第三話

 あかりは顔を真っ赤にして訴えかけてくる。

 ああ、はい。そういうパターンでしたか。やれやれ、俺も高校独特の浮かれた青い空気から少なからず良い影響を受けていたらしい。生まれ持ったこのマイナス思考も少しは精度を落としていたようだ。


 まぁ、それ自体はいいけどね、別に。ネガティブでいたって得する事はほとんどない。ただ今の状況に限って言えばしっかりと機能してほしかったかな。若干ポジティブシンキングが働いた分、落差が大きい。しかも相手が刑部……シュウだとはまた神様も粋な事をしてくれる。


「なるほどなあかり。まぁとりあえず一旦ここ出るか」


 あまり人前でどうこう言う話じゃないだろう。


「う、うん……」


 恥じらいからか頬を赤らめ髪の毛をくりくりといじる仕草は完全に乙女である。今まで天真爛漫で何も考えて無いような姿しか見てこなかった俺には非常に新鮮だ。

 俺達は会計を済まして店を出ると、特に言葉を交わすことなく近くの公園まで歩いた。


 子供も帰る時間らしく、木が多い公園の全体を見る事ができたわけじゃないが、夕暮れに染められた燈色の背景の中にいるのは俺とあかりだけらしい。


「も、もしかして何か病気だったりするのかな?」


 何から言おうか考えていたところに、あかりが焦るように聞いてくる。

おいおい、俺のマイナス思考ひょっとしてあかりに移ったんじゃないのか?

まぁでも、病気というのはあながち間違ってないか。ただこの様子だと自分の状況をまったくもって理解できてないみたいだ。仕方ない、教えやろう。


「その胸がどうこうっていうのはな、たぶん恋だよ」

「こ、恋……?」

「そうだ。さっきお前はシュウを見ると胸の辺りが変になるって言ってたな。それはなんていうか、きゅんきゅんする感じだろ?」

「た、確かに言われてみればそうかも……」

「やっぱりな。それは人間が感じる感情の一つだ。人は成長するにつれて誰か異性と一緒にいたいという気持ちを抱くようになる。そしてその気持ちこそが恋だ」

「恋……」


 あかりは意味をしっかりとかみ砕くようにその漢字一文字の単語を復唱する。

 どうやら今まで本当にその意味を理解できていなかったらしい。だからこそ俺は振られたのかな……なんてのはただの言い訳か。あかりに俺の言葉で恋という感情を抱かすことが出来なかった時点で俺は普通に振られたも同然だよな。だったら負け犬の俺が出来る事は一つだけだ。


「よし分かった。俺がお前とシュウの仲を取り持ってやる」

「え?」


 急に言ってしまったせいかあかりが聞き返してきた。できれば理解してほしかったけどまぁいいや、減るもんじゃない。


「要するに、お前とシュウの仲を取り持って一緒にいれるように、恋人同士になれるよう協力するって事だ」

「……ッ!」


 恋人と言う単語を聞いたからか、あかりの顔がまた少し赤くなっていく。

 いくらあかりとは言え恋人という単語くらい知っていたらしい。ああ、俺も付き合ってくださいとかじゃなくて恋人の単語使えばよかった……。いやそれでどうこうなったかは別だけどね? 


「幸い、シュウに気になってる奴はいない」

「い、いないんだ……」


 今朝、たまたま聞いた事を伝えると、若干嬉しそうに見えるあかりに何とも言えないものが心の中に広がるのを感じたが、とりあえず頭の隅に追いやり話を続ける。


「おう。あいつは嘘をつくような奴じゃないから十中八九それは間違いない。ただ、それは何かのきっかけでシュウの心が別の女になびいてしまうという可能性もはらんでいるわけだ」

