第3話 ひだまりの日々、そして配達へ
「くわぁ~」
「どうしたのよ、カオ?」
イベントデー明けの昼下がり。香ちゃんがあくびを漏らしました。まほよさんが彼女を肘でつつきます。
「やー、イベント明けだとこのまったりした空気がきもちくて、つい……」
「気持ちはわかんなくもない。でもあんたの場合、張り切り過ぎなのよ」
「そうかなぁ?」
昨日はいつもよりお客さんが多かったのに加えて閉店後が大変でした。レイアウトを変更していたテーブルや椅子を戻したり、イベント用の物品をしまったりと小さなカフェの人手ではすぐには片付かなかったのです。
香ちゃんはここぞとばかりに獣人の腕力を発揮して片付けに奔走しました。細身な香ちゃんですがそのパワーは店長さんよりも強いのでした。
「そーよ」
まほよさんが昨夜の彼女の奮闘ぶりを思い返しながら香ちゃんのわき腹をグリグリ肘でつつきます。彼女はちんまいので痛いトコに肘がめり込みます。
「痛たたっ、なにもぉ、まほよちゃん」
カフェひだまりの小さな暴君のコミュニケーションがバイオレンスなのはいつものことなので香ちゃんも笑っています。
まほよさんは21歳、大学生です。本名は
「またそのうちアレの時期に入るんだから、いまから疲れてたらもたないわよ?」
そう言ってまほよさんは香ちゃんを見上げます。どうやら彼女なりに香ちゃんを気遣ってくれているようです。バイオレンスなスキンシップはさておき良き友人です。そして合法ロリです。そんなまほよさんの気遣いを受けて香ちゃんは―
(ああ~! まほよちゃんの髪、今日もいい匂いだなぁ!)
いい匂いに
「ふんぬっ!」
「んがぁっ!!」
○●○●○●
ランチ時の忙しさが落ち着いたタイミングで店長が香ちゃんを手招きしました。身長180センチオーバーの
「はいっ、店長」
「香くん、配達をお願い出来るだろうか?」
そう言って店長はカウンターに置かれた配達用のポットを指さしました。消火器くらいはありそうな大口の注文用のポットです。
「分かりました。どちらへ?」
手渡されたヘルメットとバイクの鍵を受け取りながら香ちゃんが訪ねると店長が僅かに顔をほころばせます。
「南区の運動公園。草野球のおじ様方からだ」
その言葉に香ちゃんの顔が華やぎます。ぽわっと甘い匂いがわきたったような気がします。
「今日はそこまで盛況していない。多少ゆっくりしてきても構わないよ」
そう言ってミルクやコーヒーシュガーの入ったバスケットを差し出す店長。渋いです。そしてイケボです。見た目は怖くとも気は優しくて力持ちな紳士です。
「はいっ! 行ってきます!!」
そして香ちゃんはバスケットで埋まっていない方の手でひょいと大型ポットを手にして風のように配達に出かけていきました。
「……多少は非力なフリをしたほうが良いと言うべきだろうか?」
香ちゃんを送り出してから店長がぼやきました。
○●○●○●
配達用のバイクで約15分ほどで目的の市内の運動公園に到着しました。香ちゃんはヘルメットを脱いでケモ耳隠し用のキャスケット帽を被り、お届けの品を携えるとお客さんを目指します。
「っと、いけない……!」
香ちゃんは自分が大型のポットを片手で楽々と運んでいることを思い出し、バスケットに備え付きのストラップを肩掛けさせてポットを持ち直します。
「よしっ!」
そして野球グランドを目指してテテテッと駆けていきます。軽快です。ちょっと速すぎな気もします。
「こんにちはっ! カフェひだまりです! コーヒーの配達に伺いました!」
香ちゃんの到着に草野球のおじさんたちが沸き立ちます。休憩中なのか皆さん昼食をとっている最中でした。
「おお~! 来た来たっ! コーヒーだぞぉ!?」
注文者のおじさんが立ち上がり手を上げます。この人は村井のおじさん。草野球チームのリーダーでひだまりをご
村井のおじさんの一声でお昼を食べ終えているおじさんたちがわらわらと列をなし始めます。香ちゃんもそれ用に空けてくれてあるベンチで給仕の用意を整えると紙コップにコーヒーを注いで順々に手渡していきます。受け取ったおじさんはベンチに置かれたバスケットから各々ミルクやコーヒーシュガーを持っていきます。非常に統率の取れた団体行動です。
(相変わらずこういうとこ凄いなぁ……この国の人は)
日本生まれでない香ちゃんにはこの無言のうちに形成される秩序というか
(皆、ひとりひとり違うのにな)
入れ替わり立ち代わりやって来るおじさんたち。顔と名前は覚えきれていませんが、臭いはちゃんと覚えています。運動後の汗の臭いと鼻腔に脂の薄膜が張るようなわずかに甘い加齢臭が色濃いですが個々人の臭いが加わればそれはもうその人だけのものです。
健康的な人の臭い、好き。太っていてなおかつ不健康な臭い、嫌い。大汗かいた後の臭い、好き。ストレスを抱えてそうな張りつめた臭い、嫌い。太ってるけど健康的な臭い、普通。大病をしたことがあるらしい人はいつも変な臭い、嫌い。好き。好き。嫌い。
笑顔でコーヒーを手渡していく香ちゃんの動作と思考とは別に獣人の本能がおじさんたちを振り分けていきます。臭いにはその人が抱いたものと
(だから、気になるのかな……?)
給仕をこなしながら香ちゃんの視線がグランドの中央に向かいます。そこにはくつろいでいるおじさんたちには目もくれず軽めの走り込みを続ける少年の姿がありました。
グランドに到着した時点でその姿を発見してはいましたが、改めて彼をじっと見つめると香ちゃんの胸がキュッと締め付けられます。
ふと彼女の脳裏に
その場所に行くことになったのはそこへ行く理由があったからだよ、と。
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