4本目 魔導書

アラオザル大森林浅層―――そのとある一帯には、ねばつくような空気が漂っていた。鼻につくような香りは〝焦げ臭い〟と称すべきもの。そう、〝大量の肉が焼け焦げた〟匂いだった。あたりには丸太のようなものが炭と化してごろごろと転がり、思い出したように砕けては粉と化していた。それが炎に喰らい尽くされた〝触手〟の成れ果てだった。

それらが転がる周囲には、その炭粉以外には何も存在しなかった。草花も木の1本すらもなく、しかしそれらを焼き尽くしたはずの炎は一欠けらも残ってはいない。まるで巨大な〝何か〟に噛み千切られたかのように、森に空洞ができていた。


いくつかの砕ける音が響いたのち、生き物の音はおろか葉の擦れる音までも消失した静寂が訪れた。

それから10分時間が流れただろうか。

突然焦げた土の下で何かが蠢いたかと思うと、緑色の触手が生えてきた。


§


〝私〟が自分の上に乗っかっている土を押しのけると、空が見えた。白がまばらな青だった。

そして私はたくさんの触手を使って地中から体を持ち上げる。

が、そのとき何本もの触手が引きちぎれた。土の中から引き抜こうとしたが、炎に喰われて脆くなった触手がその力に耐えられなかった。たくさんの緑が土の中に埋まったままになった。

だがその甲斐あってか、炎は残らず消えていた。跳躍による風圧でも消えなかったが、着地の瞬間触手を使って地中に潜り込むことでようやく消せた。

炎によって喰い尽くされた触手に、喰いちぎられた触手。触手がもともとから半分近くにまで減ってしまった。


―――まぁいいか。全部喰らい尽くされてしまうよりは。


地上への帰還と自身の現状確認を終えると、私は周囲に意識を向ける。

あの男はどこだ?私に炎どもを放ったあの男は。

もう一度あれを放たれてはたまらない。

視界を巡らすと、男は見つかった。否、男だったと思しきものが見つかった。

簡単に言えば腰から下の下半身しかなかった。上半身はなく、残された下半身も黒焦げに焼けて炭化している。

そして繋がっていない上半身は、周りを見てもどこにもない。


疑問は解決しなかったが、とりあえず興味は失った。上半身の行方も、その死因も、考えることさえなく終わった。

どこからどう見ても命あるようには見えない。再び炎を嗾けられることも、人と関わりたいという自分の目的が果たされることもない。


だから私の興味は次へと移った。

黒焦げの腰の傍に落ちている、あの〝本〟へと。


男が炎を嗾けた際に手に持っていたいたものだ。肉体を炭化させるほどの炎に炙られたのであれば、燃えてなければいけないそれは、しかし一切の焦げ跡を残さずそこに在った。

その存在はちぐはぐで、そこに在ることが不自然なはずなのに、どこまでも自然にそこに在った。形容しがたき存在感を放ちながら。

正直言って、触れることを躊躇う。あの炎への恐怖もあった。

だが同時に、この本はでもある。

男がび出した〝炎〟は私の体を焼いた。それが自分の命をも脅かすほどのものであることを―――私は体験する前に知っていた。

知らない、にも関わらず理解していた。ならばそれは、自分の〝喪われた記憶〟に関係していることかもしれない。


だから私は、あらゆる躊躇を越えて、本に触手を伸ばした。


§


拾い上げた本は奇妙な表紙をしていた。

煤がついていたが、触手で触れると簡単に落ちた。そして煤の下には焦げ目一つない、皮で包まれた本があった。何かの模様が刻まれている。


外側を存分に矯めつ眇めつ眺めた私は、その本を開こうとした。金属でできた大きな輪が留め具としてついていた。私はそれを外し、書を開く。


何とはなしに開かれたページには、模様が描かれていた。

真っ直ぐの線で描かれた―――そう四角だ。四角形の中には線と円が組み合わさった緻密な紋様が刻まれている。そして四角の四隅には、4つの絵が描かれていた。これらはそう、おそらくは……


『―――四大元素について』


そう、聴こえた。

理解したのではない。私が解ったのは、四隅に描かれたのがおそらく炎、水、石ころ、そして〝渦巻〟―――おそらくは風であろうということだけだ。

だが私は図形の下に描かれた、表紙にも刻まれていた模様を見た瞬間、その声を聴いた。


『火、水、風、土。これを四大元素として、世界の構成要素とみなす。この世の全てはいずれかの属性に分類され、そしてそれぞれを司る精霊と―――』


一列に並んだ模様―――いやおそらくこれは〝ことば〟。その〝ことば〟の意味が直接私に流れ込んできているのだろう。

私の視界には、開かれた本のページ全てが映っている。声はその全ての〝ことば〟を読み上げ、止まらない。

そして私は、視界をその本から外すことができなかった。

最初にその〝声〟を聴いた瞬間、私の躰は金縛りに遭ったかのように硬直していたのだ。


『―――であるからして、各存在が内に持つ力、つまりは〝オド〟と呼ばれる存在を捧げて、この世の構成要素に対して願い奉れば―――』


その一つ一つの意味が刷り込まれるごとに、その〝声〟を認識するたびに、私は粟立つ。毛穴はないはずなのに。


『―――つまりは、世を従える暴君の術理である―――』


ぺらり、とページが捲れた。

風だろうか。自分の身体は先ほどから全く動かない。減ったとはいえそれでもたくさんある触手が、一本たりとも動かない。何がページをめくったのだろうか。


『―――風魔術。風の精霊に〝オド〟を奉じて招来す―――』


そこに描かれたいたのは、或いは私に読み上げられた声は、一つの心理だった。


『風魔術を習得しました』


その声が脳裏に響くまで、私は視界を本に落として硬直したままだった。



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