「なるほど」

「だからこそ明日から早速何かしらアクションを起こした方がいい。お前らはまだそこまで仲の良い関係じゃないけど、それは他の女もまた同じだ。まぁ、先手を打つわけだな」

「おお~流石コウ!」


 ぱちぱちと手を叩くあかりの今回の流石は本当に感心しているみたいだ。こいつほんとに恋愛に関して初心者なんだな。俺も似たようなもんかもしれないけど。


「とりあえず最初の距離の詰め方として妥当なのがまず話しかける事だな」

「え、刑部君に話しかけるの?」

「お前の得意分野だろ? 中学の時だって分け隔てなくみんなと話してたじゃないか」

「それは、そうだけど……」


 普段社交的なくせにこういう時は内向的になるらしい。嫌と言うわけでは無いと思うがあまり気は乗らないみたいだ。いやはや、乙女とはこういうものなんでしょうねぇ。


「とりあえず俺に話しかけるついでにそういえばいつもコウ、つまり俺と一緒だよねみたいな感じで話持って行けば、後はお前の力でなんとかなると思うぞ」

「わ、分かった。頑張ってみる……!」


 あかりはそう言いつつ両手を握り少し振る。気合十分ってところか。緊張がほぐれたのかあかりは普段の調子を取り戻したようだ。この感じならとりあえず大丈夫だろう。


「というわけで、他の作戦は随時伝えて行く事とする。とりあえず今日は解散!」

「え? 家、隣なんだし一緒に帰ろうよ?」

「ぐっ……」


 成り行きで解散できるかなと思ったけど甘かった……。仕方ない、とりあえず適当に理由つけて一人で帰ってもらおう。


「まぁなんだ、俺はちょっと寄る所があってな、今日は一人で帰ってくれないか」

「ここらへんに寄る所なんてあったっけ?」

「え、いやぁ……」


 まぁ確かにその通りだけどさ。俺の高校って住宅地の中にあるような高校だもんな、周りに本屋も無ければ娯楽施設も無い。いつも使っている、歩いて十数分の最寄りの駅から電車に乗れば大型ショッピングセンターがあるから、それ自体に問題は感じてなかったが今その不便さを痛感した。ともあれ今日はあまり一緒に帰る気分じゃない。


「あれだ、これからこういうのはやめた方がいいと思ってな」

「なんで?」

「考えてもみろ、あんまり一緒にいる事を頻繁に目撃されたらあいつらは仲が良いとかそういう噂が立ちかねない。シュウの事だからそれを聞きつけるやいなや俺達の仲に関して、見当違いな応援をしてくると思うんだ。恋の相手に別の人の恋を応援されるのは複雑だろ?」

「えっと、よくわからないけど……まぁとりあえず、あんまり仲良くしすぎたらいけないの?」

「そうだ」


 あかりはうーんと唸ると、やがて頷く。


「……じゃあ仕方ないか。でもたまには一緒に帰ろうね!」

「ああ」

「それじゃ、またねっ」


 くるりと半回転して行こうとするあかりの背中に、少なからず寂寥感を抱いていると、不意にその足が止められあかりはこちらを振り返る。


「そういえばコウは誰かに恋したことはあるの?」

「えっ……」


 不意に浴びせられた奇襲に思わず言葉が詰まる。

 それはお前だよと言えれば胸のつっかえも多少降りるかもしれない。ただ、今の状況でそれを言うのは困惑しか招かない気がする。


「今も昔もそんな事は一回も無いな」


 言うと、あかりはそっかそっかと言って笑顔を見せてくれる。


「それじゃ、またね!」


 手を振り揚々と歩いていくあかりの姿を眺めつつ、いったん傍にあったベンチに座り込むと、どっと疲れが身体にのしかかってくる。


「ああ疲れた……」


 まったく、世の中何が起こるか分かったもんじゃない。

ただ、あかりがシュウに惚れるのは納得だった。


 刑部秀人、あいつは人を和ませる魔力とでも言えばいいのか、そういう人を惹きつける何かを持ち合わせている。しかもそれなりの学力のあるこの高校は首席で通り、様々な分野に着手する大企業刑部グループの御曹司でもある。


 この経歴ならもっと上の私立高校にも行けただろうに、なんでこんな辺鄙な公立高校に来たのやらまったくの疑問だ。おまけにイケメン。既にファンクラブが設立されたとかいう噂も聞く。今日も教室でクラスの女子たちの眼差しを受けながら黒板消しに行ってたしな。というか男子ですら尊敬の眼差しを向けるレベルだ。


 あかりもあんなで一介の女子高生。そんな奴が一緒のクラスなら好意を抱くってのはごく自然な事なんだよなぁ。


 とは言え、シュウはいい奴だ。あいつは女と付き合う事になれば大事にしてくれると確信できる。あかりがそんな奴と一緒にいたいと望むのであれば、喜んで協力してやるさ。俺に反対する理由なんて無いし、むしろあかりが喜んでくれるのは一番望むところだからな。


「はぁ……」

「キャッ」


 大きく息を吐き出し、ベンチにぐにゃりと座り込むと、突然どこからか小さな悲鳴のような音が聞こえ、くさむらが音を立てて揺れる。


 何事かと後ろを見てみると、草木の斜面から何かの影が駆け下りてきた。

 あっという間に影は俺の傍を通り過ぎると、きつね色の毛を持った動物だという事を把握することが出来た。


「なんだいたちか……」


 割とここらへん郊外で場所によっちゃただの田舎になるし、たまにいたちは見る。たぶんさっきのはいたちの鳴き声だろう。この公園、林に隣接してるみたいだしな。でもいたちの鳴き声にしちゃちょっと違和感があった気もするが、まぁいいか。


 しばらく時間つぶしがてらにベンチにもたれかかっていると、空が紫がかってきたところで帰る事にした。

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