第十八話


「ぐっとっぱ!」


 シュウ、パー。あかり、パー。俺、グー。姫野さん、グー。

 よし思惑通り。

 結局、ぐっぱで別れようという提案は滞りなく通り、シュウにはフラれた相手と乗るのは気まずいからと伝えてパーを出してもらった。


 これは我ながら上手くいった。あかりにはひと時の青春ライフを満喫してもらえる事だろう。


「乗る方は決まりましたか?」

「はい、決まりました~」


 係のおばさんがニコニコと聞いてくるのを姫野さんが返すと、簡単な説明を聞かされ、とうとうボブスレー搭乗の時が来た。


「じゃあとりあえずシュウ達からで……いいよね姫野さん?」

「うん、いいよ」


 姫野さんからの承諾も得たのでとりあえず二人に行ってもらう事にする。

 二人乗りボブスレーは別段大きいとは言えず、乗る所も狭め。やはり少なからず身体が密着してしまうようだ。シュウとあかりの距離はなかなか近い。

 こりゃあかり、メンタル的に大変じゃないのか……と心配したのも束の間。


「おお凄い、ブレーキはいらないからね刑部君! 飛ばして行こう!」


 子供のようなはしゃぎっぷりを見せるあかりに、係のおばさんも半笑いだ。

 それでも「いきますよ~」と最後は明るく言い二人の乗ったボブスレーを押してくれる。

 少し間があって、


「いっえぇぇぇぇい」


 あかりの楽し気な声が辺りに響いた。

 まぁ、通常運転らしくて何よりだな。この調子でシュウとの仲も縮めてくれ。


「そういえばさっき楽しそうだったけど何話してたの?」


 ふと、姫野さんが口を開く。


「え?」

「あかりとだよ」


 姫野さんの笑みがこちらに向き、思わずたじろぎそうになる。

 向けられているのは微笑みのはずなのに心臓がざわついた。


「あ、あー……」


 やっぱ今回のあれは露骨すぎたか……もしかしてあかりの事悟られたのかもしれない。たぶんあかり、姫野さんに言ってないもんなこの件。


「ま、まぁなんというかほら、柵に乗っかって危なかったから色々と説教をね?」

「ふーん、でもその割には楽しそうだったよ?」


 なおも姫野さんの追撃はやまない。その瞳は黒く澄み、ずっと見ていると吸い込まれそうだった。


「まぁ、どうだろ……」


 訪れるのは、何とも言えない沈黙の時間。

 外界から一切の音を遮断すればこんな感じなのだろうか――


「お~い、楽しかったよお! ことみんもコウも早くおいでよ~!」


 沈黙を打ち破ったのはあかりの声だった。

 柵まで寄って下を見ると、ご機嫌そうにあかりが手を振っていた。


「あ、けっこう楽しそうだったね。私たちも早く乗ろっか」


 姫野さんに屈託のない笑みで言われ、幾分か先ほどより気が楽になった。

 しかしそういえば俺にはこっちの問題があるんだったな……。俺の命のためにもどうにかこのイベントは回避せねば。


「あっれーなんだろう、頭がなんか痛くなってきた……」

「え?」


 急に言ったからだろう、姫野さんの頭にクエスチョンマークがぽてんと浮かんだ。


「姫野さんごめん、先に一人で乗ってくれないだろうか」


 姫野さんは顎に手をあて考える素振りを見せる。


「そんなにお腹痛いの?」

「うん、肉食い過ぎたかも……」


 あれ? 今俺、何言ったっけ?

 だが悟った時には既に遅し。姫野さんが小首を傾げる。


「あれおかしいよ? 頭痛いんじゃなかったの?」

「え、ああうん、ああそうだ! お腹も。うんお腹も痛かったかなー、なんて……」

「ふーん……」


 もちろんそれで納得するわけもなく。

 姫野さんが半目でこちらを睨んで来た。


 まずい、姫野さんが不機嫌に! この状態をもし紙袋に見られたらどうなるだろうか? きっとあらぬ疑いがかけられミンチにされて鍋にかけられるに違いない。 これは命のために一緒に乗るしかないか? かと言って乗ったら乗ったで殺されるよなこれ……。前門の虎後門の狼とはまさにこの事か!


 いやでもそうだな、どうせ死ぬなら良い思いをしてから死ぬ方がいい。だったら答えは一つだな!


「ああーいや、気のせい、だったかなー? よく考えれば全然元気だったぞー、うん」


 今更言って間に合うか分からないが、焦燥に後押しされるがままに言葉を絞り出す。

 さて肝心の姫野さんの反応は……。


「それなら良かった。じゃあ乗ろっか」


 笑顔を見せてくれた。概ね良好だろう。

 危なかった。と言ってもどちらにせよ危ないと思うんだけど。

 まぁそれでも、姫野さんと同乗という死に花は咲かせそうなので良しとしよう。


 最後の晩餐気分で係のおばさんの軽い確認の説明を受け終え、とうとう乗る時になる。

 まず姫野さんが前の方に乗り、今度は俺が後ろに乗る番だ。

 できるだけ姫野さんを刺激にしないように慎重に後方座席へ座る。


 うん、近いね。やっぱ近すぎぃ! いやだってさ、今俺、脚で姫野さんの下半身に挟んでるんだぞ⁉ 布越しだけど体温の暖かみがッ! 

 しかもこのボブスレーに背もたれはない。

 つまりすぐ目の前には姫野さんの背中があるわけで、距離はかなり近い。その上微かにフローラルな香りが漂ってくるんだから俺の嗅覚がエクスタシーしてしまう!


「気持ちよさそうだね」

「ファッ⁉ だ、誰が⁉」


 誰が心の中でエクスタシーとか言った変態さんなのかな⁉


「だ、誰……? えっと、ボブスレーに乗るのは私達だから一応私とコウ君になるね」


 あ、良かったぁ! 心を読まれたわけじゃなかったぁ! 姫野さんの言うのがあまりにも良いタイミングだから心読まれたかと思ったぞぉ⁉


「コウ君?」


 少し黙ってしまったからか、姫野さんの怪訝な声が聞こえるので即座に応答する。


「そ、そうだね! うん、絶対気持ちいいと思う俺も!」

「どうしたのコウ君? なんか慌ててるような……」

「べ、別に! ちょっと緊張してるだけだから!」

「そっか、確かにボブスレーなんて滅多に乗らないもんね」


 なんとかごまかせたらしい。姫野さんってけっこう鋭そうなところあるからどうなる事かとヒヤヒヤした。


「あまり速度を上げ過ぎるとひっくり返るから、ほどほどにブレーキはかけてくださいね」


 そう言う係のおばさんの視線は下る滑走路の方に向いている。どうにもあかりの事を思い出しているようだ。

 あいつブレーキとか一切かけてなさそうだったもんな。これはシュウが無事か心配だな……。


「それじゃあ押しますよ」


 係のおばさんが言うと、ボブスレーが滑走路を滑りだす。

 鉄板の擦れるような音が次第に大きくなると、強くなる向かい風と共に姫野さんの艶やかな髪の毛が頬をくすぐり、甘い花の香りに包みこまれる。


 同時、慣性に従って軽く仰け反った姫野さんの華奢な身体がさらに至近距離となる。


「けっこう速いねぇーコウ君!」


 姫野さんの楽し気な声が聞こえるが、返す余裕はなかった。

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