第七十一話
どうしてこうなった。
俺の隣では姫野さんがニコニコし、目の前では槙島が師を仰ぐような眼差しでこちらを見ている。
「それでは槙島君。今から私たちの事をよーく観察しててね」
槙島が姫野さんの言葉に頷く。
「それじゃあ行こっかコウ君」
そう言って指し示されるのは百貨店の一角にある小ぎれいな雑貨屋。
店の中は優し気なオレンジ色の光で包まれていて、顧客層も男女の割合が多そうだ。現に、目視できる範囲でも二組のカップルが各々雑貨を見ている。
「ねぇ姫野さん一つ聞いてもいい?」
「ん? どうしたのかなコウ君」
姫野さんが小首を傾げるが、あざとさしか感じない。
「これやる意味なくね!?」
「えーどうしてー?」
不満げに言う姫野さんだが、いやだっておかしいよねこれ。
「俺たちがやるべき事は槙島と森江さんをどうにかコミュニケーションとらせる事だよな?」
「うん、そうだよ」
「なのに俺と姫野さんがショッピングするのおかしくない?」
尋ねると、姫野さんはにこやかに人差し指を振る。
「それはほら、人の振り見て我が振り直せ、って」
「いや言うけどね!?」
言うけどこれはなんか違うと思うな!
「槙島君にはコウ君の振舞いを見て、どう女の子と接すればいいか参考にしてもらおうというわけです」
というわけですってどういうわけです?
「槙島もなんか……」
言ってやれと視線を向けるが、槙島はどこから出したのかメモとシャーペンを手に持っていた。
「ってお前もやる気満々か!」
「当たり前だろ忍坂! よく考えてみてよ、ここまでの姫野さんの的確な状況判断能力。姫野さんの言う事は絶対だ!」
なんかいきなり狂信者みたいな事言いだしたな!? いや確かに勉強会のところも槙島の事空気で察したし、さっきも鋭い指摘してくれたけど、弘法だって筆を誤るからね!
「だいたい女子が苦手なのって他人の事見てどうにかなるもんじゃないと思うんだけど……」
パリピを観察したからって俺がパリピになれるわけがないのと同じで。
「それは違うよ!」
ダンガンでも飛ばそうとしているのか、槙島が強く言い放つ。
「たぶん!」
ダンガンはダンガンでもBB弾だった。これもう槙島自身この提案疑ってるんじゃないんですかね!?
「あ、そうだ。槙島が女子苦手を克服するなら槙島が姫野さんと雑貨店に行けばいいのでは?」
「ギクッ!」
腰を折ったような変な音を出したのは、当然姫野さんというわけではなく槙島だ。
こいつもしかして。
「そ、そ、そ、そ、それは絶対効果ないと思うけどナー……」
「やっぱそう言う事かよ!」
そうなるのが嫌だからこの訳の分からない姫野さんの提案に乗ってたんだな!
「姫野さん、こいつこんな事言ってますけどいいんですかね!?」
尋ねると、姫野さんはうーんと思案した様子を見せると、槙島に目を向ける。
「槙島君そうする?」
「いやいや滅相もございません! 姫野さんの言う通りに観察させていだきます!」
槙島は勢いよく九十度に腰を折り曲げ、どうぞどうぞと掌を上に向ける。
「あっ、それけっこうコウ君っぽいよ槙島君、その調子その調子」
「あざっす!」
いや俺のイメージどうなってんの? そんな腰曲げた事あったっけ!?
「というわけだからコウ君。行こっか」
「……」
にこやかな眩しい笑顔に襲われる。
くっ、これまでか、どうにか避ける方法はないのか?
頭を働かせた結果、最後に一つだけ抵抗してみる。
「百歩譲って人の振り見て我が振り直せるにしても、俺なんかの見たところで参考にもならないと思うんだけど」
言うと、槙島がじっとりとこちらを見てくる。
「忍坂、いい加減認めただどうだ。君はリア王だ」
「ぐっ」
だから違うんだこれは……。百歩譲って環境がそんな感じに近づきつつあっても、俺自身リア王のような主人公の素質は無い。てかリア王って悲劇の王だったよね? もしかして暗黙に爆発しろって言われた? いやそんな事言う奴じゃないか。
とは言え、もはや言い逃れはできそうにない。観念して姫野さんの提案を受ける事にする。まぁ槙島自身参考になるって言ってるもんな! だったら身を粉にして手伝ってやらないとなぁ! 槙島の為だもんなぁ!
