第六十七話

 槙島が戻って来ると、場は静かに勉強モードに移行する。

 しかし先ほどまで話していただけに空気は僅かな違和感を帯びていた。

 それでも特に槙島は気にした素振りも見せず席に着く。


 どうしようかなこれ。とりあえずさっきの話は本人にできるだけ早めに伝えた方がいいだろうけど、どのタイミングにするか……。今すぐにでも顔を貸してもらうべきか?


 考えていると、不意に横でシャーペンが置かれた。


「そういえば忍坂」

「ん?」


 話しかけられたのでノートから槙島へと視線をシフトする。


「今日は雨とか降るっけ」


 ……?


「降らないと思うけど……」

「そうか」


 満足したのか槙島は自らのノートへと目を向ける。

 え、何。いきなりどうしたの槙島。

 腑に落ちないがまぁどうでもいい事が突然気になることはあるよなと一旦元の位置に視線を戻そうとすると、たまたま森江さんの姿が目に入る。


 森江さんは教科書を見ていたが、ふと視線を教科書から上げる。


「そう言えば忍坂」


 ほぼ同時だった。

 槙島が再び声をかけてくる。


「昨日の晩御飯はなんだった?」

「え、カレーだけど」

「いいね、カレー。僕は好きだよ」


 それだけ聞くと黙る槙島だったが、何故か視線が俺の方から外れない。

 なんか不自然だな。若干汗かいてるし、もしかして変な空気なのに気付いたのだろうか。だとすれば一見不自然に思える会話は俺に対して何か聞きたがっている、という事だろうか?

 なら一刻も早く伝えてあげるべきだろう。


「なぁ、まじ……」

「ごめん、やっぱあれだから言う」


 槙島に話しかけようとすると、不意に森江さんの声が聞こえる。

 突然口を開くので、自ずとみんなの注目は森江さんへと行く。


「槙島」

「っ!」


 森江さんが槙島へとしっかり顔を向けると、槙島がさっと視線を下にした。


「あんたに話しかけてるんだけど」


 森江さんの言葉に、槙島が恐る恐ると言ったように視線を前へとやる。


「えっと……」


 ぼそりと槙島が聞き返す。


「あのさ、私のこと避けてるよね。今もさっきも話しかけようとしたら露骨に顔をそらすし」


 もしかして槙島が変な話題を振って来たのって森江さん視線から逃れるためだった?

 

「いやそれは……」

「それは?」

「いや……」


 口をもごもごさせる槙島だったが、森江さんの鋭い語気に押し黙る。おいおい大丈夫かこれ。あんまり雰囲気が悪くなるのはよくないだろうしここは俺が……。


「あー、えっと森江さん」

「何?」

「いえ、なんでもないです」


 こっわぁ! なだめようかと思ったら思わず押し黙っちゃったよ! 森江さんロックっぽいから外見的に怒ってると際立つんだよな……。すまん槙島、救いを求める眼差しでこっちを見てくれたところ悪いんだが頑張ってくれ。


「だいたい挨拶すらしないって人としてどうなの?」

「あのそれは……」


 相変わらずしどろもどろな返事をする槙島。

 しかしなおも森江さんの詰問は終わらない。


「それとも私何かした?」

「特には……」

「だったらなんで? こっちとしては訳わからないし気分悪いんだけど」

「その……」


 次々と質問が繰り出されるが、なおも煮え切らない槙島についに業を煮やしたか、森江さんが大きなため息を吐く。


「はぁ、もういい。るみ、ジュース買いに行こ」

「え、う、うん」


 森江さんが席を立つのでその後をあたふたと河合が追いかけていく。

 いかんともしがたい空気が漂う中、ふと槙島が何やら呟く。


「った……」


 小さくてよく聞き取れなかった。

 聞きなおそうか考えていると、槙島は拳を作った両手を机に置き、ぱっと立ち上がる。


「終わったぁッ!」


 張り上げ気味に声を出すと、机に叩きつけん勢いで首を垂れる。そのあまりの勢いに槙島の眼鏡が机の上にはじけ飛んだ。


「あっ、めがねめがね……」


 槙島が机の上を手で探るのですぐ拾って渡してやる。ていうかめがねめがねって本当にこんな事言う奴いたんだな、なんか新鮮! ……とかそんな事考えてる状況じゃないよな!


「ありがとう」


 槙島は眼鏡をかけ人差し指で位置を戻すと、背を椅子に預け力なく笑いだす。


「フ、フフ、フフフ……おわったよ忍坂……。もう僕の青春はおしまいだよ……」

「ま、まぁほら、別に学校違うし、交流会なんてそう無いしさ」

「いや駄目だ……もう駄目なんだ……」

「まぁなんだ、何も今の出会いにこだわらなくても別の出会いでとか、な?」


 別に森江さんの事好きかどうかも全然はっきりしてなかったみたいだし?


