第七十二話
「ねぇねぇコウ君。これ綺麗だよ」
俺が不安に思っている間にも、姫野さんはまた何かを見つけたらしい。
見てみると、そこには布にはめ込まれた指輪が並んでいた。
確かに金属が並ぶさまは綺麗さを感じるが、さっきの人形でのやりとりのせいでどうにも落ち着かない。なんというか、婚約指輪を連想しちゃうと言いますか……。
「あ、この指輪とかいい感じだよ。けっこう細工も細かそう」
そのうち一つを手に取ると、姫野さんが「見てみて」とその指輪を渡してくる。
とりあえず受けとると、金属の冷たさを感じたせいかつい心臓に一瞬負担がかかった。
指輪はひょっとっして人を殺せるんじゃないかと戦々恐々としつつも、どんな細工がされてるのかは少し気になったので観察してみる。
ふむ、幾何学っぽい紋章の中に何か字も掘られてるようだ。
自分の影でよく見えないので、照明の方へとかざしてみる。
「えっと、s……i、c…… in…fit ?」
しっくいんふぃっと? 全く読めないしどういう意味かも分からない。
色々と考えを巡らせていると、突如全身が花の香りに包まれる。
「どういう意味だろうね? 英語じゃないのかな?」
「っ!?」
心臓が跳ねあがる。
かざした指輪に目を向けているため見えないが、確かに感じるすぐそばにいる気配。もし指輪から視線を横に向ければ、目と鼻の先で姫野さんが同じところを見ているのは、容易に想像できた。
触れているわけでは無いものの、頬に感じる微かな温もりに心拍数が上がるのを感じる。
もしこのまま放置していれば心臓が爆発して大惨事になりかねないので、すぐさま距離を開けた。
「さ、さて何語なんだろうなぁ……はは」
ついつい乾いた笑みをこみ上げてくるが、未だ高鳴る音に本格的な生命の危機を感じる。
「あれ、どうしたのコウ君?」
元々俺のいた位置から姫野さんが不思議そうにこちらを見る。素でそう思っているのか、それともフリをしているだけなのか……。
分からないが、いずれにせよ結婚だなんだと変に意識するから駄目なのかもしれない。
そもそも、これは槙島に女子とどう関わればいいか手本を示すためにしている事だ。正直俺も女子の事なんて分からないが、それでもたぶん変に色々考えるより、普通に友達と接する感覚で接した方が心証はいい気がする。であるのならば、俺ももっと自然体で姫野さんと接するべきだろう。
よし、平常心平常心と胸に刻みこみ、心内環境を整える。うん、落ち着いて来たな。
「いや、なんでもない。英語じゃないとしたらラテン語とかもしれないな」
「ラテン語かー、なんとなくお洒落だよね」
「それはわかる。ラテン語って響きいいよな」
よし、いい感じに平静になって来たぞ。
昨今では指輪なんてファッション感覚で付ける人も多い。だから必ずしもそんなに深い意味を考える必要は無いんだよな。うんうん。
「そうだコウ君」
指輪についての認識をアップデートしていると、姫野さんが口を開く。
「どうしたの姫野さん」
「その指輪、私がつけても似合うかな?」
ふむ、どうやら姫野さんもファッションに取り入れようとしているらしい。まぁ姫野さんなら何つけても似合うよな。
「ああ、似合うと思うぞ」
言うと、姫野さんが意味ありげに笑みを湛える。
「だったらー……」
もったいぶるように言うと、姫野さんの口が蠱惑的に光る
「その指輪、私に付けてみてくれないかな?」
「なっ……!」
この指輪を? 姫野さんに?
