第11話 立ち込める芳香と暗雲

「店長さんは何作っても上手なんだよ~、このパスタも美味しいでしょ?」


「うん。なんていうか、トマトの酸味? しっかりしてて……旨い」


「でしょでしょ!?」


 上映コーナーの映画の音声、いつもよりも多いお客さんたちが織り成す喧騒をBGMに香ちゃんと誠司くんはお食事を始めました。

 誠司くんは口数こそ少ないものの料理は気に入ったようでいつもよりハキハキと話しています。香ちゃんも彼とお話しできている状況にテンションが上がっているようでいつも以上に笑顔を咲かせています。


○●○●○●


「ふぅ、このまま客入りが増えなければあのままにしておいてあげられるんだけど……どうかしらね?」


 デート風な2人のやり取りを横目にまほよさんは店内を見渡します。午後のお客さんの数次第では香ちゃんに戻ってもらう必要があるわけですが今のところは大丈夫そうです。食器をさげたりお冷を注いだりしながらまほよさんは店内を回ります。


「……うん?」


 ふと、視界になにかがチラつきました。見ると窓際の席のカップルがイチャイチャしていました。初めはお熱いことでと思いながら視線を外しかけたまほよさんでしたが2人とも妙に目がトロンとしていることに違和感を覚えました。


(まったく、そこから先は家でお願いするわよ……)


○●○●○●


「これは私からのサービスです」


 香ちゃんと誠司くんが食事を終えると店長がテーブルの真ん中に丸皿をスッと差し出してきました。そこにはブ厚いフレンチトーストが乗っています。2人ともキョトンとしていると店長がウィンクしました。気遣いは完璧ですがどうにもおっかない笑顔です。慣れっこの香ちゃんはそのサービスに浮かれていますが、誠司くんは背筋がビンッと伸び切っています。可哀そうに、確実にビビってますね。


「おっきいねぇ~!」


「あ、ああ、うん」


 焼き目もしっかりついていて食欲そそる豪華さは勿論、店長のきめ細やかな性格が出ている逸品いっぴんと言えるでしょう。最近の若者なら写メのひとつでも撮りそうなものですが2人ともそういう趣味はないようです。


「じゃあ、私が切り分けるねっ!」


「うん、よろしく」


○●○●○●


「……お連れの皆さんはお帰りですか?」


 上映コーナーのテーブルに1人腰かけている村井のおじさんにまほよさんが話かけます。片付けやらの最中に何人かが先に抜けていったのは見知っていましたが、まさか村井のおじさんだけになっているとは思っていませんでした。


「もともと今日は飲み会の0次会みたいな感じで集まったから、皆そっちに行ってるよ」


「そうですか」


 せっかく最高の取り合わせなのにねぇ、とおじさんがボヤきます。どうも村井のおじさんは誰かとコピルアクと映画の余韻よいんに浸りたかったようです。


「なぁんか皆、コーヒー飲むまでは良かったんだけど妙にソワソワしちゃってよぉ~」


 ちぇ、と唇を尖らせる村井のおじさんは随分と子供っぽい様子です。息子さん誠司くんとは随分キャラが違います。


「そう、ですか……」


 まほよさんはおじさんの言葉になにか引っかかりを感じました。


「だから、まほよちゃ~ん、慰めてよぉ~」


「叩きますよ、お盆の角で。何度でも……!」


 けれどその違和感はおじさんのたわむれのせいで消し飛びました。


「そんなぁ、皆冷たいぜ~!」


「ロリは対象外とかのたまってた口でなにを言うんですか?」


「今日はっ! 今日だけはまほよちゃんが聖母に見える! ロリだけど!」


 村井のおじさん、パーテーションの向こうに息子さんが居るんですよ!


「くっ! このぉ……!」


 カンッ


 まほよさん、ナイスですっ!


○●○●○●


「美味しいねぇ~」


「うん、うん……!」


「ふふっ、誠司くん。そんなにガブっといきたいなら手掴みしちゃいなよ?」


「え? でも……」


 切り分けたフレンチトーストに舌鼓を打っていた香ちゃんと誠司くんですが、香ちゃんが突然そんなことを言いだしました。そう言われて誠司くんは自分が随分とがっついていたことにハッとして俯きます。照れてますね、これは。


「いいから、いいから~」


「………」


 からかい半分といった調子で誠司くんをあおる香ちゃんですが彼が動き出さないのを眺めてからひょいとトーストを手掴みしました。


「それっ……んま、んまっ」


「香ちゃん」


「ん~?」


 呆れ半分の誠司くんの抗議に香ちゃんは小首を傾げるだけです。それから幸せそうにトーストをひょいパクひょいパクと摘まんでいます。誠司くんはそんな彼女にムッツリとした視線を投げかけますが、結局自分もトーストを手掴みし始めました。


「………」


「美味しいねぇ~!」


「……うん」


 ぷいっと視線を逸らすも誠司くんは頷きます。香ちゃん、思わずキュンとしてしまいます。


(にゃぁぁっ!! か、可愛いっ……!)


「に、にぃぃ……!」


 香ちゃんの口からケモ声が漏れ出てしまいます。香ちゃんがヤバッと思って誠司くんを見ると彼は不思議そうな顔で視線を辺りにめぐらせています。


 カンッ 


「「???」」


「な、なんだろ? いまの?」


「さぁ? 何かあったんじゃ、ないかな……?」


 誠司くん、それは君のお父さんが処断パニッシュされた音ですよ。

 ともあれ香ちゃんはこの場をやり過ごせたようです。


○●○●○●


「まったく、誰もかれも浮足立って……!」


 カウンターの内側へ帰還きかんするとまほよさんはハンと嘆息たんそくします。騒がしさと賑やかさとは質の異なる雰囲気がどうにも落ち着かないようです。


「どうしたんだ、まほよくん?」


「店長」


 そんな彼女へ店長が声をかけます。対してまほよさんは「実は……」と先程の違和感について語り始めます。なんだかんだで店長は皆から信頼されているのです。


「……という感じです」


「なるほど……確かに、少し浮ついた雰囲気というのはあるかもしれん」


 まほよさんの説明に店長はウムと頷きます。店長はイベントの最中だからだろうと思っていたようですが、彼女の懸念けねんに少し心配そうな表情を浮かべます。


「なぁ、若よ。ちょっといいかい?」


 そこへご隠居さんが片手を上げながらやってきました。店長はまほよさんに目配せしてからご隠居さんの方へと向かいます。


「ご隠居、どうされました?」


「ああ……ううん、こういうのは、その、お節介かもしれないんだけどよ……」


 妙に歯切れの悪い常連さんに店長は深く首肯して小声で「構いません」と告げます。その様子に安心したのがご隠居さんはコーヒーカップ ― まだ中身が半分ほど残ったものを差し出しました。


「この特製コーヒー、旨いが……マズイだろう?」


「えっ……!?」


 その言葉に店長とまほよさんが固まります。


○●○●○●


「美味しいねぇ~」


「そうだね、香ちゃん」


「うん~」


 一方、香ちゃんは終始浮かれています。

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