「うーん、それはどうかなコウ君」


 ふと、静観していた姫野さんが口を開く。


「というと?」

「えっとね、そう簡単に切り替えられるものなのかなーって」

「ん?」


 どういう事だろう。

 槙島の森江さんに対する感情はどんな子相手にも起こりうる、というのは槙島自信が言っていた事だ。それなら言い方は悪いが、森江さんじゃなくても他の女子に出会いを求めれば特に問題は無いんじゃないのか。

 頭に疑問符を浮かべていると、姫野さんは槙島の方へ目を向ける。


「だって槙島君、普通に森江さんの事好きだよね?」


 姫野さんの突然の質問に槙島の肩が心なしかピクリと揺れた気がする。

 何を聞きだすかと思えばいやいやまさか。あれだけ理由並べてたもんな。好きなわけないよな。


「そ、そ、そ、そ、そんな事は……」


 あれ、なんでそんな噛んでるんですかね槙島さん?


「私はりょうかちゃん好きだよ!」

「ふふっ、あかりはちょっとだけ黙ってねー?」

「しゅん……」


 あかりが口を挟むのを笑顔で遮ると、姫野さんは槙島に問いかける。


「じゃあなんてそんなに落ち込んでるのかなー? 好きになりたい、っていう話は聞いてたけど、それだけじゃそうはならないと思うなぁ」


 どこかよそよそしいように見せかける姫野さんだが、その瞳にはしっかりと槙島の姿が映っているようだった。

 対して下を向いて押し黙る槙島だったが、槙島も姫野さんには敵わないと悟ったらしい。 やがて諦めたように一つ息をつく。


「……こうなったら認めざるを得ないね。そうだよ、僕は森江さんの事が好きだ」


 槙島の告白についつい疑問が口をつく。

 

「え、いやでもお前、それは誰にでも起こりうる感情って、だから好きか確かめるためにここに来たんじゃないのか?」


 尋ねると、槙島はどこか気まずげに頬を掻き目を顔を逸らす。


「えっとそれはー……」

「コウ君とあかりから教えてもらった断片的な話しか分からないけど、ちょっと聞いた限りだとそれらしい理由をつけて予防線を張ってるように私は感じたかな」

「そうなのか?」


 再び聞くと、槙島は自嘲気味に言う。


「フッ、だって仕方ないじゃないか。森江さんは住む世界が違う。そんな相手を好きになったなんて認めても虚しくなるだけだからね……」


 笑われるとも思うし……と語る槙島の横顔はどことなく哀愁漂っていた。なるほど、まぁ確かに気持ちは分かる。森江さん見るからに充実してそうだもんな。カースト制度があったら上位にいそうな感じ。


 うーん、どう声をかけてあげるべきかと考えていると、横からペタペタと机をたたく音が耳に入る。

 見てみれば、喋らせて! とあかりが姫野さんに目で訴えかけていた。わざわざ許可貰うとか従順だな!


「どうぞあかり」

「よーし!」

 

 姫野さんに了解を得たあかりは早速立ち上がると、てとてと槙島の近くまで回り込む。


「コホン、槙島君や」


 あかりが一つ咳ばらいして名前を呼ぶので、何事かと言いたげに槙島は視線を上げる。


「世界はね……」


 目をつぶり仰々しく溜めると、やがてあかりは目を開きずびしっと槙島を指さす。


「一つしかない!」

「え?」


 怪訝に聞き返す槙島だが無理も無いだろう。俺だっていきなり前に出てきた人に世界が一つしかないとか誇らしげに宣言されたら困る。なんなら宗教勧誘かと疑っちゃうレベルだ。

 けど、俺もあかりとは付き合いは長い。なんとなく何が言いたいのか察しはついた。

 相変わらず困惑気味な槙島だが、あかりは特に気にした素振りは見せず続ける。


「そう、住む世界はみんな一緒なんだよ! だからね、絶対りょうかちゃんとも仲良くなれる!」

「世界は一つ……住む世界は一緒……」


 槙島があかりの言葉を復唱する。

 世界は一つか。色々ツッコミどころはありそうだが、あかりが言いたい事はそういう事じゃないのだろう。


 こいつはただ純粋に誰とでも仲良くなれるのだと伝えたかっただけに違いない。普通そんなはずは無いと思うが、あかりが言うと妙な説得力があるからな。まぁこの子が特殊だと言われればそれまでなんだけど、少なくとも若干の希望は見いだせる気はする。

 