つい手元にある指輪を見てしまうと、色々と事が頭をもたげるがなんとかかき消す。
「え、えっとー、それは、姫野さんが付ければいいのでは」
「残念な事に私の片手はカバンのせいで空いてませーん」
弾むように言う姫野さんは、確かにスクールバッグを片手に持っていた。
かと言って地面に置けとも言っても無駄だろう。汚いから嫌と言われてしまえばそれまでだ。
「ぐっ……」
苦虫を噛み潰す。
落ち着け俺。これはあくまで姫野さんの策略だ。いわば嘘。だがこれはある意味で言えば試練でもある。それはこちらが信用に足る人物かの見極め。
であるのならば、ここで変に動揺してしまえばむしろ不信感を抱かせてしまうのではないだろうか。今までも一応捌いて来たのの、やはり動揺は隠しきれていなったと思う。姫野さんもその心中を見抜いて揺さぶりをかけているのだとすれば。
ここで俺がやるべきは自然体でいる事。普通の友達として接するんだ。指輪なんて所詮ただのファッション。飾りに過ぎない。深い意味などこれっぽっちもないはず。
「よし分かった」
「えっ」
自らのかばんは足元に置き、姫野さんの空いている手を拝借する。
細く氷細工のように綺麗ながらも、存外温かな感触につい心臓が波打つ。
でもこれじゃ駄目だ。女神の容貌だからと言って虜にされるわけにはいかない。
「こういうのってどこに付ければいいんだっけ?」
「え、えっと、コウ君の好きな所につけてくれれば……」
心なしか頬を紅く染め、恥じらっているように見えるのは姫野さんのなせる業だろうか。判断するのは難しいが、どちらにせよ俺には関係ない。
とりあえず薬指はなんとな特別な感じがするから、人差し指でいいか。
少し姫野さんの手を引き寄せ、ゆっくり指輪を近づける。しかし輪に細いものを通すのは、存外気力がいるもので手先が少し震えた。
それでもようやく、あと少しはめ込めそうだという時。先ほどの人形での結婚式ごっこが脳裏によぎる。
途端、震えが収まった。
それも寸分も動く気配が無い。いや、動けないという方が正しいかもしれない。俺の手先は微動だにしない。それはどの方向にも一緒だった。先に進むことをやめ、目的地の前でひたすら固まる。
それはさながら、束の間の停滞の様相を示す。
カチッ、カチッ、俺の手先とは裏腹に、どこかの秒針は進み続ける。
カチッ、カチッ、カチッ、あるいは俺の心臓の音なのだろうか。だが相変わらず手先は動かない。
カチッ、カチッ、カチッ、 カチカチカチカチカチカチカチ。
んん? なんだこれ、時計壊れてる? それとも俺緊張しすぎて死にかけてる?
え、やばい、やばいって、ほんと、俺らしからぬ行動とは思ったけど、思ったよりこれ心臓に負担かけてたの? 俺死ぬの?
だが俺の焦りとは裏腹に、音はどんどんヒートアップしていく。
カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカカチ
「いや何、どうしたこれ!?」
堪らず手を離し、顔を上げると、視界の先で槙島が凄まじい形相をしながらシャーペンを押しまくっていた。ペンの先には長い芯が覗かせ完全体になっている。
「ってお前かよ!」
「どっどど、どどうど、どどうど、どどう、どうしたんだい忍坂……僕は、僕はしし、しっかりとぉ、目に焼き付けようと......参考にしようとだねぇ……!」
「いや絶対違うだろそれ!」
なんなら風の又三郎召喚してこの世の青い春全部吹き飛ばしそうな勢いじゃないか!?
「よし出よう。絶対に出よう。これ以上は槙島がやばいし、そもそもこんなので槙島の苦手なんて克服できるわけないっ」
てかなんだよさっきのも! そもそも普通の友達がわざわざ指輪なんてつけてあげるわけないじゃないか! 何を俺はしようとしてたんだ。あ、分かったぞ、これひっくるめて全部姫野さんの策略だな! なんという女神、まんまと乗せられた!
いやまぁ普通に俺が勘違いしただけかもしれないけど、それならそれでもう大丈夫だ。こんな真似は金輪際二度とすまい! 動揺したっていいじゃないか、だって男なんだもん! 女神に言い寄られたら誰だってグラッと来ちゃうもん!
先ほどの反動の所為か、あふれ出てくる情動をなんとか脳内で処理しつつ指輪を元の場所に置き、自らのカバンを持つ。
黙っていた姫野さんも、流石にこの槙島の様子をみて続けようとは思えなかったのか、ため息交じりに微笑む。その頬は未だ朱に染まっているように見えるが、恐らく照明の所為だろう。
「仕方ないなぁ」
姫野さんはそう言うと、自らの指と指を合わせる。
「じゃあそろそろ本題に入ろっか」
放たれた言葉に愕然とする。
え、何? まだ何かあるの? てか今までの本題じゃ無かったの?
流石にそれはまずいですよ! と目で訴えかけるが、姫野さんは大丈夫と言わんばかりに一つこちらに笑みを向ける。
そして槙島の前へと対峙した。
「槙島君、森江さんとお話、したいよね?」
「え、あぁ、えっと、まぁ、はい……」
女神に真っすぐ見つめられては邪気は払われるのだろう。元来の槙島の姿がそこにはあった。
「それでは、今から私的ビフォーアフターを始めたいと思いまーす。ぱちぱち~」
「え?」
緩く拍手する姫野さんに、間の抜けた声を発したのは俺も槙島も同じである。
「と言っても、明日は制服だろうし、そこまでやる事も多く無いかもしれないけどね。とりあえず二人とも先に出てて。私もすぐ行くから」
図らずも槙島と目が合う。
「とりあえず」、「出るか」、とお互いアイコンタンクトを贈ると、お先に雑貨店を後にした。
姫野さんが何を考えているのか分からないが、とりあえず今日のところは嵐が去ったと言っても良さそうだ。
明日のビブリオバトル、現状不安しかないがさてどうなることやら。
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