第10話 香ちゃんお姉さん風吹かす(内弁慶)

 からんころん


「いらっしゃいませっ、ようこそ、ひだまりに」


「あっ、うん……」


 少し緊張した面持ちでドアをくぐってきた村井誠司くんは目の前に香ちゃんがいることに少し驚いた様子でした。切れ目が見開かれています。多分仲のいい人にしかわからない程度に、ですが。


「1人、だよね?」


「うん」


「じゃあ、かどの落ち着く席、案内するね?」


「うん、ありがとう」


 香ちゃんも緊張しているようですが、普段のようにテンパッたりはせずに彼をエスコートしてあげています。


「えっと、それじゃあ、ご注文はどうする?」


「先に食事を頼んでから、コーヒー、もらおうかなって思ってる」


 元々は香ちゃんがコピルアクを飲みに来ないと誘ったのがキッカケなわけですが、時計を見れば確かにお昼時です。若者にとっては腹ペコなタイミングです。


「オススメはサンドウィッチ系なんだけど、しっかり食べたいならパスタの方がいいかな?」


 頻繁に入るオーダーじゃないからちょっとだけ時間かかるけどねと付け足しつつ香ちゃんはメニュー表のパスタの枠を指さします。誠司くんは彼女の指がなぞった文字をじっと眺めています。


(んん……! 視線で指、なぞられてるみたい……!)


 ここまで余裕だった香ちゃんですがひょんなことからゾクゾク盛盛ケモケモし始めてしまいます。


(でも、どうしたんだろ? じっと固まって)


 香ちゃんは誠司くんの表情を盗み見します。心の内の読めない表情で彼はメニューを見つめています。誠司くんはなんとなく仏像チックな雰囲気のある男子です。


(私の指、見てるワケないか……だとしたら……?)


 香ちゃんのおててはキレイに手入れされていますが少し大きくて女性にしてはワイルドな見た目です。だったらどうしてと考えを巡らせますが、普段は相手の感情の流れを知覚できるほど鋭敏な獣人のセンサーも想い人相手ではお馬鹿さん状態恋は盲目です。


(あ、もしかしたらパスタは高かった?)


 カフェひだまりの客層は大人中心でおまけにパスタは頻繁に出る品ではないので少しお高めです。少なくとも食べ盛りの若者にはそう感じるお値段でしょう。


「誠司くん、誠司くん」


 視線で呼びかけに応える彼に香ちゃんはむふっとドヤ顔で告げました。


「そっちも私が奢るよっ!」


「……それは、悪いよ」


 香ちゃんの口元が「への字」に歪みました。なかなかレアな表情です。


○●○●○●


「案外、普通に会話出来てますね、香は」


「ああ、上手くいったようだ」


 お店のかどっこで奢る奢らないでワヤワヤとしてる2人を眺めながらまほよさんが感想を口にします。普段香ちゃんから聞いている話では彼女は彼とまともに会話できていないらしい(実際そうなのですが)のでこれは意外だったようです。

 しかし一方で店長はしたり顔で頷いています。そんな態度にまほよさんは無言のジト目でどういうことだと尋ねます。ちっちゃいのに圧が強いです。


「んっ、香くんにとってひだまりはホームグラウンドだ。気持ち的に落ち着くしコーヒーの香りが満ちている」


「あっ」


 咳払いひとつで持ち直した店長の説明にまほよさんは得心とくしんがいきました。香ちゃんが誠司くんを目の前にしてテンパる最大の理由は獣人の本能による発情ケモケモ状態にあります。そしてケモケモのトリガーは彼の匂いなのですから、それをひだまりに幾重にも重なった香りのベールで覆ってしおうという作戦です。その効果は覿面てきめんというわけです。


「前から誠司くんとちゃんとお話がしたいと香くんが言っていたのでね。ここへ連れてきたらうまくいくんじゃないかと言ったんだが、見立てが間違っていなくて良かった」


「……心身ともに内弁慶じゃない、カオ」


「ま、まぁそういわずに……」


「………」


「………」


「………」


「……ま、まほよくん」


「なんですか?」


「刺々しい視線を、その、感じるんだが……?」


「さぁ? なんででしょう」


 先ほどよりも圧の増したジト目でまほよさんはしらばっくれます。

 話題は色恋沙汰なのだから頼るのなら自分だろうという想いがあったのでしょう。独り妬けちゃうまほよさんでした。


「店長ぉ~」


 そこへ押し問答オーダー取りを終えた香ちゃんがコツコツと早足でやってきました。どうやらパスタは香ちゃんの奢りとはならなかったようです。誠司くんなかなかしっかりしてますね。店長は店長で暴君から逃れる口実を得られてほっとしながら香ちゃんの元へと向かいます。

 まるで仲の良い親子のようにどうしたものかと相談を始めた2人を見つめるまほよさんの唇が尖がります。 


「……おばか」


 いやはや、それは誰に宛てた言葉なのでしょうか。


○●○●○●


「お待たせしました、トマトソースパスタです」


「うん、どもっ……」


 出来上がったパスタを香ちゃんが届けると誠司くんは少しバツが悪そうです。香ちゃんの奢りを断ったことを気にしているようです。香ちゃんはなんてことない感じですが若干目を逸らしちゃっています。そんな誠司くんに彼女は小首を傾げながら訊ねます。


「ねぇ、誠司くん。私これから昼休憩なんだけど、ご一緒してもいい、かな?」


「えっ……!?」


 誠司くんの切れ目が驚きに見開かれます。ご学友が見れば写メに収めようとするレベルの場面です。結局彼はしばらく固まってから首肯するばかりでした。


(やった! やったやった!! やった~っ!)


 パァッと香ちゃんが華やぎケモ耳と甘い香りが立ち上がります。三角巾がなければケモ耳がぴょこぴょこしているところでしょう。

 しばらく誠司くんがモジモジ香ちゃんがパァッとしていると店長が配膳トレー片手にやってきました。


「では香くん、こちらを。トレーとエプロンも」


 店長は香ちゃんに着席を促すとパスタ皿を置き彼女の仕事道具を受け取り、最後にごゆっくりと告げて去っていきます。スマートです。まるで絵にかいたような流れです。というより2人の作戦通りです。パスタの茹で上がりのタイミングが良過ぎです。


「……頑張るんだ、香くん……!」


 店長は壁に設置したハンガーに香ちゃん専用のデニムエプロンを掛けながら1人拳を握りしめます。気弱な人が見たら後ずさるくらいには迫力があります。ちなみに店長は茶のワークエプロン、まほよさんはヒッコリーストライプのものをそれぞれ愛用しています。 


「店長、オーダー入りました。お願いします」


「あ、ああ。すまない」


 呼び戻されいそいそと特性コーヒーを淹れる準備を始める店長をまほよさんはヤレヤレといった面持ちで眺めています。

 さて、これからフェアと香ちゃんの恋の行方はどうなっていくのでしょうか。

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