「なんか、よく分からないけど少し元気が出たよ。ありがとう」


 槙島が心なしか穏やかに言うが、すぐにまた下を向き横顔に陰を帯びさせる。


「で、でもけっこう怒らせちゃったみたいだからなぁ……ハハ」

「それはもう、謝るしかない! 大丈夫、りょうかちゃんも許してくれるよ!」

「そうかなぁ……」


 行けるよ行ける! とあかりが未だ悩ましい槙島を励ましていると、やがて森江さんと河合がこちらにやって来ていた。


 森江さんは未だ不機嫌そうな感じはあるが、さっきよりは多少落ち着いている様に見える。


「ほら、槙島君!」


 あかりがはっぱをかけると、こけそうになりつつも槙島は森江さんの前へと出る。


「あ、えっと……」

「何?」


 森江さんが半目を向けると、槙島も少し怯んだらしく顔があちらへ行ったりこちらへ行ったりする。

 それでもなんとか森江さんに顔を向けると、ついに言葉を発した。


「色々とすみませんでした! そして顔向けできないから帰ります!」


 言うやいなや槙島は身を翻すと、一瞬でノート類などをカバンに入れ走りだした。


「え、槙島君!?」


 あかりが叫ぶが、槙島は聞かずに走り去ってしまう。

 うーん、やっぱそう簡単に仲良くはハードル高かったかぁ!


「え、何あいつ」

「ま、まぁほらりょうかちゃん、きっと緊張してたんだよ。人は緊張したら逃げちゃう生き物だから! ね!?」


 横にいた河合が森江さんをなだめるが、人ってそういう生き物でしたっけ……。 まぁでも河合も河合で槙島の印象が悪くならないように頑張ってくれたという事なのだろう。森江さんが少し落ち着いていたのも実は河合がけっこう宥めてくれたりしてたのかもしれない。


「いやそれ人類の中でもるみくらいじゃん? あ、あいつもか」

「え、そんな事ないよねあかりちゃん!?」

「うーんそうなのかな……って、そ、それよりどうする!? 追いかける!?」


 何やら騒がしくなってきたが、まぁなんだろう、一応最悪の事態にはならなかったって事か? 森江さんもちょっと表情柔らかくなった気がするしな。とりあえず良かった。


「ねぇコウ君」


 心中で胸をなでおろしていると、ふと姫野さんが声をかけてくる。


「えっと、なんだろうか……」


 また何やら仕掛けてくるのかと身構えるが、特に何をされるでもなかった。

 その代わり、姫野さんは微笑を口元に湛えると、黒真珠のように綺麗な瞳を向け問いかけてくる。


「槙島君の気持ち、コウ君本当は気付いてたんじゃないかなーって」

「え、なんでまた……」


 聞くと、姫野さんは頬に人差し指を添える。


「うーん、だって普通の人なら分かりそうじゃない? あかりならともかくね」


 姫野さんはあかりの方を少し見ると、河合さんも分かってなかったみたいだけど、と付け足す。

 槙島の気持ちに気付くか、つまり槙島が森江さんの事をはじめから好きだったのだと気付いていたか、という事だろう。

 言われて思い出してみる。俺が最初、槙島に話を聞いた時は――


「……うーん、どうなんだろう」


 確かに疑いの目は向けてたかもしれないけど、分かっていたかと言われれば手放しで頷く事はできない、か。


「まぁでもそっか。その場に私はいなかったし、実際にハッキリと本人の口から言われたのを聞いたらけっこう信じちゃうかもね」


 姫野さんはそれだけ言うと、ふと俺の隣へ目を向ける。


「あ、そこ空いてるなら私が座っちゃおうかな? 丁度教えて欲しい問題があったんだ」

「え、ちょ、まっ!?」


 姫野さんはノートと教科書を手早く折りたたむと、それを持ってあっという間に隣の席へ鎮座する。

 しまった! 急で対処し損ねた……!


「あ、ことみん! そこ私の席!」


 幸いあかりがすぐに気づくと、席の奪還を試みる。


「えー、仕方ないなぁ。じゃあこっち座ろっかなー」


 姫野さんは立ち上がると、元々槙島のいた席へと座ろうとする。


「そ、そこは槙島君の席だよことみん!」

「え、でも帰ったよねー?」

「呼び戻すから!」

「じゃあその間あかりの席貸してもらうね」

「うー、うぬぬぬぬ……」


 姫野さんの隙の無い切り返しにあかりは頭を抱え込む。

 その姿につい半笑いがこみ上げてくるが、同時に先ほどとの姫野さんの言葉がどうにも頭の裏から離れずにいた。

 俺が槙島は森江さんが好きだと分かっていた、か……。

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