第六十六話

「どうしたんだい忍坂」


 槙島は特にためらう様子もなくむしろ迅速にこちらに来てくれた。

 そのままみんなから少し離れウォーターサーバー前まで来ると、話を切り出す。


「いやさ、どんな感じかなと」

「どんな感じとは?」


 槙島がはてと首をかしげるので内容を足す。


「森江さんだよ。好きになれそうか?」


 自分で聞いてて違和感を覚えるが、槙島が好きになりたいと言った以上こういう質問にならざるをえないだろう。


「それはほら、まだ会って一時間も経ってないだろう? 流石においそれと好きにはなれないよ」

「いやまぁそうだろうけどなんていうか、感触? っていうかこう少しくらい思う事は無いのか?」


 尋ねると、槙島がちゃっと眼鏡をかけ直す。


「ま、まぁ確かに相変わらず心臓は高鳴りはするかな」

「他にはないのか?」

「おいおい忍坂、それは当たり前だろう。何せ僕はまだ森江さんに話しかけるどころか挨拶もしていないし目すら合わせていないんだよ?」

「はい?」


 なんか若干引っかかる事を言われたのでつい聞き返してしまった。


「だから話しかけるどころか挨拶も……」

「いやそれは分かってる」


 問題は挨拶すらしていないという点だ。


「まぁ、話しかけてないのはまだ分かる。でも挨拶はおろか目すら合わせてない?」

「うんそうだね、忍坂と花咲さんは別だったけど集合場所に向かう途中たまたま他の三人と一緒になってね。その間にも森江さんから一番遠い位置を心がけて歩いて来たよ」

「え、なんで?」


 四人が一緒になってた事は知らなかったが、そんな事よりも槙島の言葉に対する疑問の方が先に口から出た。

 いやだってさ、槙島は森江さんの事好きになりたいんだよな? だったらもう少しこう相手の反応見たりそういう事をするべきなんじゃないのか? それを避けるみたいに……。


「それはほら、好きでもないのに僕が森江さんの事を好きと誤解される可能性を考慮しての事だよ」

「挨拶でか?」

「そりゃ勿論だよ。リア充な忍坂には分からないかもしれないけどね」


 言って、槙島が俺たちの陣取る席の方へと目を向ける。

 いるのは当然女子陣だけど……。


「お前なんか誤解してるんじゃないだろうな?」

「昨日は図書館で女子二人に挟まれて。挙句には姫野さんともとても親しそうだった。これの何が誤解だと?」


 槙島が半目でこちらを見る。これ絶対誤解してるやつだよ!


「いや待て違う。それは全然そういうんじゃないからな!? あかりとはまぁ、幼馴染なだけだし、河合はまぁ、たまたまあかりの友達だったからだし、姫野さんに至ってはむしろ困らされているだけというか!?」 


 必死の弁明をすると、槙島は満面の笑みを浮かべる。


「ははっ、それは嫌味かい?」

「いや違うぞ!?」

 

 ほんと、別にあかりとは何も……無かったし。河合とは……決着のついた話だし……うん。それに姫野さんはちゃんと嘘の好意を向けられてる事は言われてるからな! やっぱり何も無い! リア充なんて事は無いんだ!

 

「とにかく、忍坂と違って僕みたいな陰キャは一挙手一投足慎重にしないとすぐに女子から偏見の眼差しを送られるんだよ」

「俺とお前は何も違わないけど、まぁ言い分は分かった」


 確かに槙島の危惧する気持ちは理解できる。

 もしこちらの挙動が不審に思われたら最後、うわこいつ私の事好きなんじゃねキモッ! なんて思われて噂が広がってありとあらゆる人から白い目を向けられることになるだろう。ましてやそれが好きな相手じゃないのなら完全に嫌われ損だ。


「まぁとにかくこれで理由は分かったと思う。それじゃあ僕はちょっとトイレに行ってくるよ」

「お、おう」


 返事すると、槙島はトイレの方へと向かっていく。

 なんとなく腑に落ちないけど、まぁ人が人を好きになるかどうかなんてそう制御できるもんじゃないしな。あまり俺から介入する余地は無いのだろう。ここは槙島の歩幅に合わせるのがいいか。


