第12話 想い募り、香り深まる

「このコーヒー、旨いが……マズイだろう?」


 常連さんの特製コピルアクの感想を受けて店長とまほよさんが固まります。


「………」


 プルプル震える指で店長はメガネを持ち上げ気を静めようとします。スクエアフレームのメガネをくいくいしています。


 ふらっ


 無理でした。この巨漢、ヘッドショットをもらったFPSゲームのキャラクターのように崩れ落ち始めました。


「ああ……もうっ!!」


 まほよさんがふらついた店長をすかさずに支えます。身長差がかなりあるので腰に抱き着く形です。


「すっ、すまない! まほよくん……!」

「しっかりしてください……抱きつかせないでっ」


 ハッとした店長が持ち直すとまほよさんがキッと睨みつけます。小声で「カオのこともあるんですから」と念押ししてから店長のお尻を引っ叩きます。


「取り乱してすみませんご隠居。それで、どうしたのですか?」


「すまねぇな。表現が悪かったわな。味は良いんだよとても。確かに旨いけどな……」


 店長とまほよさんがウンウンと先を促します。


「ただぁ、こいつぁ刺激が強すぎる。少なくとも、俺にはねぇ」


「……それはどういう?」


「旨いし香りだってこんなん初めだって感じよ。ぽわって感じになって気分もいい。でも、どうにも胸がドキドキしちまう。こりゃ~じじいには毒かもわかんないね」


 それともいよいよ歳かねぇとカラカラ笑いご隠居さんはすまなそうにコーヒーカップを差し出し会計を済ませると帰っていきました。


「また来るよぉ」


 受け取ったカップの飲み残しに店長の瞳が沈みます。しかし、ここで凹んでいる場合ではありません。


「これは……」

「検証が必要ですね」


 ご隠居さんをお見送りしてきたまほよさんが店長の言葉を継ぎます。


○●○●○●


「まほよくん。君も、飲むのか……?」


「ええ。店長はカオと試飲をしたけど気付かなかったわけですし、男女で効きが違うかもしれません」


「しかし……」


「獣人由来の品を加工提供した結果事故に……なんてことになったら、カオの立場はどうなります?」


 バックヤードにて。コーヒーミルを前に躊躇ちゅうちょしている店長をまほよさんが一蹴いっしゅうします。男前です。香ちゃんのピンチ(?)に先陣を切って乗り出してくれているのです。そんな彼女の態度に店長も覚悟を決め特製コピルアクの豆をミルに投じ、ハンドルを回します。あくまでゆっくり丁寧に。


 ごぉり、ごりごり~


「では……」

「いただきましょう」


 淹れたての特製コピルアクのカップを差し出されまほよさんは迷いなくカップに口をつけました。店長も一拍遅れて確かめるようにカップを傾けます。


「……あっ」

「………」



 それは幸せを沸き立たせる魅惑の一杯でした。



 舌に触れた瞬間に感じる酸味は強いものの、スッと引いてゆくため後味は驚くほどにスッキリしています。雑味は皆無で、所謂いわゆるコーヒーらしいロースト感を覚えるにが味もほとんどありません。では味気ないものなのかと問われればもちろんそんなことはありません。味わいはその香りを引き立てるための役割黒子に徹しているのです。


 それは香り高く不可思議としか言い表せません。土や古木を想わせる包み込まれるような大きな優しさと生き物に通じるワイルドさが複雑に混ざり合った香りは旋律のように響き合い、ときにほどけてその存在を主張します。


 触れる前から香り、口の中で広がり豊かな余韻でいだく。満腹のような充実と気持ち良いほどの浮遊感、視界がクリアに冴え渡る感覚。美味しさという枠を超えて飲んだ人をその移り変わる表情で魅せてしまう多幸感がそれには溶け込んでいました。

 

「なに? これ……?」

「正直に言って、最上の一杯だと思っている」


 驚き戸惑うまほよさんに店長が完璧にキマッたドヤ顔で答えます。メガネのメタルフレームがきゅぴーんと光りました。そういうことじゃねぇだろとまほよさんの眉間にしわが刻まれます。


「……んっ!!」

「がっ!? ま、まほよくん? な、なにをっ!?」


 ついに手が出ました。まほよさん、コーヒー飲んで落ち着きましょう。大きくため息をついてから今度は確かめるようにゆっくりと口元へカップを運び少量を味わっています。


「……ん、美味しい」


 ため息のように漏れ出た感想は混じり気のない本音ですが、彼女の表情はうれいにも似た静かなものに変わっていました。


「原料がカオから獲れたモノだって知らなければ、感動ものなのだけどね……」


「………」


 その言葉に店長がそっぽを向きました。こういうところ香ちゃんと似てますね。

 カフェひだまりの特製コピルアク。その原料は獣人六音香由来のモノであり本来のコピルアクと同様の工程で生産されているのでした。県内にある国立の研究所の管理下で安全第一に作っているとはいえ、まほよさんに「歪んだ性癖の産物」と揶揄やゆされるだけの品物なのです。


「ホントに、美味しいんだけどねー」


○●○●○● 


「………」


「………」


「……店長」


「ああ……どうしたんだ? まほよくん」


「なんとなく、問題が分かった気がします」


「……私もだ」


 コーヒーを飲み終えてからややあってまほよさんが口を開きました。店長も同じようです。


「「………」」


 しかしここで2人ともダンマリしてしまいます。寡黙かもくな店長はともかくまほよさんらしくはありません。


「店長……言いましょう」


「し、しかし……こういうことを男性から女性に言うのは正直、気が退ける」


「大丈夫です。私、どちらかというと女の子の方が好きなタチですから」


 サラッとバイセクシャルな発言をかまして続きを促すまほよさん。なかなかブッ飛んでますね、このロリ。彼女の不動心を見せられて店長も観念したようにふぅ、とため息を吐きます。


「こうやってかえりみると、正直……劣情れつじょうが沸き立つ」


「ええ、私もムラッとした気分です」


 店長は気まずそうに、まほよさんは不服そうに相手を見つめます。どうやら今回の特製コピルアクには催淫さいいん効果があるとみて間違いなさそうです。なんてこったと2人は天を仰ぎます。


「あん、のぉ……メス猫ぉ……!!」


○●○●○●


「にゃぁっっ!?」


「どうしたの? 香ちゃん」


「……何故か、怒りの波動を、感じました」


「それは……どういう?」


 香ちゃん、どうやらあなた、やらかしてしまったようですよ。

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