第10話

 六月


 A定食の隣にボタンのあったB定食の食券を購入する。

 学生食堂は空いていた。まだ二限目の講義は終わってないし、お昼には少し早い時間だったから、当然と言えば当然だ。

 お盆にラーメンをのせた、見覚えのある人がキョロキョロと席を探しているけれど、ここまで空いていたら選びたい放題だろう。

 しばらくは席が埋まることも無さそうだと判断し、B定食と印字された小さな紙片をポケットに押し込んでラウンジへ向かう。


 学食よりも多少人がいるものの、ラウンジもそれほど混んではいなかった。窓際にある二人がけの席も空いていて、誰かの忘れ物なのか一冊の本が置いてある。手にとってパラパラとめくってみるけれど、本文は全て白紙だ。元のように席に置いて、そのまま購買に向かいかけ、声をかけられる。

「忘れ物ですよ」

 Nによく似たその人は、私に一冊の本を差し出す。本文が全て白紙の、誰かの置き忘れた本。

 私はそれを受け取って、小さくお礼を言う。誰かの持ち物であった真っ白いページしかない本は、この瞬間にすんなりと私の持ち物になった。

「でも、あなたがどこかに置き忘れれば、その本はまた他の誰かの持ち物になる」

 Nはニコリともせずに言う。

 突き放したような物言いだ。でも、声音も表情も、言葉ほど突き放したようなものではない、と思う。

 私はちょっと浮かれてるのかもしれない。少し大胆になっているのかもしれない。今回は間違えなかったから。

 普段の私なら、絶対に言わないようなことを言ってしまった。

「じゃあ、どうして私に声をかけて、この本を差し出してくれたんですか?」

「じゃあ、どうして呼びかけを無視せず、忘れ物だと言われた時に否定もしないでこの本を受け取ったの?」

「え?」

「え?」

 こんなこと、言うべきではなかったのかもしれない。間違えたのだろうか、私は、また?

 Nが私に何を答えて欲しいのか、そもそも一体何を言っているのかわからなかった。

 二限の終わりを告げる鐘が鳴る。

 丁度いいタイミングだと思い、何も言わないNに一声かけて、尻切れトンボに会話を打ち切った。

 だいたい私はNなんて人物は知らないし、だから今会話をしていた人物がN本人なのかNに似た人なのかそもそもNが誰なのか全くわからない。


 購買で紙パック入りのカフェオレを買い、席が無くなる前にと急いで学食へ向かう。

 A定食の唐揚げはサクサクでもジューシーでもなく、あんまりおいしくはなかったけれど、B定食はどうだろうか?

 おいしいといいな、と思った。それからふと、そういえば、私はまだA定食を食べたことがないと思い出す。


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