第7話

八月


 たっぷりと夜の気配を吸った部屋は、私を拒絶するための膜でも張ってしまっているかのように居心地が悪い。

 舌打ちを一つして電気を付けるが、当然これだけではしつこい夜の気配は追い払えない。唯一夜の気配を追い払えるのは朝だけだ。電気はだから、ほんの気休め程度のもの。

 ぱっと明かりがつき、ほんの少しだけ夜の気配が逃げていく。中途半端に夜の気配と混ざり合っていたそれは戸惑ったようにしおしおと縮まった。

 買ってきたカフェオレを飲みながらレポートに使うための資料を机の上に広げる。それぞれに軽く目を通し、どの資料を中心にしてまとめていくか練っていると、視界の隅で何か白いものが動いた。

 資料の紙が落ちたのかと思って見ると、それがいた。

 それは白くて、赤い目、平べったい体に大きな後ろ足をしていて、先程車で轢かれた蛙と色以外はとてもよく似ている。反射で体がびくっとした。

 蛙はじっとしている。私は少し悩んだけれど、蛙の存在は無視することにした。夜の気配ほど不快じゃないし、とにもかくにもレポートだ。


 空になったカフェオレのパックを捨てて肩を揉む。レポートも一段落ついたところで寝支度を始める。軽くシャワーを浴びてパジャマに着替え歯を磨いてベットに向かう頃には、半ば存在を忘れていたけれどもその蛙は、少し縮んでしっぽを生やしている。相変わらず赤い目で、じっとしていた。

 水の香りがする、と思ったのと夜の気配がしない、と気付いたのはほぼ同時だ。なぜだか夜の気配は完全にすっぱりと消えているが、そのかわりぴしゃりとする何かが部屋を満たしていて、身動きするたび私にまとわりつき、かなり体が重い。

 蛙はどんどん退化していく。しっぽが生えたと思えば、いつの間にか四肢は無くなり、すっかりオタマジャクシになっていた。

 部屋を満たす得体の知れない何かも、それの退化と反比例するようにどんどん濃密になってゆき、すっかり水の中にでも潜り込んでしまったような気分になる。


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