だけ白飯だけなんて嫌よ」

「白飯だけじゃねえだろ。味付け海苔もあるし、ふりかけも佃煮も、所謂いわゆるご飯のお供がたくさんあっただろ」

「それでも、嫌なものは嫌よ。皆とおんなじご飯がいい」

「なら最初から言うなっての。って、んなこと呑気に話してる場合じゃねーな。ちょっくら行ってくるわ、犯人よろしく」


 ポンポンと会話を交わして、少年は姿を消した。残った少女は、大きく伸びをしてから手際よく犯人を拘束する。そして、その上に腰掛けた。


「最近、こんな事件ばっかり」


 ぽつりと呟いて少女は、落ちていた赤に染まる刃物を見つめる。すると、刃物はひとりでに宙に浮き少女の眼前までいくと、くるくると回転しだした。少女の能力か何かだろうかと、グラグラしたあつさの中で思う。痛みはとうになくなっていた。ただあつくてあつくて堪らない。

 何かに気付いたのだろうか、少女が急に立ち上がった。何かを探すように視線を彷徨わせている。そして、こちらの方を見て少女が目を見開いた、ような気がする。目が霞んでよくわからない。

 ぐるりぐるり、ぐるぐるり。目が回る気分。あついあつい。


「あなた、何をしているの」


 いつの間にか少女が目の前にいた。翔と同じ歳ぐらいだろうか、彼女は紫の目をしている。綺麗な、すみれ色。


「ねえ、私の言葉が聞こえていないの?」


 少女が何かを言っている。でも、わからない。あついあついあつい。


「……駄目か。反応がないってことはこれ、完全に暴走状態? え、なんで? もしかして、能力に目覚めたばかり? それなら早く止めないと。周りに危害はなさそうだけど、本人が危ないはずよね。って言ってもねぇ。私も後天的能力者らしいけど、初暴走時なんて覚えてないし。どうすれば止まるんだか。……ああそうね、意識がなくなったら、止まるかな」


 こちらの目を覗きながら、独り言のように少女は何かを呟いている。何故か、周りには色んなものが飛び交っているのが見えた。


「あとで、説明してあげる。だから、ごめんなさい」


 申し訳無さそうな表情を浮かべている彼女を見たのが最後だった。なにか強い衝撃を受けて、目の前が一際歪み、意識が暗闇に落ちた。

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