第十九話



 ゴール地点に屋根などは無かったが、別レーンはあり、そこには使われていなさそうなボブスレーが置いてある。

 滑り終えると、シュウとあかりが芝生の上で係の人と共に待っていた。

 心配していたが、幸いシュウは無事だったらしく、爽やかスマイルで質問してくる。


「お疲れ二人とも。楽しめた?」

「うん、楽しかったよ~」

「そっか。コウは?」

「まぁ、けっこう楽しめたか」


 俺の場合ボブスレーを楽しんだというよりは別の事を楽しんだわけだが。


「まだちょっと時間があるって花咲さんと話してたんだけどどうしよう?」

「そうだね。適当に歩く?」


 シュウと姫野さんの会話に耳を傾けていると、ふと思い出す。

 そういえば、あかりの奴さっきからだんまりだな。珍しい。あんなに機嫌よさそうだったら、俺たちが帰ってきた時点で何かしら騒ぎそうなものだ。

はたとそんなことを考えているとあかりと目が合った。


 少し間があって。


「嘘つき」


 あかりはそれだけ言うと、「いーっだ!」と生意気な事をのたまいそっぽを向いてしまった。


 生意気な挙動の割にはそれなりに可愛くて困る。でも一体何をそんなに怒ってるんだこいつ。


 なんて言ってたか、確か嘘つき、だったか。思い当たる節と言えば……。

 ああそういえば一人で乗る、とは確かに言ったな上で。でもそんな目くじら立てる事でもないような気もするけど、何が怒りの琴線に触れたのか……。なんかすっきりしないな。


「どうするコウ君?」


 少し考えていると、姫野さんが俺に尋ねてくる。


「えっと、なんだっけ」


 考えていたせいで途中から聞いてなかった。


「そこらへんで座ってゆっくりするか、散策するかどっちにする?」

「あーそれね。そうだな……」


 もしあかりがシュウと距離を縮めるとしたらどっちの方がいいだろう。せっかくだし散策してみたい気もするけど、たぶん歩くとなると自然と俺はシュウと、あかりは姫野さんと歩くことになるだろうから、それなら四人で話す方がいいかもしれない。流石にぐっぱで誰と歩くなんて決めるのはおかしいからな。


「まぁ時間ぎりぎりになってもあれだし、適当に話しとこうか」

「了解。あかりもそれでいい?」

「ことみんと刑部君がそれでいいならいいよ。コウはさておき」


 ねっとりとした目と視線が合う。

 露骨に敵意を向けやがるなこいつ……。まぁ、何か気に食わなそうにしてる時にその理由を聞けば、さらに機嫌を悪くするのは経験済だし、ここはそっとしておくのが一番だろう。


「じゃあ決まりだね。とりあえず座れるようなところでも探そっか」


 姫野さんが視線を周りに向けると、ふと誰かの楽し気な声が聞こえる。


「おお? おお~!」


 見れば、誰かがボブスレーで滑走路を下っているらしかった。どうやら俺たち以外にも物好きはいたらしい。

 ボブスレーが近づくにつれ、その姿がはっきりと確認できる。

 何樫だった。勢いよくゴール地点に到着すると、満足そうにボブスレーから降りて来る。


「全然余裕! 怖くなかったよ~!」

「えぇ~マジ~?」

「まじまじぃ~」


 何樫が丘の上にいる友達に手を振りながら叫んでいた。

 つまりもうすぐこの場所に肉食獣も下りてくるという事か……。何樫は普段見る限りはサバサバしてるっぽいからいいとしても、男にがめついあの子達がこの場に出くわしたら束になってシュウに襲い掛かってくるかもしれない。一応姫野さんとあかりという二大美女がいるとはいえ、校外学習でテンションが上がっているとしたら後先考えず行動してくる可能性も十分に考えられるし、第一、何樫だって何をしでかすか分かったもんじゃない。襲う事は無くとも俺とあかりをネタにしてくるのは目に見えてる。そうなれば必然、シュウはあかりとの距離を感じることになるだろう。


「あっ、あそことかどうかな?」


 心配をよぎらせていると、姫野さんが少し先の木陰の方を指出す。ピクニック用なのかは知らないが、喫茶店のように机や椅子が置かれていた。さっさとそっちへ行ってしまおう。


「いいと思う。行こう」

「あれ、よく見たら忍坂達じゃん?」


 手短に肯定し歩きを促したが、ほぼ同時で何樫に声をかけられてしまった。

 全員歩きかけた足を止める。


「よ、よお、何樫……」


 流石に無視するわけにもいかず対応する。あーもう最悪だ。


「え、忍坂達も乗ったのこれ?」

「まぁ」

「まじ? けっこう面白くなかった?」

「うん! すっごく面白かったよ!」

「やっぱり? 花咲さんもそう思う!?」


 横から槍をついてきたあかりに何樫が嬉々として応じる。やめろよ! お前コミュ力お化けなんだから話弾むだろうが!

 絶望の淵に立たされていると、今度は丘の上から肉食獣の遠吠えが響く。


「ふーちん行くよー!」

「あーカムカム~!」


 あー詰む詰む~! 

 でもふうって名前だからふーちんかぁ、そっかぁ~とか考えてる余裕はなかった。あかりとの会話の流れは切れたが、今度は血に飢えた獣がやってくるのだ!  このままでは作戦が終わりかねない……って言っても終盤だけど。でもせっかくだから最後まで遂行したいだろ!


 焦りのせいか、額から水滴が湧き出るのを感じていると、何樫の顔がまたこちらに向く。


「それで忍坂さぁ~」


 このねっとりとしたトーンはあの話が来る!

 そう確信した刹那だった。


 きゅるる~。


 俺のお腹から何とも情けない音が聞こえてくる。


「あれ忍坂? 今のお腹だよね。お昼食べてなかった感じ?」

「いや、腹痛の方だ……」


 どうやらこの重圧に肉体が先にダウンしたらしい。でも丁度良かった。


「え、大丈夫コウ君?」

「ありがとう姫野さん。大丈夫。何樫悪い、ちょっとトイレ行って来るわ」

「別にいいけど……」

「三人もごめん、先に行っといてくれるか」

「分かった」


 シュウが頷くと、姫野さんも頷きこちに気づかわし気な視線を送りながらも先に行ってくれる。しかし何故か、あかりははっきりしない曖昧な視線をこちらに送ったまま動こうとしない。


「どうしたあかり、先行っといてくれ」

「えっ、う、うん……」


 言うと、あかりが言葉尻弱々しく頷く。もしかして多少の心配でもしてくれていたのだろうか。

 いや、今はそんな事どうでもいいな。

 それよりこれ以上停滞していると本格的にまずい……!

 ダッシュで少し離れた遠くまで駆け込むと、とりあえずは事なきを得た。

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