第16話 暴君の嫉妬に燃える青い瞳

「……カオ、ちょっと話があるの。けど、その前にあんたに確認してもらいたいことがある」


「え? うん、いいけど……なに?」


 手を引かれカウンターそばまで来たところでまほよさんが振り向かないまま小声で呟きました。いつになくシリアス雰囲気に気圧されながら香ちゃんはただ従います。


「……ん、ちょうどいいタイミングだわ。ちょっとここで耳出しなさい、耳」


 周囲を見回してからまほよさんがカウンター裏にしゃがみ込み、香ちゃんを手招きしながら耳を出せと指示します。


「どういうこと? 耳を出す?」


「ソッチじゃなくて、あんたのケモい耳の方よ……!」


 自分の後頭部をポンポンと叩いて見せるまほよさんの意図を理解した香ちゃんは周囲を警戒してから彼女の隣に潜り込みます。しゅるりと三角巾を解くと、先ほどまでの興奮が冷めやらないケモ耳がピーンと立ち上がります。


「それで、まほよちゃん、どうすれぇ……あれぇ?」


「……何か察した?」


 まほよさんを見つめていた香ちゃんの瞳が中空を泳ぎ、口がポカンと開きます。まほよさんが声をかけると香ちゃんは不思議そうに首を傾げました。


「……どうして皆さんケモってるの?」


 ぽこっ


 香ちゃんの額にソフトなぐーぱんが落とされました。


 その後、香ちゃんはまほよさんにバックヤードの奥地の更衣室に連行されました。連れさらわわれる前に身振り手振りで助けを求めましたが、雲雀ちゃんは悪い笑みを浮かべながら肩をすくめるだけで、店長はどういうわけか誠司くんと相席した状態で合掌するのみでした。


 バンと更衣室の扉を閉めるまほよさん。その眼光は鋭く隙がありません。香ちゃんはカテゴリ的に肉食系女子肉食獣ですがいまは狼を前に震える子羊も同然です。


「まほよちゃん? これは、どういうこと?」


「あんたねぇ……!」


 そんな香ちゃんにまほよさんはギリリと歯がみしてから大きくため息をつきます。それから首を振って気を取り直すと現在のカフェひだまりの状況クライシスをかいつまんで説明し始めました。


○●○●○●


「……って、わけ」


「そんなコトに!?」


「店長も試飲してからちょっとおかしいなとは思ってたらしいんだけど。あの人、匂いフェチだから」

 

 もとより匂いに心地よさを覚える店長は特製コーヒーのそれが催淫効果によるものではなく、出来の良さに由来するものだと判断してしまったのです。自分でローストしたものでしたから贔屓目ひいきめで見てしまっても仕方がないことでしょう。

 そして香ちゃんは自分由来の成分ゆえに効果がなかったのです。


「更によくないことに今日は誠司くんがいる」


「そ、そこに何の問題が?」


 まほよさんがズイと前に進み出て鼻を鳴らします。


「カオ、あんたいままでにないくらいケモってるわよ」


「く、臭い……かな?」


「正確な判断はいまの私には出来ない。さっきも言った色香が濃くってね。まあ、不快な感じはしないけど。それで本題、今日この時にそれじゃマズイのよ」


「へっ?」


「飲んだらエロい気分になる特製コーヒー、あんたから発する色香、おまけに最高にケモってるあんた……この足し算の結果は?」


「……ヤバイ、です」


「そうよ。ほんと、あの子に夢中なのね、カオは」


 まほよさんがヤレヤレと肩をすくめます。お客さんの大半が地元民や顔見知りのひだまりでおかしなことになるとは考え難いけれど、もののはずみで香ちゃんの正体が露見ろけんでもしたら大事おおごとだと彼女は付け加えます。


「そっ、そうだね! ああ! どうしよっ!?」


 ようやく現状を理解した香ちゃんは顔を真っ赤にしてアタフタし始めました。


「とにかく私、着替えるねっ!? あと、デオドラント!」


 香ちゃんは自分のロッカーに飛びつき開錠します。もしもの時に備えて着替えやデオドラントグッズは各種常備されているのです。


「そうね……でも、着替えは……あとで、いい」


「え? それは ――」


 どういうこと、と続くハズの香ちゃんの声は背後から抱きついてきたまほよさんにさえぎられてしまいました。


「まほよ、ちゃん?」


「ほんと、けるわ」


○●○●○●


 三角巾がむしり取られます。それはこの前のスマートな動きとは違って乱暴なやり方です。困惑する香ちゃんのケモ耳がむき出しになります。ピクピクとしきりにパタついているのは恐怖からでしょうか?


「えっ? なに? なんなの、まほよちゃん?」


「お黙り」


 まほよさんが膝カックンの要領で香ちゃんをひざまずかせます。身体能力に優れた獣人といえど困惑している状態で背後をとられてしまってはどうしようもありません。動けないまま視線を周囲へやると2人の真横に設置された姿見すがたみのなかに自分たちの姿を発見しました。まほよさんの顔は映っていません。


「まったく……誠司、誠ぇ司、誠司ぃ、と若い男相手にケモってぇ……!!」


 まほよさんのドロリとした怒気を頭上から浴びせられて香ちゃんの毛が逆立ちます。ワイドパンツのなかでケモしっぽが倍以上に膨らみました。


「本当に……妬けるわ」

 

 そしてまほよさんはキスするような動作で香ちゃんの頭へと顔を近づけ、思い切り息を吸い込み始めました。彼女は香ちゃんのケモ耳の裏側をクンクンし始めたのです。


「にゃあああっ!?」


 突然のことに香ちゃんは変な声を上げてしまいます。


「まほよちゃん! 駄目! ストップ! 駄目だよそんなの!」


「あら? どうして?」


「だっ、だってぇ……!」


「言わなきゃ続けるわよ、カオ?」


 そう言ってスンッスンッと鼻を鳴らしながら迫るまほよさん。風の流れがケモ耳をさそうように撫でます。ゾクゾクしてしまいます。これはヤバいと感じて香ちゃんは早々に降参しました。


「そ、それは……耳裏は」


「耳裏は? どうなってるのかしら?」


 スンッ スンスン


「臭いです」


「どうして?」


 スンスン、スンスン


「お客さんが、私のコーヒー飲んでくれて……誠司くんも来てくれてぇ……!」


「………」


 その沈黙はまだ香ちゃんを許してくれていません。


「いっぱい盛々ケモケモして、ピクピクして、くしゃい、からぁ……!」


 涙目になって懺悔ざんげするかのように香ちゃんが叫びました。


「そう? 私はけっこう好きよ? ようは慣れよね」


 そして、まほよさんはなんてことない調子で応え ――


 すぅーーー


 思い切り香ちゃんのケモ耳臭を吸い込みました。


「にゃああっ!? 嘘っ!? なんでどうしてぇ!」


 抗議する香ちゃんのあごをまほよさんが掴み振り向かせます。


「だって……言ったら止めてあげる、なんて約束していないもの」


 そう言い笑うまほよさんの瞳には青い炎が灯っています。それは一見冷たいようで触れればたちまちに火傷してしまう嫉妬しっとの炎です。香ちゃんはその瞳を見て遅まきながら気づきます。

 自分は狼を前にした仔羊だなんてとんでもありません。もうぐものがれて焼かれるだけのお肉も同然だったのです。

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