第六十話

「それでね、その手紙がこれなんだけどね」


 昼下がりの中庭。目の前に並ぶ弁当箱や総菜パンを避け、あかりがくだんの手紙を広げる。


「うわぁ……すごいね。本当にこんなのあるんだ」

「なかなかロマンチックな文章だね」


 姫野さんはどこか引き気味な感じだったが、流石はシュウ。第一声から肯定的な言葉を出す辺りやっぱりいい奴だ。


「でもまぁロマンチックって言えば聞こえはいいけど、度が過ぎて薄ら寒くなってる感は否めないな」


 シュウが正直に言えない分、一般的正直な立場から俺が補てんしてやると、シュウが耳を貸せと手招きしてくる。


「なんだよ」


 シュウはどこか怪しげな笑みを浮かべるので警戒しつつも近づいてみる。


「もしかして焼いてるの?」

「バッ、おま……なにを……!」


 あまりに突拍子もない事を言いだすので立ち上がってしまった。

 別にそんなんじゃないし! 確かにね? 確かに多少もやっとした感はあったよ? あったけど最初だけだし、だいたいそれとこれとは別だろぉ!? だって事実寒いじゃないか! どいつもこいつもこぞってそんな事を言いだしやがって!


「どうしたのコウ、大声出して」


 ふと、あかりが不思議そうに見上げるので、すぐさま座り居ずまいを正す。


「さ、さぁ。俺にもさっぱり……」

「えー、絶対なんかあったよ」

「ねぇよどこにも……」

「ほんとに?」

「ほんとに」


 あかりの刺すように訝し気な視線を送って来るのは俺の心理を読み取ろうとしているのだろう。でも残念、実際そこに何かが物理的に・・・・あったわけじゃないからな、よって今回お前の得意な俺の嘘をかぎ分ける能力は通用しない! 対あかりにはあかりの言葉の意味をはき違える思考をトレースすれば対処できるのだ。


「くく……」


 ふと横で笑い声が喉を鳴らす音が聞こえたので見てみると、シュウが実に愉快そうにしていた。この野郎……いい奴って認識改めてやろうか。


「ねぇあかり、それよりどうするのかな?」


 不意に姫野さんが口を開くので目をやると、件の手紙を姫野さんの手にはラブレターがあった。


「どうするってどういうこと?」


 あかりが小首をかしげると、姫野さんは僅かに微笑を浮かべる。

 

「ほら、あれだよ。お返事とか書いたりしないのかなって」


 特に、声音が冷たいというわけでもなくむしろ軟らかな口調だったが、その言葉はどこか棘のようなものを纏っている気がした。いや、実際は棘何でものはどこにもないのだろう。ただ俺がそう感じてしまっただけで。


「お返事……」


 あかりはその言葉を口にすると、それきり静かになってしまう。

 訪れるのは束の間の沈黙。


 俺の周りじゃ手紙なんてもの書いてるやつあまり見ないし、あかりにとってもそれは同じなのだろう。

 だからこそどうするべきか考えあぐね黙っている……なんて考える事もできるだろうが、これはなんとなく違う気がした。


 この沈黙の理由はきっと別のところにある。そう見当をつけた時、それは自ずとある一つの事実を少しずつ鮮明にしていく。

 だが、俺は次の言葉を待つ事しかできない。


「でもその手紙、差出人が不明なんじゃない?」


 なんとなく重くなりつつある空気の中、シュウが冷静に指摘してくれるが、姫野さんはすぐさま新たな問いかけを提示する。


「そうだね。じゃあ、もし誰が渡したか分かったら? その人の気持ちが抑えきれなくなって名乗り出てきたら、あかりはどうするのかな?」


 試すように投げかけられた言葉に、あかりも自信無さげに口を開く。


「……謝る、かな?」

「それは断るって事だよね?」


 休む暇も与えず放たれる問いかけにあかりはゆっくりと頷く。

 しかし姫野さんは容赦なく一つの現実を突きつける。

 

「そうする事で相手はきっと傷つくのに?」

「そ、それは……」


 あかりが言葉を詰まらせると、再び沈黙が訪れる。流石のあかりでもこればかりは理解しているのだろう。じゃないとここまで悩んだりしない。


 だとすれば姫野さんの言葉はあかりにとってどれほどの負荷になっているのか。

 これまで姫野さんは何度か同じようにあかりの良心につけ込んできたが、どれも冗談の範疇で可愛げがあるものだった。でも今回のこれはまったく違う。明確なマイナスの意思がそこに見え隠れしていた。

 これは流石に見過ごせない。”振る”という事がどういう事なのか、俺はよく知っている。


――姫野さん。


 しかし俺が口を開こうとする前に、沈黙はほかでもない姫野さんによって破られるのだった。


「なんてね。これは答えなくてもいいよ。だって答えなくても今あかりが何を考えてるのか分かってるから私」


 姫野さんはため息交じりに言うと、弱い笑みを浮かべる。


「えと……」


 あかりもあかりであんな質問された手前、色々と気がかりなのかどこか戸惑いがあるようだ。


「ちょっと意地悪な質問しちゃったよね。忘れてくれていいから」


 姫野さんは明るく言い放つと、「ごめんね」と付け足す。だがあかりは納得いかない事があるのか何か言いたげに目を伏せる。

 そんなあかりに姫野さんはすり寄ると、そっとその両手を握りしめた。


「あかりはいい子だもんね。だからたぶん私の質問で悩ませちゃったんだよね。でもあかり、そうする事は何も間違ってない。むしろ正しい事なんだよ。相手を傷つけることになるって私は言ったけど、もし嘘をついたらそれこそもっと相手を傷つけることになるから。だからね、あかりのそれは優しい事なんだよ。だから安心して、ね?」


 親が子を諭すように丁寧に姫野さんは言葉を紡いでいく。その姿は純粋な優しさにも見えたし、どこかほつれた糸を結い直しているような、そんな風にも見えた。

 

「ねぇことみん、私駄目な事してない?」

「うん。駄目じゃないよ。何も駄目じゃない」


 姫野さんが力強く言うが、ふと視線を落としその横顔に憂いを宿らせる。


「だって期待なんて、早く消えちゃった方がいいから」


 姫野さんが小さく呟くが、すぐ表情晴れやかにあかりを見る。


「それにほら、刑部おさかべ君も言った通り、誰の手紙か分からないからね。差出人が不明な以上はそもそも考える必要なんか無いよ。だからあかりはいつも通りにしておけばいいんじゃないかな?」


 その言葉を最後にあかりもようやく霧が晴れたのか、いつもの元気な調子で言い放つ。


「そっか……うん、そうだよねっ」


 ふむ、とりあえず一難は去ったか。姫野さんも本気であかりを困らせようとしていたわけじゃなかったみたいだし、ちょっと気負い過ぎだったかもしれないな。


「それよりほらあかり、コウ君に伝えたい事あったんだよね?」

「え、俺?」


 思いがけず名前を呼ばれたのでついオウムのような返しをしてしまう。


「そうそう! えっとちょっと待ってね……」


 そう言いながらスマホをポケットから取り出すあかり。

 まぁきっと何か面白い動画を見つけたとかそういう感じだろう。何はともあれ、いつもの空気が戻ってきてよかったよかった。


 何事も平穏が一番と心中ほっと一息ついていると、あかりが何か合点がいったのか、うんと軽く頷きメールアプリの画面を見せつけてくる。


「るみちゃんがね、明日図書館で一緒に勉強しようって。コウと私と三人で!」

 

 あっけらかーんと放たれた言葉に愕然とする。

 るみって河合……え?

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