 とりあえず席に戻るかなとウォーターサーバー前から立ち去ろうとすると、河合がこちらへ歩いてきた。


「あれ、槙島君は?」

「トイレに行ってる」

「そうなんだ、でも丁度良かったよ」

「丁度良かった?」


 聞き返すと、河合は一つ頷き辺りを見渡す。

 やがてこちらに向き直ると、少し困ったように河合は頬をかく。


「その、槙島君の前では言いづらいんだけど、実はりょうかちゃんがね」


 りょうか、とは森江さんの事だ。その森江さんがどうしたというのだろう。

 なんとなく前置きが不穏だな。


「槙島君の事をあまり快く思ってない感じで」

「快く思ってない感じって言うと……?」

「えと、とりあえず来たら分かる……かも」



 というわけだったので席に戻ると、早速アイラインが引かれた森江さんの目がこちらに向く。


「ねぇ忍坂君だっけ? あいつの友達なんだよね?」

「まぁ、そうだけど」


 いかにも不機嫌そうな声に若干気圧されてしまった。その横では河合がさっきからこんな感じでーと苦笑いを浮かべている。


「あれなに? あいついつもこんな感じなの?」

「こんな感じと言うと……」


 なんとなく想像できたが、念のために聞いておく。


「挨拶もまともにできないの、って話。さっきから槙島? だっけ、態度悪すぎ」


 やっぱそういう感じだったかぁ! しかも呼び捨て!


「こっちが挨拶しようとしても避けてきたし、ちょっと目が合ってなんか言おうと思ってもすぐ逸らすし、はっきり言ってうざい」


 放たれた「うざい」の言葉に、当事者ではない俺まで精神ダメージを食らう。これもう槙島の印象最悪じゃないか! もし俺が言われたら絶対立ち直れないよこれ!


 もし仮に槙島が森江さんが好きとなったとして、こんな状態でアプローチし始めるのかと思うと考えただけでもいたたまれない。


 ここは同志としてなんとか印象を変えてあげたいところだけど、今回のこれ正直俺も戸惑ってるからな。そりゃまぁ嫌われるのは辛いし、気持ちも分かるけど挨拶すらしないってのはどうにもな。


「ねぇ聞いてんの忍坂君?」

「聞いてるよ、うん聞いてる」


 ついでにその眼光も精神に効いてる。


「まぁなんていうかさ、あいつも悪い奴じゃ無いはずなんだけど……」


 我ながらテンプレなフォローだなと感じるが、その言葉しか思いつかなかった。実際問題、俺は槙島とまともに関わったのは昨日からだ。割と喋ったし、話した感じでもいい奴だとは思うのは確かなんだけどいかんせん情報量がまだ少ない。


「私も槙島君悪い人じゃないと思うよりょうかちゃん!」


 ふと、横からあかりが口を挟む。


「挨拶すらできないのに?」

「うん、さくらんぼ好きに悪い人はいないよ!」

「……」


 嬉々として答えるあかりに森江さんは沈黙する。さ、さくらんぼかぁ……。

 昨日の会話を思い出し、苦い笑いがこみ上げてくる。

 まぁ別に今回は誤解されるようなことはないだろうけど、それにしたってそれだけで人の良し悪し判断出来たら世話無いよな。


「あのさ、忍坂君」

「うん」


 思うところがあったのか、森江さんがこちらに話を振って来る。


「花咲さんって絶対いい子だよね」

「全面的に同意する」


 森江さんとあかりは今日が初コンタクトのはずだが、集合場所の百貨店の入口からこのフードコートに来るまでの間でいとも簡単に距離を縮めてしまっていた。一日に一人友達増やせるとかほんとこの子どれだけすごいんですかね。もはやあかりマジックと呼んでもいいかもしれない。

 しかし当の本人はまったくもって無自覚のようでぽけーっと首をかしげていた。


「なんか毒気が抜けるというか……。まぁいいか。るみ、これ教えて」


 森江さんもあかりマジックに浄化されたかとりあえず落ち着いたようだ。ノートを河合の方へ向けると、先ほどの不機嫌さはなりを潜めていた。

 でもあまりこの事を放置するのはまずいよな。槙島が戻って来たら挨拶位はそれとなく言っておいた方がいいだろう。


「ねぇねぇコウ君」


 さて普通に勉強始めようと思ったけどそう簡単にいかないのが世の常。

 姫野さんが声をかけてきた。


「どうしたの姫野さん」

「この勉強会何かあるんだよね? 仲間外れは悲しいなって」


 流石は姫野さんと言うべきか。その慧眼けいがんには感服する。どうやら思うところがあるらしい。暗に教えてと言っているのだろう。


 まぁ別に好き、じゃなくて好きになりたい、だからそこまで隠す必要は無いとは思うけど、それでも森江さんにはあんまり知られない方がいいよな……。となれば普通に言うのは聞かれる恐れがあるからまずい。


「えっとね、ことみん」

「待てあかり。あんまり聞こえるように言っちゃだめだ」

 

 あかりが口を開こうとしたので制する。

 あかりからしてみれば好きになりたい事を伝えるくらい普通に言えることなのだろう。少し不思議そうにするが、とりあえず納得してくれたのか口を閉ざす。


「もしかしてけっこう言いにくいことなのかな?」

「まぁちょっと?」

「だったら……」


 姫野さんが不意に髪を耳にかける。その洗練された所作と、ほんの少し零れ落ちた艶やかな髪の毛が首元を這うさまは、きっと世の男をドキリとさせるに違いない。

 

「こっそり、教えてくれるかな?」


 だがしかし俺は騙されないッ!! 断じて騙されないからなぁ! 若干首をかしげて心なしか上目でこっちを見たってぜーったいに騙されない!