「じゃあ入りますか……」
「うん、そうだね」
言うと、姫野さんがニコッと俺との距離を詰めてくる。フローラルな香りは相変わらずで、柑橘系の香りを思い出さなければ完全に虜にされていただろう。ともかく平常心だ平常心。
雑貨店に入ると、外側よりは静かになった。同時に小じゃれた音楽が耳に届く。テナント型とは言え、独立したスペースに変わり無いので、幾らか外の音はカットされるらしい。
だからと言って静かすぎるわけでもなく、見て回るには丁度良い環境だ。それは姫野さんも感じたらしい。
「百貨店の店舗にしてはお洒落だね」
「確かに。この雰囲気なら普通に店出してもうまく行きそうって感じ」
言いつつ、槙島の方を窺うと、本当にメモをとってやがった。ほんと参考にする事ないと思うんだけどな……。
「あ、見てみてコウ君。これ可愛いよ」
言われたので見てみれば、ずんぐりむっくりの小さな木の人形が置いてあった。それぞれタキシードとウエディングドレスが描かれている。新婚っぽい人形の後ろには、教会を模した置物があり、周りには各々個性のある人形たちが鎮座していた。
姫野さんはスカートのひだを丁寧に折りたたみしゃがみこむと、スクールバッグを膝に置き、こちらへ手招きしてくる。
無視するわけにもいかないので、俺もまたしゃがみこむと、意外と距離が詰まっていまい、肌に姫野さんの温度が触れる。
姫野さんは新婦の方の人形に手を添えると、新郎の人形を俺の方へと寄せ持たせた。
「はい、コウ君はそっちのお人形ね」
「え?」
つい聞き返すが、姫野さんは気にせず続ける。
「汝、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、共に助け合うことを誓いますか?」
そう言うと、姫野さんはちょこちょこと人形を動かし始める。
「はい誓います。あなたも誓いますね?」
え、何これ、いや理解はできたけどやらないと駄目なのこれ。
どうしようか考えていると、姫野さんがこちらに非難がましい目を向けてくる。
「誓いますね?」
「ま、まぁ誓いますハイ……」
謎の圧力に押し負けて言ってしまった。
同時に胸の奥から熱い何かがこみ上げてくる。
「それでは新郎新婦誓いのキスをしましょ~ぱちぱち~」
仰々しい口調からいきなり弾けた調子で言いだす神父(姫野さん)。
姫野さんはちょこちょこ新婦の人形の新郎の方へ近づけると、前のめりに傾ける。いやいやナニコレすごい恥ずかしいんですけど? え、これ俺も人形動かした方がいいの?
「どうしましたか新郎」
「いや……」
姫野さんが尋ねてくる。口元に笑みを湛え、横目にこちらを窺うは姿はどこか楽しげだ。
なかなか人形を動かす気にはなれないが、姫野さんも相変わらず人形を傾けたままで動く気配がない。これ、やらないといつまで経っても終わらない奴だぁ……。
あんまりこの場に留まるのも店に迷惑だろうし、何よりけっこう距離が近いので精神的にもこの状況が続くのはよくない。ここはやるしかないか……。
新郎人形を新婦人形の方へと近づけ一つ呼吸を置く。
意を決して人形を傾けようとすると、後ろの方でバキッと凄い音が鳴った。
振り返れば、槙島が頬を引きつらせて立っている。
「あーごめんよ……シャー芯うっかり折っちゃって……はは、ははは」
見てみれば、槙島の手には折れた
突然ですが問題です。先ほどの様子は客観的に見たらどう映るでしょう。
A.しにたくなる。
「あ、あれだ。他のやつ見よう、それがいい!」
「えー、まだ途中だったのになー」
すかさず立ち上がると、姫野さんも不服そうに口を尖らせつつ立ち上がる。
さっきは引きつった笑みを浮かべていた槙島だったが、これでいくらか平常心は取り戻したらしい。
槙島は別のシャーペンを取り出し、「大丈夫、気にしないでくれ」と見学体制に戻る。
いやほんとに大丈夫なのか? これやっぱり槙島にとって何の得も無いよな……。
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