ヒーローなんて柄でもないけど
玖木 十五
プロローグ
何の言葉もなく、彼女に充てがわれた部屋へとやってくる人間たち。彼らは一様に、何の感情もない、まるで物を見るように彼女を見下ろす。
そんな視線に晒されるのはいつものことだった。実際、彼らにとって所有物なのだろうと。己が首を覆うそれが物語っていたけれど、それもまた彼女にとってはどうでもよかった。
彼らの内の1人が一方的に話をするのを黙って聞いて、彼らの望むがままに部屋から連れ出される。そして彼らの目的地で数刻の時間過ごすと、また部屋へと戻されるのだ。それが彼女の日常だった。
彼女が知るのは、この場所だけだった。生まれ落ちたときは、他の場所を知っていたような気もするが、それはもはや遠いことで思い出すこともない。彼女は人形だった。彼らの所有物で、言われるがままに振る舞うただの人形だった。
そんな日々が変わったのは、いつだったか。それがいつの出来事であったのか。彼女は知るすべをもたなかったけれど、その日の出来事は、今もはっきりと思い出せるほど鮮やかに記憶へ焼き付いたのだ。
その日もいつも通りに彼らに連れ出され、知らない場所で数刻過ごしてから、部屋に戻された。省みる必要がないほどに、彼女のいつも通りな日常。そのいつもが変わったのは部屋に戻されてから少し後のこと。
人間たちが部屋から出て行き、足音も遠のいた頃。隣から声がしたのだ。ねぇ、と。それは明確な呼び声。
「もしもーし。聞こえてる?」
意志を持って、投げかけられた、彼女を呼ぶ声。
彼女はその声に最初は反応しなかった。なぜなら彼女に充てがわれた部屋のあるこの区画に、この施設内に彼女を呼びかける者など、いるはずがなかったから。
反応がないのことに焦れた様子もなく、声は変わらずに投げかけられた。
「聞こえていないのかい? No.007」
と。その言葉でようやく彼女は、己を呼んでいるのだと気が付いた。No.007。それが、この場所で彼女に与えられた、名前だったから。殆ど呼ばれることのない、無機質な数字の羅列。
「だぁれ」
彼女が声を出すのはそれはもう、随分と久しぶりのことだった。たった二文字の言葉。舌っ足らずで、小さくて、掠れた、そんな情けない声。その声に、
「ああ、良かった。聞こえていたんだね。はじめまして、007。わたしはNo.018。今日から君のお隣さんだよ。よろしくね」
そう、嬉しそうに言ったのだ。顔を合わせていないのに、はじめましてはおかしいかな、と。笑っているのだと、そう伝わる調子で。
「おとなりさん」
呆然と、言葉を繰り返した彼女の声を拾って、
「そう。わたしは今日からこの区画で君の隣に部屋を充てがわれたんだ。仲良くしてくれると嬉しいな」
覚えている。壁に阻まれて姿の見えないNo.018は、ひどくやさしい声をしていたことを。彼女は思う。あのときも、きっと018は笑っていたに違いないと。もう確認することは叶わないけれど、碌な未来など思い描けないあの場所で、018はずっと笑みを絶やさなかったから。だから、あのときもきっと。不安にさせないように、笑っていたんだ。
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