「まぁ、後で折を見て……」

「えー、今すぐ知りたいよ。コウ君来てくれないなら私から行こっかな~」

「いや来なくていいから! 後でほんとちゃんと教えるから!」

「えー」


 俺が制するのを無視して姫野さんが立ち上がろうとすると、不意に何かの通知音が鳴る。

 見てみれば、音の出どころはどうやら姫野さんの机の上にあったスマホらしい。


「ことみん、ラインっ」


 不意に声を潜めたあかりがちょいちょいとスマホを指さす。

 なるほど、その手があったか! よくやったぞあかり!


 とは言えどうせあかりだけだと言葉足らずだろう。俺も即座にスマホを取り出し、あかりと姫野さんともどもトークに追加して今回の件についてのメッセージを送る。あとあかりも知らないだろうから挨拶しないことに対する槙島の主張も教えておこう。


「へぇ、ふーん……なるほど」


 姫野さんはラインのメッセージを読み終えると、少しむくれつつ上げかけた腰を下ろす。


「とまぁそういうわけなんだよ」

「そーなんだ」


 姫野さんはどことなく拗ね気味な感じだが、まぁそうなんでも思い通りには行かせないって事は姫野さんも知っておかないとな! 


 まさかあかり、ここまで考えて……と横顔を見てみるが、別段してやったりという感じでも無く、むしろあれ、どしたの? とむしろ姫野さんの事を気遣ってる感じだ。


 そうか、無自覚でそれをやってのけたか……。俺も姫野さんの行動パターンはある程度予測するが結局揺さぶられてる気がするからな。対姫野さんの決め手としてあかりが一番適任だったりするのかもしれない。


 あかりの今後の暗躍に期待を寄せていると、姫野さんがぽつりと呟く。


「でもやっぱりこれ、槙島君の方に問題があるよね」


 ふむ、槙島の主張を知ってもそうなるか。

 まぁ俺的にもちょっとだけそんな感じなんだよなと考えていると、耳に入ったのか、河合に勉強を教えてもらっていた森江さんが身を乗り出す。


「え、姫野さんもそう思う?」

 

 姫野さんの言う問題とさっきの森江さんのの話題は微妙にズレがある気もするが、姫野さんは頬に人差し指を添える。


「うん。目を合わさないとかはもしかしたら奥手なだけかもしれないけど、途中一緒になった時も森江さんにだけ挨拶返さなかったのはほんのちょっとだけ印象悪かったよね」

「やっぱり?」


 姫野さんもとりあえず合わせようとしてくれているらしい。しっかりと森江さんの質問の意図の方に即した返答のようだった。


「でも槙島君さくらんぼ好きだし絶対良い人だよ?」


 あかりの中でさくらんぼは相当プラスのアイテムらしい。またしても口を挟んでくるが、今度は相手が姫野さんだからなぁ。


「えー、じゃああかり、悪い泥棒さんがさくらんぼ好きでも良い人って言えるのかな?」

「うっ、それは言えないけど……」

「でしょ? だから知らない人がさくらんぼ好きって言っても絶対ついていっちゃだめだよ?」

「えと、うん、分かった!」


 あかりはあっけらかーんと答えるが、いやこれ何の話?

 まぁ別にあかりの警戒レベルが向上したから結果オーライ……ていうかその反応、さくらんぼ好きって言われただけで知らない人についていくつもりだったのかこいつ。危なっかしいったらありゃしないな。

 何とか俺が守ってやらないとー……とか言ってー……。

 

「あーなんか思い出したらなんかまた腹立ってきた」


 そうやらあかりマジックが解けてしまったらしい。森江さんにまた不機嫌なオーラが宿る。


「お、押さえてりょうかちゃん、槙島君帰って来るよ」


 河合が言うので見てみると、何も知らない槙島がテクテクとこちらへと歩いて来ていた。

 ぐっ、今までの話聞いてるとなんか胸が痛むなぁ。とりあえずそれとなく伝えてそれとなく改善させて、それとなく槙島に対する世論の認識をどうにか改めてもらいたいが……さてどうするか。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る