第4話 運命の糸、あるいはあなたの香り

「その場所に行くことになったのはそこへ行く理由があったからだよ」

 

 移住先が同じ同胞が少ないことにガッカリした彼女に賢者はそう告げました。

 香ちゃんの端境はざかいからの移住先が日本に決まったのは彼女が授かった言語が日本語だったからでした。授かった言語というのは端境はざかいの賢者の魔法で強制学習インストールしたものを指します。賢者曰く強制学習インストールできる言語はえにしによって決まるもので選択できないのだそうです。

 日本に来てから時に憎らしく想っていたその言葉が最近妙に頭をチラつきます。


 それは彼とここで出会ってからでした。


○●○●○●


「あーっ、香ちゃん! 悪ぃんだけど、誠司せいじの奴、呼んできてくんねぇかな?」


「あっ……はい」


 香ちゃんがグランド中央の少年を見つめていると村井のおじさんが声をかけてきました。


「アイツぅ、照れてんのよ、香ちゃんが来てるから」


「は、はぁ……」


 なんとも馴れ馴れしい調子ですが村井のおじさんはくだんの野球少年、誠司くんのお父さんなので問題ありません。


「分かりました。行って、きます」


 香ちゃんが誠司くんへ目指して走りだした背後では草野球おじさんたちが色めき立っています。若いですなぁとか、誠司くんずるいぞとか、青春だなーとかエトセトラ……総じて若さを賛美しています。実におっさんです。香ちゃん25歳と誠司くん15歳の歳の差を考えないで若者くくりで燃え立つあたり実におっさんです。


(そんなことない。そんなこと、ない……よね?)


 ちなみにこのオーディエンスたちの呟きは香ちゃんの耳にはバッチリ聞こえています。基本的に獣人の身体能力は人間の平均以上なのです。そしてこの無責任な呟きたちが彼女の耳たぶを赤く染めていきます。

 香ちゃんが駆け寄って来たのに気付いたのか誠司くんは走り込みを続けていた足を止めました。


「香ちゃん」


「うん、こんにちは。誠司くん」


 野球少年誠司くんが振り返ります。切れ目に太眉の素朴な和風男子です。日差しの下で走っていたからかその額で汗が光りました。


「仕事?」


「……うん」


 日頃の快活さはどこへやら、香ちゃんは歯切れ悪い返事を返すだけです。しかし、仕方ありません。彼女はいま己のなかで葛藤と闘っているのですから。


 いい臭い、好き。汗の臭い、好き。おじさんたちと違う尖った男の臭い、好き。日差しに焼けた肌の臭い、好き。いい臭い、好き。他の人と、違う。好き。好き。

 好き。欲しい。交わりたい。自分の香りで染めたい。染められたい。


 獣人の本能がラブコールを奏でます。途端におじさんたちの声が届かなくなります。かあっと顔が熱くなります。これだけなら恋の病ですが同時にじわっと分泌腺ぶんぴつせんが活性化するのを香ちゃんは感じました。


(うう……! ケモってる。私の体、ケモってるよぉ!)


 目の前の雄を絡め取れと言わんばかりにフェロモンが立ち上ろうとスタンバります。香ちゃんはキッと気合を入れてそれを封じ込め、誠司くんをコーヒーブレイクに誘います。


「飲んでかないっ!? コーヒー! おじさん、呼んでるよっ!?」


 なんかもう、ガッチガチです。ペッ○ーくんの方が幾分スムーズに稼動するんじゃないかっていうくらいガッチガチです。マ○オジャンプのポーズみたいな恰好でサムアップして後方を指し示す様はとても不格好です。


「……うん」


 そんな彼女の挙動になにを感じているのかイマイチ不明な誠司くんは頷くとベンチへ向かって歩き出しました。


(うう……! 変だっ! いまのは確実に変だと思われた!!)


 ペチッと両手で額を叩くと同時にもふりと色香が立ち上ります。魅惑乃薫香フェロモンブレス。彼女の種族特性のひとつが暴発したのでした。対象誠司くんが近くにいないのである意味では不発なのですが。


「うう~!」


 溢れ出る色香を隠すために不格好な様を晒してしまった。そのことに赤面して縮こまる香ちゃんは恋する乙女でした。


○●○●○●


「……ただいま戻りましたぁ」


「おかえり香くん」

「おかえりなさい、カオ」


 配達を終えてひだまりに帰って来た香ちゃんを店長とまほよさんが出迎えてくれます。配達セットをカウンターに乗せると彼女は少し休憩をもらえるだろうかと店長に掛け合いました。店長はもちろん構わないよと快諾するとなにか飲むかいと勧めてくれました。


「じゃあカフェラテを、お願いします」


 そう言って香ちゃんは店長が淹れてくれたカフェラテを受け取るとスティックシュガーをむんずと掴んでバックヤードへと引っ込んでいきました。


「珍しいな、香くんがカフェラテを頼むとは」


「そうですね」


 香ちゃんはコーヒーはブラック派です。もしくはエスプレッソが好みです。コーヒーシュガーは気分次第でミルクは基本入れません。


「しかし、あの様子なら誠司くんには会えたようだな」


「ええ」


 まほよさんが頷きます。2人とも誠司くんの存在は知っています。香ちゃんが彼にメロメロなのことも含めて。


「うむ、上手くいってなによりだ」


「えっ?」


「うん?」


 ですが店長の言葉にまほよさんは固まります。一体なにをどう見たらそうなるのだと言わんばかりです。店長は怪訝そうにまほよさんを見下ろします。その身長差ゆうに40センチ以上。まるで大人と子供です。


「店長……もう少し、香の匂いでなく顔色を気にかけるべきですよ」


「むっ、むぅ……スマン」


 しかしそんなことでまほよさんはビビりません。店長は気まずそうに頭を掻きます。

 この店長、なにげなく凄い人物なのですが匂いフェチなのです。彼は香ちゃんから魅惑乃薫香フェロモンブレスの残り香を嗅ぎとり誠司くんと出会えたに違いないと判断したのですが、そこから先へは考えが至らなかったのです。

 一方まほよさんは香ちゃんの声音と顔色ですぐにピンときました。見た目はロリでも大人です。

 ともあれ、ひだまりの仲間は香ちゃんを大切に想っているのでした。


「………」


「ど、どうしたのだ! まほよくん!? そんな形相で!」


「なんかいま、誰かに物凄い失礼なことを言われた気がして……!」

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