第13話 色香渦巻き、ひだまりクライシス

「……ぬぅ?」

「あまい……?」


 特性コピルアクの思わぬ効果に気づいた店長とまほよさんが店内へと戻ると、2人は同時に鼻を鳴らしました。普段は感じない花のような甘い香りが店内に漂っていたのです。


「もしや?」

「これも?」


 冷や汗フェイスの店長とあきれ顔のまほよさんが顔を見合わせていると、隣で咳払いが聞こえました。見ると朝から連勤のピンチヒッターちゃんが客席の方をクイクイ指さしています。仕事しろってことでしょうね。


「とりあえず一回りしてきます」


「わかった」


○●○●○●


「店長、カオの席以外は追加はなし。カオから『コピルアク2つ』入りました」


「……わかった」 


「それと……」


 注文取りから戻ったまほよさんがオーダーに続いてなにか報告しようとしているところにピンチヒッターちゃんが再びツカツカ近づいてきました。表情からしてプリプリ怒ってますね。まあ、自分代打よりレギュラーが奥に引っ込んでばかりでは落ち着かないでしょうしね。

 ですが彼女の足取りはまほよさんと目が合った瞬間にピタリと止まってしまいます。


「ひぃっ……!?」


「ごめんねぇ、雲雀ひばりぃ……後で、いい……?」


 まほよさんの表情が鬼気迫るものから一瞬で満面の笑みへと変わりました。まるで般若はんにゃの面でも付け外したような変わり身です。そしていまは無表情で彼女の返事を待っています。

 怖すぎです。野球バットで威嚇いかくしたらマシンガンを突きつけられたような仕打ちです。可哀想なピンチヒッターちゃんはコクコクと首肯するほかありません。


「すまんな、雲雀。もう少し、頼む」


「あ、ああ……うん」


 店長は彼女に声をかけると再びまほよさんとバックヤードに引っ込んでしまいました。すれ違いざまに彼はその頭を軽く撫でていきます。セクハラではありませんよ?


「うう~」


 撫でられた頭を両手で押さえている彼女は雲雀ちゃん。店長の娘さんでひだまりのピンチヒッターの女子高生(絶賛反抗期)です。


「なんなんだよ、もぅ……どれもこれもぉ……!」


○●○●○● 


「それでまほよくん、どうしたんだ?」


「はい、一回りして分かったんですが、あの甘い感じの匂いの発生源は香です」


「まあ、やはり、そうなる……か」


 頷く店長に「これは私の推測すいそくですけど……」と前置きしてまほよさんが続けます。


「多分あの匂いはコピルアクを飲んだ人だけが感じるものなんだと思います。雲雀はなんてことなさそうにしてましたし」


 ひだまりでの粗相そそうには口うるさい雲雀ちゃんが大人しくしてたのだからそうなのだろうと店長が首肯し先をうながします。


「それでその意味と理由が分かったんです。あれは飲んだ相手を誘う……文字通り色香いろか、なんです」 


「……しかし、いままではそんな……」


 そんなことはなかったと言いかけた店長の口からハッと息がれ目が見開かれます。もしかしてそうなのかとまほよさんに詰め寄ります。


「ええ。今回の研究所入り前にカオは誠司くんと会っていて、今日のデートを約束していたんです」


 今回のコピルアクの出来は確かに最高でした。しかしそこには思わぬ誤算があったのです。研究所にこもる前に香ちゃんが誠司くんと接触したしたことで彼女はそのおつとめ期間を悶々もんもんとあるいはワクワクドキドキと過ごしたことでしょう。そんな香ちゃんのメンタルがコーヒー豆の発酵と熟成にダイレクトに作用、結果として催淫さいいん効果が付与されてしまったのです。


「そして……ターゲットは」

「誠司くん、ですね」


 飲んだ相手を盛ケモらせるコーヒーと自身から発する色香。無自覚のうちに香ちゃんは誠司くんをオトしにかかっているというわけです。香ちゃんまさに肉食系女子肉食獣ですね。


「店長、止めましょう」


「だが、しかし……」


 しぶる店長にまほよさんが詰め寄ります。身長差などお構いなしに射貫いぬくような瞳で歯がみしながら彼女は目の前の偉丈夫にのぞみます。それは先ほどの雲雀ちゃん相手の威嚇とは違う静かな動きです。けれどその裏には確かな怒りを湛えています。


「香に無茶な真似をさせてもいいんですか……!? それとも、私の……!!」

「違う。分かっている。君の言い分がおそらく正しいのだとも……」


 たかぶりかけたまほよさんの肩に店長がその大きな手を重ねました。分かっているんだと静かな瞳が訴えかけます。その瞳にまほよさんの怒りはたちまちにえてしまいました。


「……なら、どうして?」


「うん、私のわがままだな。香くんのわがままが叶って欲しいと思う、私のわがままだ」


「………」


 そう言ってご隠居さんには怖いと不評だった笑みを浮かべます。その笑顔を見ているうちにまほよさんの表情が少し切なそうな困り顔に変わっていきます。説得は無理なようです。


「それに香くんは在庫状況も知っている。いきなり売り切れだ、などと通じはしないさ」


「……ええ」


 俯きがちなまほよさんの肩を店長がポンポンと叩きます。珍しくおどけた調子で明るく任せて欲しいと強気に出ます。


「誠司くんについては私が見るようにするし、香くんもコーヒーを飲んだところで仕事に戻ってもらうとするさ。それでコピルアクは看板お終い、場合によっては香くんにはあがってもらう」


「分かりました……カオには私から状況説明します」


 店長の提案にまほよさんは頷きます。実際もっともな落としどころですし、これに乗るほかないといったところです。


「けど……」

「うん?」


 まほよさんが顔を上げ静かに宣言します。その瞳には青い炎が灯っていました。


「その後、更衣室でカオをシバいてから着替えさせます」


「……わかった」


 まほよさんの提案に店長が頷きます。とんでもないこと言っていますが、これに乗るほかないといったところなのでしょう。暴君まほよさんの我慢の限界を見極めての店長判断です。


(すまん、香くん)


 決して店長がヘタレたとかそういうことではないのです。


「じゃあ、行きましょうか? 店長……!」 


「あ、ああ……」


 ギラギラした目で戦場店内へと向かうまほよさんに店長が続きます。


(香くん……すまない、本当に)


 店長は決してヘタレた訳ではないのです。多分……

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